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<夜>の秘密①

 日付が変わろうとする夜半過ぎ。耳が痛くなるほど凛とした静けさの中で、グレイは小さな寝息を立てる少女を、寝台の傍らの椅子に座ったまま、ただ黙って見つめていた。

 窓の外は、雲に隠れたのか月も光も、何一つ明かりらしい明かりがない。視線の先、布団で丸くなる少女の髪は、漆黒の夜を彩るように、月光の代替をしているようだった。

「――ティア、か……」

 ぽつり……と夜の静寂にグレイのつぶやきが溶けて消える。

 何事かを考え、迷うようなそぶりを見せた後、そっとその月光を溶かしたような美しい黄金に指で触れる。柔らかで滑らかなその手触りは、何度触れても飽きない不思議な魅力を持っていた。

「……何をしてもいい。水晶など、誰にくれてやってもいい。だから――頼むから、必ずその血を、つないでくれ」

 ぐっと何かを堪えるように目を眇めた後、髪から手を放し拳を握り締める。

「約束だ、私の『月の子』。必ず――必ず、百年の後も、生まれてくると、約束してくれ」

 ぐぐぐ……と握り締めた拳が震える。

 そこにいるのは、威厳のある穏やかな<狼>の長ではない。

 食物連鎖の頂点にいる厳しく恐ろしい獣でもない。

 千年を孤独と共に生きる寂しい王者でも、ない。

 ただ一人――グレイ・アークリースという――――

「――――!」

 ガタンッ

 グレイがはじかれたように椅子を蹴って立ち上がる。

「ん……グレイ……?」

 少し寝ぼけたような甘えた声がして、静かに瑠璃色の瞳が開く。ゆっくりと身を起こすと、傍らに佇む青年が鋭い瞳でぐっと拳を握り締めているのがわかった。

 一瞬で眠気が吹き飛び、さっと自分も警戒心を高める。

「――ティア」

「う、うん」

「近づいてくる不穏な足音と匂いがある」

「っ……う、うん」

 獣型だったら低いうなり声を発しているのでは、と思うほど張りつめた雰囲気に、慌てて返事をしながら寝台を降り、グレイのすぐ傍らへと移動した。身を守る僅かな助けになれば、と持ってきた弓矢を背中に背負うと、ぐっと守るようにして、グレイの腕がハーティアの腰に回った。今、彼に不用意に近寄るものがいれば、問答無用で血の雨を降らせるだろう――そう確信させるほどの、冷たい空気。

「決して私の傍を離れるな。何があっても」

「うんっ……」

 硬い声音に、緊張が高まる。震える身体に活を入れるように、しっかりと首を振ってうなずいた。

 スン、とグレイが鼻を鳴らして部屋の入り口を見る。一拍遅れて、聞きなれたテノールが響いた。

「グレイ!無事か!?」

「セスナ――!」

 色を失った顔で駆け込んできたのは、片眼鏡をかけた黒狼だった。

「灰狼の群れだ!全速力で、森からやってくる!」

「灰狼――!?」

 戦闘力に特化したという<狼>の群れという発言に、ハーティアは息を飲む。

「この臭い――間違いない、西の集落を襲った奴らだ……!」

 ギリッ……と悔しそうに奥歯を嚙みしめるセスナに、グレイがもう一度スン、と鼻を鳴らす。

「一人二人じゃない!灰狼の"群れ"だ!これだけの数っ……やっぱり――やっぱり、クロエが――!」

「いや。灰狼にしては、匂いがおかしい」

 激昂するセスナと違い、グレイはひどく冷静だった。ぐっともう一度、確かめるようにハーティアの腰を引き寄せる。

「生粋の灰狼ではないな。混血か――これだけの数となれば、マシロの言う施設で造られたという<狼>もどきという線が濃厚だろう」

「なっ――」

「屋内で周囲を取り囲まれれば厄介だ。――セスナ、戦いやすい開けた場所はあるか。急げ」

「あ、ある――こっちだ!」

 ダッと駆け出すセスナに、ひょいっとグレイはハーティアを抱えた。

「少し乱暴に運ぶぞ」

「う、うん!」

 タンッと人型のまま地を蹴るだけで、人外のスピードで景色が後ろへと飛び去って行く。ぎゅっとグレイの首に縋りつくようにして、しっかりとしがみついた。

 軽やかに屋外へと躍り出ると、外には漆黒の闇が広がっていた。月明りの一つもなく、星の瞬きも聞こえない。音という音が全て絶え果てて凍り付いたような静寂は、ぞっと背筋を寒くする。

 幾度か、踊るように跳躍を繰り返し――森の中に、ぽっかり開けた場所に出る。

「黒狼の集落はどうした」

「奴らがマシロの言う施設の連中なら、狙いは黒狼を生きて捕らえることだろ。今は、襲撃の方向と真逆の方に避難させてる。――グレイが一人いれば、どんな脅威も追い払ってくれる、って信じてるから」

「……ふむ。皮肉屋のお前にそこまで素直に頼られるとは、予想外だ」

 言いながら、ハーティアを地面へと降ろし、背で庇うようにして立つ。軽く手を握ったり開いたりしているのは、戒の発動に備えてだろうか。

「僕だって、緊急事態に軽口叩いている暇はないよ。黒狼は、灰狼とまともにやり合ったら勝てない――けど、せめて、グレイが戦いに集中できるように、サポートするから」

「……ふむ……?」

「その子は任せて。――ちゃんと、守るよ。大事なんだろう?」

 グレイとは逆の位置に立ち、同じようにハーティアを背に庇うようにしてセスナが立つ。グレイよりも一回り痩せた体躯は、それでも毅然としていた。

「――――……」

 グレイは、何かを考えるようにして言葉を切る。

 そして、迷った後に口を開こうとして――

「っ……来る!」

 セスナがバッと手を広げてハーティアを庇う。グレイもまた、キッと視線を鋭くした。

 一瞬、静寂が襲い――

 ザザッ

 ガァッ!

「――――!?」

 三方の茂みが揺れたと同時に響いた声は、頭上から、三つ。

 はじかれたように顔を上げると、闇の中で見分けづらい灰色の毛並みの獣が、頭上で真っ赤な顎を開いていた。

 ゴキンッ

 息を飲む間もなく、後ろから聞きなれた音が響くと同時に、闇夜の空が不自然に歪む。

 ガッ キャンッ

 まるでイヌのような悲鳴を上げて、極限まで圧縮された空間に押しつぶされるようにして圧死した<狼>たちが、ぶしゃぁああっと血の雨を降らせた。

「っ――!」

 慌てて首に下げた水晶飾りを服の中にしまってぎゅっと隠す。

(<狼>の血を――つけちゃ、いけない――!)

 頭の上から降ってくる鉄臭い液体から庇うようにして、ハーティアは軽く身をかがめる。

 グレイは、それが同胞の血で汚れることを嫌がっていた。――ならば、それを、自分も励行しよう。

 自分は――グレイが守護する<月飼い>の生き残りなのだから。

「グレイ!次だ!」

 まるで、頭上の三体が襲撃に失敗するのを見越していたかのように、時間差で茂みから人型の三体が飛び出してくる。

「くっ……こっち!」

「え――きゃっ」

 セスナに襟首をつかまれるようにして引きずられ、抵抗する暇もなくその場を飛びのくように移動すると、一人の灰狼が、つい先ほどまでいたところを駆け抜けるようにして戒を発動させるところだった。

 ヴン……と耳障りな音が一瞬響いて――

「グレイ!」

 人型とは思えぬほどの素早さでグレイの背後から距離を詰めるその個体に、思わずハーティアが悲鳴に近い声を上げる。

 しかし、グレイは焦った様子もなくくるりとその場で回転するようにして周囲の空間をなぞった。

 まるで、踊るようなその仕草の後――

 グチャッ――

 耳障りな音を立てて、周囲から迫っていた三体の<狼>が、それぞれの場所で肉塊へと変貌を遂げた。

「さすが……大戦を生き抜いた<狼>は、違うね……!」

 セスナの声ににじむのは、賞賛ではなく――微かな、恐怖。

 ザザッ

「グレイ!まだ来る!」

 三度、周囲の茂みが音を立てて、別方向から二体、獣型と人型がそれぞれ迫る。

 その昔――オオカミと呼ばれる存在は、群れで狩りを行ったと聞くが、その習性なのだろうか。統制の取れた波状攻撃は、確実に互いに連携をとっているとしか思えなかった。

 しかし、グレイは何一つ焦る様子もなく、軽く指を鳴らしながら、優雅に踊るように両手で空間を撫でていく。いつもは感情豊かな黄金の瞳は、ハーティアと初めて出逢ったときと同様、冷淡な光を宿していた。

(グレイのこれは――戦闘モード、なんだ……)

 絶対的強者による蹂躙というに相応しいその戦闘風景に思わず見入っていると――

 ザッ

「っ――ティア!」

「おっ…と!」

 鋭い声が響くのと、セスナが軽く声を漏らしてハーティアの身体を攫うようにして飛びのくのは同時だった。灰色の獣が、一直線に先ほどまでハーティアがいた場所を顎でかみ砕こうと突っ込んできていた。

 獲物を逃したと気づいたそれは、くるり、とすぐに方向を変え、再度セスナとハーティアへと狙いを定める。

(夜水晶を――狙って、る…!?)

 ぎゅっと服の上から確かめるようにして水晶を握り締めると、グレイの鋭い声が飛んだ。

「セスナ!こっちへ来い!」

「馬鹿なのかい!?そんな戦闘のど真ん中、危なくて連れていけるわけないだろ!?守り切れない!」

「構わん!」

 言う間にもグレイに何頭もの<狼>たちが群がっていく。

「せ、セスナさ――」

「黙って!――来る!」

 灰狼が再び地を蹴るのに合わせ、セスナは再び飛びのく。

(わ――私も、何か役に立たなきゃ――!)

 ただされるがままに襟首を引っ張られて翻弄されながら、ハッと我に返り、着地と同時にさっと背中の弓を手に取った。

「君、何して――」

 素早く矢筒から一本取り出し、サッと構える。キュゥッと弦がしなる音を聞きながら、追いすがろうとしてくる獣型の<狼>もどきに狙いを定めた。

(足を止めなきゃ……!)

 永遠に追いすがられる恐怖から逃れるように、その太い足の一つに向けて、シュッと弓を放つ。狙い通り、ドッ……と鈍い音を立てて確かにそれは命中した。

 ――が、勢いはひるむことなく、灰狼はセスナとハーティアへと肉薄する。

「何やってんの!」

 いらだったような声が響き、再び襟首を無造作につかまれてセスナが跳躍する。一瞬前までいた場所を、灰狼の鋭い牙が通り過ぎていった。

「どうせ狙うなら急所を狙いなよ!目とか眉間とか!っ……まさか、可哀想とか思ってないよね!?」

「っ――……!」

 痛いところを突かれて、ハーティアはぐっと息を飲む。――彼らが人型になることを知っているハーティアは、命を奪うことに無意識下で躊躇したのだ。それを見透かされ、怒鳴られ、ぎゅっと手にした弓を握り締める。

「まだ来るよ!余計な事せず、大人しくしてて!」

 二度、三度、四度――何度逃げようと、しつこく追いかけてくる灰狼に、セスナの息が上がっていく。

「セスナ!!」

 怒号に近いグレイの声が飛ぶ。見れば、灰狼の攻撃をかわすうち、いつの間にかグレイとの距離が開いてしまっていた。

「あまり離れるな!」

「そんなこと言ったって――」

 文句を口にしようとする間にも、灰狼の攻撃が追いすがる。

「あぁもうっ――人間って、本当にトロいよねっ…!」

「ご、ごめんなさいっ……!」

 着地したと同時に再び地面を離れる<狼>同士の追いかけっこに、人間のハーティアが弓をつがえて放つような暇があるわけがない。明らかに、足手まといになっているという自覚から、セスナの舌打ちに反射的に謝る。

「仕方ない――グレイ!安全なところに連れてくよ!」

「な――待て、セスナ!」

「ぇ――」

 事態を理解するより先に、軽くその華奢な身体を虚空へと放られる。

(な――)

 驚愕のあまり、声すら失っていると――瞬き一つで現れた、毛並みの長い漆黒の<狼>が真っ赤な口を開いていた。

 既視感――

 がぶっ……

 身体ごと咥えられたかと思うと、そのままセスナは地を蹴り、森の中へと踊り出る。

「セスナさん!?」

 慌てて口の中から声を上げるも、ハーティアを咥えているセスナは言葉を話せないのか、何も答えない。

 その瞬間、ピィ――とどこからか、指笛のような音がして――

「グレイ!!!」

 ハーティアの視界の端――

 慌ててセスナの後を追おうとしたらしきグレイに、無数の灰狼が一斉に群がっていき、白銀の青年の姿が埋もれ、掻き消えた――


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