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白狼の夢①

 しばらくすると、脱衣所の扉がバンッと開き――

「グレイっ!!!グレイぃぃぃぃいいいいいい!!ぅぇええええええん」

「……あぁ。よく頑張った。よく耐えたな、マシロ」

 真っ赤な顔のまま獣耳の少女が涙でぐしょぐしょの顔のまま、グレイの胸へと飛び込んできた。さすがに哀れに思ったのか、いつものようにあしらうこともなく好きなようにさせてやりながら、ポンポン、と頭を撫でている。完全に子ども扱いだが、それに異を唱えるような余裕は今のマシロにはないようだ。

 マシロの後から、ぬっと長身の男が出てくる。最強――いや最狂――の称号を恣にする灰狼は、水滴を滴らせる濡れ髪を軽く振ってしずくを飛ばし、ジロリ、と三白眼をハーティアへと向けた。

「っ――!」

 びくんっとハーティアの肩が跳ね上がる。先ほどの話を聞いた今は、まさかクロエに向かって「イヌみたいな仕草」だとほっこりするような神経はさすがに持ち合わせていない。

「クロエ。私の『月の子』を睨んで怯えさせるな」

「……もとからこんな目付きだ」

「お前はもう少し、ナツメ以外の他者への当たりを柔らかくするということを覚えないか」

「知らん。どうでもいい」

 ふん、と鼻を鳴らすさまは、心からの発言であることを示していた。

 これから先、この男が支配する集落に入るのだということを思い出し、ハーティアは思わず自分まで涙目になりそうになるのをぐっとこらえた。ふるっ…と肩が恐怖に震える。

 グレイをして恐怖政治、と言わせたその集落は、いったいどんな――

「……ハーティア。案ずるな」

 ふわり、と頬を包み込まれるようにして、ハッと目を上げると、優しい黄金の瞳がハーティアを覗き込んでいた。

「仮にお前が集落に入っても、お前に狼藉を働くような愚かな灰狼はいない。――このグレイ・アークリースに正面切って喧嘩を売るような阿呆は、さすがにいないはずだ」

「で、でも――」

「大丈夫だ。そもそも、ナツメが生まれた以上、クロエはもはや<月飼い>の集落に興味がない」

「――――――え……?」

 ぱちり、と目をしばたたくと、グレイは呆れたような苦笑を漏らした。

「クロエは、良くも悪くも、ナツメを中心に世界を回しているような男だ。ナツメと番えた以上、もう生まれ変わりにこだわる必要はなく――鎖国にも意味はない。支配下に置いて制御する必要がないんだ。ナツメさえ生きていれば、こいつは、<月飼い>も――灰狼のことですらどうでもいい、と思っているような奴だ。まぁ、おかげで、ナツメが生まれる前よりは余裕が出たのか、序列を思い出して私の言うことを聞いてくれるようになったのはよかったが」

「ふん……」

 クロエが面白くなさそうに鼻を鳴らす。特に否定しないということは、グレイの言葉は正しい、ということだろう。

「お前が東の集落に入るときには、灰狼たちに明確に、二度と集落の人間を不必要に怖がらせるようなことをするなと私からも厳命しよう。もともと灰狼は、腕っぷしの強さがそのまま序列になるようなわかりやすい集団だ。私に逆らうような奴はいない」

(……さらりと言ってるけど、やっぱりグレイが最強なんだ……)

 優しく穏やかな美青年のスマイルからは想像できないその姿に、ハーティアは軽く頬を引きつらせる。

「集落の<月飼い>たちは、しばらく戸惑うかもしれないが――それでも時間が解決してくれるだろう。困ったことがあれば、いつでも、どんなことでも、私に言えばいい。お前がこれから幸せに人生を生きていくためなら、私はどんな努力も惜しまぬ」

「……うん…」

 優しく頬を包み込んでくれる温かさに、強張っていた胸の奥がふ……と緩んでいくのを感じる。静かに瞳を閉じてその優しさを受け止めていると、マシロが不機嫌そうな声を上げた。

「ちょっとグレイ……!胸の中で泣いてる女の子がいるのに、そっちのけで他の女に気を取られないでよ……!」

「……ふむ。元気になったようで何よりだ」

 あっさりとマシロの手から逃れるようにして身体を放す早業は、手品か何かなのか。ギリギリ、と歯噛みするマシロに、ふわりと笑顔で一線を引いてしまうところもさすがだ。きっと、番にしてくれと迫られた経験はこれが初めてではなく、何度となくあったのだろう。そのたび、こうして上手にあしらってきた過去がありありと浮かぶ。

「さて。皆入ったなら、最後は僕とグレイかな。――寝るときの布陣はどう考えてるの?僕、絶対クロエと一緒は嫌だよ」

「わっ……わわわ私も絶対に嫌!!!」

「まだ日が高いうちから、気が早いなお前たちは」

 呆れた声で言うグレイに、セスナがぱちぱち、と少し驚いたように目をしばたたいた。

「――いや。本気……?」

「?」

「グレイが意外と抜けてるというか、人の心の機微に疎いのは知ってたけど――」

 やれやれ、と額に手を当ててセスナは頭を振る。なおも疑問符を上げているグレイに嘆息して、諫めるような声でつづけた。

「グレイが連れてきたその子。――昨夜から、大変だったんでしょう?ちょっとでも寝られたの?」

「!!」

「いくらグレイが普段から全然眠らない超人からって、その子にまでその常識を当てはめるのは可哀そうじゃない?隙あらば眠りこけてるクロエを見習いなよ。それに――人間って、たぶん、君が思ってるより脆いよ。簡単に壊れる」

 ふ、と嘲笑めいた皮肉をお見舞いされ、グレイが慌てた顔でハーティアを振り返る。

「すまない――そうだった、ハーティア。大丈夫か」

「え――あ、う、うん――」

「今すぐ寝所へ行くか?あぁ、無理をさせた。本当にすまない」

「いや、だ、大丈夫――」

 ペタペタと顔を触って無事を確認するかのようにせわしなく焦った声を出すグレイに、若干引きつった顔で返事をする。どうやら、本当にハーティアの体調にまで気持ちが回っていなかったらしい。

 そんな二人を前に、ギリギリ、と面白くなさそうに奥歯鳴らすマシロと、ふぁ、と思い出したようにあくびをするクロエ。

「どうせ、しばらく群れには帰れないんだろう。――俺たちも寝るか、ナツメ」

「はい、クロエ」

 本当に、この人形はそれ以外の言葉を知らないのではないだろうか。既視感を誘う表情と言葉で返事をする美女を伴い、クロエはくるりと踵を返す。

「あっ、ちょ、クロくん待って――!グレイに怒られる……!」

 慌てたマシロの声をかき消すように、ゴキッとグレイの指が一つ不穏な音を立てる。

 思わず全員がグレイを振り返った。

 間違えるはずがない。それは――グレイが何か、戒を発動させた音。

「……ふむ。最初からこうすればよかったな。いちいちクロエと行動を共にするのが誰だと押し付け合うたびに決めるのは面倒だ。そのせいで、ハーティアの体調を気に掛けられないなど、本末転倒も甚だしい」

「え……ちょ……ぐ、グレイ……?」

「命令だ。――お前たち四人、全員まとめて一緒に行動しろ。単独行動は許さん」

「な――そ、それってどういう――」

「寝室は、寝やすいように部屋をぶち抜いてベッドを全員分運び込んでおいてやった。寝たくなったら好きに寝ろ」

「「――――!!?」」

 さぁっとマシロとセスナの顔が青ざめる。マシロの獣耳が、警戒するように、耳を疑うように、ビッと勢いよく毛を逆立たせながら立ち上がった。

(――まぁ……ベッド……あるとこ……だもんね……)

 おそらく二人が嫌がっている理由に思い至り、ハーティアは心の中で同情する。風呂の中でまで致すようなカップルが、ベッドの中で大人しくしているとは到底思えない。

「やだやだやだやだ!あたし、グレイと寝る!」

「ちょっ……マシロ、抜け駆けはずるい!僕だってクロエとナツメと同じ部屋で寝るくらいならグレイの部屋で寝る方がマシだ!」

「うるさい黙れ。お前たちに拒否権はない」

 ピシャリ、とグレイは族長たちの文句をはねのける。

(な、何か――怒ってる……?)

 びくびくと見上げると、グレイは先ほどまでの穏やかな空気から一転、刺々しい雰囲気をまとっていた。

「ハーティア、来い。シャワーを浴びる間だけ、我慢してくれ」

「え、あ、うん――え!?」

 手を取って導かれ、何も考えずついて行こうとして驚愕する。

 グレイは、当たり前のように脱衣所の中にハーティアを引っ張り込んだ。

「お前たちは好きに行動しろ。何かあったら報告しに来い。――ではな」

 バタン……

 あっさりと、無情な音を立ててしまった扉を前に、族長三人は無言で急に不機嫌になった長を見送る以外の選択肢を見出すことは出来なかった。


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