東の灰狼③
嫌がるセスナを問答無用で引きずるグレイと一緒に、先ほど来たばかりの脱衣所に戻ると、ちょうど先に到着していた者たちが部屋に入っていくところだった。
ナツメと、マシロと――クロエ。
「えっ……!!?」
当たり前のように三人が脱衣所に入っていき、パタン……と扉が閉められて、ハーティアの頭が混乱する。
「ぐっ……ぐぐぐ、グレイ……?」
「?……どうした」
「あ、あの――く、クロエさんまで、入ってっちゃったけど――」
「?……あぁ。それがどうした」
(えぇぇぇ!!?当たり前みたいな顔してる!!?)
驚愕のあまり、あんぐりと口を開いてしまい、二の句が継げない。
「……あ、も、もしかして、脱衣所まで入っていって、そこでナツメさんが出てくるの待つとか――」
「いや一緒に入るだろう。クロエがナツメの傍を離れるはずがない」
「えええええ!!!?」
再び驚愕の声を上げてグレイの顔をまじまじと見つめ返す。きょとん、とした黄金の瞳は、ハーティアの反応が理解できないようだった。
「き……気にしない、の……?」
「何がだ」
「その……は、裸になる、でしょう……?」
「?……まぁ、風呂だからな」
<狼>は風呂に入るときは獣型になるのだ、などと言われればまだ理解が及ぶが、先ほどマシロと一緒に入浴したハーティアは、<狼>が入浴時も人型のままであることを知っている。
つまり――クロエも、同様と考えられる。
(え、ナツメさんは恥ずかしくないの……!?いや、それよりクロエさんも――あ、<狼>だし、人間の女が裸になってても気にしないとか!?いやでも――)
「だ、だだだってさっき、グレイは一緒に入らなかったじゃない――!」
「…………?」
きょとん、ともう一度黄金色の瞳が一つ瞬きをし――
「セスナ。これは、『月の子』から大胆な誘いを受けたと思ってよいのだろうか」
「違うと思う」
げんなりと、面倒くさそうにピシャリ、とモノクルの黒狼が否定する。何やらいろいろなものを諦めたように達観した表情をしているのは、抵抗に疲れたのかもしれない。
(えっ!?何これ私がおかしいの!?グレイと私が一緒に入るのはおかしくて、クロエさんとナツメさんが一緒に入るのはおかしくなくて――)
ハーティアはぐるぐると混乱する頭で必死に状況を整理した。
「ま、待って、グレイ。さっき、教えてくれたよね……?」
「?」
「クロエさんは、昔、心から愛する女の人を、妖狼病で亡くしてしまった、って――」
「あぁ」
グレイは先ほど、百五十年前の出来事を教えてくれた。
数百年前に妖狼病の発症が確認されて、<狼>と<月飼い>の交流が公には断絶したにもかかわらず、時々それを破る<狼>はいて――そうして生まれたのが、百五十年前の、クロエの想い人。
クロエが出逢ったとき、その女性は十九歳で、すでに病に侵されており、余命一年という状態だった。それでも二人は惹かれ合い、今でもクロエはその女性のことを忘れることが出来ずにいる――という、美しくも切ない愛の物語を聞いた。
「だ、だから……その女性が、<月飼い>との混血だったから、<月飼い>の集落も<月飼い>のナツメさんもすごく大事にしている、んだよね――!?」
一見淡白で唯我独尊、どこまでもクールに見えるクロエが、盟約を遵守するグレイ並みに<月飼い>を過保護に守ろうとするのは、そういう理由だと――
「いや?そんなこと、一言も言っていないだろう」
「えぇぇぇ!?」
「ははっ……笑えるね。クロエが、<月飼い>を大事にしている、だってさ」
セスナまでもが鼻で嗤う。ハーティアの頭はなおも混乱した。
「勘違いも甚だしいね。クロエが大事にしているのは今も昔もただ一つ、”ナツメ”だけだよ。<月飼い>でも、代表者でも、勿論夜水晶なんてものでもない。――グレイが君を大事に守ろうとしているのとは、根源的に話が違う」
「え……えぇ……?」
「グレイの苦言も何一つ聞き入れず、百五十年、最低限の族長としての責務もほとんど放り出して、<月飼い>の集落を鎖国までさせて――あれはもう、"妄執"に近いと、僕は思うけれど。歴代"最強"の灰狼なんて嘘だね。歴代"最狂"、の間違いでしょ」
「そう言うな、セスナ。――すべてを捨てでも番に、とまで望んだ相手に先立たれたんだ。クロエの気持ちもわらかなくはない」
「無茶なことを言う……僕にはさっぱりだ」
「お前もいつか、番を見つければわかるさ」
「どうだかね……っていうか、グレイにだけは言われたくないよ。千年以上、誰とも番ってないくせに」
セスナの皮肉に苦笑一つを返しただけで、グレイは何も言わなかった。そして、ハーティアの方へと視線をよこす。
「すまなかった、ハーティア。先ほどの説明では、言葉が足りなかったな」
「いや……えっと……せ、説明してくれる……?」
「あぁ。――たった一人の女に執着して、一族を巻き込んで迷惑をかけている、哀れで愚かな男の物語だ」
グレイは苦笑交じりに、口を開いた。