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西の黒狼⑤

 ――同じ腹から生まれた、片割れは――

 ――同じ顔をしたその、片割れは――


 ある日突然、大人たちの勝手な都合で、昏い昏い地獄の底へと叩き落された――


「セルン。セルン。今日は、いったいどんな話をしようか?」


 それは、哀しい運命の残酷な気まぐれ。

 もし、何か一つでもボタンを掛け違えていたならば、今、石牢の中にいたのは自分だったのかもしれなかった。


 ほんの少し、戒が上手に扱えただけ。

 ただそれだけのことで――血を、身体を、魂を分けた片割れは、冷たい冷たい石牢で、泣くことも出来ずに膝を抱えている。


 すぃ――と空を名もなき鳥が横切っていく。

 あぁ。あれこそまるで、自分たちだ。

 双子は忌み子と言われて、幼いころから群れの誰もが遠巻きにした。

 どちらが"器"かわかるまで、極力関わらないように――両親さえも、同様に。


 冷たい冷たい世界の中で、いつも一番近くにいてくれたのは、片割れだけだ。

 二人で身を寄せ合って、助け合って生きてきた。


 そうして勝手な都合で引き離されて――それは、片翼をもがれた鳥のように。


 片翼では空を羽ばたけない。

 セルン。セルン。――君がいないと、僕は――


 手を差し伸べ、出来る限りの笑顔を浮かべて。

 最大の愛情をどれだけ注いでも、弟はいつも罵詈雑言を投げかけた。


 お前には、僕の気持ちはわからない

 何で僕が、どうして僕が

 何故こんなにも苦しい地獄の底を、独りで生きていかなきゃいけないんだ――!


 弟の慟哭はいつだって胸に突き刺さる。痛くて痛くて、一晩くらいでは収まらなくて――やっと収まったころ、笑顔を作れるようになったころ、もう一度、気を取り直して牢へと向かう。


 代わってくれよ、セスナ

 本当に同情するなら代わってくれ

 君が<夜>の”器”になればいい――!


 今日もまた、鋭いナイフのような言葉が胸を刺す。

 代わってやりたくても、無理なんだ。<夜>の"器"は代替不可能。千年樹の花が開いたとき、勝手に魂が成り代わる。

 それは――そう、歴史が、証明している。


 双子は忌み子。呪われた子供。

 だけど、千年前の盟約で――"器"を殺すわけにはいかない。


 憎悪に満ちた、昏い炎の宿る瞳。自分とおそろいの、紫水晶と灰色に濁った瞳。視力がほとんどない灰色は、まるで二人で一つであると証明するようで、見るたび彼が自分の片翼だと思わせた。

 何もできない己を嘆いて。心を痛めて、罪を償うように石牢へと通って。


 そうしてもう、何十年――初めて彼が態度を軟化させたときは、奇跡が起きたと思った。


 罵倒しか返ってこなかった時とは違う、二人の会話。その昔、互いを片割れとして生きていたころと同じ、気安い会話。


 あぁ――やっぱり、やっぱり、セルン。

 君だけが、魂の片割れだ。

 僕だけは、たとえ世界のすべてが君の敵になろうとも、唯一、君の味方だよ――


 そうして、運命の日がやってくる。

 哀しい、寂しい顔をした、愛しい愛しい弟が、一度でいいから外へ出てみたいんだと懇願する。


 それは、決して犯してはならぬ禁忌の沙汰。見つかれば、たとえ族長の息子と言えど、処罰は免れない。

 だけど――だけど、片翼が。

 僕の、魂の片割れが、哀しい顔で、懇願するんだ――


 そうして、そっと、悪魔が囁く。

 一度だけ、一度だけ。

 この石牢に通っていたのも、もう何十年も、大人たちに露見はしなかった。

 今回もきっと――大丈夫。


 その悪魔は、もしかしたら、目の前の弟が戒を使って囁いたのかもしれなかったけれど――それでも、よかった。

 魂の片割れが、その哀しく昏い瞳を、明るい陽の下で美しい蒼を映して輝かせてくれるなら――それでも、よかった。


 そうして、石牢を解き放つ。

 <夜>の"器"を解き放つ。


 弟が、何十年ぶりかの外に出た。

 太陽の下で、二本の足で立ち上がり、途切れない青空を眺めて――泣いた。


 焦がれて已まない、外の世界。

 広い広い、真っ青な空。

 吹き抜ける風は心地よくて、照り付ける日差しは明るくて――


 ――初めての"自由"に、歓喜の涙を流した。


 あぁ、片翼の弟。君は、今まで、どんなに昏い地獄の底で――


 涙を流した弟は、昏い笑顔で振り返る。

 そしてそのまま一直線に――何の躊躇もなく、殺気を纏わせて襲い掛かってきた。


「――――――!?」


 事態が理解できなかった。とっさに抵抗するも、相手も必死で、もみ合いになる。

 至近距離から睨みつけてくる紫水晶の瞳から、涙が乾かず流れていた。

 いつかと同じ、胸を刺す激しい慟哭が、その喉から口走った。


 お前は僕を、憐れんでいたんだろう

 優越感と自尊心を満たして、愉快だったか?

 哀れな弟を見るたびに、あぁ自分はこうならなくてよかったと、己の幸せを噛みしめていたんだろう

 いつだってお前は、僕を見下し、蔑み、誰より酷くみじめな地獄へと突き落としていった――!


 その告白は、衝撃的だった。一瞬抵抗の手が止まった隙に、横っ面を殴られ、掛けていた片眼鏡が吹っ飛び、世界が半分ぼやけて映る。


 違う。違う。違うんだ。

 僕は、君を、本当に――  


 ヴン……


 耳障りな音は、戒の発動音。

 目の前に"死"が迫っていた。


 抵抗しなければ、死ぬ――

 とっさに自分も右手に不可視の力を発動させた。

 片翼の弟は、さすが「不出来」故に幽閉されただけあって、落ち着いて対応すれば十分に――


「――――――」


 目の前に、紫水晶があった。

 涙にぬれた、憎悪にまみれた、その瞳。


 いつかの弟の、激しい慟哭が耳の奥で蘇る――


 代わってくれよ、セスナ

 本当に同情するなら代わってくれ

 君が<夜>の”器”になればいい――!


 それが、弟の、本当の声だったのだろう。

 愛しい片翼。大事な大事な魂の片割れ。

 あぁ――どうして、自分は、その声を真の意味で救い上げてやることが出来なかったのか――


 ――後悔は、いつだって、取り返しがつかなくなってから、するものだった。


「――……」


 やっと、静かになった世界の中。

 無言で、地面に落ちた片眼鏡を拾い上げる。

 灰色に濁った瞳に掛けると、半分ぼやけていた世界が、一気に澄み渡った。


 空は青くて

 陽は温かくて

 風は心地よくて


 地面に伏すのは、絶命した己の片割れ


 魂を分けた、双子の片割れ


「――――――」


 物言わぬ躯に、何か、言葉を掛けようとして――唇はかすかに動いたが、意味ある音を紡ぐことは出来なかった。

 

 バタバタと、後ろから騒ぎを聞きつけた群れの大人たちが駆けつけてくる足音がする。

 セスナはくぃ、と片眼鏡を軽く指で押し上げた。


 ――ここから始まる、物語。

 永遠に続く地獄の底の、その先に

 いったい何が、待ち受けているのか――……


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