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月のない夜①

 ――グレイ。いつも、ありがとう。私の不出来な息子を、傍で支え続けてくれて、本当にありがとう。


 始祖は、か細い息で、労いの言葉をかけた。


 ――私は心配だ。<夜>も……<朝>も、心配だ。二人がいがみ合う世の中など、見ていたくない。早く、この哀しい争いが終わってくれないかと、心から祈っている。


 床の中で響く声は、今にも消え入りそうなほどにか細かった。


 ――<狼>たちは、幸せだろうか。<夜>のためにと造り出したお前たちは、生まれてすぐに二人の戦いに巻き込まれ……お前たちを生んだ私を、恨んではいないだろうか。


 そんなはずはない、とすぐさま否定する。始祖を敬愛する<狼>ばかりだ。感謝こそすれ、恨むことなどありはしない。


 ――息子たちは、止まれぬだろうか。どちらかが倒れるまで続くのだろうか。もし、そうなったとき……あぁ、グレイ。どうか、<狼>だけは、救ってやってほしい。私はお前たちを、不幸にするために生んだわけではないのだから。


 始祖の声は弱弱しかったが、それでもどこまでも慈愛に満ちた声音だった。

 そして、始祖はゆっくりと口を開く。


 ――グレイ。グレイ。お前に苦労を掛けるとわかっているが、一つ、頼まれて欲しいことがある。


 なんでも、とすぐに返事をした。始祖の望みであれば、どんな些細なことでも、どんな苦しく難しいことであろうとも、全身全霊をかけて叶えよう。


 ――お前に、永遠の命を与えよう。命を落とし、この先の息子と<狼>の行方を見ることが出来ぬ私の代わりに、全てを見届け、導いておくれ。


 一瞬驚いたが、それでもすぐに頷いた。

 ……それが、始祖の、望みであるならば。


 ――ありがとう。だが、お前が思うより、苦しいぞ。……愛しい者を、無限に見送るしかできぬ辛さは、優しいお前には地獄だろう。あぁ……わかっているのだ。お前が苦しむことを、私は確かにわかっている。だが、それでもお前以外に頼めるものが、おらぬのだ。


 そんなことは問題ではない。光栄なことだ――と、言おうとして。

 ふと、脳裏をよぎった影があった。

 そして静かに――絶望する。


 ――愛しく思うものに、愛しいと告げることが、諸刃の刃になる。愛情を注ぐほどに、別れが辛くなる。その地獄をお前は独りで歩むのだ。付き合ってくれる者などいないだろう。付き合おうと言ってくれた心優しい者がいたとして――お前はきっと、地獄と知りつつ引きずり込むことなど出来ぬだろう。


 お前は、優しい<狼>だから――

 告げられた言葉に、ぐっ……と何も言えなくなる。

 永遠の孤独も、始祖が望むのであれば、耐えて見せよう。愛しい同胞のため、始祖が望んだ世界のため、己の孤独など、地獄など、いくらでも乗り越えて見せよう。


 あぁ――だけど。だけど、一人だけ――

 ――失いたくない、者がいる。


 どんな地獄を歩くにも、彼女がいれば、耐えられる。

 だけど、彼女がいなければ――――


 口を閉ざした優しい<狼>に、始祖は何を思ったのか、枕元から何かを取り出した。

 銀色に輝く、美しい水晶。


 ――お前に理不尽と不幸を強いる償いに、私の力の欠片をやろう。すでに弱った私の力だ。いくつかの制約はあるが、それでもお前に"魔法"を与えよう。


 ころり、と始祖はそれを手渡し、優しく<狼>を見やる。


 ――全部で三つ、三つだけ。この世の理を無視して、お前の願いを叶える石だ。この『銀水晶』に願えば、この世の不可能を可能にしてくれるだろう。だが、グレイ。約束してくれないか。


 お前は責任感が強い<狼>だから――

 告げる言葉は、慈愛に満ちていた。


 ――必ず、この石で叶えるのは、お前の"個人"の願いだけだと、約束してくれ。<狼>の願いを願ってはならないよ。……これは、これから地獄を歩むお前への、償いと労いの証なのだから――



 話を終えて、外へ出た。

 月のない、真っ暗闇の、夜だった。

「――……」

 静かに己の掌を見下ろす。ここへ来る前よりも少しだけ、大きくなった気がするその掌。

『お前はずっと、早く大人になりたいと言っていた。可哀想なお前におまけして、身体は大人にしてやろう。永遠に老いぬ身体だよ。お前の見た目で侮るものは、もう二度と、現れまい』

 視線も少し、高くなった。身体つきも、男らしくなった。

 あんなにも――あんなにも、欲しかった、大人の身体。

「――――ティア」

 ぽつり、と呟く声が、明かりのない闇夜に溶ける。

 口に出した途端に、言い知れぬ寂寥と深い絶望が襲ってくる。

 キリキリと締めあげられるように痛む胸に耐えきれず――

 ゴキンッ

 気づいたら、指を鳴らして、馴染んだ場所へと転移していた――



「えっ……グレイ!?」

 ちょうど寝ようと思っていたところだったのだろう。寝巻姿で床に入ろうとしていたティアの後ろに現れた青年の姿を認め、ティアは驚きに目を見張った。

「ほ、ほんとにグレイ!?一晩で、おっ――大きくなり過ぎじゃない!?」

 驚愕した理由は、連日の突然の来訪によるものではなく、見た目の変化のせいだったらしい。目を丸くして、現れた銀髪の美青年をあんぐりと見つめる。

「ティア」

「すごい……急に身長も抜かされちゃった……」

 ほとんど同じくらいの目線だったのに、と未だ驚きを隠せぬようにぱちぱちと瞬きを繰り返す瑠璃の瞳。

 愛しい――愛しい、唯一の存在。

「ティア――!」

「ぇ?――――わっ……!?」

 堪え切れず、ぐっと腕を引っ張り、胸の中へと引き込む。抱きしめると、ふわりと鼻腔を擽る愛しい香りに鼻を寄せた。

「ティアっ……!」

「ぐ……グレイ……!?」

 すっぽりと身体を包みこまれるほどの対格差に、昨日までとの違いに困惑しながら、ティアは戸惑いの声を上げる。

 がっしりとした身体つきも、耳元で囁かれる低く掠れた声も――不意に大人の男を連想させて、ドキドキとしてしまう。

(愛しい。愛しい。――番いたい――!)

 腕の中に閉じ込めるようにして抱きしめながら、襲ってきた衝動に逆らえず、少し乱暴にティアの髪をかき分け、首筋を露出させる。

 明かりのない夜、月光の代わりのような黄金の髪の隙間から、蠱惑的な白くて華奢な項が目の前に晒された。

「ティアっ……!」

 あれほど焦がれた、大人の身体。今ならば、ここに軽く歯を立てるだけで、この愛しい女を自分のものに出来るだろう。

 相手の気持ちなど関係ない。ただ、歯を突き立てる――その行為だけで、それは成立する。

 生物としての強烈な本能に突き動かされ、無理やり歯を立てそうになって――

『――お前はきっと、地獄と知りつつ引きずり込むことなど出来ぬだろう』

「っ――……!」

 始祖の言葉が耳の奥で蘇り、寸でのところで押しとどまる。

「ぐ……グレイ……?」

 様子がおかしい慣れ親しんだ<狼>の様子に、そっとティアは伺うように声をかける。ゆっくりと、昨日よりも広くなった背中へと、華奢な両手が添えられた。

「大丈、夫……?」

 するすると、幼子を安心させるように、優しく背中を撫でられる。

 初めて出逢ってから、一度たりとも変わらないその手の優しさに――不意に、泣きたくなった。

「ティア……」

 今、ここで、衝動に任せて歯を立てたら――きっと、彼女を、自分が歩む地獄の底へと引きずり込む。

 優しい優しい彼女のことだ。もしかしたら、奇跡のように、許してくれるかもしれない。グレイのためなら、といって、孤独に沈む白狼を哀れに思って、許してくれるかもしれない。

 けれど――駄目だ。あぁ、駄目だ。

 感情豊かな、優しい彼女には――永遠に、笑っていてほしいのだ。

「ティア……頼む。笑ってくれ」

「え――?」

「お前には、生涯ずっと――決して絶えぬ、永遠の幸いを、贈りたい……」

 髪を撫でるようにして、そっと露出させた首筋を隠す。

 番にしたいのは、本当だ。今すぐにでも、自分のものにしてしまいたい。

 だが、そう考えたのは――彼女を幸せにしたいからだ。

 彼女の笑顔を脅かすこの世のすべてのものから、この手でそれを守りたいと――そう、願ったからだった。

 己と番うことで、彼女の笑顔が哀しみに曇るのなら――それは、望んだ未来ではない。

「ティア……私の愛しい、『月の子』……」

 この先グレイが歩むのは、漆黒に閉ざされた地獄の底。月のない夜のような、絶望の中を歩むなら――彼女が月の代わりになってくれるだろう。

 失えない。この明かりを、失うことなど出来ない。

 それでも――彼女を番にして、同じ地獄を歩ませることも、出来ない。

(銀水晶――お前はこれすら、叶えられるというのか……?)

 グレイは胸中で、誰にともなく問いかけながら、静かに瞳を閉じていった。


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