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<朝>と<夜>の匂い③

 ふぉんっ――


 唐突に、何の前触れもなく。

 空中に、それは、現れた。

「「――――!?」」

 憤怒の形相を目一杯湛えたその表情は、見るものすべてを恐怖で凍り付かせるような凄みを持っていた。

 いつ見ても穏やかで、時には寂しげに歪められるその黄金の瞳は――戦いの最中ではひやりとする冷たさを湛えていたはずのそれは、今、めらめらとマグマが煮えたぎるように灼熱の業火を宿している。

 ゴキンッ

 宙に浮いたままの姿勢を崩すこともなく、聞きなれた音が響き――

「っ、避けろ、シュサ!」

 叫びながら、セスナはハーティアの腕をつかんだまま全力で後方へと飛び退る。

「ッ――――!」

 ぐぁっとグレイの凶悪な指先が迫るのと、シュサが息をつめてその場から転移するのは、ほとんど同時だった。


 ビキビキビキビキッ――!


 寸でのところでグレイの攻撃をかわしたシュサが一瞬前までいた空間が、周辺一帯に耳障りな音を立てて歪んでいく。闇夜の肉眼でもわかるほどに、奇怪に歪んだその空間は、きっととんでもない圧力が加わったのだろう。聴力の鋭いセスナはぎゅぅっと顔を顰めて、苦しそうに小さく呻いた。

 その怪奇現象としか言いようのない恐ろしい空間圧縮の様は――まぎれもなく、それを生み出した戒の使い手の、規格外の怒りの現れに他ならなかった。

「ティアを返せ……!」

 怒りを押し込められた千年を生きる白狼の端的な言葉が、闇を裂く。

「貴様ら――楽に死ねると思うなよ――!」

 地獄の底から轟くような低い声に、その場にいる全員が一瞬で肝を氷点下まで冷やす。

「グレイ――……」

 そっとつぶやいたハーティアの声に、グレイがサッと視線を向け――その、殴られて軽く腫れた頬が目に留まった瞬間、幼気な少女に危害が加えられたことに気づいたのだろう。即座に、瞳に湛えていた炎が爆ぜるようにして、一気に怒気が膨れ上がる。

 むき出しの、何一つ包み隠すことのない、殺意の塊をその周囲にまき散らす白狼は、ギリッ……と音が出るほど強く歯を噛みしめた。鋭い犬歯がむき出しになり、その怒りの強さを強烈に指し示す。

「おいおいちょっとぉ……こいつ、なんで予想もつかないはずの場所にピンポイントで飛んで来られるわけ?まさか、始祖の魔法が使えるとか言わないよねぇ?」

 セスナとは反対方向へと転移し、ひくっ……と頬を引きつらせたシュサの言葉に、グレイの鋭い視線が飛ぶ。

「――誰だ貴様は」

「ひゅぅっ……怖いねぇ」

 じり……と足を踏みしめるような音がして、シュサは静かに構えをとる。どこから、何が来ても対応できるように。

「白狼の戒を使えるようだが――貴様のような奴を私の群れに迎えた記憶はない。第一――」

 グレイは、瞳に煮えたぎったような憤怒を宿したまま、スン、と軽く鼻を鳴らした。

「貴様……何だ、その匂いは――」

 怪訝そうに――不愉快そうに。

 グレイは、顔を顰めて、吐き捨てるようにしてうめく。ピクリ、とシュサが眉を跳ねさせた。

「匂い……?」

 セスナが口の中でつぶやいて、己もスン、と鼻を鳴らす。怪訝な声をしているということは、おそらくセスナには心当たりがないのだろう。

「煙草と酒をたしなむもんでね」

 ふ、と嘲笑に近い笑みを湛えたシュサの軽口に付き合うことなく、グレイはギロリとその視線を鋭くした。

「違う。その匂いじゃない」

 グレイはギリリと奥歯を噛みしめる。

「貴様の身体に染み付くように纏わりついているその匂いは、間違いなく――」

 一度言葉を切り、その美しい造形がゆがむ。

「あの忌々しい――<朝>の匂いだ――!」

 千年を生きる白狼の、こらえきれぬ憎悪が、その口の端から零れ落ちた。

「ハハッ……さすが、千年前の大戦をリアルで体験した<狼>は違うねぇ。千年経っても耄碌してないみたいで、何よりだよ」

 シュサは、愉快そうに声を上げて笑う。耳障りともいえるその笑い声に、グレイはひどく不愉快そうに顔を顰めた。すぅっと黄金の瞳が細くなる。

「じゃあ、改めて自己紹介しようか。――あたしの名前は、シュサ。シュサ・アールデルス」

「――アールデルス……?」

 ぴくり、とグレイの眉が跳ね上がる。マシロと同じ姓を持つことに反応したのだろう。

「施設を抜け出してきたマシロを気まぐれに拾って赤狼の群れで育ててあげた"お姉ちゃん"だけど、それは世を忍ぶ仮の姿。その正体は――そうだな、君らには、こういう言い方の方が、わかりやすいかな?」

 一度言葉を切り、にやり、と笑ってシュサは言葉を続ける。

 ひゅぉ――とどこからか、不気味な音を立てて、一陣の風が吹き抜けていった。

 ゆっくりと、東の空が白み始め、シュサの皮肉な笑みがぼんやりとその場に浮かび上がった。



「どうも初めまして、<狼>の長。あたしがかの有名な――<太陽>だよ」



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