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<月飼い>少女は<狼>とともに夢を見る  作者: 神崎右京
第四章

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君と歩む永遠⑥

(勝手に話したら怒られる?――うん、絶対怒られる。めちゃくちゃ怒られる。絶対、絶対怒られる)

 マシロはグレイが本気で怒りを露わにしたときの恐ろしさを思い出し、ゾッ……と一瞬背筋に寒気を覚えたが、ふるっと一つ頭を振ってその恐怖を追いやる。

 グレイの考えていることはわかるが――今のこの状況が最善とは、どうしてもマシロには思えなかった。

「グレイにはね――千年以上前、白狼の族長にすらなる前に、『番にしたい』って思った唯一の女の人がいたんですって」

「ぇ――ぇえええ!!?」

 いきなり想像もしていなかった衝撃の告白に、ハーティアは思わずマシロを二度見する。

(わかる……わかるわ、あたしも同じ気持ちだったもん)

 その時は、ハーティアと違って、驚きのあまり言葉すらなく二度見してしまったが。

「しかも、もっと驚くことに――なんとその相手、『人間』だったのよ」

「――――」

 今度こそ。

 ハーティアは、あんぐりと口を開いて言葉を失った。

(……まぁ…その反応も、わかるけど……)

 マシロは苦い気持ちで胸中で呻き、言葉を続ける。

「焦ったでしょうね。『人間』の寿命なんて、<狼>からしたら、本当に一瞬。五百年の寿命がある白狼にはなおのことよ。……でも、当時のグレイはまだ成体じゃなくて――成体じゃないと、首を噛んでも番にはなれないの――自分の身体に成長速度を速める戒をかけて、一刻も早く成体になって番おうと頑張ってたらしいわ。ゾッコンよね」

「ぇ……ぐ、グレイ、が……!?」

「そ。……今の悟り切った長老みたいなグレイからは想像つかないわよね」

 早く大人になりたい、と背伸びをする健気な姿など、今の泰然自若としたグレイからは全く想像できない。

「でも、成体になるより先に――グレイは、始祖によって、永遠の命を与えられてしまった。その時、不老にしてしまうお詫びなのか何なのかわかんないけど、早く成体になりたいって言っていたグレイの意向を汲んで、始祖はグレイを成体にしてくれたらしいわ。……でも、そんなの意味ないわよね。グレイが成体になりたかった理由はその女と番になりたかったからなのに――始祖のせいで、グレイは相手を番にすることは永遠に叶わなくなった」

「ぁ――グレイの愛情は、呪いに変わる……って――」

 千年樹のほとりで聞いた話がハーティアの脳裏に蘇る。

「そう。グレイは、不老不死の身体が、決して良いものではないとわかっていたの。だから、女を番にすることは諦めて――だけどね。<狼>の愛情って、死ぬほど重いの。知ってる?――クロくん見てれば、わかるか」

「ぅ……は、はい……想像、だけは……」

 最"狂"と揶揄されるほどに行き過ぎた溺愛を己の番へと向ける灰狼を思い出し、その事実を知ってしまった時の背筋の寒さまでリアルに思い出してしまって、ハーティアはもごもごと口の中で呻く。

「結果、グレイは、番になることだけは諦められたけれど、その女との永遠の別離には耐えられなかった。……たかだが数十年でその女の命が尽きれば、グレイは最愛の存在を永遠に失う。それだけが、どうしても、耐えられなかったんですって」

 マシロは、小さく嘆息し、苦い声でつづける。

「そう――<狼>種族の利よりも優先するくらいに、どうしても」

「――ぇ――……?」

 マシロはかすかに眉根を寄せて、痛ましげな表情を作る。

「そうしてグレイは、その女を失わないために、始祖からもらった銀水晶に願った。その結果――千年樹のあるこの森で生命活動を営む者に、生まれ変わりが誕生するという、世界の理を捻じ曲げた新しいルールを造り出した」

「え――!?」

 まさか、そこに話が着地するとは思わなかったのだろう。ハーティアは大きく目を見開く。

「でも、相手は『人間』よ。……この森に連れてきて生命活動を営ませなければ、生まれ変わりは誕生しない。それが水晶が課した『制約』だったから」

「ちょ……ちょっと、待ってください。まさか――まさか――!」

 ハーティアの中で、点と点が線になって繋がっていく。

「……そう。だから、グレイは<月飼い>を生んだ。嘘の物語を聞かせ、<狼>種族の猛反対も全て押し切って――<狼>種族の利と、その女の魂の存続を天秤にかけて、グレイは後者を取ったのよ」

「そ……そんな――……じゃ、じゃぁ、<月飼い>と交わした盟約、っていうのは――」

「勿論、誠実なとこのある彼なりの、嘘をついてまでその一族に不自由を強いることに対するけじめっていう側面はあるんでしょうけど――でも、きっと、盟約なんてあろうがなかろうが、その女の血だけは、何が何でも守るんじゃない?それこそ『永遠』に、いつまでも」

 ハーティアは、驚きに色を失いながら、いつかグレイと風呂場で交わした会話を思い出していた。

「そ……そっか……だからグレイは、あんなに、具体的に――」

「ぅん?」

「一回、聞いたことがあるんです。グレイに。番にしたい相手が現れたらどうするか…って」

「……へぇ。そりゃぁ答えにくそうね。……で?グレイはなんて答えたの?」

 マシロはこれ以上なく苦く顔を顰めて尋ねる。ハーティアは当時のことをゆっくりと脳裏に思い描いた。

「何も言わずに『見守る』だけだ、って、言ってました。多少、特別扱いをして守りたくなるかもしれないけど、それだけだって――それこそが、彼に出来る、彼にしか真似できない愛の形なんだ、って……言ってました」

「……なるほど?その通り過ぎてウケるわね」

 ハッ……とすれ違いを重ねる男女のやり取りに投げやりに鼻を鳴らす。自然とすれ違うならばともかく、完全にグレイがミスリードしているのだ。優秀な頭脳を持つ彼に意図的に会話を誘導されては、ハーティアに自然と気付けという方が酷だろう。

 ハーティアは困惑しながらも必死にマシロから聞いた話を飲み込んで整理する。

(そ、そっか……グレイのことだから、肝心の女の子がちゃんと血をつないでいくかどうか、いつでも見守れるようにしたはず……つまり、その女の子は、北の<月飼い>の先祖――私が血をつないでいけば、いつか生まれ出る可能性が残されている)

 ハーティア以外に北の集落の血を継ぐ者はいない。盟約以上に、ハーティアを必死で守ろうとする理由に合点がいき、ハーティアは頷き――はた、と再び同じ疑問にぶち当たる。

(……あれ?でも結局、それなら私に長生きさせて沢山子供を産ませる方が――)

「まぁだから、特別扱いしてるじゃない」

「……え?」

 ハーティアの表情から彼女の思考の流れを察したのだろう。マシロが絶妙なタイミングで口を開く。ハーティアは、ぽかん、と口を開いてマシロを振り返った。

「銀水晶が叶えられる願いは三つ。一つは生まれ変わりの誕生。二つ目は――”人”を目印に転移する、始祖の魔法の履行」

「――――」

「自分の意思では転移できない、というのが制約らしいわ。永遠に、生まれ変わった愛しい魂を『見守る』ために――魂の持ち主に危険が迫ったら、問答無用で、グレイの意思もその時の状況も無視して、強制的に愛した女の魂の持ち主の下へと転移する」

「――え。…………え……?」

 それは――どこかで、聞いた話だ。

 ハーティアは混乱を極め、ふらり、と足元をふらつかせた。

「ま――待ってください――そ、それって――」

「グレイが、<狼>の長らしくなくなるのなんて、たぶん、後にも先にも、その番にしたい『人間』に関わる何かが起きたときだけよ」

 フン、とマシロは小さく鼻を鳴らす。

「<狼>の長としてならば、迷うことなく<夜>を殺すために使うべき最後の水晶の願いを――その女のために使おうって本気で悩むくらいには」

「――――っ……!?」

 瑠璃色の瞳が、混乱のあまり白黒する。頭を抱えて、困惑が極まった声を上げた。

「う、嘘です……!だ、だって私、グレイとは、出逢ってまだ数日――」

「アンタはそうでしょうけど、グレイにしてみれば、初めて逢ったのは千年以上前でしょ。その間、何度も生まれ変わってるでしょうし。グレイにとっては千年ずっと変わらず片思い状態よ。アンタに自覚がないだけで」

「い、いいいいいいやでも、全然、全然そんな素振り――」

「――本当に?」

 うまく現実を受け入れられないハーティアに呆れたように、マシロが半眼で見やる。

「何度も何度も、『愛しい』ってうるさいくらい言ってたじゃない」

「で、でもそれは、<狼>種族に対しても、<月飼い>全般に対しても同じで――」

「そう?……まぁ確かにグレイなら、それらにも『愛しい』って言いそうだけど――でも、あんなふうに雄の色気たっぷりに切なく熱烈に囁いたりはしないでしょ」

 うらやましい限りね、と皮肉をお見舞いされ、否定しようとして――

(――雄の色気?)

 はた、とその単語が引っかかる。確かに時折、<狼>の長たる顔ではない表情が覗くときがあった。らしくないな、と思うときは何度もあったが――その、一番強烈な、最たるときは――

『あぁ……このまま本能に任せて――この首筋に、齧り付いてしまいたいくらいだ――』

「~~~~っ……!」

 耳の奥、風呂場の濡れた狭い部屋に響く色気の塊のような声が蘇り、ぼふんっ……とハーティアの顔が真っ赤に染まる。

「あら。何か思い当たる節でもあった?」

「っ……!」

 ボボボボ、とどんどん顔が熱くなっていき、マシロの問いかけにも答えることが出来ず両手で顔を覆って俯く。

 あの時は、<狼>種族にとって、首筋に噛みつくというのがどういう意味のある行動なのか知らなかった。だが今は、その行動に、グレイの言葉に込められた真の意味に、気づいてしまった。

 どんなに愛しく思っても、相手を不幸にしてしまうことを思えば、番にすることは出来ない――そう語った舌の根も乾かぬそのうちに。

 何がきっかけになったのかはわからないが、グレイは豹変し、『お前を番にしたい』と明確に口にしたも同然と言うことだ。

 それは、理性で押さえつけていた感情の蓋が開いた瞬間に他ならない。ハーティアを不幸に引きずり込んででも番にしたい、という気持ちの発露だったのだろう。

「よかったわね、グレイが理性的な男で。――あんた、一歩間違ったら、ナツメみたいに、虚ろな人形みたいにされてたかもしれないんだから」

「――――っ!」

 ゾッ……と初めてナツメとクロエの話を聞いたときのことを思い出し、一瞬肝が冷える。

 本人の意思など関係なく、愛する女の生まれ変わりを、無理矢理番にして心を壊してしまっても離れることが出来ないという狂気をはらんだカップルの話は、確かに一歩間違えれば自分にも起こりえた世界だ。

 風呂場で感情の蓋が開いたグレイの様子を思い返すと、それは誇張表現でも何でもないだろうことは容易に想像がつく。

『おそらく私も、一度番えば、きっと、二度と放してはやれぬ。たとえ、相手の心が壊れようと、決して、な』

 グレイが苦笑と自嘲の混じった声で呟いた言葉が蘇り、再びぞくり、と背筋が冷えた。

「グレイが、理性であんたを――あんたの魂を持つ過去の女全員を――番にしなかったのは、全部、『永遠』の命を与えると不幸にすると思ってたからでしょ。自分の番にすることよりも、あんたの幸せの方をずっと願ってた。――ただでさえ<狼>の愛は重いのに、千年間も拗らせて特大まで肥大した愛情を抑え込むくらいだもん。あんたの幸せって言うのは、グレイにとって相当大事なものなんでしょ」

「――……」

「そりゃ、『永遠』の命を『有限』にするために全霊を尽くすに決まってるわ。……あんたが、永遠の命を以て子供をどれだけたくさん産んでも、グレイが一番熱望するアンタの魂を持つ存在は生まれてこない。それどころか、アンタ自身は『永遠』を生きるうち心を壊して不幸になっていく――って考えたら、そりゃぁ、何が何でも元に戻したいでしょ。元の因果に戻せれば、あんたが血を繋ぐだけで、またいつか生まれ変わりは誕生するわけだし」

「…………」

 ごくり、とハーティアはつばを飲み込む。ゆらり、と瑠璃色の瞳が一つ、揺れた。

 その間にひくり、と再びマシロの耳が動いた。前方の会話を慎重に聞き取っているのだろう。しばらく耳を済ませた後、マシロは最後に特大のため息をついて、言葉を紡ぐ。

「<夜>は最悪、水晶の力を使わなくても、力技でごり押しして、何百回、何千回と殺し続ければ、力を失って死ぬかもしれない。本当にそれで殺せるのかは懐疑的だけど、試す価値はある。――でも、あんたを元に戻す方法は、正直、水晶に頼らざるを得ないとグレイは考えてるみたいよ」

「…………」

「でも、それには”制約”が伴う。どんな制約が課されるかは、事前にはわからないみたいね。その制約によっては――アンタは寿命が短くなったとしても、残りの人生で不幸や不自由を強いられるかもしれない。……子供を産めなくなる、とかもあるかもね。そうしたら、今度はグレイが絶望する」

 ハーティアはうつむき、静かにその言葉を受け止めた。前方では、二回目に出撃したクロエが、再び<夜>を瞬殺し、血の海へと沈めているところだった。

 それを見るともなしに見ながら、マシロは言葉を続ける。

「どこ向いても地獄ね。グレイも、あんたも。……でも、たぶん、グレイは最後の最後、自分の不幸とアンタの不幸だったら、自分が不幸になることを選ぶと思う。悩んで悩んで悩みぬいて――結局、あんたの幸せを取ると思う。その選択が<狼>の長らしいかどうかはわからないけれど――でもグレイらしい、とは思うわ」

 グレイを完璧な存在だと崇めていたころから、知っている。

 時に長として非情な決断を下すこともある彼だが――本来、とても慈しみ深く、優しい<狼>なのだ。

 己の利を全て抑え込んで、他者の利を優先できる――そんな、<狼>なのだから。

「……はぁ。勝手にペラペラ喋ったこと、絶対怒られるわ。アンタ、グレイの前では知らないふりしてよね」

 不安げに耳をひくひく揺らすマシロに、ハーティアはゆっくりと問いかけた。

「どうして……グレイは、私に、何も言わないんですか……?」

「そりゃ……あんたに余計なこと教えて不安にさせたくないんでしょ。ちょっとでもアンタが不幸になりえる要素があるなら、それが小石程度の障害だったとしても今のグレイなら必死に取り除きそうよね。完全に整備された道だけを歩かせたい。――そこに、どれだけグレイの血を吐くような苦しみがあったとしても」

 マシロは不愉快そうに顔を顰める。

「だから話したのよ。――グレイだけがそんな想いをするなんて、絶対おかしいわ。最終的に、あんたが整備された道を歩くのは別にいい。正直、巻き込まれ具合だけ考えればすでに十分可哀想だとも思うし――グレイの愛情なんて、たかが数日前に逢ったばかりのアンタにしてみれば関係ないでしょ。それに応えたり報いたりする必要があるとは思わないし、それでいいと思う。アンタはアンタの道を歩いて、『人間』とでも結婚して存分に幸せになればいい。――でも」

 オッドアイが、哀し気に伏せられる。

「……その幸せの陰には、グレイの哀しいまでの苦悩と我慢と犠牲があったことを、ちゃんと、知っておいてほしい。――ただ、それだけよ……」

 それは、的確な分析に基づくマシロの本音だった。

 グレイは、自分の愛情が受け入れられることなどこれっぽっちも求めていない。ハーティアがグレイを慮ることなど、望んでいない。万が一にもグレイのために心を痛めることなどあってはいけないのだ。

 彼が望むのは、ハーティアの『生涯尽きることのない幸い』なのだから――

「……グレイの気持ちと、マシロさんの考えは、わかりました」

 ぽつり……とハーティアの口から、小さな呟きが漏れる。瞳を閉じて、ゆっくりと一つ深呼吸する。

 気持ちを落ち着かせるように、大きく、ゆっくりと。

 そして――ふ……と黄金の睫毛が上がり、瑠璃の瞳が前方を見据えた。

「でも――――全然、理解、出来ません」

「――へ……?」

 思わずマシロから間抜けな声が漏れる。

 上げられた瑠璃色の瞳の中には――確固たる”怒り”が宿っていた――


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