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<夜>の復活①

 すぃ――と名もない鳥が空を羽ばたいていくのを、毎日何もない石牢から眺めていた。

 牢の中から見る切り取られた青い空は、その先の無限の広がりを想像させて、いつも焦がれた。

 自由になりたい。自由になりたい。

「セルン。セルン。今日は、いったいどんな話をしようか?」

 何十年も飽きずにやってくる、己の片割れ。ほんの少しの差で、自分も享受できるはずだった自由を、独り占めしたにくいにくい魂の片割れ。

 生まれたときは、唯一無二の片割れだった。どちらが"器"か判明するまで、二人とも忌み子として遠巻きにされたあの日々は、互いを支えに生きていた。

 ずっとずっと、一緒にいよう。たとえどちらが"器"だったとしても、この絆は決して変わらぬ"永遠"だよ――……

 そんな幼い戯言は、厳しい現実で引き裂かれる。

 どんなに泣いても、叫んでも、石牢に閉じ込められた世界は変わらない。

 魂の片割れに、痛ましい瞳を向けられるたび、惨めな気持ちになった。まったく同じ顔をした、同じ腹から生まれた片割れは、まるで心から弟を心配し、哀れみ、慈しむような瞳を向けてきた。

 ――憎かった。

 まるで、兄こそが、諸悪の根源のように思えた。

 兄が――セスナがいなければ、自分はこんな不幸にならなかったのではないか。

 きっときっと、外の世界は美しい。

 切り取られた青い空はどこまでも無限に続いて、牢にさえぎられない風は心地よく頬を撫でるだろう。

 不出来な"器"を閉じ込めた、優秀な”次期族長”は、きっときっと、昔自分たちを遠巻きに蔑んだ瞳をした者たちに、尊敬と親愛のまなざしを注がれているのだろう。


 一度でいい。

 一度で、いいんだ。


 ――――――僕も、"外"を、見てみたいんだ――――



「……始祖の根城?」

 何度目かの転移で、胃液ではなく初めて血を吐き、死にそうな頭痛と戦っていたハーティアの耳に、怪訝そうなテノールが響いた。

「そ。確か、この先だったと思うんだよね。一度しか行ったことないから、ちょっと記憶が曖昧だけど」

「ふぅん……僕は当たり前だけど行ったことなんてないからわかんないよ」

 始祖が死んだのは千年以上前――グレイが永遠の命を与えられたころだ。たかだか百五十年前後しか生きていないセスナが、その場所を知る由もなかった。

「そりゃ"器"くんは知らないだろうけど――始祖って、めちゃくちゃ巨大な<狼>だったんだよ。寝そべっててもすごく場所取る爺さんでサ。最期の数十年くらいはほとんど臥せってたって聞くけど、せっせと<狼>どもが甲斐甲斐しく寝心地の良い寝床を作ったんだって。頑丈で、仮に外敵に襲われても迎え撃てるような仕組みになっててさ」

 敵襲にすぐ気づけるように見晴らしの良い場所に建っていて、隠れて敵を強襲する場所なども屋内にたくさん仕掛けられている、と説明するシュサに、セスナはあきれた声を出す。

「でも、相手はグレイだよ?生粋の白狼だ。しかも、始祖と直接会ったこともある現存する唯一の<狼>ってことは、その根城にも行ったことあると思う。……あいつの転移の戒の前じゃ、見晴らしの良さも奇襲用の仕掛けも、大した意味をなさないと思うんだけど」

「ふふん。そこは頭の使いどころよ。……ま、あたしを信じなさい、って」

 ポンポン、とまるで子ども扱いするかのようにセスナの背を叩く。セスナはため息をついて仕方なくそれを受け入れた。

「……ま、好きにすればいいよ。どうせ、グレイを迎え撃つ頃には、僕はもう消滅してるんだろうから」

 ハッとハーティアが息を飲むのと、ハハハッとシュサがおかしそうに声を上げて笑うのは同時だった。

「さっすが!よくわかってる!覚悟もちゃんと決まってるようで何より」

(そうだ――……もし、<夜>が復活したら、セスナさんは――)

 グレイの言葉を思い出し、ハーティアは小さく口の中で呻く。

「……な……んで……」

「ん?」

「ど……して……死ん、じゃう……のに――」

 痩せた黒狼の背に縋りつくようにして尋ねる。喉の奥から何かがせり上がってきて、たまらず咳き込むと、吐き出した唾の中に微かに血が混じった。

「ちょっと、あんまり無理しないでよ。グレイが到着したときに君が死んでたら、あいつ、怒り狂ってここら一帯無差別にぐっちゃぐちゃにしそうだから」

 テノールが呆れた声でつぶやく。敵も味方も関係なく、殺意に任せた破壊衝動をまき散らす様を想像したのかもしれない。――あながち間違いではないだろうが。

「……君さ。――『自由』って、なんだと思う?」

「――……え……?」

 唐突な問いかけに、ぼんやりとした頭で聞き返す。シュサに指示された方角めがけて一心に駆ける黒狼は、淡々とした声で言葉を続けた。

「僕はずっと、それを考えてた。石牢の中から、ずっと、ずっと、何十年も。――幸い、時間だけは腐るほどあったからね」

 いつもの皮肉気な声音が、虚ろに響く。

「僕は――"外"の世界が、『自由』だと思ってたんだ。僕が不自由なのは、この石牢の中に閉じ込められているからだって、ずっと思ってた」

「…………」

「外に出たら、それはそれは素晴らしい世界が広がっているはずだと信じて疑わなかった。何十年も飽きずにやってくる兄を憎んで、自分が世界で一番不幸だと思い込んで――外はどんなに素敵な楽園なんだろうと、牢の中から見上げた空を飛ぶ鳥にあこがれた」

「――――……」

「――本当はね」

 セスナの声に、苦い響きが混じる。

「本当は――セスナを殺すつもりなんて、なかったんだ」

「――――ぇ――?」

「だって、考えたらわかるだろ。外に出て、あいつに襲い掛かったところで――不出来な僕が、勝てるわけない」

 ハッ……という吐息は、自嘲の響きだった。

 駆け抜けた草むらの傍から、バサバサッ……と近くから鳥が大きな音を立てて飛び立っていく。

「僕の望みは、あいつと成り代わることなんかじゃなかった。……さすがにわかってたよ。"器"と交代なんて、出来るわけない。そりゃ、最初は憎んださ。こんな所へ来てまやかしの言葉をかけるくらいなら、行動して僕を解放してくれって思ってた。……だけど、何十年も考える時間はある。僕も大人になる。そうしたら、さすがにわかるよ。……これは、あいつの意思でどうこう出来る問題じゃない。<狼>たちの平和と安寧のために、僕が犠牲になるのは、仕方がない。――他に方法がないことなんて、わかってた。それにあいつが本気で心を痛めていたことも、同情で、哀れみで、蔑みで毎日馬鹿みたいにやってくるわけじゃないことも、わかってた。あいつがお人好しなのは、片割れの僕が、誰より良くわかってた。だけど、せめて――たった一度でいいから、"外"に出てみたかった。切り取られた青い空じゃなく、さえぎられた風じゃなく――無限に続く青空と、心地よい風をこの身で体感したかった。――『自由』を感じたかった。それだけだった」

「――――……」

 黒狼は、その紫水晶の瞳を閉じて、初めて"外"に出た時を思い出す。 

 空は青くて。陽は温かくて。風は心地よくて。

 考えたことは、ただ一つ――

 ――『戻りたくない』。

「あの、押し込められた冷たく狭い不自由な石牢の中に、もう二度と戻りたくなかった。――それだけだったんだよ」

 だから、全力で襲い掛かった。魂の片割れに、全ての怨嗟をぶつけて、襲い掛かった。

 もう一度、あの暗く冷たい牢に戻るくらいなら――――今、この、無限の青空の下で、殺してほしかった。

「僕が何十年も石牢の中で考えた結論は一つだ。――"死"こそが、本当の、『自由』なんだ」

「――――そんな――……」

「だけど、何の因果か、あいつは僕に抵抗しなかった。本気で殺すつもりで襲い掛からないと、あのお人よしは絶対に抵抗しないと思ったから、本気で襲い掛かったのに――あいつは、手に一瞬戒をためたくせに、それを発動せずに無抵抗で死んだ。……正直、かなり困ったよ。どうしていいのか、わからなかった」

「…………」

「でも――絶対に無理だと諦めていた『成り代わり』が叶ったんだ。別に、望んでいたわけじゃないけれど――"外"の世界で、胸を張って『自由』を謳歌できる権利を手に入れたんだと、思った。……愚かな弟に命を奪われた哀れな片割れのためにも、必死で彼が生きるはずだった人生を全うしようと、最初はそれだけを考えたよ」

 ふと、ハーティアはグレイの言葉を思い出す。

 グレイは、甘い判断をしたと言っていたが――その理由は、セスナが曲がりなりにも、必死に族長業を務めあげようとしていたからだと告げた。

 そう――当初の彼は、確かに、群れのために、本当のセスナ・ラウンジールの役割を果たそうと、必死だったはずなのだ。

「だけど、現実ってのは甘くない。――僕は、ある日、知ってしまった。セスナの部屋で、あいつの手記を見つけてしまった」

「――――ぇ……」

「そこには書いてあったよ。僕が石牢に入れられてからの日々のこと。――あいつが、ずっと、ずっと、群れから虐げられて生きてきた日々のことが」

「――――!?」

 驚きで思わず息が詰まる。

「最初、族長業がうまくいかないのは、正当防衛とはいえ、血のつながった弟を、"器"を殺したせいで、群れの連中に遠巻きにされてるんだと思ってた。勿論それもあったんだろうけど――セスナの日記には、そんなの関係なく、あいつが虐げられていた日々が書かれていた」

 セスナの言葉に、ハーティアは思い至る。

(族長家に生まれる双子は忌子。片方が<夜>の"器"なら――もう片方は……?)

 <狼>の宿敵、<朝>を連想させるのも、仕方ないことだった。

「笑えるだろ。石牢の中で、外はどんなに素晴らしい世界なんだろうと夢想して、きっと魂の片割れはその『自由』を、楽園を享受して、僕が持っていないすべてを持っているんだと嫉んで、羨んで――結果、そんなのはまやかしだったと気づいたんだ。――この世界に、僕たち兄弟の味方なんて、最初から、誰一人存在しなかった」

 それでも、兄が牢の外から弟に語った"外"は幸せに満ちていた。

 手記の中に書かれている現実は、今にも逃げ出したくなるくらいの辛い日々なのに――石牢にやってきては彼が笑顔で語る"外"の世界は、幸せに満ちた、楽園そのものだった。

 そして悟る。――彼は、石牢で生涯を終える弟に、せめて美しい『楽園』を見せたかったのだと。

 そんなものはどこにも存在していないのに――ここではないどこかに、幸せな世界があるのだと、地獄の底のようなこの世界にも救いはあるのだと、諦めずに生きてほしいと、そう伝え続けていたのだ。

 兄として――魂の片割れとして、ただ、ひたすらに。

「その瞬間、ばかばかしくなったんだ。全てが。――僕ら兄弟を振り回した、運命ってやつが、<狼>という種族すべてが、憎かった。……気づいたよ。真の『自由』は、"外"の世界なんかじゃない。やっぱり――『死』こそが、本当の『自由』なんだ」

「――――……」

「だから僕は<夜>の復活で死ぬことは怖くない。むしろ、あんなに望んだ真の『自由』を手に入れられるんだから、嬉しくてたまらないくらいだ。……だけど、僕が一人死ぬだけじゃ、哀れな兄が浮かばれないだろう?――これは償いでもあるんだ。僕のせいで死んでしまった、唯一無二の魂の片割れへの。――<狼>という種族全てを相手取り、未来永劫安寧も平穏も想像できないくらいの不幸のどん底に突き落としたい。ヒトも<狼>もどうでもいい。どちらが滅んでも滅びなくてもいい。ただ、世界そのものを、滅茶苦茶にしてやりたい。……あの白狼のことだ。<夜>を復活させても、何かしらの手立てで、再び封じ込めることもあるだろう。だけど――<月飼い>がいなかったら、夜水晶に捧げる『人間』の血が足りなくなって、どうせまた、近いうちに<夜>は復活する。――僕が、君たち<月飼い>の集落を襲った理由さ」

 ハハッ……と嘲るような笑い声が響く。

 低く響くテノールは――どこまでも哀しく寂しい色を宿していた。

(この人の言うことに賛同は出来ない――私の家族を、大切な人たちを、そんな理由で踏みにじったことは許せないけれど――)

 だけど、それでも。

 どこで、何を間違えたのか。一体誰が、悪かったのか。

 ――ハーティアは、その問いかけに明確な答えを出すことが出来ぬまま、ただうつむくことしかできなかった――……


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