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<朝>と<夜>の匂い⑤

「おっ…お前っ……気づいて――!?」

「まったく……五十年前の、己の選択を呪いたくなるな」

 悔し気にうめき、ぐぐぐ、と拳に力を籠める。 

「気づかぬわけがない。――お前の魂からは、戒を使うたびに独特の、拭い切れぬ匂いがする」

「な――」

「大戦を知らない<狼>にはわからんだろうが――お前のそれは、私にとっては、酷く懐かしい匂いだ。懐かしく、苦しい、嫌な匂いだ。……同胞の血に染まりながら、狂喜の声を上げる、耳障りなあの男の狂気を強烈に思い起こさせる――――まぎれもない、<夜>の匂いだ」

 ドクン……

「五十年前の事件の後、お前の父親から全てのあらましを聞き、お前を見て、すぐに"真実"を悟った。だが――実際に復活するかどうかもわからん存在のために、歴代の"器"である子らにとってはその生涯に渡って理不尽極まりない扱いをし、不幸を強いていた自覚もある。我らの安寧が、いつも"器"の尊い犠牲の上にあったことは、自覚していた。――その悲願が、青空の下、誰にも真実を告げぬままに血を分けた兄に成り代わって、静かに牢の外で生涯を終えることなのであれば、と甘い判断をした。少なくともお前は群れの連中に遠巻きにされながらも、お前なりに必死に族長業を務めあげようとしているように見えた。――<夜>が復活さえしなければいい。そうすれば、誰も不幸にならない。ただ一人、私が、口を閉ざしていれば。――そんな、くだらない感傷に流された」

「っ……!」

「その結果が、これか。――これが五十年前の選択の結果、招いた事象だとするなら、その責任は他でもない私が取ろう」

 ザッ……

 グレイは昏い炎を瞳に宿して、一歩を踏み出す。真っ青な顔をしたセスナが、気圧されるようにして軽く後退った。

「かつて<夜>の復活劇のあった黒狼の群れに育ったお前が、知らぬわけではあるまい。――<夜>が復活すれば、"器"の魂は消失する。お前がお前として生きて、行動することはかなわん。つまり――死ぬことと、同義だ」

 ザッ……

「故に、今回の件――一番怪しかったお前を、一度は懸念から外した。夜水晶が奪われていなかったら――襲われたのが<月飼い>の集落でなかったら、私はお前を真っ先に疑っただろう。自分を迫害した群れにいる黒狼の全てを、"器"の哀しい制度を知りもせずその犠牲の上に築かれた安寧をむさぼる東と南の<狼>の身勝手さを、憎むのも無理はない」

「だ――黙れ――」

「だが、夜水晶が狙われ――目的が<夜>の復活であることはすぐに想像がついた。故に、お前ではないと判断した。<夜>の復活は、すなわち――お前の死と同義だからだ」

 ザッ……

 ゆっくりと歩みを進めるグレイに、同様にセスナも後退る。

「聞かせてくれ、セルン。何故、こんなことをする。お前のしているそれは自殺と何ら変わりがない。<夜>を復活させれば、夜水晶の力を引き出すために、あいつはお前が憎む<狼>どもを殺してくれるだろうが――その世界には、お前も等しく存在しない」

「そんなこと――言われなくても、わかってるさ……」

 セスナは、いつものテノールを微かに震わせ、うめくように告げた。

「――そうか。では、重ねて問おう」

 ふっ……とグレイの顔が陰る。ぐぐ……とその拳に、再び力が籠められるのがわかった。

「ではなぜ――この<狼>の下らぬ争いに<月飼い>を巻き込んだ……?」

「――――!」

「<夜>を復活させるだけなら、ただ夜水晶を取り上げればよかっただろう。<狼>たるお前に、それが出来ないはずがない。それを――千年前の盟約の元、何も知らず、ただ日々を幸せに暮らしていた彼らを、なぜ巻き込んだ。私が千年守ってきたはずの彼らは、なぜ、あんなにも惨たらしく、侵略され、絶望と恐怖を与えられながら死んでいかねばならかった?何故――何故――」

 ギリッ……

 再びグレイの瞳に、灼熱の炎が宿る。

 ゴキンッ

「何故――――私の『月の子』が今、そこで怯えた顔をしている――――っ!!!」

 ベキベキベキベキッ――!

「っ――――!」

 怒号が響いた瞬間、グレイの元から一直線――間にある空間が、本能的に拒否感を示す不快な音を立てて距離を詰めるように順に軋んでいく。

 一瞬、言葉を失って呆然と立ち尽くしたセスナをひっつかんだのは、シュサだった。

「縮こまれ!」

 ギュッとハーティアごとセスナを抱きしめるようにして鋭い声が飛んだ途端、ハーティアの目前に迫っていた戒が裂けるようにして二手に分かれ、そのまま外側にいるセスナとシュサの傍ら僅か指一本程度の距離を隔てた空間が、ベキベキと耳障りな音を立てて圧縮されながら後方へと通り抜けていった。

「あ……っぶな……ハハ……最っっ高にキレてんね、アイツ」

 腕を緩めて周囲を見たシュサの軽口に、今まで程の余裕は感じられない。

 グレイの戒が通り抜けて行った箇所の土はアルミホイルのようにくちゃくちゃにされながら表面をめくり上げられ、後方にあった森の木々はまるで小枝のようにぐちゃぐちゃに折り曲げられているのだ。その心中は十分に察せられた。

 グレイがフーッと荒い息を吐く音がする。それは、強力な戒を展開したせいではなく、堪え切れない怒りのせいだろう。完全に逆上しているとしか思えないその憤怒の形相は、周辺のめちゃくちゃな自然破壊の様相と相まって、鬼気迫るものがった。

「あぁ――でも、時間くれたおかげで、だいぶ色々と考えがまとまったわ。アンタの不思議な戒の秘密も」

 シュサはずれた眼鏡をかけ直しながら、ちらりとグレイへと視線を投げる。ハーティアとセスナを抱えるように片腕を回したままなのは、再びグレイの戒が迫ってきてもすぐに避けられるように、だろう。

「予想するに、アンタにとって、この娘はどうやらかなーり大事なお嬢さんらしい。こっちの"器"くんの言葉を借りるなら――<狼>至上主義のあんたが、唯一、<狼>種族を差し置いて、何を引き換えにしても守ろうとするくらいにね」

 先ほどのセスナの話を思い出しながら、シュサは続ける。

「絶対に感知できなかったはずの北の集落の襲撃を悟って飛んだ――なんて、彼は言ってたけれど。だとしたら、北の集落は、もっと助かっててもいいはずと思うワケよ。襲撃の途中で気づいて、集落のど真ん中に飛んだんだったら――こんな出鱈目な力を持ってるアンタが一人いれば、集落の人間たちを助けるために出来たことがたくさんあったはずだもんね。それなのに――実際は、生き残ったのはこの子だけだっていう。どうにもおかしい。それで――さっきの様子を見て、ピンと来たワケさ」

 シュサは、にやり、とグレイを見やる。

「アンタ、始祖の魔法に――"アレ"に縋ったんでしょ」

「――――――――」

 グレイの目が、不愉快そうに眇められる。

 沈黙を肯定とみなし、シュサはハハッと愉快そうに声を上げて笑った。

「考えればわかることだよね。白狼の戒じゃ、"誰か"を目印にして飛ぶことは絶対に出来ない。それなのにあんたは、さっき、ピンポイントであたしたちの元に飛んできた。――石牢の前、なんていうわかりやすい座標じゃなくて、この、目印は何もない、ちょっと離れた微妙な場所に、ピンポイントで。……ってことは、さっきのアンタのあれは、始祖の魔法だ。今この世に残っている存在で、それを使える存在はいないはずだけど――あたしは知ってる。『例外』を、ね」

 言いながらシュサは、そっと、グレイからは見えない角度で回されている腕で、セスナの背中を軽く叩く。

 それは、共犯者への静かな合図だった。

「昔、聞いたなぁ……なんだっけ。えっと――あぁ、そうだ」

 合図のことなど微塵も感じさせないそぶりでシュサは話を続ける。

「――銀水晶。確か、そんな名前だった。……あぁ。あんたのその髪から連想したのかね、あの爺さん」

「始祖を侮辱することは許さんぞ……!」

 至上の存在を『爺さん』呼ばわりされたことに、グレイが押し殺した声を上げる。

 しかしシュサは取り合わず、そのまま口を開いた。

「きっと、あたしがもらった陽水晶と、効果は一緒でしょ?ハハハッ――ねぇ、あんたは、何を三つ、お願いした?」

 挑発するような笑い声に、グレイがぐっと歯を食いしばる。激昂したくなるのを、必死に理性で抑え込み、何とか冷静になろうと努めているようだった。

「一つは、コレでしょ?――この女を守るために、始祖狼の力を使えるようにした。違う?」

「――――……」

「制約は――なんだろうねぇ……いつでも発動できるなら、この子を見失った瞬間発動してなきゃおかしい。さっき、"器"くんがこの子を何度か殴ったり、足蹴にして踏ん付けたりしても発動しなかったってことを鑑みると――」

「貴様――!」

 シュサの言葉に、グレイが顔色を変えてセスナを睨む。努めていた冷静さは、一瞬で吹っ飛んだようだった。

 にやり、とシュサが笑みを刻む。

 今の反応は、確証を得たに近い。

 始祖を愚弄されても、ここまでの怒りを見せなかったグレイが――<月飼い>の少女に直接的な危害を加えられたというだけで、制御できないほどの怒りに捕らわれるのだ。

(北の<月飼い>が大事なんじゃない。――『この子』が大事なんだ――!)

「ハハッ……わかったよ。制約は――『この子の命に危険が迫った時』だね!?」

 言って、シュサはハーティアへと視線を投げる。

「どう?可愛いお嬢ちゃん。心当たり、ない?」

「――――ぇ――?」

「集落が襲われて、この<狼>が助けに来てくれたんでしょ?その時――アンタに、今日みたいに、命の危険が間近に迫った時じゃ、なかった?」

「――――!」

 ハッと息を詰めて、思わず顔を伏せる。

 あの日――グレイが現れた、あの瞬間。

 ふぉん……という戒による転移の音と共に現れたあの時――確かにハーティアは、今日とほぼ同じ状況だった。鋼の剣か不可視の刃かという違いがあるだけで――どちらも、凶刃に倒れる寸前だったのだ。

「族長会議の途中で、族長たちに何も言い残すことすらなく飛んだってことは――アンタの意思に関係なく、危機が迫ったら勝手にこの子のところに転移するようにでもしてるのかな?あぁ、きっとそうだね。今、マシロも灰狼もここにいないのが、何よりの証明だ」

 もしもグレイが、命の危険を知って自分の意思で転移できるのなら、間違いなくクロエとマシロも同時に転移させただろう。彼が味方の誰も連れずに単身で現れたことが、自分の意思に関係なく、自分独りが転移する仕組みであることの現れだった。

「ねぇ、図星?図星?ハハッ――だとしたら、あたしらが取るべき道は、一つだね」

 トントンッ

 再びシュサが、見えない箇所でセスナの背を叩く。

 ぐっとセスナが軽く顎を引いた。――了解の、合図。

「いったんアンタの目を眩ませて――その後この子を殺そうとしなければ、アンタは二度と追って来られない!」

 叫ぶと同時――

 ふぉんっ


 三人の姿が、瞬きの間に、掻き消えた――



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