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赤狼の夢②

(あ……朝から、凄いな……さすが、<狼>さん……胃もたれとかしないのかな……)

 ハーティアは、テーブルの上に並べられた皿の数々に視線を注ぎ、ひくりと頬を引きつらせる。

 そこに並ぶのは――肉、肉、肉。

 焼いて、煮込んで、揚げて、半生で――様々な調理法で並べられたそれらの皿の品数は大したものだったが、肉ということだけが唯一の共通点だった。

(そういえば、野菜とか食べない、ってグレイが言ってたっけ…)

 朝食として眺めると、急に食欲が失せてくるハーティアの様子など気にする様子もなく、当たり前に食卓に着く族長たち。おそらく、彼らにとっては何の違和感もないメニューなのだろう。

「どうした、ティア。顔色が晴れないな」

「えっ?」

「今朝のことなら、謝っただろう。――何せ、長時間獣型でいる方が、強烈な違和感があるのだ。驚かせたのはすまなかったと思っている」

「あ、いや、それはもう大丈夫……」

 少し気まずい気持ちでもごもごと伝える。

 今朝、起きてハーティアは死ぬほど驚いた。

 ――――すっぽりと体を抱きしめるようにされながら、白銀の髪をした息を飲む美青年の寝顔が、至近距離にあったのだから。

(あ、あれは、本当に驚いた……)

 思い切り声にならない悲鳴を上げて目の前の体を突き飛ばし――そこでやっとグレイが起きた。

 事態を把握した彼の言い訳としては、眠っているときは無意識になるため、獣型でい続ける方が居心地が悪く、寝ている間に勝手に人型に戻ってしまったのだろう、とのこと。

 ふかふかの毛並みと心地よい温もりに頬を緩ませて眠りについてしまったが、そういえば相手は成人男性――というには聊か年齢が行き過ぎているが――だったということを思い出す。あの、腹の辺りを枕にして、尻尾で頬を撫でられるようにして包まれる体勢は、朝の状況を鑑みるに、どうやら人型で考えるとすっぽりと体を覆うように抱きしめるのと変わらない体勢らしい。――そういえば、寝る前にグレイが「『月の子』を胸に抱いて眠る日が来ようとは」とか言っていたことを思い出す。あれは、比喩でもなんでもなく、彼の認識としてはまぎれもなく胸に抱いている感覚だったから出てきた言葉だったのだろう。

 たくましい身体の大人の男性と、そんな恋人同士のような体勢で同衾したも同然という事実に、ハーティアは真っ赤になって顔を覆った。――グレイには申し訳ないが、完全にイヌ扱いしていた。

「何、グレイ。もしかして、その<月飼い>に手でも出した?」

 クスッと揶揄するように嫌らしく笑いながらセスナが片眼鏡の位置を直す。

「まさか。――クロエと一緒にするな」

「ぁああああやめて思い出させないでくれ」

 二百年も生きていない<狼>の揶揄など気にしたそぶりもなく、軽くかわして反撃する余裕はさすがだ。セスナは何かを思い出したのか、頭を覆ってぷるぷると震えながら青い顔でうめく。

 ご愁傷様……などと思っていると、ことり、と無言でハーティアの前に器が二つ置かれた。ふと視線を落とすと、いつの間にか傍らに立ったナツメが、ハーティアにだけ特別に給仕をしてくれたようだ。

 器の中は――野菜がたっぷり入った、肉なしスープと、青々とした色味が目にまぶしい、生野菜の盛り合わせ。

「えっ、あっ……ありがとうございます……!」

 慌てて顔を上げてお礼を言うと、ナツメはにこり、と儚げないつもの笑みで笑っただけで、無言のまま自分の席――クロエの隣へと帰っていく。相変わらず、彼女の口からは、いつもの定型文以外は聞いたことがないが、それでもこの<狼>ばかりの中において、唯一の人間であるハーティアを慮ってくれているのだろう。

(料理も、任せちゃったし……でも、ナツメさん、本当にすごく上手だから……)

 ハーティアは、正直に言えばあまり料理は得意ではない。どうやらここに集まると、ナツメが調理担当を担うことが殆どらしく、当たり前のように調理場に入っていくナツメを追いかけ、慌てて何か手伝う、と声をかけたのだが、例によって例のごとく、ニコリ、と儚い笑顔で笑われただけで、無言のまま手伝いを拒否されてしまったのだ。

(すごくおいしいから、下手に私が手出しするより良かったかもしれないんだけど……)

「い、いただきます……」

 それでもやはり、少し肩身が狭い思いなのは変わらない。ぼそぼそとつぶやくように口の中で言ってから、まずは湯気の立つスープへと口をつけた。

(お……おいしい……!)

 おそらく、食卓に並んでいる肉のなかのどれかの骨か何かから出汁を取ったのだろう。旨味たっぷりのスープに食べ応えのあるゴロっと切られた根菜とくたっと煮込まれた葉物野菜が、眠っていた胃を起こしていく。

「――マシロ。お前も顔色が晴れないな。何かあったか?」

 無心にスープを口に運んでいると、隣の席からグレイの声が飛んだ。気づいて顔を上げると、向かいにいる女の赤狼の顔は、確かに昨日ほどの元気がない。

「別に。――ちょっと、夢見が悪かっただけ。何でもないわ」

「寝る前に、あんなの聞かされてたら、そりゃ夢見も悪くなるさ」

 ハッと鼻で嗤うようにしてセスナが吐き捨てる。――よっぽど、昨晩の部屋の中での出来事は強烈だったらしい。嫌味をお見舞いされている当の本人であるクロエもナツメも、顔色一つ変えず食事を続けているのは、さすがとしか言いようがないが。

 しかしマシロはよほど夢見とやらが悪かったのか、セスナの軽口にも付き合うことなく、無表情に近い乏しい顔のまま静かに口を開く。

「それよりグレイ、今日はどうするの?……まさか、ここでずっと四人で無為に過ごすわけでもないでしょう?」

「もちろん。――次に狙われるとしたら、東だ。守護も兼ねて、東の集落に赴こうと思う」

「ふぅん……まぁ、妥当ね。――兼ねて、っていうのは?」

 上品に手と口を動かしながら、マシロが耳聡く聞き返す。

「クロエから報告があった。――西の襲撃の前、灰狼に接触してきた怪しい者がいたらしい」

「……怪しい者……?」

「未熟な若者を選んで接触してきたようだ。――鼻持ちならない白狼の治世を転覆させないか、と言って」

「「「――――!」」」

 クロエ以外のメンバーが思わず息を飲む。

「ま、まさか、それでそいつらが僕らが守護する<月飼い>の集落を――!?」

 ギッとセスナがクロエを睨むと、マシロが冷静に取りなした。

「馬鹿ね、セッちゃん。だとしたら、クロくんやグレイに報告として挙がってくるわけがないわ。――そいつらは断った。そうよね?グレイ」

「まぁ、結論から言えば、な。――だが、妙な話がある」

 グレイはいったん食事の手を止め、手を組んで顔の下半分を覆い、何かを考えるようにした後、静かに口を開いた。

「そいつらは、結論として断ったが――途中まで、話に乗るつもりだったようだ」

「え――!?」

「本人たちが言うには――冷静に考えれば、そんな話に乗るはずがない。私の強さは、灰狼の連中は身にしみてわかっている。クロエが昔、私に挑んで一方的にやられた事実を知っているからな」

「ふん……」

 クロエが面白くなさそうに鼻を鳴らす。グレイはそのまま言葉を続けた。

「強さによる序列が絶対の灰狼たちが、私の治世に異を唱えるつもりなどあるはずがない。強者に従うことを心地よいと思う連中だ。いくら未熟な若者とはいえ、それは変わらない。事実――その接触者が去った後、我に返った灰狼たちは、自分たちがなぜそんな話に乗ろうとしていたか、さっぱりわからなかったそうだ。まるで狐につままれたようだと言っていた」

「な――……」

「接触者が去った理由は簡単だ。――近くを、クロエが通りかかった。それを察知し、今クロエと事を構えるのは得策ではないと考えたようだ。急に踵を返し、あっさりと引き下がったらしい。――すると、急に若者たちは我に返った。……さすがに、そんな反逆まがいのことを考えていたと知られては、種族の中での立場がない。大人たちにも言い出すことが出来ず黙っていたらしいが、今回クロエが呼びかけたことで、懺悔するように申し出てきたそうだ」

「……え……つ、つまり、どういう、こと……?」

 ハーティアが、隣のグレイに問いかける。グレイは一度目を伏せた後、チラリ、と右側――黒狼の族長がいる方向へと視線を投げた。

「こうなってくると、話はきな臭くなってくるな?セスナ」

「――――……」

 鋭い黄金の瞳に見据えられたセスナの顔色は、真っ青だ。ぐっと唇をかみしめ、うつむいている。

「まったくその気がない人物を、前後不覚にして、思うように動かす――精神を、操る。……接触者が、黒狼の戒を使った可能性が、圧倒的に高まる」

「――――……」

「今回の報告が上がった灰狼の若者は断ったようだが――他にも声をかけていたとしたら、どうだ。……その連中が、西を襲った可能性が高くなる。それならば、クロエが心当たりがないというのもうなずける。クロエの命令で動いたわけではないからだ。――さぁ、セスナ。お前がクロエに放った言葉をそのまま返そう」

 グレイは、しっかりとセスナへと向き直り、厳しい表情で告げる。

「族長が、群れの<狼>の動向を知らないはずがない。――心当たりは、あるか」

 ごくり……とハーティアは思わず息を飲む。

 重たい沈黙が、場を支配した。

「ない――って言って、信じてもらえる気は、しないな。……昨日も、僕は、心当たりがないと言っていたクロエを信じられなかったんだから」

「……頭ごなしに否定するわけではない。ただ、今回の件がお前の管轄外で起きたと主張するのなら、なぜそんなことが起きたのか、その仮説と根拠を示せ」

「難しいな……まるで悪魔の証明だ」

 ふっ、と片眼鏡の奥の瞳が苦々しくゆがみ、自嘲の笑みを刻む。

 のしかかるような空気の重さに、誰一人口を開けないでいる中――静かに声を発したのは、一番幼年の<狼>だった。

「あたし、証明できるわ」

「……ほう……?」

 グレイが顔を上げてマシロを見る。マシロは、年齢に似合わない大人びた表情で、淡々と言葉を発した。

「――黒幕の目的、まではわからないけれど。でも、セッちゃんが、今回の件に関わっていない、心当たりがない、っていう可能性を、あたしは提示できる」

「……ふむ。聞かせてもらおう」

 グレイが体ごとマシロへと向き直る。マシロは何かをためらった後、口を開いた。

「あたしの仮説は、こうよ。今回の件――西の襲撃から始まったと思っていたけれど――本当は、十年前の、南の襲撃から、すべてが始まっていたんじゃないかしら」




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