族長会議③
(陰謀――?)
グレイの口から飛び出した、穏やかでない一言にハーティアは眉を顰める。しかし、怪訝な顔をしたのはハーティアだけで、<狼>たちは顔色一つ変えることなくその言葉を受け入れていた。
「まず、起きたことを整理しよう。事の発端は、数日前――西の<月飼い>の集落が襲われた事件だ」
「な――!」
ハーティアは驚いて思わず腰を浮かしかける。うるさい、とでも言いたげなクロエとセスナの不機嫌な視線に立ち上がるのだけはギリギリでこらえたが、驚愕を隠すことはできなかった。
「すぐに異変に気付いたセスナが、群れの黒狼たちを引き連れ少数精鋭で向かったが――セスナ以外は全滅」
「えっ……!?」
「セスナ自身も大怪我を負っており、意識が回復した本人から直々に族長を招集したいとの連絡があり、ここに集ったのが昨日の夕方。マシロの治癒を受けながらセスナが言うには、西の<月飼い>の集落は壊滅。そしてあろうことか、襲撃者に夜水晶が奪われたという」
「な――…」
淡々と述べられる内容に、ハーティアはただただ絶句するしかない。
グレイは一度言葉を切り、深くため息を吐く。そして、体ごとゆっくりと、クロエと呼ばれた三白眼の精悍な顔つきの男に向き直った。
「さらに、セスナが見たという襲撃者は――灰狼だった、との証言だ。……クロエ。心当たりは」
「ない。何度も言っただろう」
さらり、と眉一つ動かさずにあっさりと言うクロエに、カッとセスナが激昂したのが分かった。
「ふざけるな!族長が、群れの<狼>の動向を知らないはずがない!」
「知らんものは知らんし、心当たりなんぞもっとない。そもそも、それは本当にうちの奴らだったのか?」
「この僕が間違えるはずがないだろう!第一、赤狼ならいざ知らず、黒狼の精鋭が一方的にやられるなんて、灰狼以外ありえない……!」
ダンッ!と円卓を握った拳で叩きつけ、ギリリとクロエを睨む。純然たる敵意の塊をぶつけられても、クロエという男はどこ吹く風、という様子で気にも留めないようだった。それがさらにセスナの怒りを買うのだろう。
「まぁ落ち着け、セスナ。まさか、クロエを相手に戦いを挑むほど愚かでもあるまい」
「っ……!」
グレイに静かにいさめられ、セスナはぐっと奥歯をかみしめて押し黙る。
(<狼>の中でも、強さに序列があるんだ……)
ハーティアはゆっくりと円卓を見渡しながら、セスナの言葉と、ここに来るまでに聞いたグレイの言葉を思い返していた。
(灰狼は、殺傷能力に特化した戒を持つ、って言ってたから、戦闘能力では一番上……?赤狼ならいざ知らず、って言葉を考えると、治癒ができる赤狼は、あまり戦闘向きじゃないのかもしれない……ってことは、灰狼>黒狼>赤狼、の順番……?)
単純に、族長というからには能力がその一族の中でずば抜けていると仮定すれば、クロエは間違いなく最強と言えるだろう。
(あれ、じゃあ……白狼、は…?)
ふと、自分たちを守護してくれていたという白狼の序列が気になり、思わずグレイを見やる。単純な能力で言えば灰狼が最も戦闘能力が高いのは事実だろう。そしてその族長のクロエが最強だというのもうなずけるが、その上に立つであろうグレイは――
「どうした?」
「あ、ご、ごめんなさい。その――白狼が話に出てこないのが、気になって」
もの言いたげな視線に気づいたグレイに水を向けられ、もごもごと進言すると、ぱちくり、とグレイの黄金色の瞳が瞬いた。
「……ふむ?白狼が襲ったといいたいのか。なるほど、考えてもみなかった」
「バカじゃないの?あるわけないじゃない、そんなこと」
くくっとおかしそうに笑ったグレイの声に被せるようにして、マシロの嘲るような声が飛ぶ。
「白狼は他の種族に絶対不可侵。そもそも、北の最果てにいて、こっちに来ることも出来ない」
「え――な、なんで――」
「だから、あんた、バカなの?グレイ一人で、全ての<狼>を片手で捻れるくらいチートみたいな<狼>なのよ?そのグレイの傍に、グレイを族長と据えてなんでも手足みたいに付き従う配下がいたら、勢力の均衡が崩れるに決まってるじゃない」
「ぇ……で、でも――」
「マシロ。<月飼い>とは交流を断絶して久しい。こちらの常識を、そう当たり前の知識のようにしてひけらかすな。お前のように聡い者ばかりではない」
マシロのつんけんした物言いに苦笑してグレイが諫めると、マシロは憮然とした表情で口を閉ざした。赤狼は知能が高いとグレイが言っていたことを鑑みれば、「そんなこと、考えたらすぐにわかるでしょ」とでも言いたげなその表情は、完全にハーティアを見下しているに違いなかった。
「だが、マシロの言うとおりだ。白狼は、北の最果てにいて、こちらには私が呼ばない限り来られない。――来ることができないよう、私が戒で壁を作った。あ奴らがこちらに干渉することはあり得ない」
「な……なんで…」
「始祖狼に種族を託された私だが――私が道を間違ったら、どうする」
苦笑しながら言われて、ハーティアはハッと目を見開いた。
グレイのリーダー然とした振る舞いが板につきすぎていて、そんなことが起こり得るなど、考えもしなかった。
「奴らは、私が道を間違えぬか、監視する役目を負っている。そのため、私は白狼の族長を兼ねているが、奴らを意のままに動かすことはない。そんなことをしたら、きっと奴らは盟約に従い、私を討とうとするはずだ。――まぁ、奴らの力を借りねばならんようなことは、この千年一度も起きていないから、今後も大丈夫だろう。私一人の力でだいたいのことは事足りる」
「……」
あっさりと言ってのける言葉には、グレイの規格外の有能さが垣間見えていた。
「まぁ、私を諫めるほかに――例えば、環境の変化や、不治の伝染病の流行など、こちらの種族が絶滅の危機に瀕したときのリスクヘッジ、という側面もある。疫病だの環境だのは、そもそも違う場所で暮らして交流を断絶させておけば、だいたい防げる。――残るのは白狼だけ、という結果にはなるが、それでも<狼>という種族そのものの絶滅だけは防げるのだ。種をつなげ、という始祖狼の遺志を継ぐため、私が当時の族長らと話して決めた」
「――――じゃ……じゃぁ…」
ハーティアは、ごくり、と息をのんでグレイを見返す。
「私の村は――誰が、守って――」
「……私だな。私が一人で、お前たちの守護を担っていた」
僅かに瞳を伏せて静かに言われた言葉に、ひゅ――と喉の奥が鳴り、血の気が引く。
「何よ、文句あるの?――言っておくけど、赤狼の百匹に守られるより、グレイ一人に守られてるほうが、五千倍は安全なんだからね!?あんたたちは東西南北どの集落よりも安全な――」
「――マシロ。口を閉ざせ」
ぴしゃり、と一際冷たい声が飛び、驚いたようにマシロがその唇を閉ざす。赤茶の髪から覗く獣耳が、ぞわっと一瞬逆立ったように見えたのは錯覚ではないだろう。
青い顔のまま押し黙り、物言いたげに己を見つめるハーティアの視線から一瞬逃れるように目を伏せたグレイは、しかしすぐにその瑠璃色の瞳をしっかりと受け止めた。
「お前は私に怒る正当な権利がある。――できれば、<狼>ではなく、白狼でもなく――私個人に、その怒りをぶつけてほしいとは思っているがな」
「――…な、んで……?だって――グレイは、全部の<狼>より、強いんでしょう?く……クロエさんより、強い、んでしょう…!?」
「その話題に触れるとはいい度胸だ女。八つ裂かれたいか」
今まで眉一つ動かさなかったクロエが不機嫌をあらわに眉間にしわを寄せるのを見て、セスナが鼻で笑う。
「歴代最強と言われて、強いやつを見たら戦いを挑まずにはいられない戦闘狂のクロエが、無謀にもグレイに真向勝負を挑んで手も足も出なかったのは、何年前だっけ?懐かしいなぁ」
「ぶっ殺すぞ貴様……!」
種族同士の争いに関してはあれほど冷静に対応していたクロエが、むき出しの怒気を発し、ごぉっと二人の間に殺気が吹き荒れ――
「うるさい。外野は黙っていろ」
ひやり、と飛んだ冷静な声音に、物騒な空気が一瞬で霧散する。
二人が発する空気の五倍は物騒な空気を、グレイが発したせいだろう。セスナは苦い顔で、クロエは大きく舌打ちをして、浮かしかけた腰を再び席へと落ち着かせる。
しん……と一瞬の静寂が部屋に満ちた。
「グレイが、一人で守ってた……?」
「あぁ」
「昨日の夜は――ここで、族長会議が、開かれていた……」
「……あぁ。そうだな」
ぎゅっ……とハーティアはこぶしを握り締める。
「だから――私の、村は――守ってもらえなかったの――?」
絶望に暮れるハーティアの声に、周囲の<狼>がハッとした視線をよこす。――事態をすべて察したのだろう。
「グレイがっ…グレイが、あの夜、村の傍にいてくれなかったからっ――だから、村のみんなは――!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
非難の色を瞳に湛えて言い募ろうとしたハーティアに、ストップをかけたのはマシロだった。
「言っておくけど、千年ずっと、グレイは一人であんたの集落を守ってた!その間、何度も族長会議はあったし、儀式だってなんだって、グレイが北の縄張りから出ることは何度もあった!不在にしてたら守護できない、なんてそんな単純な話じゃないはずよ!?ちょっとは考えなさいよバカね!」
「マシロ。口には気をつけろ。――私が不在の時に、村が襲われた。誰が何を言おうと、事実がすべてだ」
「でも――」
なおもグレイを庇おうとするマシロを手で制し、グレイはハーティアへと向き直る。
「説明、して……説明して、グレイっ…!」
「……そうだな。お前には知る権利がある」
グレイは一つ、ゆっくりと呼吸を整えてから口を開いた。