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<狼>と<月飼い>③

「始祖狼は、己の有能さを理解していた。故に、分身を作ろうとした。――が、結論として、上手くはいかなかった。<朝>は優秀ではあったが、それでも始祖狼には及ばなかった。魔法を使うことは出来ず……いうなれば、規格外の戒の使い手、という程度だったと聞く。<夜>は――そもそも、生まれた時は戒すら満足に使えなかったらしい。その後、何とか一般の<狼>くらいには使えるようになったが……<朝>と比ぶべくもなかった」

(そうか……だから、<夜>は不出来、って絵本に書いてあったんだ……)

 何度も繰り返し幼いころに読み聞かせてもらった物語を思い返しながら、ハーティアは胸中でつぶやく。

「始祖狼は、失敗から学んだ。ゼロから思うがままの生命を作り出すことは、不可能だと。だが――既存の物を、少し変化させるくらいならできるかもしれない。故に、当時世の中にいたオオカミを作り変えることを思いつく。己の魔法のすべてを使えなくても――その中でも、<狼>の生存に有利になるような能力だけを四つ選んで、四つの<狼>を作った」

 統率力に優れて時空を操る白狼。

 個体の戦闘能力を極限まで高め、殺傷能力に秀でる灰狼。

 賢い頭脳を持ち、治癒の力を持つ赤狼。

 他者を操り、契約をもとに呪詛を掛けることのできる黒狼。

「だから私たちの生態の根本は、オオカミに近い。人型になれたことで、『人間』と同等の文明を築くことは出来ているが――生命活動の根幹をなす性質は、圧倒的にオオカミ寄りだ」

「た、例えば……?」

「そうだな……一度関係を築いた相手を決して忘れない、というのはオオカミの特徴だったと聞く。息をするように裏切る人間たちに比べて、<狼>はよほど義理堅い生き物だ」

「そ、そうなんだ……」

 なんと答えていいかわからず呻く。皮肉なのか無自覚なのか。

「あとは――そうだな、お前たち『人間』のように、木の実だの草だのを食ったりはせん。肉以外の食料は食べない。……食べ方に関しては、まぁ、獣型のままで丸ごと食いつくことも出来なくはないが、人型で調理をして食べる個体の方が圧倒的に多いだろうな。そちらの方が圧倒的に旨い」

「え――じゃあ、火とかも」

「使うな。普通に。特に怖いとも思わん。あれは便利なものだ」

「――――…」

 およそ獣とは思えない反応に、少し困惑する。オオカミ寄り、と本人は言っていたが、十分人間寄りなのではないだろうか。

「あとは――必ず<狼>は群れを作る。その規模はそれぞれの種族によってまちまちだが、一匹で行動するような奇特な奴はほとんどいない。……例外はいるが」

「例外……」

「我らはあくまで群れ、という認識だから、『人間』が言うところの家族、という概念にはやや違和感があるが――まぁ、お前にわかりやすく言えば、家族の中で、序列は絶対だ。上の者には基本的に絶対服従が原則だな」

「え――」

「群れの最小単位が家族だ。オオカミだった時は、それだけで行動していたと聞くが、我々は、ヒトのように集落を作る。家族が集まり、集落となり、集落が集まって種族になる。種族の長――私たちは族長と呼んでいるが――が、その種族の中において絶対の権限を持つということになる」

「じゃ、じゃぁ、グレイはその族長さんたちのなかでも、一番偉いの……?」

「いざとなれば、な。私は白狼の族長も兼ねている。その意味では、他の族長と対等な立場と言えなくもない。もしも、意見が割れて議論がどうにも前に進まない、それでも今すぐ結論を出さねばならない――となった場合は、最後は私の一存が通るだろう。まぁ、そんなことは、私が長になってからの千年、一度もないが」

「…………」

 飄々と言われる言葉にハーティアは思わず口を閉ざす。改めて考えると、今、自分はとんでもない存在の背中に乗せてもらっているのではないだろうか。もふもふの気持ちよさに頬を緩ませている場合ではない気がしてきた。

「我ら<狼>にとって、序列は絶対だ。――我らを生んだのは、突き詰めれば全て始祖狼だ。全ての生みの親だ。彼の思想は、すべてにおいて優先される。それが――我ら<狼>の根源的かつ普遍的な認識だ」

「……そうなんだ…」

「だが、<朝>と<夜>は、元がオオカミというわけではないから、そのあたりは関係がなかったらしい。<朝>は己の優秀さから親たる始祖狼に反発し、群れを去った。人型になり、ヒトの世界でヒトに混じり、ヒトの世界を牛耳ろうとした」

「えぇ!?」

「始祖狼に一番近かったのは、黒狼だと言われている。精神を操ったり、呪詛を掛けたりといった戒はお手の物だった。<朝>がもぐりこんだヒトの集落は――国、という単位で奴らは呼ぶが――かなり大きく、力を持った集落だったが、あっという間に<朝>の支配下に置かれた」

「――――…」

「そして、<朝>は始祖狼を打ち倒すという思想に捕らわれることになる。己も<狼>に限りなく近い存在でありながら、<狼>が祀り上げる始祖狼を倒すべく――結論から言えば、<狼>全てを滅ぼそうとした。お前たちが<狼狩り>と呼ぶ大戦の始まりだ」

 ごくり、とハーティアの喉が鳴る。グレイは、そのまま淡々と話をつづけた。

「だがそのころ、既に始祖狼は、オオカミを全て<狼>に変え終えたころで、力を使い果たして瀕死に近い状態だった。<朝>が妙な動きをし始めたあたりで己の死期を予想していたのか、早い段階で<狼>の種族としての長の任は、己の分身として作った<夜>に引き継いでいたが――まぁ、伝承の通りだ。<夜>は不出来で、頼りない。戒すらまともに使えず、族長たちにすら劣る。内部分裂が起きかねない状態で――始祖狼は、死の間際、白狼の族長だった私に<夜>の補佐をしろと任を与えた。不老長寿の魔法を掛けて、な」

 絵本の物語の裏側にあったという歴史の話を、固唾をのんで聞き入る。バサバサ、とどこからか鳥が羽ばたき、遠くへと飛び去って行った。

「そして、大戦がはじまったわけだが――まぁ、相手は優秀な<朝>がバックにいるわけだ。こっちは不出来な<夜>がリーダー。とにかく敗戦に次ぐ敗戦で、群れの中には悪感情ばかりがたまっていった。それでも、序列は絶対だ。始祖狼が<夜>をリーダーに、と望んだならば、それは必ず遂行されねばならない。――ジリ貧の中、種族の滅亡も覚悟したその時だった。――<夜>が、始祖狼からもらった最期の切り札だ、といった水晶を見せたのは」

「――水晶……」

「あぁ。――『夜水晶』。お前の首に下っている、それだ」

 ハーティアは己の胸に下るそれに視線を落とす。ぎゅっと握ると、冷たく固い感触が帰って来た。

「実は、そもそも生まれた時は戒もまともに使えなかった<夜>が、何とか一般の<狼>程度に戒が使えるまでになった理由が、その夜水晶に力を借りていたためらしい。<夜>が言うには、始祖狼からその水晶を託された時には、<夜>でも始祖狼の魔法が使えるように、と託されたというんだ。だが――その力を発動させるには、どうやら何かが不十分らしくてな。<夜>はずっと戒しか使えなかった。しかも、始祖狼は、いつまでも自分の威を借るような統治の仕方をしてほしくなかったらしい。その不思議な色をした水晶は、<夜>が戒を使うたびに、徐々に小さくなっていった」

「じゃあ―――<月>っていうのは――…」

「あぁ。――夜水晶のことだ。<大地>たる始祖狼の魔法で作られた、<夜>が力を使うための媒体だ」

(そうか……だから、絵本の中で、<月>は小さくなるんだ……」

 てっきり、絵本を読んでいた時は、夜空に浮かぶ本物の月のことだと思っていたため、ただの満ち欠けの比喩なのだと思っていた。

「ただ――ある日、ひょんな偶然から、<月飼い>の血が水晶に付着すると、それが不思議に輝くことが分かった。ただ、どれだけその血にまみれたところで、小さく輝くばかりで、<夜>が魔法を使える気配は一向にない。これが鍵の一つなのは事実だろうが、何か、それに加えて別の要素が必要なのだと<夜>は当たりを付けた。始祖狼にまつわる、何かが。――<夜>は始祖狼を埋葬した千年樹の木の下に行き、何かを思いついたようだった。そこで、己も一緒に千年樹の木の下で長い眠りにつくと告げて、お前たちが<月飼い>の儀式と呼ぶそれを行え、と指示をした。千年樹の花が咲くときが、<夜>の復活だ、と言って。――それ以来、私は彼の代わりに<狼>を束ねる役割を担っている。いつか、<夜>が復活するその日まで」

 ただの子供だましに過ぎないおとぎ話だったはずの物語と、グレイの口から語られる歴史の物語。ハーティアの中で、それはゆっくりと、点と点が線となるようにして繋がっていく。

 始祖狼が、暴走する<朝>への対抗手段として、不出来な<夜>に与えた<月>――夜水晶。確かにそれは、<夜>の孤独を唯一癒す存在だったのかもしれない。それさえあれば、始祖狼のような魔法が使える。<狼>たちの立派なリーダーになれる。己の片割れとして作られたのに優秀だった<朝>にも対抗できる。――彼にとってそれは、確かに絵本の中で描かれていたように、必死に心の寄る辺として縋るにふさわしいものなのかもしれなかった。

「故に、我ら<狼>は<月>とともに生きる。――始祖狼が子供を想って願いを託した、『夜水晶』とともに」

「じゃぁ――<月飼い>の儀式っていうのは」

「<夜>が復活する鍵になるために必要な儀式だそうだ。<月飼い>の血を少しずつ集めた夜水晶を、ひと月に一度、満月の夜に千年樹のある泉に浸す。浸された泉に、それぞれの族長が戒の力を送り込んで、儀式は終了だ。――ヒトの追っ手から逃れるために、リスクを考えて四方に散ったとき、水晶も四つに分けて、それぞれの集落で管理することになった。毎月、村人の血を吸わせ、その集落の代表が千年樹にやってきて、儀式を行う。それが、もう、千年ずっと、続いている」

 話しているうち、深い谷にぶち当たる。峡谷といって差し支えのないその高さにハーティアは眩暈を覚えたが、グレイは何一つ慌てる様子もなく、タンッと一つ大地を蹴った。当たり前のような顔をして、大きな谷を、ひょいと危なげなくわたる跳躍は、自然界の獣の運動能力としても異端としか言えない。内臓がせりあがるような浮遊感に、ハーティアは必死にグレイの毛並みにしがみついた。

 スタン、と大した衝撃もなく着地すると、グレイは再び何食わぬ顔で再び駆け出す。

「<夜>は眠る前に、詳細を告げていかなかった。その儀式が、何の意味があるのか、それによって本当に夜水晶に力が蓄えられるのか、<夜>が目覚めるのか――千年樹の花は咲くのか。私にそれを判断するすべはない。だが、始祖狼が残した想いに、応える必要がある。彼は、<狼>たちが滅亡するのをよしとしなかった。<朝>の猛攻を前に、滅ぶほかなかった<狼>たちに、立ち向かうための夜水晶を与えた。ならば、信じて、応えるべきだろう。――少なくとも、私はそのように考える」

「――――…」

「だから、お前たち<月飼い>には、血を繋いでもらわねば困る。いつか、<夜>が復活するのか、しないのか。それがいつなのかはわからないが――いつか来るその日まで、我ら<狼>は儀式をつづける必要があるのだ」

 ふ……とグレイがかすかに瞳を伏せ、声を沈ませた。

「お前たち<月飼い>には、感謝している。それまで暮らしていたヒトの世界を離れ、この厳しい自然の中で生きることを選んだだけではなく――我ら<狼>の身勝手な事情に付き合い、血を捧げてくれている。先の大戦は、いうなれば、ただのとんでもなく規模が大きな家族喧嘩にすぎない。ヒトも、お前たちも――ある種、巻き込まれただけだ。それでも、お前たちが、あのとき世界中の嫌われ者だった<狼>たちに、世界で唯一味方をしてくれた存在だということを、少なくとも私は決して忘れない。貴重な血を繋ぎ、身を切り、儀式のためにそれを捧げてくれていることを、忘れない。<狼>を束ねる者として、お前個人の野望に全面的に協力するわけにはいかないが……それでも、せめて、お前たちが皆、いつまでも健やかで幸せであるよう、私は願っていたよ。『月の子』よ」

「――――…」

 ぎゅぅっ……とハーティアは拳を握りしめた。

 グレイの声は、切なく哀しく――それでも、確かな慈しみを持って、響いていた。

 不老長寿の身体を持つ、現存する最古の<狼>の信念が、そこには確かに感じられた。

「――さて。そろそろおしゃべりは終わりだ」

「え……?」

「目的地に到着だ」

 言われて顔を上げると――白亜の不思議な建造物が、泉のほとりに鎮座していた――


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