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白狼の夢②

「あ、あの、ぐ、グレイ――!?」

 当たり前のような顔のまま脱衣所に引っ張り込まれて、真っ赤な顔で戸惑った声を上げると、つい今の今まで不機嫌をあらわにしていた刺々しい雰囲気を一瞬でひっこめ、ふわりと穏やかな表情を浮かべた。

「すまない。万が一がある。傍にいてくれるか」

「えっ!?い、いやでも――えっ!?お、お風呂だよね!!?」

「?お前は服を着たままでいい。……お前の裸を私が見るのはさすがに問題があるだろうが、お前が私の裸を見る分には何の問題もなくないか?」

「いや――え、えっと……」

 言いながらもバサッと上着を脱ぎ棄てるグレイから慌てて目をそらして真っ赤になった顔を俯かせる。

 大人の男性の裸など、幼いころに父親と風呂に入っていたときを最後に、目にした記憶などない。

 真っ白な肌を耳まで夕日色に染め上げるハーティアを見て、グレイはふ……と吐息で笑いを漏らした。

「ふむ……私の『月の子』はどうやらなかなかに初心な少女のようだ。……人間の年齢は、<狼>と違いすぎるから、つい感覚がわからなくてな」

「ぅ……」

「恥ずかしいなら、目を閉じていろ。浴室では背中を向けていればいい」

「は、はい……」

 しゅぉぉぉ……と頭から湯気を出しそうな勢いのまま、小さくうなずいてしっかりと瞳を閉じた。くす、と再びグレイの笑い声が聞こえて、いたたまれなさにさらに硬く瞼に力を籠める。

「ハーティア。約束してくれないか」

 しゅる……と衣擦れの音が響く中、グレイの声が静かに響く。

「これから先――辛いことも、哀しいことも、私には、何一つ隠さないと」

「ぇ……?」

「セスナの言うとおりだ。人間は脆い。そして――私は、人間と生きた記憶が、ずいぶんと遠い」

「――――…」

「私は、お前を失うことだけは、耐えられない。これから先、何をおいても、だ。だから――身体の不調も、心の不調も、どんな些細なことでもいい。必ず私には包み隠さず教えてくれ。言葉にしてくれれば、理解することが出来る。解決してやることが出来る。だが――私は、あまりに長く生き過ぎた。人間に関する知識もかなり遠く――現存する<狼>と比較しても、規格外な存在だ。自分を基準に、察する、ということが苦手だ」

 衣擦れの音が止まり、パッと手を取られる。驚いて一瞬瞼を上げそうになったが、慌ててしっかり力を込めた。キィ、と浴室へと向かう扉が開く音がして、手を引かれながらゆっくりと足を進める。

「ここで待っていろ。すぐに済ませる」

「ぁ――」

 手を離され、気配が遠のいていく。キュッと蛇口がひねられる音がして、サァ――とシャワーの音が響いてきた。

「ぐ、グレイ」

「なんだ?」

「あの、お、思ってること、正直に、言うね……?」

「あぁ」

 シャワーの音がする方に背を向けながら語り掛ける。

「あの――そ、そんなに、気を遣わないで――…」

「――……?」

 キュッ

 言葉が聞き取れなかったのか、言葉の意図がわからなかったのか。

 蛇口の音と共に、シャワーの音が止んだ。

「私、確かに、<狼>さんたちと比べたら、すごく弱くて心配になる存在なんだと思うんだけど――でも、その、グレイがそんなに必死に守らなきゃいけないような、そこまでじゃないよ」

「だが――」

「ちょっとくらい眠らなくたって大丈夫だし、族長の皆に冷たい目で見られたりしても、大丈夫だよ」

「……」

「グレイが心配してくれるのはありがたいけど――でも、大丈夫だから。人間って弱いけど、しぶとさもあるの。きっと、東の集落に行っても、大丈夫だよ」

「――――そうか」

 ぽつり、と声がつぶやき、再びサァ――とシャワーの音が鳴った。表情が見えないため、グレイが何を考えているかはわからないが、ハーティアは言葉を続ける。

「あ、あと、その――グレイも、私のせいで、いつもと違うことを、してほしくない」

「?」

「お、お風呂だって――別に、ゆっくり入っていいよ。心配でしょうがない、っていうなら、私、ちゃんとここで――グレイの視界に入るところで、ちゃんと待ってるから……だから、気を遣わないで、いつもみたいにゆっくり入って。私は、大丈夫だから」

「……」

「マシロさんが言ってた。グレイは、どんな時もドンと構えてて冷静だって。声を荒げて怒ったりしないし、どんな時も絶対に正しいって。――でも、私……まだ、グレイと逢って少ししか経ってないけど、グレイが本当はすごく感情豊かで、心配性なこと、知ってるよ」

「――そうだな。お前のことになると、私は聊か冷静さを欠く」

「うん。……きっと、族長の皆、驚いてたよね」

 ハーティアは、ゆっくりとここへ来るまでにグレイから聞いた話を思い出す。

 グレイは、<狼>の長として、種の存続を何よりも優先事項と考えている。そして、<狼>たちを、血がつながっていようがいまいが、己の子供のように大切に思っている。

 そして、彼は族長たちを――『対等』だと評した。今まで、彼らに<狼>の長として、序列を振りかざして命令を下したことなど、この千年一度もなかった、と。

「ここにきてから、グレイ、何回彼らに命令した?」

「――……そうだな。あれでは、反発されても文句は言えない」

 シャワーの音の中から響くのは、苦い声。きっと、いつもの苦笑を刻んでいるのだろう。

「私は、やっぱりヒトに復讐をしたいって思うし、そのためには<狼>さんたちに、協力してほしいって思ってる。だから、グレイを説得出来たら一番いいなって思ってるけど――」

 ハーティアは、うつむいて小さくため息を吐いた。

「族長さんたちの中の誰かが、グレイに反発して、私に協力してくれるような未来は、いやだなって思うよ……」

「……ふむ。どんな諫言よりも耳に痛いな。心に刻もう」

 キュッ……と音がしてシャワーの音が止まる。

「あっ、ちゃんと湯船に入ってね!?」

「別に、シャワーで構わないが。私は早くお前を休ませたい」

「湯船につかるくらいの時間、変わらないよ!グレイも、今日は、私に付き合って疲れたと思うから、ちゃんとゆっくり、疲れを取ってほしい……」

 いつもなら、指を鳴らすだけで自由自在にどこにでも行けるのに、わざわざ獣型になり、ハーティアを運搬してくれた。クロエとはまた違う形だが、それでもクロエがナツメを守るように、誰一人ハーティアに寄るな触るなと警戒心をあらわにしていた。気軽に族長たちと会話をしていても、ふとした瞬間に背筋を凍らせるような脅し文句を吐くくらいに。

 そんなことを考えての発言だったのだが、グレイはハーティアの言葉を聞いてくっくっくっとおかしそうに笑い始めた。 

「ぐ……グレイ……?」

「いや、すまん。――誰かに心配などされたのは、何百年ぶりか、と思ってな」

「……え?」

「この歳になると、心配などしてくれる者はおらん。大概のことは一人で乗り切れるし、<狼>たちは、過去の私の逸話を耳にしているものも多いだろうから、完璧超人だと思っている輩の方が多いだろうな。マシロのように」

 そういえば、マシロはとにかくグレイをべた褒めしていたことを思い出す。

「では、お言葉に甘えさせてもらうか」

 なおもおかしそうに笑いながら、声が湯船の方に向かっていく気配に、ほっとハーティアは安堵の吐息を漏らした。もぞ、と万が一にも視界に入れないように、体の向きを調整する。

「ま、マシロさんのことだけど――」

「ん?」

「そ、その……グレイと、番になりたい、って――」

「あぁ……まぁ、あと百年もすれば、飽きるだろう。あ奴のあれは、愛だの恋だのではない。学術的興味が半分と――あとは、絶望的な状況を救ってくれた存在に過度な憧れを抱いているだけだ」

「……それって……赤狼の群れが襲われたっていう――」

「あぁ。当時の族長が、遠吠えで緊急事態を知らせてきた。その時、たまたま私は北の奥の方にいた。距離があってな。遠吠えが聞こえてすぐに赤狼の集落へと飛んだが、すでに群れは集落から追われるようにして逃げまどっている最中だった。集落はすでにもぬけの殻で、必死に探した。結果、駆けつけるのが遅くなり、当時の族長一族の血が絶えたことは、私の不徳の致すところだ。どこかで血が残っていればいいが――場合によっては、古の盟友に逢う機会も、失われてしまったかもしれぬ」

「――ぁ……う、生まれ変わり……?」

 尋ねると、ちゃぷ……と水音がして微かな吐息音が聞こえた。苦笑と共にうなずいたのだろう。

(そっか……クロエさんは、生きているうちに逢えるかわからないからって焦ったらしいけど――グレイは、永遠を生きる<狼>だから、死んでしまった<狼>たちにも、血が途絶えさえしなければ、いつかは出逢えるんだ)

「どんな<狼>も、私にとってはかけがえのない仲間であり子供同然の大切な存在だが――千年前の大戦を共に戦いぬいた三人の族長たちだけは、やはり、別格だ。同志であり、永遠に変わらぬ盟友だ。彼らの生まれ変わりが誕生すると、どうしても浮足立つ気持ちになるな。……まぁ、記憶の継承がない以上、相手は何も知らぬし、私も長として不公平を生むわけにもいかぬから、当人たちに何も言うつもりもないのだが」

「――――もしかして」

 ふと、思いついてしまい、ハーティアは口を開く。

「クロエさんって――その、"盟友"の生まれ変わり――?」

「……ふむ。驚いた。なぜそう思った?」

 ザバ、と湯が軽くあふれる音がする。体ごと振り返ったようだ。

「あ、えっと……他の二人の族長さんたちよりも、なんだか気安い感じがするし……ナツメさんの話をしてた時――同情が過ぎた、って……セスナさんも、"甘い"”珍しい”って言ってたから……」

「ふむ……なるほど、確かにな。――なかなかお前は勘が鋭いな、ハーティア」 

 ふっ、と吐息で嗤った音がする。

 どうやら、予想は当たったらしい。

「あ奴が私の言うことを聞かぬのは千年前から変わらん。唯我独尊が服を着て歩いているような態度で、強さばかりを追い求め、群れの統治などに興味はなく、ただ力だけを誇示してその背中で灰狼を引っ張っていく――そういう戦闘狂だ、あいつは」

「ふふっ……そうなんだ」

 呆れたような声は、鼻の頭にしわを寄せているときの声だ。憮然としたような声の中にも、親しさゆえの気安さを感じさせる響きを感じ取り、ハーティアは小さく笑みを漏らす。盟友、と言ったのは確からしい。

「だが、ナツメの件で同情が過ぎたのは、それだけが原因ではない。――単純に、私が、個人的に、同情しただけだ。相手がクロエでなくても、同じように同情しただろう」

「――え――?」

 予想外の言葉に、思わず聞き返す。グレイは遠くを望むような声で、静かに言葉をつづけた。

「我らが番を選ぶとき、それは並々ならぬ覚悟と愛情だ。以後の生涯必ずその一人に操を立てるわけだからな。自分の血を継いでいけるかどうか、最後の判断だ」

「う、うん」

「だが、いざ番いたい相手を前にした時の感情は、理屈ではない。種として優秀かどうかなど、考えている余裕はない。ただ――こいつだ、と明確にわかるんだ」

「え――」

「仮に相手が自分よりひどく劣っていたとしても――それと番って子を成したとして、たいして優秀な子を残せぬだろうとわかっていても。そんなことは関係ない。ただ、この愛しい存在と、ともに生涯を歩んでいきたいと、誰に言われるわけでもなく、悟るのだ。だから灰狼最強と言われるクロエは――妖狼病に侵され、余命幾ばくもない、戒の一つも使えぬナツメを、それでも番にしたいと、願った」

「――――……」

「そうまでして番に、と臨んだ相手と死に別れ、せめて同じ魂を持つ生まれ変わりと、生きている間にもう一度逢いたい――と願う気持ちには、同情せずにいられなかった。……かつての盟友と同じ相貌で同じ性格をした男が、絶望に暮れて悲嘆に沈んでいるのを見ているのが辛かった、という側面も、勿論あったが」

 湿った浴室に音がよく反響して、グレイの声音の機微が聞き取れない。淡々と話しているのか――哀しみに沈んでいるのか。

「……グレイは」

「ぅん?」

「グレイは、どうして番を作らないの?」

 当然の疑問を口にすると、グレイはふっと吐息で嗤った。

「お前にしろセスナやマシロにしろ、なぜ皆一様に口を揃えるのか。私が誰とも番わぬのは、そんなにおかしいか?」

「ぅ……いやでも、マシロさんが言った通り、グレイは<狼>の中でも優秀な遺伝子を持ってるわけでしょ?グレイが、本当に<狼>の種の存続を願っているなら――」

「遺伝子を残すだけなら、別に番にならずとも良い。実際、毎年繁殖期になれば、白狼の群れから選ばれた女が送られてくるから、子種だけくれてやればいい。群れとは断絶しているから会ったことは一度もないが、今日もどこかで私の子供は白狼の群れで血をつないでいるだろうさ」

「――――――え……」

(何それ……何気にひどくない……?)

 人間の感覚で考えしまい、思わずドン引きする。しかし、女心に疎いと言っていたグレイはハーティアの様子に気づいた様子もなく言葉をつづけた。

「番っていない以上、子供らは私を超える優秀な個体にはならぬかもしれぬが、繁殖期に白狼の群れから送られてくるのは選ばれし優秀な女たちだけだ。かけ合わさればそれなりに優秀になると期待されてのことだろう。……そういえば、人間は年中繁殖期なんだろう?なんとも不思議な生体だ」

「――――……えっと」

 本日二回目の年上男の無神経な話題に困惑しながら言葉に詰まる。飄々とした様子で言葉を続けようとしたグレイに、ハーティアは慌てて話題を変えた。

「そっ――そういえば、グレイ!」

「なんだ?」

「の――"呪い"って、何――?」


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