君と歩む永遠①
「制約なしで叶える、だと……?」
「そ。元々、陽水晶は、群れを離れる坊やに始祖狼が餞別代りに贈ったものだった。……でも、それを使って坊やが<夜>を殺したいと願うことも考慮に入れてたんでしょ。あの爺さんも、思うところがあったみたいだし」
何度連れ戻しても、何度愛を伝えても、決してそれを受取ろうとしない少年に、手を焼いたのだろう。そして、袂を分かつ決意の固い少年に、覚悟を決めて水晶を渡した。決してその力が使われないことを祈り、それでも最後、何も与えてやることのできなかった優秀な息子に、最初で最後の『特別扱い』として、哀しい水晶を手渡した。
結果、<朝>は最後までその願いを抱くことはなかったが――
「坊やは、大戦の最中から少しずつ病んでたからね。大戦が終わって、本格的に精神をやられた。ガキだったんだよ、要するに。――いろいろなことに、心が耐えられなかった」
「――――……」
「死にたい、死にたい、って言って、毎日自殺行為を繰り返した。自然治癒の力は、生命力を使う。命を、寿命を、削るわけだ。自傷行為と自然治癒を繰り返せば、いつか自分の生命力も尽きるはずと信じて、自分の首を掻っ切る姿は、哀れで愚かで、馬鹿だなぁと思ってたよ。――本当にそれで死ねるかもわからないのにね」
そしてシュサは、フッ……と吐息だけで笑みをもらす。
「殺して、って何度も何度もうるさいからさ。――願いを叶えてあげたのさ。水晶の願いは、おあつらえ向きにあと一つだけ残ってた。爺さんから、制約なしで殺せるって聞いてたからね」
「馬鹿な――それで己の番を、殺したというのか――!」
信じられない、という顔でグレイがシュサを見る。その瞳には、微かに軽蔑の色が混じっていた。
シュサの眉が不快げにひそめられる。
「何さ。――まさか、生涯の番たる愛する片割れを裏切るなんて、と言って咎めるつもりかい?」
「他に何がある――!」
「――ふざけんなよ」
ゾッ……とするほど低い声がシュサの口から響く。
「あんたに、あたしと坊やの何がわかる」
ビクリ、と傍らで聞いていたマシロの肩が震えた。
それは、長く共に暮らした彼女でも、聞いたことのないほど恐ろしい声音だった。
「愛しているから殺す、っていうのもあるのさ。番を持ったこともないアンタにはわかんないかな?」
昏い光を宿した緋色の隻眼を笑みに歪め、嘲るようにグレイを見る。
「アンタだったらどうする?そこで気を失ってるお嬢ちゃんが目を覚まして、正気に戻って――自分が化け物になった、ってことに気づいてサ。アンタに涙ながらに懇願するわけだ。――『お願い、殺して』って」
「――――!」
「どうして私がこんな目に遭うの、どうして助けてくれなかったの、こうなったのも全部アンタのせいだ、助けて、殺して、責任を感じていると言うのならお願いだから殺して――」
「お姉ちゃんっっ!!!」
謡うように楽し気に、白狼へ呪いの言葉を紡ぎ始めた姉を、マシロが鋭い一喝で留める。グレイはうつむき、ぐっと拳を握り締めていた。
シュサは妹に免じて言葉を止め、一つ肩をすくめた。
「ニコリとも笑わなくなって、尋常じゃない自傷行為を繰り返す番を見て――あんたは、それでも身勝手に、愛しているから殺せないって言う男なの?――愛しているからこそ、殺してやる、って言う男なの?」
「っ……」
「あたしは後者だった。それだけだ。――部外者のアンタに、あたしの愛の形をどうこう言われたくはないね」
言い切って、押し黙ったグレイにフン、と軽く鼻を鳴らす。
「……そのお前が、今になって<夜>を殺したいと願うのは何故だ。<朝>の意思ではないんだろう」
口を開いたのはクロエだった。見ると、クロエもやや苦い顔をしている。――シュサの先ほどの呪いの言葉を、己の身に置き換えて想像したのかもしれない。
「坊やが死んでからしばらくは、そんなこと考えたこともなかったよ。……さすがにこの化け物みたいな身体で、ヒトの世界で生きるには制約が多すぎるからね。<狼>の群れに交じって、<狼>に擬態して生きようと思った。一番得意な戒の、黒狼の群れに入って――歳を取らないことに疑念を抱かれそうになったら、他の群れに行って、しばらくしたらまた戻って。そんなことの繰り返し。そんな風にして、たまたま黒狼の群れを離れてたタイミングのある日――<夜>が復活したとか、言うじゃないか」
ハッ、と誰かが息を飲む音が響く。
「……許せなかったね。封じられたとはいえ、まだ生きてるアイツが。大戦のころから何一つ成長せず、<狼>の血で水晶に頼って馬鹿なことを繰り返すアイツが。――坊やが憎んで仕方がなかった、始祖狼の『依怙贔屓』の結果が、未だに残ってるようで、本当に許せなかった」
愛しい<朝>はすでに死んでしまったのに――……
それが、シュサの復讐心に火をつけた。
「だけど、あたしが復讐する手立てを考える前に、あいつはすぐに封じられてしまった。封じられたら、殺せない。しかも、封印はより強固になり、<月飼い>の儀式なんてものが出来上がった。……どうやったらもう一度復活させて、殺せるか――そればっかり考えて、生きてきたのサ」
幸い時間だけは腐るほどあるしね、とシュサは嘯く。
「だからあたしの目的は、<夜>を復活させて――殺すこと。封じる、なんて甘いことはさせない。ぶっ殺して、始祖の寵愛を受けたその存在をこの世から跡形もなく消し去りたい。そのためなら、千年接触すらすることのなかったヒトの世界に再び干渉することになろうが、親交を深めた赤狼の族長を殺すことになろうが、拾った妹に恨まれようが、知ったことじゃないね」
「――お姉ちゃん……」
飄々とした口調だが、その瞳には壮絶な光が宿っている。マシロは痛ましげに顔を歪めて、姉の横顔を見つめた。
「<夜>を殺すには――死ぬまで殺す。生命力が途絶えるまで。……今わかっている有力な方法はそれだけだよ。ただ、それがどれだけかかるのかはわからない。何せ、永遠に近しい生命力だからね。一日じゃ終わらないだろう。ひと月、ふた月――余裕で年単位がかかるかもしれない。……もちろん、どんなにかかろうと、あたし一人でもやるつもりだったけど――アンタたちが協力してくれるなら、ありがたい。歴代最強の灰狼と、大戦を生き延びた白狼。元ヒトだったあたしなんかより、よっぽど効率的にあいつを何度も殺してくれそうだ」
ニヤリ、とシュサの朱唇が笑みの形に歪む。
グレイは静かにその言葉を聞いた後、ゆっくりと口を開く。
「……我らがそれに協力する見返りは?」




