イワン侯の襲撃
よろしくお願いします。
人間が住む西大陸のさらにその西端にあるラプラス王国。
王国の都ホリマスの正門に一台の馬車が入ってきた。馬車の側面にはいたるところに傷がついており、車輪も外れかかっていてガタガタしている。
「止まれ。何者だ」
「ウォーデン男爵家だ」
正門の門番に馬車の窓から紋章を見せた。
「失礼しました。お通りください」
「ありがとう」
馬車は正門から市街地に入る。
あまりにボロボロの馬車を町の人々がジロジロと見ているなか、馬車は市街地を抜けて貴族たちの邸宅が並ぶ区画へと入っていった。
そこで一番端っこに建てられている簡素な建物。王国の南東の端に領地を持っているウォーデン男爵家の邸宅である。
馬車から飛び降りた青年は男爵家次男のアークだ。
「父上、屋敷に着きました。もう大丈夫ですよ」
「男爵様!これは一体、、、」
邸宅の中から留守を任されていた使用人たちがわらわらと出てきた。何も連絡がなかったため、突然ボロボロになってやって来たことにとても驚いている。
「説明は後だ。金はいくらかかってもいい。都一番の医者を連れてきてくれ。」
よく訓練されている使用人たちは、その言葉を聞くとすぐに蜘蛛の子を散らすように町へ駆け出して行った。
アークはテキパキと指示を続ける。
「兄さんたちは父上を屋敷に運んでください。俺は王宮へ行ってくる。」
「アーク、一人で大丈夫か?俺も行こうか?」
馬車から降りてきた兄テュールは心配そうに言った。
「いえ、複数で行くとややこしい。俺一人の方が話しやすいでしょう。」
王宮で大臣たちとの面会を求めたアークは、突然訪れたものの、意外にもそんなに待たされることなく呼ばれた。おそらく事情が分かっているのだろう。
「ウォーデン男爵家の当主代理、アーク=ウォーデン殿お入りください」
「失礼します」
アークが大きな部屋に入ると、王国の中枢を担っている大臣たちや聖職者などが勢ぞろいしていた。
「アーク殿、イワン侯爵から既に報告を受けているが、中立の観点からウォーデン男爵側からの報告を聞こう。話したまえ」
アークは一つ深呼吸をして、用意していた報告書を読みあげる。
「はい。4日前の深夜、突如としてイワン侯爵の率いる兵3000が我が領地に侵攻を開始しました。我々は慌てて兵をかき集めて対抗しましたが、奇襲攻撃に耐え切れず敗走したのです。当主である父はその最中に矢を受け、現在ここの邸宅で治療をしていますが、かなりの重症です。」
そして、アークは怒りを抑えながら続けた。
「なぜ、同じ国の貴族であるイワン侯爵が突然侵攻してきたのか。我々は何もわからず、ただ怒っております。イワン侯からの説明と謝罪を求めます。」
大臣の一人が書類に目を通しながら言う。
「うむ。イワン侯爵からの説明によると、ウォーデン男爵家は他国と通謀していたため、攻撃をしたとの説明がある。これは本当か?」
「全くの濡れ衣です。何か証拠がありましょうか?」
「ウォーデン男爵家は国境に接していることを利用して、他国から魔族の物品を大量に輸入し、それを国内で売りさばいて莫大な利益を得ているではないか。」
聖職者の一人が被害者であるはずのアークを少し責めるように言う。魔族の商品を売ることは別に問題ではないが、教会の立場からは決して褒められたことではないのだろう。
「確かに魔族の商品を輸入していますが、事前に王国に届け出を出しておりますし、王国に大量の税を納めております。」
「君たちは侯爵からの侵攻を受けた時、領民を見捨てて逃げ出したじゃないか。これは、領主としての責務を放棄している。君たちは商人上がりだからわからないだろうけど、背中を見せて逃げるなど貴族として失格であるぞ。」
別の貴族の一人が言った。商人上がりという言葉にアークの顔がピクリと動く。
やはり、商人で蓄えた財力で爵位を「買った」というのは、他の貴族たちから印象が良くないのだろう。実際に、ウォーデン男爵家は他の貴族たちとの交流はほとんどなく、仲間外れのような扱いを受けている。
「国境の領主であるがゆえ、敵国からの侵攻には注意しておりましたが、まさか同じ王国に仕える仲間であるはずのイワン侯から攻撃を受けるとは夢にも思っていませんでしたから。」
アークが冷静に答えて責めてくる大臣や貴族たちを受け流していると、一人の役人が部屋に入ってくる。そして、一番奥に座っている大臣に何やら耳打ちをした。大臣はアークに向き直って言う。
「アーク殿、ウォーデン男爵の容体が急変したそうだ。早く戻ってあげなさい。」
アークの血の気が引く。かなり重症だったが、やはりだめだったか。
大臣が話をまとめる。
「とにかくイワン侯爵が主張するように、君たちウォーデン男爵家が他国と通じていることがはっきりと否定されるまで、君たちの処分は保留する。」
息子としてすぐに戻らなければならないだろう。しかし、貴族の息子として商人の息子として、ここで引き下がったら負けだ。最後に何とか食らいつかなければならない。
「どう思いますでしょうか?」
「なに?」
アークは思い切って顔を上げる。
「男爵家が侯爵家に侵攻されたのに男爵家が処分される。これを知った王国の他の男爵や子爵はどう思うでしょうか。」
「侯爵家が男爵家に侵攻したが侯爵家は処分されない。これを知った王国の侯爵や公爵はどう思うでしょうか」
「、、、、」
大臣たちは沈黙した。今回、ウォーデン男爵家を処分したという判断が前例となれば、弱い貴族たちは王国に不信感を持つだろうし、強い貴族たちは暴走をするかもしれない。
「王国で貴族たちが争いを始めないような決断を求めます。では失礼します。」
最後は脅迫じみてしまったが、アークは丁寧に頭を下げて部屋から退出していった。
邸宅の前では妹のミネルヴァが今か今かとアークの帰りを待っていた。
そして戻ってきた兄を馬から引っぺがし、手を引いて中に入る。
「お兄様!お父様がっ、、早く!!」
「父上!」
アークは父の寝室に飛び込んだ。医者が手を尽くしてもだめだったのか、部屋には男爵と子供たちだけが残っている。
アークの声を聞いた男爵は目を開けた。そして、最後の力を振り絞って口を開いた。
「息子たちよ揃ったか。最期に伝えたいことがある。」
「父さま、、」
姉のイアンナが一文字も聞き漏らすまいと耳を近づけた。
「決して驕らず、常に最善の手を打て。合理性の前には善悪も価値判断もない。我々は金で貴族になったが本質は商人だ。」
そして、アークに手を差し出す。アークは父の手をぎゅっと握った。
「次期当主はアーク、、お前を指名する。そして4人で領地を守っていくのだ。お前たちには商人の子供として、貴族や平民の子とは比べ物にならないくらいの教育をしてきたつもりだ。4人が力を合わせれば、稀代の名君になることができるだろう。決して仲たがいせず、協力して行くのだぞ!」
最期まで張りのある声で話していた男爵は、言い終わると同時に力尽きた。
まさかこんな最期になるなんて1週間前は誰が予想したであろうか。部屋には4人の子供たちが立ち尽くし、ミネルヴァのすすり泣く声だけが響いていた。