族長会議②
石造りの建物の中は、薄暗くひんやりとしていた。――毛皮に覆われている<狼>たちが作ったという建造物だ。もしかしたら、彼らは暑さに弱いのかもしれない。
そんなくだらないことを考えながら、ハーティアは前を行くグレイの後をついていく。小柄なハーティアとはくらべものにならない長さのコンパスを持った足の癖に、ハーティアが付いて来やすいように歩調を緩めてくれているのか、小走りになるようなことはなかった。
(年上の余裕――っていうにしては、年上すぎる、けど…)
改めてハーティアは目の前を行く青年の後ろ姿を眺める。
平均寿命三百歳という<狼>たちを、『子供』と表現した彼の口調は、自然界の単純な力関係で行けば圧倒的強者に位置するその種族をまとめるだけあって、威厳に満ちたものである。
(長老――…って呼んだら、怒るかな)
外見的特徴だけを見れば、せいぜい二十代くらいにしか見えない彼をそう呼ぶのは失礼にも思えるが、彼の身から醸し出される雰囲気を鑑みると、全く違和感がないのが不思議だ。
白狼という種族がそもそも統率力に優れているらしいが、その中でもグレイはずば抜けているのだろう、とハーティアは予想した。先ほど一瞬――初めて、彼の個人的な感情に触れた。ドライアイスのような黄金の瞳を思い出すだけで、今も背筋が寒くなる。
だが、そこまでの剝き出しの憎悪を垣間見せた癖に――すっ、とすぐに理性でそれを押し込めてしまった。『種の存続』は彼にとって、何においても優先すべき最重要課題なのだろう。
そして、彼自身が強力な力を持つ<狼>であることは、疑いようがない。ハーティアの前で一瞬でヒトを屠った手腕はもちろん、同胞が何千と死んでいったと彼が称した<狼狩り>を生き抜いたその実績こそが、彼の実力を示している。
そんな、食物連鎖の頂点に立っているのでは、と思うほどの力を有していながら――恩を感じている<月飼い>には、脆弱な『人間』であろうとも礼を尽くし丁重に扱う。ハーティアの我が儘をすべては聞けないと言いながらも、頭から否定するのではなく、村人の仇を打つことまでは協力してくれると、譲歩を見せてくれた。たかだか十四歳の脆弱な人間など、グレイからすれば赤子以下の豆粒のような存在でしかないだろうが、きちんと話を聞いてくれ、わからないことは質問すればわかりやすくかみ砕いて教えてくれた。冷徹に思えたのは最初だけで、意外と声音や表情が感情豊かで、親しみやすいのも知っている。その威厳を前に最初は敬語で話していたはずなのに、いつの間にか親しげに会話をしてしまうくらいに。序列がしっかりしていると言う割に、本人に全く気にした素振りもないのは、口調など大した問題ではないと思っているのか。
全体最適を考えて己の感情を制御出来て、自分自身にも力があるが、決して驕ることなく弱者にも思いやりを持って接することが出来る――統率者としては、酷く有能と言わざるを得ない。千年もの長きにわたり、彼がこの自然界の最強種族をまとめ上げている理由も、わかるというものだ。
(……やっぱり、長老だ…)
村長だった父や祖父を見て育ったハーティアは、その長としての姿に感嘆して心の中でこっそりと呼ぶ。
決して、村の皆の復讐をあきらめたわけではない。
ただ――グレイを納得させることが出来ない限り、<狼>という種族は決して協力してくれないだろう、ということが察せられただけでも、ハーティアにとっては大きな収穫だった。
(どうにかして、グレイを説得できる人を探さないと……)
「着いたぞ」
グレイがつぶやくように言いながら一つの部屋の扉を開けるのを見て、ハーティアは心の中で決意し、ぐっとこぶしを握り締める。
グレイを説得する者を探すには、この『族長会議』はこれ以上なく良い機会だ。
ここに集う者たちは、グレイがその口で『対等』と評した者たちなのだから。
口元を緊張に引き締めて、ハーティアはグレイが誘った部屋の中へと一歩を踏み出した。
グレイに導かれてゆっくりと扉をくぐった先には、既に三人――三匹?――が円卓に会していた。
(男の人が二人と、女の人が一人――あれ、雄と雌っていうのが正しいのかな…?)
一瞬どうでもいいことに頭が混乱して、ごくり、と唾をのんでいると、最初に口を開いたのは、女の<狼>だった。
「遅かったじゃない、グレイ。貴方が一番遅いなんて、未だかつてあった?」
赤茶色の長髪に、左右で色の違うオッドアイ。右が紅で、左が青。その瞳が意地悪くゆがんで、可愛らしい顔にクス、と皮肉気に笑みを刻み、グレイの方を見ていた。
ぱちぱち、とハーティアはその勝気そうな<狼>に視線を注ぐ。
「――?何よ、この女。何か文句でもあるわけ?」
皮肉気な笑みは、ハーティアの視線に気が付いた途端に今度は不快な表情へと様変わりして、不躾に視線を寄越してくるハーティアをじろりと睨んだ。
ハーティアとて、失礼なことはわかっている。わかってはいるが――どうにも、興味を引かれるそこに視線が集中してしまうのだ。
「み……耳……」
「?」
「みっ……みみみみ耳っっ!!!さ、触らせてもらってもいいですか!!?」
「は――はぁ!!!?」
急に興奮したように早口で言ったハーティアは、女へと急いで駆け寄る。女は驚いたのか、ガタン、と音を立てて椅子を蹴った。
「ちょ――あ、アンタ何す――」
「ふ、ふわぁあああああああっ……けっ……獣耳っ……獣耳だぁああああっ!」
「やっ……やめてやめてやめて何すんのエッチ!!!!!」
我を忘れて興奮したまま、本能に従ってハーティアは女の耳を心行くまで撫で擽る。女は悲鳴に近い声を上げて身をよじって逃れた。
ふーっ、ふーっ
真っ赤な顔で威嚇するように息を吐きながら、ギッとハーティアをオッドアイが睨む。
「な――なななな何なのあんたっ……!ちょっとグレイ!?何この女!?」
「……ふむ。ハーティアがここまで取り乱すところは初めて見たな」
「あたしは説明を求めてるの!!」
冷静沈着に的外れな感想をつぶやくグレイに、大声でツッコミを入れる女の耳には――人型であるにもかかわらず、本来耳が付いているはずの位置には、どう誰が見ても『獣耳』と形容するそれがついていた。ふーっと威嚇するように息を吐くたび、ぶわっと獣耳の毛が逆立ち、ぴくぴくと警戒するように動いていることから、どうやら飾りなどではなく本物の耳としての機能を持ったものらしい。
「け……獣耳……か、可愛い……」
「ちょ――…」
「モフモフ手触り……可愛い…!」
「なになになにこの子っ…ちょ、ぐ、グレイ、怖い――!」
「ふっ…マシロを怖がらせるとは、なかなかやるな、ハーティア」
何やらグレイは面白そうにくっくっと声を殺して笑っていた。
「そういえばお前は、私の毛並みにも手触りを楽しむように顔をうずめていたな。――獣が好きなのか?」
グレイの素朴な問いかけの声に、ハッ…!とやっと我に返る。
まさかこの短期間に気づかれていたとは思わなかった。たまらなく恥ずかしい気持ちになり、かぁ、と僅かに頬が染まる。
「ぅ……動物は、だいたい何でも好きだけど……い、イヌが、一番大好き、だから――…」
「「――――イヌ……」」
グレイとマシロが同時に半眼になり、口の中でつぶやく。――<狼>としては、イヌと同列視されたという事実が受け入れられないのだろう。
「あ、あの、その、い、家で飼っていて――りょ、猟犬だよっ?ペットじゃなくて、か、格好いいやつだよ!?すごく賢くて、ルヴィって名前で、狩りに連れて行くとすごくすごく優秀で、でも寝るときには私のベッドにもぐりこんでくる甘えん坊で、毛並みが最高につやつやでモフモフの――」
必死に<狼>を家畜やペット扱いしたわけではないのだと伝えたくて言い募るも、二人の表情は変わらない。あわあわと語彙を探すハーティアに、グレイは軽く嘆息した。
「私もかれこれ長く生きてきたが。――まさか、このグレイ・アークリースをイヌ扱いする存在がいるとは思わなかった」
「ち、ちがっ……ご、ごごごごめんなさいっ……!」
慌てて謝罪を口にするも、グレイはともかくマシロはひどく気分を害したようだった。ハーティアから逃れるように距離を取り、グレイの陰に隠れるようにしてグルルル、と今にも唸り声をあげそうな形相で少女を睨んでいる。
やれやれ、とグレイがもう一つ嘆息し、口を開こうとした途端、部屋の奥から声が飛んだ。
「まったく……いつまで遊んでいるつもりなのやら……」
やや険のあるテノールが響く。思わず声のほうを振り返ると、つまらなさそうな顔をした痩せた男が、本を読んでいる視線を上げることなく口を開いたようだった。
鳶色に金が混ざった珍しい色合いの腰のあたりまで伸ばした髪を一つに結わえているその男は、ふぅ、とこれ見よがしにため息をつくと、じろり、とやっとのことで視線を上げる。
「グレイ、早く話を進めないか?僕もクロエも、暇じゃないんだ」
(オッドアイ――じゃない。片目の視力が、ほとんど、ない……?)
顔を上げた痩せた男は、左目は紫水晶のような美しい色をしていたが、右目は灰色に濁っている。一瞬、片目の視力がないのかと思ったが、そこに分厚いモノクルがかけられていることを考慮すれば、まるきり見えない、というわけではないのだろう。――その分厚さから察するに、限りなく見えていないのではないか、と思われるが。
ふと、クロエと呼ばれた最後の男に目をやる。今まで一言も言葉を発しなかったその男は――
(ね――寝てたの――!?)
烏の濡れ羽色をした短髪を持つ精悍で整った顔立ちをしたその男は、ゆっくりと瞳をわずかに開くと、ふぁ、と眠そうに口の中であくびをかみ殺したようだった。ゆっくりと瞼があげられ、ジロリ、と黒曜石のような色をした双眸がハーティアをぶしつけに見やる。完全なる三白眼のその目つきの悪さは、彼の寝起きの不機嫌と相まって、ハーティアを一歩後退らせた。
「そう睨むな、クロエ。……セスナもだ。私の『月の子』を怯えさせないでやってくれ」
「――……月の子……なるほど。昨夜、君ともあろうものが、緊急招集の族長会議の真っ最中に、血相を変えてすっ飛んで行ったのは、ソレが原因?」
「そう棘のある言い方をするな。お前たちの問題を差し置いて姿を消したことは謝る」
「まったく……本当だよ。勘弁してほしいね。置いて行かれた後の僕らの気持ちを考えてほしい」
「そうだな。無事、仲直りは出来たか?」
「まさか。喧嘩別れで君の指示待ちだよ。僕はいったん群れに帰った。――もう一秒だってクロエの顔を見ていたくなかったからね」
「フン……」
クロエと呼ばれた三白眼の男は、意に介した様子もなく鼻を鳴らしただけで、再び瞳を閉じた。急に室内に立ち込めた刺々しい空気に、ハーティアは戸惑ってその場の<狼>たちの間で視線をさまよわせた後――助けを求めるようにグレイを見上げた。少女の困惑しきった瑠璃色の瞳を受け止め、ふ、とグレイは苦笑する。
「愛しい子らよ。そう啀み合うな。互いの紹介も出来ぬではないか」
外見上はさほど年の差があるようには見えないが、やはりグレイだけは特殊なようだ。サラリと嫌味なく族長たちを子供扱いした後、グレイはハーティアへと手を差し出す。
「ハーティア。こちらへ」
「あ、は、はい」
硬い表情で返事をしてグレイに導かれるまま近寄ると、彼は苦笑を深めた。緊張している様子が伝わったのだろう。
「皆に紹介しよう。ハーティア・ルナン。北の<月飼い>の族長の娘だ」
「は、初めまして……よ、よろしくお願いします」
「北の<月飼い>――……」
緊張して頭を下げたハーティアに、値踏みするような視線をよこしたのはマシロだった。ピクリ、と獣耳が動いて、警戒をあらわにしたことがわかる。
「そう警戒するな。……ハーティア。左から順にいうぞ。その女の<狼>が南の赤狼の族長、マシロ・アールデルス。モノクルをかけたのが西の黒狼の族長、セスナ・ラウンジール。人一倍目つきの悪いのが東の灰狼の族長、クロエ・ディール。……皆、私が信頼する者たちだ」
そう言ってハーティアを見るグレイの表情は穏やかで優しいものだったが、ほかの<狼>の表情は硬いまま一瞬たりとも緩むことはなく、族長会議に現れた『人間』を異物とみなしてジロリと冷たい視線をよこしている。まったく歓迎されていない雰囲気を感じ取り、ハーティアは背筋を伸ばした。
(……<狼>さんは、怖いから近づいちゃダメ……って、こういう、ことだったのかな…)
母や村の大人が言っていたことをぼんやりと思い出す。そうだとすれば、初めて出逢った<狼>がグレイだったのはかなりの幸運だったのだろう。<狼>が皆グレイのような考えではないのだ、ということを改めて実感する。
「さて。紹介も終わったところで、会議を始めようか。――話し合わねばならぬことが、山ほどあるぞ」
言いながらグレイは円卓の一席――どう見ても一番の上座――に迷うことなく座った。そして、当たり前のような顔をして、ハーティアをその隣の席へと招く。
(え……い、いいの、かな……?)
上座の隣だ。<狼>たちの視線から慮るに、本来自分は一番末席に座るべきではないのだろうか。その証拠に、特にマシロはギリギリと歯ぎしりでもしそうな表情でこちらを睨んでいる。
座った瞬間八つ裂きにされないかとびくびくしながら、恐る恐る招かれた席へと腰掛けた。
「ふむ。……では、役者がそろったところで、話を進めよう。議題は――ここ数日、我ら<狼>を取り巻く陰謀めいた事件について、だ」