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赤狼の夢①

 昔から、"白"という色が大嫌いだった。それは、最悪の記憶が、その色と否応なく結びついているからだ。

 ――それと同じ音の響きが自分の名前に入っているのは、とんだ皮肉だと思う。


 その悪夢は、記憶にある中で一番古い記憶。当時放り込まれていた――住んでいた、ではない。放り込まれていた、が正しい――その部屋は、目が痛くなるほど白ばかりだった。天井も、壁も、床も。扉さえも。

 机の一つもない、ただの部屋。それは、部屋というより、ただの空間。

 申し訳程度に据えつけられた、明り取り用の小さな窓から入ってくる光も、すべて、等しく、白かった。


 その部屋での記憶は、あまりない。というのも、いつも同じことしかしていなかったからだ。

 壁にもたれ、足を投げ出して座り、目の前の白い空間を眺める。その時、自分は怪我をしていることが多かった。

 その部屋は、様々な"実験"が繰り返され、ぼろぼろになったその後に放り込まれる部屋だった。

 包帯でおざなりに手当てされた身体。本当の致命傷になりそうな怪我だけは、"実験"後に残った最後の力を振り絞って自分で治癒するが、全回復する余力などなかった。

 毎日毎日、ただ、何もない白い空間を見つめる。

 "実験"が繰り返され、そのたびに自分が自分でなくなっていく。薄くなっていく自我。希薄になる感情。反比例するように研ぎ澄まされていく様々なスキル。

 それでも、毎日することは変わらなかった。

 ただ、何もない白い世界を見つめる。

 繰り返される日常。変わることのない日々。


 どこまでも冷酷な世界。果てのない闇。凍りついた空。終わることの無い灰色な未来――……


 そこはまさに、永遠に続く、地獄の底。


 もう、いい。生きている意味もよくわからない。どうせ世界は残酷で、生きていて、何かいいことが起こるとも思えない。

 ――もう……いいじゃないか。

 いつまでも繰り返す、いつもどおりの地獄の底。

 世界は不協和音を響かせて、きしみながらも再び回り出す。

 純白に押し込められた閉塞的な小さな世界で、乾いた笑いを口の端に浮かべた。

 無性に、おかしかった。おかしくて、おかしくて――毎日考えることは、同じだった。


 ――――死んでしまえ。

 ――さっさと。早く。

 ――死んでしまえばいい。


 ――――誰にも必要とされない、"あたし"なんか。



 その日も、同じだった。周りに溢れる変な機械。緑、赤、青、黄……色とりどりの光を発して、明滅している。

 ぼんやりと、何かの薬を投与されて思考が緩慢になった状態で天井を見上げる。――ここに来ても、相変わらずの、純白の空。

 ふと、視界に人影が入ってくる。――『人間』だ。

 その中の一人が、口を開いた。

「私は、この実験体を破棄することを主張する!」

「しかし、これほどの頭脳は他に類を見ないぞ。それに、種族の混血に成功した稀有な事例だ。証となる左右非対称の色をした瞳もある」

「だが、欠落しているものが多すぎるのは確かだ」

「千年樹の影響下で生まれる<狼>の中には、何かしらの欠落と引き換えに、桁外れの能力を得る『申し子』と呼ばれる存在がいるんだろう?今の灰狼の族長は、痛覚を欠落させて生まれた代わりに、歴代最強と名高い戦闘力を手に入れたと聞く。この実験体も、そうした類と取れる可能性も――」

「だがそれを戦闘で十分に扱うことができるかなどわからぬではないか!」

 ざわざわと、胸の内が不穏にざわめく。

 緩慢な思考の中で、真っ黒い影が、胸の中に広がっていく。

「だが――人型になったときにこんな耳を持つ<狼>がいるか!?何より、コレは<狼>たちの生態において最も重要ともいえる五感の一つ――嗅覚がないではないか!!」

 男は、自分をさして、『コレ』と言った。

 コレ――実験体。

「確かに赤狼の資質は強く出て、治癒の戒は強力だ。頭脳の出来もよい。だが――混ぜたはずの灰狼の戒は、ほとんど使えない。瞳の色が異なるだけで、実態はほとんど、赤狼でしかない。……治癒だけなら、他の実験体で十分賄える。余計な知恵が回る実験体など、我々にとってはむしろ不要だろう。――だから、この実験体は破棄するべきなのだ!」

「それは……たしかに……」

 男たちの会話は進む。

 そして、告げられる最後通牒。

「それではこの実験体は、廃棄処分に回す。――『失敗作』とみなし、記録だけ残せ」

 がちゃん、と耳障りな音が響いた。手足の拘束が外された音だった。

 呆然としたまま動けない体を引きずるようにして、無理やり身体を引き上げられる。ずるり、と力の入らない四肢のまま――意識だけはなぜかどこまでもさえわたっていた。


 ――『失敗作』。

 その言葉が、頭の中で、何かをはじけさせた。


 自分がいつ死のうとかまわない。ずっとそう思って生きてきた。ずっと死にたいと思って生きてきた。

 ただ――ここの悪魔たちが『失敗作』と呼んだモノが、いったいどんな力を持っているのか――不意に、それを、思い知らせてやりたくなった。


 その瞬間、『失敗作』は『失敗作』ではなくなった。


 ただ――白い世界から逃げたかった。

 あの、明り取りの窓の向こうに見えていた澄み切った蒼の下で、思い切り空気を吸ってみたかった。

 彼らが改造し続けた能力をすべて余すことなく使い切り、廃棄処分場から逃げ出した。ほとんど使えなかった灰狼の戒も、この頭脳があれば、使えないなりに有効活用が出来た。馬鹿みたいに何度も何度も改造してくれていたおかげで、身体能力はこの年齢の<狼>にしてはずば抜けて高かった。

 必死の思いで実験施設を抜け出し、風を感じてどこまでも走った。白い世界から、少しでも離れるために。



 それは、真夏の日差しが降り注ぐ、暑い暑い日だった――



 報復と機密保持のために遣わされた<狼>たちの実験体の追っ手を振り払い、ボロボロになりながら逃げこんだ森。

 それは――実験施設で聞いただけの、本物の<狼>たちが住むという場所。



 いつ死んでもよかった。

 真夏の紺碧の空はどこまでも澄み渡り、時折吹きすさぶ風は、熱気を吹き飛ばす心地よさ。

 ――これを知ることが出来ただけで、もう、いつ死んでもよかった。



 そうして、地獄の底から這い出て力尽きたその先で、出逢ったのだ――



 ――――――初めて自分を『必要』と言ってくれた、”お姉ちゃん”に――――




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