東の灰狼④
「それを説明する前に、いくつかお前の知らぬ事実を説明せねばならない」
「う、うん……」
「まず一つ目。――<狼>と番になると、より強力な個体の特徴に、弱者の特徴は引っ張られる。より強力な子孫を残すために」
「――え……?」
ぱちぱち、とハーティアは目をしばたたいた。グレイはゆっくりと言葉をかみ砕いて、ハーティアへと解説する。
「<月飼い>と番った時が一番わかりやすいな。我らは数百年を生きるが、人間である<月飼い>はせいぜい百年も生きられない。だが、<狼>が番に<月飼い>を選ぶと――選ばれた<月飼い>は、番った<狼>と同程度の寿命を得る」
「えぇ!!?」
「番った相手が扱う戒も使うことが出来るようになる。つまり――限りなく、<狼>に近い存在になる」
さすがに獣型にはなれないが、とグレイは付け加えた。
「我らは種族間での交配はめったにしないが――仮に、別の種族同士の<狼>と番ったとしても、同様のことが起きる。例えば、灰狼と赤狼が番えば、弱者――この場合、高確率で赤狼だろうが――の方は、灰狼の戒と赤狼の戒の両方を使うことが出来るようになる。戒の練度は、その者の鍛錬にもよるから、相手とまったく同じというわけにはいかないが、お粗末でも使うことは出来るようになる」
「――――…」
「番との間に生まれてきた子供は、どちらの性質も受け継ぐからな。片方が弱者のままだと、親以上に強力になることがない。そうなれば、種族の危機だ。世代を経るごとに弱者のみが残るのは困る。故に、そうしたことが起きるのだろう。異種交配の番から生まれてきた子供は、当然強力な力を宿すことが多い。妖狼病がなかった時代、<狼>と<月飼い>が当たり前に番になっていたときに生まれた個体は、強力なものが多かった。その血は脈々と受け継がれ、今も<狼>種族の繁栄の礎となっている。――番になるわけではなく、単なる繁殖活動の結果として生まれた子供ではそうはならないのだから、不思議なものだが」
「あ――……だから、マシロさんは、グレイと――?」
グレイは苦い顔でこくり、とうなずいた。
確かに、グレイは<狼>という種族の頂点に立つ圧倒的強者だ。もしもマシロと番えば、マシロはグレイと同じ戒を使う力を得ることになり――その間にできた子供は、グレイやマシロをしのぐような強者になる可能性が生まれる。
それを、「知的好奇心」と言ってマシロは望んでいた。ただの繁殖行為ではなく"番"になることが目的、というのもそういうことだろう。
「そして、もう一つ。――この千年樹が生息する山岳地帯で生命活動を営む者の中には、血のつながりさえあればその集落に『生まれ変わり』が誕生する」
「――ぇ――?」
グレイは少し痛ましげに顔をゆがめて目を伏せた。
「<月飼い>も、<狼>も、同様だ。周期はだいたい、最短でもその生命の平均寿命くらいはかかるがな。一度、命を終えた後、人間であれば百年程度――<狼>であれば、三百年程度の周期を経れば、集落の血族の中から、生まれ変わりが誕生する可能性が生まれるということだ」
「う……生まれ変わり、って――…」
「そのままの意味だ。魂がそっくり同じ存在。記憶は引き継がれることはないが、見た目も、性格も、声も、すべてが生きていたころそのままに、生き写しのように成長する。――人間にはわからぬだろうが、我ら<狼>は嗅覚が優れているからな。同じ魂の匂いを持った存在を見極めるのは簡単だ。赤子の状態であってもすぐにわかる」
「――――……」
「ただし、条件がある。それが――死した者の血族であること。その者の直系でなくてもいい。親戚でもいい。とにかく、その者が持っていた血を欠片でも受け継ぐなら、可能性がある。血が途絶えれば終わりだ。二度と生まれ変わりは現れない」
「…………」
「血のつながりで生まれるその不思議な存在は――血が濃いほど、周期が短くなる。直系の子孫が残っていれば、平均寿命くらいで生まれてくる。残っていなければ――気長に待てば、血が続く限りいつか生まれる。……そんな話を、愛する者を失って悲嘆にくれるクロエの慰めになれば、と思って口にしたのが、間違いだった」
「え――…」
グレイが苦い顔をして、後悔を口にする。瞳は、遠い昔を思い出しているようだ。
「あの愚か者は、それを聞いて――<月飼い>の集落の中で、徹底的に血を濃くする方針を取った」
「ま――まさか――」
「そう。それが、鎖国だ」
ふぅ、とグレイが重たいため息を吐く。何とも言えぬ沈黙がその場に降りた。
「一種の賭けだったのだろう。クロエは、結局、番うことも出来ず、相手との間に子を残すことも出来なかった。直系の子孫はいない。そうなれば、周期は長くなる。――百年以上は確実だ。クロエが生きているうちに、生まれ変わりに遭遇できる可能性は低くなっていく」
「つ、番えなかった……?ど、どうして…?愛してたんでしょう?それに、相手が混血児だったとしても、<狼>と番えば――灰狼最強のクロエさんと番えば、その女性は、もしかしたら寿命が延びたかも――」
「――――そもそも、姉だったからな。相手が」
「――――――!?」
ハーティアは。
思わず驚愕に言葉を失った。
「正確には、母親違いの妹、というのか?……私は一度、彼女の生前対面したことがあるが、本人は姉のようにふるまっていた。寿命から換算すれば彼女の方がクロエより年上だ、という理論らしい。――あの唯我独尊を絵に描いたようなクロエが、憮然とした顔をしながらも、そんな主張に付き合ってやっているのは腹を抱えて笑いたくなる事態だったが」
ふっ……と昔を懐かしむように、グレイの口元に笑みが浮かぶ。
しかしそれも一瞬で、すぐに掻き消えた。伏せられた黄金の瞳が微かに揺れて、物憂げなため息が洩らされる。
「クロエの父親は、まぁ、優秀で強力な灰狼だったが――英雄色を好む、とでもいうのか、少々下半身が奔放な奴でな。私の言いつけも守らず、勝手に<月飼い>の女と繁殖行為をした。そいつにしろクロエにしろ、私の言いつけを守らず奔放なのはディール家の血かもしれん。……そいつの番は若くして死んでいたからな。止める相手もおらず、やりたい放題だった。番との間に出来たクロエは、ずば抜けて優秀だったが、それ以外はただ群れの数を増やすだけだった。挙句――生まれてくる子供が妖狼病になる可能性が高いとわかっているくせに、その場の興味関心だけで手を出しおって……本当に、バカな奴だった」
「――…」
「父親が死んで、遺品の整理の時に初めてその相手とクロエは対面した。母親側はすでに他界していたから、他に家族はなかったらしい。芯が強くて不思議な魅力を持った彼女は、最強と言われて群れの<狼>にすら遠巻きにされていたクロエをなぜか怖がることもなく、家族として、姉として、親しく接した。クロエは次第にそんな相手に惹かれていき――そして、相手が妖狼病を発症していると気づいた」
「っ……」
痛ましい話の展開に、ハーティアの表情がゆがむ。グレイはなだめるようにしてハーティアの金髪を優しく撫でた。
「クロエは、持ちうるすべての手立てを使ってそれを癒そうとした。他の種族や眉唾物の伝承にすら縋って――私にも、全力で縋りついてきた。あのクロエが、まさか、私に頭を下げるとは思っていなかったな。何かの手立てがあれば、と当人のところへ赴いたが――やはり、さすがの私も、どうにもしてやれなかった」
「…………」
「何一つ有効な手立てがない状況で――望みをつなぐとすれば、相手と番うことだけだった。妖狼病を発症している相手と<狼>が番うなど、前例はなかったが――可能性は低いだろうが、それでもゼロじゃない。それを伝えると、クロエはすぐにでも相手と番おうとした。もとより、クロエは相手に惚れていたわけだしな。倫理観など糞食らえとでも言いたげだった。だが――父親だけとはいえ、正真正銘血がつながった相手だ。相手側に強く拒否されて、結局それは叶わなかった」
「そんな――」
「それ以来、東の<月飼い>の集落はずっと鎖国状態だ。そこで暮らす者たちの未来など関係ないと言わんばかりに、極限まで血を濃くするよう仕向けるその様は――確かに、妄執と言われても仕方がないだろう。幾度となく苦言を呈したが、頑として譲らなかった。クロエは、いつか必ず、愛する者の生まれ変わりが誕生すると信じて――」
ふと、グレイが中途半端なところで言葉を止める。
「?……グレイ?」
「あぁいや……」
尋ねられた言葉に珍しく口ごもるグレイの隣で、セスナがバッと両耳をふさぐ。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛始まった……!」
「え?……え??」