<太陽>の夢⑤
そこから先、世界は常に思い通りだった。
全面戦争を仕掛ける前に周到に準備した。当時、まだ<狼>と人間は共存の方針を取っていたが、興味深いその成体に興味を持つ科学者たちはたくさんいた。その中の優秀な奴らを集めて、<狼>たちに気取られぬよう、<朝>の能力を使ってこっそりと群れから誘拐してきた個体を明け渡し、<狼>もどきを造る支援をした。マッドサイエンティストと呼ぶにふさわしい彼らは、喜んで研究に没頭した。
同時に、国盗りを進めた。王のご落胤という認識も、有力貴族の後ろ盾も生きていたので、最大限利用した。王の血を引く者として王城に入り込み、少しずつ中を裏から牛耳っていった。<朝>は幼いころから一緒の従者として潜り込ませ、二人で王城のネットワーク全てに根を張り、影の権力者に上り詰めた。現王や側近たちを二人の戒で言いなりにならせることなど、造作もないことだった。
結局、戦争など、開戦時点でほとんど結果が決まっているものだ。どれだけ周到に準備を出来たかで決まる。各軍が有する兵隊の個々の戦闘力など、圧倒的な智謀の前では何の意味もなさない。
「……あたしも、他の<狼>の戒が使えるようになっておいた方がつぶしが利きそうだね」
「え?」
「だって、便利だろう?白狼の戒なんかは特に便利だ。坊やからもらった黒狼の戒と合わせれば、諜報員としてこれ以上ない性能になる。灰狼の戒が戦場で有効なのは言うまでもないし、赤狼の戒があれば、治癒が出来るのは勿論、こないだみたいに坊やが毒でやられたとしても、解毒してあげることが出来る。」
「で、でも、どうやって――」
「坊やが持ってる水晶だよ。――残り二つの願いを、二度と使う気はないんだろう?じゃあ、あたしに譲ってくれないか?……最高の右腕になってあげるよ」
ニッと笑うシュサは、心からこの戦争を楽しんでいるようだった。――暇つぶし、というのも、意外と本気なのかもしれない。
そして、制約を設けられながらも、四つの戒すべてを行使する権利を得たシュサは、無敵だった。
国を陰から操って、施設の研究を一気に推し進めながら、時に諜報員として暗躍し、時に戦闘員として活躍する。
<狼狩り>は万事上場。圧倒的な戦績をたたき上げ、<狼>たちを蹂躙した。
そんな時に出てきたのが――まだ幼い外見をした、<夜>の補佐を任命されたという白狼だった。
「人間の協力を取り付けるとは……なかなか頭が切れるねぇ。<狼>って生き物は、そんなのプライドが許さない、とか言うタイプかと思ってたよ」
最初の勢いのまま押し込めるかと思ったところで、急に抵抗が激しくなり、戦線が拮抗し始めた。北の山岳地帯手前のところから、なかなか進めない。おそらく、その周辺にある国か領地のどこかが<狼>に協力をしているだろうことは容易に想像がついたが、巧みに守られているのか、それがどこなのか特定には至っていなかった。<狼>たちがその協力者たちを必死に守っているのだろう。
戦争が泥沼化したのは、ちょうど五年ほど前――子供にしか見えない<狼>が、あの優秀な個体ばかりで形成されているという白狼の族長になってからだった。明らかに『人間』側の協力があるとしか思えぬこの戦況は、敵側の参謀を兼ねているというあの少年白狼の有能さに他ならなないだろう。
「……三年前、<夜>の補佐に、始祖が直接任命したらしいよ」
ぽつり、と虚ろな声で呟く<朝>の表情は暗い。弟に繰り返し施される『特別扱い』に心を痛めている証拠だろう。
「いーじゃないの。坊やの補佐はあたしだよ?あたしが、あの子供に負けるとでも?」
「……ううん」
言いながら、すり、と身体を摺り寄せてくるのは、彼が不安を抱えているときの癖だ。優しく頭を撫でてやりながら、安心させてやるように声をかける。
「――大丈夫。爺さんの根城に踏み込めるようになるまで、あとちょっとなんだからさ。がんばろーよ」
「……うん」
頭の切れる白狼は非常に厄介だったが、敵の総大将である<夜>が無能なことが何よりの救いだった。夜水晶に頼ってしか戦えない<夜>を補佐するため、散らなくて良い命がどんどんと散っていく。敵の組織内部には、相当悪感情が渦巻いていると予想された。特に、前線に配備され命を張ることが多い上に実力主義が根強い灰狼からの反発は強く、本来の序列を無視して、あの年若い白狼をリーダーにしろ、という声すら上がっていると聞く。
(白狼は、穏健派なのか何なのか知らないけれど、ギリギリのところで<夜>を立てて<夜>を持ち上げようとするんだよね。……あれじゃ、劣等感をさらに煽られて頑なになるばかりだろうに)
<朝>から聞いていた<夜>の性格を鑑みれば、それは悪手と言えるだろう。白狼も、それはわかっているはずだが――では、どうすればいいのかと言われれば、もはや残された道は、白狼自身が下剋上をするしかない。それはつまり、始祖に逆らうことにもつながる。――それは出来ない、ということなのだろう。
ふと身体を摺り寄せる青年の顔を見ると、その表情は昏かった。
「……辞める?」
「え……?」
「坊やを苦しめてまで、やりたいことじゃない。最初に言っただろ?面倒なら放り投げたっていいんだ」
戦争を続ければ続けるほど、弟がどれだけ『特別扱い』をされているかを如実に見せつけられることになった。無能で、いつ<狼>たちにそっぽを向かれてもおかしくない状況で――それでも、始祖の後ろ盾が強力なせいで、<狼>たちは反抗出来ず、無駄に命を散らしていく。
始祖が弟を見限ればまた話は変わるのだろうが――どうやら、そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ないようだ。
戦況が佳境になるにつれ、<朝>は徐々にその表情を暗くすることが多くなってきた。
「……ううん。僕は、僕の力を、見せつける。<夜>を倒して――始祖に、自分が間違っていたと、認めさせるんだ」
「――――そう。坊やがいいなら、続けよっか」
よしよし、とその柔らかな黒髪を撫でてやる。
まるで、かつての自分を見ているようだった。
復讐することしか、生きる目的も、希望も見いだせなかった。だが――それがあるからこそ、進んでこられた。
それを果たせなかったときの虚無感も――確かに、味わったことのある感覚だ。
(大丈夫。――あたしがいるよ、坊や)
悲願の復讐を、果たせても、果たせなくても。
生きる意味を見失いそうになったあの日、<朝>が隣にいてくれたように――どんな時も、その傍らに、シュサはあり続けるのだから――
そして、シュサは、いつものように諜報活動をしているうちに知ってしまう。
――最大の目標である始祖狼が、長くはないことを――
「……本当に、いいんだね?」
「……うん」
秋の月に群がる叢雲は、夜を一段深くさせた。時折雲の波間から顔を出す星の静寂が、二人の番を見守る夜。
夜露に濡れた草を踏みしめ、シュサは<朝>に最後の意思を確認する。青白い顔で、血の気をなくした唇のまま、青年はそれでもしっかりと頷いた。
「じゃぁ――行くよ」
ふぉんっ……
<朝>の手を取り、視線を投げた先へと連続転移を開始する。四つの戒の中で、一番”まがい物”なのが、白狼の戒だった。四種族の中で最も優秀で統率力にも秀でるという<狼>の戒は、さすがに制限が強いのだろう。それでも、足で向かうよりも何倍も早く、敵に気づかれるリスクを最小限に移動が出来るのは便利だ。
何度も視界が切り替わり、瞬きする度に転移を繰り返し――やってきたのは、聳え立つ巨大な建造物。
「ここに眠ってるんだね?」
始祖の根城と呼ばれるそこを前に確認すると、こくり、と静かに<朝>がうなずいた。
「じゃあ、ここからは坊やの出番だ。あたしもフォローするから、手早く済ませよう」
「――……」
因縁の相手との対面を前に、<朝>は緊張した面持ちで頷き、ぐっと両手を突き出した。
ヴン……という不気味な音と共に、あたり一帯に不可思議な力が展開されていく。見張りの<狼>たちが、皆、ぐるんと白目をむいて、<朝>の操り人形に変えられていった。
(――最初から、こうすれば早かったのかね……)
戦線を一定まで押し込めさえすれば、こうしてシュサの転移で始祖の根城にやってくることはいつでも可能だったということになる。
(まぁでも……正面から"向き合う"勇気を持てた今だからこそ、か……)
始祖狼が長くないと知ったシュサは、冷静に戦況を分析し、始祖の寿命と戦争の終結では、前者の方が早く訪れると予見した。少し悩んだが、<朝>の悲願は始祖を見返すことだった。自分の戦果を持って始祖と対面し、始祖に自分を認めさせることこそが、彼の悲願だったのだ。
現状では、計画当初と比較して十分な戦果とは言えないかもしれないが――それでも、<狼>たちをだいぶ追い詰めたことは事実だ。
彼の悲願は、あくまで始祖との対面によって叶う。――シュサがかつて、王弟との対面を熱望したように。
故にシュサは、十分な戦果を挙げることよりも、対面そのものを実現することの方が、優先度は高いだろうと判断した。
そして状況を説明し、<朝>に問うたのだ。
――始祖狼に直接会う勇気はあるか、と――
「……これで、大丈夫なはずだよ。行こう、シュサ」
闇に溶け込むような黒いローブを纏った<朝>は、じっとりと夜露で湿った草を踏みしめ、巨大な建造物へと足を踏み出す。――シュサを一度も振り返ることはなかった。
「……わかったよ、坊や」
静かに応えて、その後ろをついて行く。
中に入ると、まるでそこは要塞のようだった。護衛のため配備されていたのであろうたくさんの<狼>たちが迎撃にやってきたが、そのたびに<朝>は相手を戒で沈黙させていく。<狼>たちと比較すれば圧倒的、と彼がかつて言っていたことは事実だったのだろう。
建物の中を進む間、<朝>はとにかく無言だった。淡々と相手を操り、その場に沈めていく。凍り付いたようなその横顔は、真っ白で血の気がないように見えた。
そうして、巨大な扉がしつらえられた、一つの部屋にたどり着く。
「ここ……?」
「うん」
こくり、と頷いた<朝>は一度瞳を閉じて、ゆっくりと深呼吸した。
「……行こう。中には、始祖しかいない」
小さな声で呟き、その巨大な扉へと手をかける。
始祖との対話をするのは何十年ぶりか――
――親子の対面が、果たされようとしていた。