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族長会議①

 降りやすいようにぺたん、と再び地面に伏せてくれたグレイの背から、脚を下ろす。目の前に広がる幻想的な風景に見惚れているうち、巨大な獣は再び背後で美青年の外見に戻ったようだった。

 目の前に広がるのは、湖と間違うほど広大な泉。朝日を照り返すその水面は、鏡のように真っ平らで、空の青を映し込んでいた。そして、広大な泉の中央には――神秘的な不思議なオーラを放つ巨大樹が生えている。

「――…千年、樹……?」

「あぁ、そうだ」

 ポツリ、とつぶやいたハーティアの声に、グレイが答える。

 泉のほとりからはかなりの距離があるはずだが、それでも聳えるようにして生えているその木は、見上げても見上げてもてっぺんが見えないほどの高さだった。

 その存在感にも圧倒され、しばしぽかん、と口を開けていたハーティアは、ハッとあることに気が付く。

「ぐ、グレイ……!た、大変!」

「?……どうした」

「はっ……花がっ――花が、咲きそうっ……!」

 巨大樹の枝を指さし、慌てて青年を振り返ると、ふ、とグレイは苦笑した。言われずとも知っている、と言いたげな表情だったが、幼子を相手にする大人のように、ゆっくりと頷くにとどめた。

「そうだな。もう何年も前から、そんな調子だ。そろそろ、咲くかもしれんな」

「じゃあ――じゃあ、<夜>も復活する――!?」

「さぁ……どうだろうな。そればっかりは、咲いてみないことには、わからん」

「あれ――…う、嬉しく、ない、の……?」

 苦い顔のまま言われた言葉に、拍子抜けして聞き返す。グレイは、苦笑をさらに深めただけだった。

「お前にとっては、それが花開いた方が良いだろうな。ヒトに全面戦争を仕掛けるチャンスだ」

「っ…で、でも、<狼>だって、<夜>が魔法を使える状態で復活するなら、ヒトを――」

「そうだな。それで、上手くいくのなら、私も喜んでその計画に乗ろう」

 口の端に苦み走った笑みを刻むグレイの声は、どこまでも冷静だった。ハーティアはテンションの違いに、酷く困惑する。

(なんで――だって、始祖狼が残した想いに応えるって……)

 千年間、待ち望んでいたはずのそのチャンスを前にしているにしては、どうにも冷静過ぎる。困惑するハーティアの意図を組んだのか、グレイは小さく嘆息した。

「この千年の間、蕾が出来、花開こうとしたことは、幾度となくあった。――そのたびに、咲くことなく、枯れて、散って行った。今回も、同様かもしれん。過度な期待はしない方が良いぞ」

「そんな――」

「勘違いするな。始祖狼が願ったのは、<狼>の種族の存続だ。――ヒトを滅ぼせ、とは一言も言っていない」

「ぇ――」

「ただ、彼が<夜>を後継に据えたことは事実だ。その<夜>がヒトを滅ぼすことを望むなら、我らはそれに従う。序列は絶対だからだ。だが――それを明言して命ずる存在は、今、この場にはいない。今の長は、私だ。――私は、始祖の命令を優先する。すなわち――『種の存続』を」

「…………」

「千年の時を生きる私にとって、現存する<狼>たちは皆、血がつながっていようがいまいが、全て我が子のようなものだ。慈しみ、守るべき、大切な子らだ。この千年、たくさんの同胞を――子らを見送ったが、死別の悲しみは、何度経験しても慣れるものではない。子に先立たれる親は不幸だというが――私は今まで、とんでもなくたくさんの子供を先立たせてしまった」

「――――…」

「私はもう、叶うことなら、彼らを誰一人失いたくないと、思っているよ。――始祖の望みも合致するのであれば、これ以上の幸いはない。私の最優先事項は、種の存続だ。――少しでも多くの<狼>を守り、存続させる。そのために、今、私はこうして先立つ同胞の屍の上を歩き続ける地獄の中を生きている」

 最古の<狼>の言葉に、ハーティアはぐっと下唇を噛みしめた。

 十四歳のハーティアには、彼の言葉の真意はただ想像することしかできなかったが――それでも、壮絶な想いなのだろう、ということはその空虚な響きから十分に推察することが出来た。

「でも――憎くは、ないの……?」

「――…」

「ヒトが――憎くは、ないのっ……!?」

 ギッと睨むようにして顔を上げると――

「っ……!」

 ひやり、とした黄金色の瞳と視線がぶつかり、思わず息をのむ。

 まるで、ドライアイスのように火傷しそうな冷たさを持つ黄金の光が、ひたりと静かにハーティアを見据える。

「――――憎いさ」

「――――!」

「憎いに決まっている。奴らは、同胞を何百、何千と殺した。友を、群れを――家族を、殺された。つい昨日まで、共に助け合いながら生きていたはずの我らを、無情に、だまし討ちをして、非情なまでに惨殺したのだ。<朝>に操られた結果だったと言われても、あのような残忍な行為、とても看過出来るものではない」

 ひゅ…とハーティアは小さく息をのむ。凄みのあるその表情に、ざわざわと胸がざわめいた。

 改めて、この<狼>が、根源的には獰猛な肉食獣であることを思い出す。

「おまけに今度は――私の大事な、『月の子』を手に掛けようと、した」

 そっ……とハーティアの頬にグレイの指が触れる。ひやりとしたその手は、ハーティアの背筋をぞくりと冷やした。

「とても許せぬ……個人的な感情だけを優先するなら――今すぐにでも、奴らを片端から全て八つ裂きにしてやりたいさ」

「じゃ……じゃぁ――」

 底冷えするような昏い声音を響かせるグレイを、縋るように見上げると――ふ、と彼はその瞳から昏い炎をかき消した。

「だが――ここで、個人的な感情を優先しない奴だから、と始祖狼は私に<狼>を託したのだ。その期待を裏切るわけにはいかない」

「――――…」

「ふっ……そう露骨に憮然とした顔をするな。美しい顔が台無しだぞ」

 いくら息をのむほどの美青年の外見をしていようと、千歳を超える<狼>に言われたのでは、ときめきようもない。完全に子ども扱いされただけのその台詞に、ハーティアはさらに憮然とした顔を返した。

「さぁ、行くぞ。――族長たちが待っている」

「え――」

 ついてこい、というようにグレイが先導して歩き出す背を、慌てて追いかける。

 グレイが行く先――泉のほとりには、大理石か何かで出来ているらしい、頑丈で立派な建造物があった。

「こ……ここで……?」

「何か意外なことでもあったか?」

「だ、だって……つ、造った、の?こんな、石造りの立派な――」

「そう驚くこともあるまい。言っただろう。根源的なところはオオカミとしての習性が残っているが、人間と同程度の知恵はある。文明水準は同等だ。<狼>とて、暮らしていくうえで便利なものは取り入れる。――家というのはいいな。雨露をしのぎ、寒さも暑さも凌げる。ベッド、というのも画期的な発明だな。草の上に寝るよりはるかに快適だ」

「え……えぇぇぇ……」

 ついさっきまで、もふもふの獣だったグレイの印象が強すぎて、<狼>が家を作りベッドで寝ている様子が想像できない。

 情けなく微妙な顔をしているハーティアを見て、何を考えているか察したのか、グレイは半眼になった。

「言っておくが、お前を運搬するという特殊な状況だったから獣型になっただけで、我々は日常の殆どを人型で過ごしているぞ。獣型と人型の違いなど、せいぜい図体のデカさくらいなものだ。群れで暮らしている我々が、長距離を移動することなどそうそうないが、もし獣型になるとすれば、移動の時間を短くする時くらいだ。白狼に至っては、戒で一瞬で移動できるのだから、他の種族よりも更に獣型になることなどない。私自身、今日はかなり久しぶりにあの姿になったのだ。――そう考えれば、日常生活では、人型の方が便利だということもわかるだろう。家一つ作るにしても、コンパクトで済む」

「い、いやでも……じゃあ、遠吠え、とかは――」

「別に、人型でも出来る。――まぁ、より遠くまで響くのは獣型、というのは事実だが」

「そ、そんなぁ……<狼>さんの、イメージが……」

 その昔、母に何度も読み聞かせをねだったおとぎ話の絵本の挿絵に載っていた、神々しくも雄々しい巨大な獣が空の月に向かって咆哮する姿は、幼いハーティアの心をぎゅっと強く掴んでいた。自然と『<狼>さん』とさん付けで呼称してしまうくらいには、その神秘的な美しい獣への憧れが、幼いころから心の奥底にあった。

 それが――実際は、普段は滅多にその姿にならないどころか、家を建て、ベッドで寝て、火を使って料理をして暮らしているとは。

 ガラガラと音を立てて崩れていく幻想に情けない顔をしたハーティアに苦笑して、グレイは口を開く。

「ここを造るにしても、白狼の力を使えば、材料調達など一瞬だ。<月飼い>の儀式を行う際、代表者はここに来るまでに体力を使い果たしている者もいるからな。儀式の時間まで、少し休めるような場所が必要だろうということで最初は作ったのだが――ここは東西南北の集落の中心だ。各族長が集まるにしても、便宜が良くてな。何か族長同士で話し合うような必要が出るときは、ここに招集をかけるようにしている」

「……じゃあ、さっきの遠吠えは、会議招集命令……?」

「端的に言えば、そうだな」

 ふむ、と頷きながら、グレイは石造りの扉を開く。

「ようこそ、ハーティア・ルナン。北の<月飼い>の代表者として、白狼グレイ・アークリースが、歓迎しよう」

「――…ありがとう」

 少し芝居がかった口ぶりでエスコートされ、ハーティアは苦笑いを漏らしながら、開けられた扉をくぐったのだった。


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