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白狼の夢④

 ハーティアの俊足は、村一番だったが、その秘訣は、おそらく幼いころから一番傍にいた無二の親友のおかげだったと、今は思う。

「ルヴィ!」

 呼ぶと、たくましい声で答えてくれる、大好きな親友。

 村人とは仲が良くて、歳の近い幼馴染もいっぱいいた。村長の娘とはいえ、村の子供は全員で育てるのが当たり前だった。少し年上のお兄さんお姉さんも、少し年下のかわいい弟妹のような子供たちも、同年代の悪ガキやおませな少女も――みんな、みんな、大切な友達。

 だが――彼らよりも圧倒的にたくさんの時間を過ごしたのは、四本脚を持つモフモフした毛並みが柔らかな、ルヴィと名付けられた猟犬だった。ハーティアが幼いころに、母イヌから生まれて、ハーティアと一緒に育ってきた。名前を呼ぶだけで、指笛を吹くだけで、意思疎通が図れた。一緒に野山を駆け回り、毎日離れることはなかった。互いに大切に思い合い、無二の存在だった。

 子供たちだけで村はずれの花畑に行くときは、「ルヴィがいるなら安心ね」と言って母は安心して送り出した。初めての狩りで緊張していた時、ペロリと慰めるように頬をなめてくれた。幼いころ、怖い夢を見てぐずっていたハーティアを安心させるように、寝床へ来て一緒に眠ってくれた。それ以来、毎晩、大きくなっても、夜になれば寝床に入ってきて、互いに甘えるように温もりを分け合って一緒に眠った。ルヴィの温もりが、鼓動が、吐息が、毎晩安眠へといざなってくれた。

 優しい、優しい子だった。

 それでいて、狩りの時は、賢くて、強くて、勇敢で、いつでも頼りになる子だった。


 だからあの晩――


 きゃぁああああああああああああああああああああ


「――――!!?」

 闇夜をつんざく悲鳴が聞こえて、驚いて布団を跳ね上げて飛び起きる。同じ布団に入っていたルヴィもまた、全身の毛を逆立たせて飛び起きたようだった。

「な――何……!?」

 ハーティアの寝室は二階だった。とっさに外の様子をうかがおうと、窓を見ると――

 ひゅんっ ひゅんっ

(――――火矢……!?)

 本の中でしか見たことのないそれが、何本も村の中に放たれる。森を焼くから、と言って、<月飼い>は決して使わぬそれは――<月飼い>以外の者の襲撃を意味していた。

 ウウウウウウウウウウウ……

「ルヴィ、落ち着いて……!」

 警戒心をあらわに低くうなっている相棒に声をかけ、寝巻の上から上着を羽織り、髪をまとめて、使い慣れた弓矢を背負う。

(何が起きているのかわからないけれど――でも、大変なことが、起きているのは確か――!)

 ぎゅっと弓矢を握り締める。

(戦わなきゃ――!私は、村長の娘なんだから……!)

 耳をつんざく悲鳴と、闇夜を裂く火矢。それだけで、自分たちが暮らす集落が、何者かに脅かされようとしていることはわかった。

 バンッ

「ティア!」

「お母さん!」

 扉が開いて、母が駆け込んでくる。真っ青な顔で――首に、夜水晶を纏っていた。

「逃げるわよ!ここも危ないわ!」

 いつもの穏やかで優しい相貌は、そこになかった。キリリと引き締まった凛々しい表情は、族長の妻として、一人の少女の母として、涙をこらえる厳しさにも見えた。

 無言でこくり、とうなずいて、階段を駆け下りる。殿を務めるようにして、後ろからルヴィがついてくるのを足音で確認した。

 玄関から出るのは危ない、と言われて、普段は使わない裏口へと向かい――

 ガチャッ

「――――!」

「ほう。まだ生き残りがいたか」

 出会い頭。

 裏口を開けた先に――武装した、見慣れぬ、屈強な男がいた。

 男はいたぶるように、見せつけるようにしてゆったりと、腰に差した剣を抜き放つ。

(死ぬ――――……)

 逃げなきゃ。戦わなきゃ。

 頭のどこかでそんな言葉がよぎるが、目前に迫った濃厚な"死"の気配に、指先まで固まったように、ピクリとも動けない。

 呆然と男を見上げる。一瞬、世界がスローモーションになり――

 目の前を、黒い影がよぎった。

「ぐわ!!?なっ、なんだこいつ!!」

 グルルルルルル

 武装した屈強な人間の男に、怯むことなく飛び掛かったのは、親友だった。

「ルヴィ!」

 鋭い牙で男にかみつき、今までに聞いたことのないような獰猛な唸り声をあげている。

「ティア!こっち!」

「えっ――お母さん!?」

 我に返った母が、ハーティアの手を取り、ルヴィの襲撃で怯んだ男の脇を駆け抜けるようにしてすり抜け、闇夜へと飛び出す。

(――――何、これ――…)

 闇夜だと思ったそこは――すでに、轟々といたるところで燃え盛る、紅蓮の世界だった。

 一瞬呆けそうになるも、母に無理やり手を引かれて、勝手に足を数歩踏み出し――

「ルヴィ!お母さん、ルヴィが!」

「いいからっ……逃げるの!!!」

「でもっ……!」

 母の手も、声も、有無を言わせぬ厳しさだった。無理やり引っ張られるようにして、建物の陰へと転がり込む。

 家の方をサッと振り返ると、ルヴィは今も男に馬乗りになって勇敢に戦っていた。親友とその母を逃がすため、小さな体で、勇猛果敢に武装した男に向かっていった。

 一瞬、ほっとする。――そう、ルヴィは、強い子だ。賢い子だ。

 きっと、男を懲らしめた後に、すぐに追いついてきて――

「ぁ――――」

 キャンッ……

 そんな声が、聞こえた――ような、気が、した。

 気のせいかもしれない。何せ、周囲は轟々と炎が燃え盛っていて、いたるところから耳を覆いたくなるような悲鳴と、バタバタと言う逃げまどう足音とが響いていたのだ。ずいぶんと距離が開いたあの先から、そんな声が届くとは思えなかった。

 それでも、ハーティアは聞いた気がした。

 襲われながら男が必死に振り上げた剣に薙ぎ払われ――赤い血をまき散らしながら、地面に伏す、その勇敢な獣の――

 ――親友の、断末魔を――



「ルヴィ!!!!」

 バッと布団をはねのけて飛び起きる。

 そこは、見知らぬ部屋だった。そして――見慣れぬ、村人ではない、人影が、三人。

 そのうちの一人――白銀の髪と黄金の瞳を持つ男が、ベッドの脇からハーティアを覗き込む。

「ティア――」

「や――!」

 夢の中の光景がフラッシュバックし、ハーティアは混乱して伸ばされた手を振り払った。

「こ、来ないで!」

「ティア、落ち着け。……夢だ。大丈夫だ。お前を脅かす敵は、ここにはいない」

「いや――いや、いやだ、ルヴィ、ルヴィ、ルヴィっ……!いやだ、行かないでっ……みんなっ……お母さんっ……!!」

 頭を両手で覆って、ボロボロと涙を流しながら嗚咽を漏らす。

 一瞬、ハーティアの嗚咽以外の音が部屋から消え――

 沈黙を破ったのは、不機嫌そうな長身の三白眼の声だった。

「おい、グレイ。どうするんだ、これは」

「仕方ない。話の続きは後だ。ティアを落ち着かせる。――明日まで、しばらく待機していろ」

「ふん……いくぞ、ナツメ」

「はい、クロエ」

 人形のような女が静かに後に続く。

「クロエ。――念のため、今の報告は誰にも話すな」

「……誰にも……」

「あぁ。他の族長――セスナとマシロにも、だ」

「……ふん……面倒なことだ」

 不機嫌そうに鼻を鳴らした後、長身の男が女を伴い部屋を出ていく。

(セスナ……マシロ……クロエ……ナツメ……)

 紅蓮の地獄の底の記憶のふちで、鼓膜がとらえた音が響く。

「――――グレイ――……」

 ひくっ……と喉を震わせて傍らをゆっくりと見上げる。

「あぁ。――落ち着いたか?」

 寝所の傍らに、永遠を生きる<狼>がいた。痛ましそうに顔を歪めて、穏やかな声音でゆっくりと話しかけてくる。

「グレイ――グレイっ……」

「怖い夢を見たのか。……無理もない。まだ、昨夜のことだ」

「ぅ……ふ……っ……ぅえっ……」

「思う存分泣け。死した者を蘇らせてやることは出来んが――胸を貸すことくらいは出来る」

「ぅぅぅぅ……」

 頭を引き寄せるようにして胸に抱かれ、抵抗することもなくそのぬくもりに甘える。ぎゅぅっとシャツを握り、嗚咽をかみ殺した。

 ぽんぽん、と優しい手があやすように背中を叩く。

「もう嫌だ……あんな、あんな地獄は、もう、いやだ――!」

「あぁ」

「ルヴィ……お母さん……お父さん……!」

 皆、皆、ハーティアを守るために、命を散らせて行った。

 自分の無力が――こんなにも、悔しい。

「殺してやる――!絶対、絶対、同じ地獄を見せてやる――!」

「…………」

 グレイは、頷くことはしなかったが、優しく何度も頭を撫でてくれた。

 ぐずっ……と鼻を啜る音が落ち着いてきたころ、グレイはふと思い出したように口を開いた。

「そういえば――ルヴィというのは、お前の家族か?」

「え……?」

「うなされているときも、起きてからも――何度もその名を呼んでいた。あまりに悲痛に呼ぶから、最初はお前の想い人か何かかと思ったが――」

「想い人――……」

 思わず記憶の中に、ルヴィを思い描いて――ぷっ……と笑ってしまう。

「あ……あははっ………」

「……ふむ。何を笑っている?」

「ご、ごめん……ルヴィは犬だよ。――私の、大事な、一番の親友」

「……ふむ。なるほど」

 胸の中で笑い始めたハーティアに、グレイはいつものように静かにうなずく。

 笑ってしまった後に一瞬、マシロのように『元気になったのなら』といって突き放されるのではと思ったが、グレイはゆっくりと頭を撫でる手を止めるそぶりすら見せず、口を開いた。

「お前が飼っていた猟犬と言っていたあれか」

「うん。……すごくね、賢くて、優しくて、温かくて――勇敢だったの。最期まで」

「――……」

「家を逃げるときにね。剣を持った男と鉢合わせちゃって……私、怖くて動けなくて」

 ぎゅっ……とハーティアの言葉を聞いたグレイの腕に力が籠められる。

 されるがままにしながら、ハーティアはその胸板に頭を預けた。

「そしたら――ルヴィが、飛び掛かってくれて……その隙に、私とお母さんは、逃げることが出来たの」

「……そうか。それは、そのルヴィとやらに、褒美を遣わさなければならんな」

「ふふっ……<狼>の長からの褒美だなんて」

「何を笑うことがある。犬は、その昔、オオカミから派生してできたといわれて――まぁ、親戚みたいなものだ。広義では我らの血族だろう。私が褒美を与えてもおかしくはない。――ティアの命を、守ったのだ。何よりも褒め讃えられるべき偉業だ。誇っていい」

「……うん」

「次に集落へ行ったときには、亡骸を探し、手厚く葬ろう。あの日、弔ったのは<月飼い>だけだったからな」

「――……うん。ありがとう、グレイ」

 心の奥に、じんわりとあたたかな灯が灯る。切なく痛みも伴うが――確かに温もりも感じるそれは、ハーティアの心をほんの少しだけ緩ませてくれた。


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