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東の灰狼①

「さて。あちらの問題児どもは、穏やかにやっているだろうか」

 息が止まるほどの哀愁を帯びた視線を、瞬き一つで幻のように消したグレイは、チラリと廊下の奥に目線を投げた。

「さぁ……セッちゃんが我慢の限界にきてぶちキレてるんじゃない?」

「だがクロエも、さすがにナツメの命に危険が及ぶ可能性があると思ったのか、やっと協力的になったようだぞ。先ほど、遠吠えで灰狼に連絡を取っていた」

「あら。ついに。まぁでも、疑いを晴らさない限り、ここから出してももらえないってなったら、やらざるを得ないよね。……これでセッちゃんが、少しでも納得してくれるといいんだけど」

 嘆息しながら大人ぶって言うマシロに、グレイも苦笑で返す。

「少し様子を見に行くか。マシロ、ついてこい」

「はぁい」

 ぴょこん、とご機嫌に一つ耳が反応して、軽やかな足取りでグレイの後ろをマシロがついていく。

(獣型だったら、尻尾をぶんぶん振ってるのかな……)

 口にしたら再びギンッと睨まれそうなことを思いながら、ハーティアもほほえましい気持ちで後ろに続く。

「そういえば、マシロ。妖狼病の件はどうなっている?そろそろ目途がつきそうか?」

「あぁ……うん。まだ完全とはいかないけど、やっと薬の試作品が出来たところ。実際に飲ましてみないとわかんないけど――」

「それなら、治験には困らないだろう。あいつの子供に協力させればいい」

 何やら目の前で繰り広げられる族長同士らしい会話に、ハーティアはきょとん、と目をしばたたく。

「妖狼病……?」

「あぁ……なんといえばいいか……長いこと、不治の病だとされてきた病気だ。赤狼に、もう何百年も研究を進めさせていたんだが、マシロが来てから、初めて進展らしい進展を見せてな」

「ふふん」

 勝ち誇った顔をするマシロは、人間で言えば十代前半というのもうなずける子供らしさだ。とても、何百年も進展のなかった研究を一気に進めたような天才とは思えない。

「妖狼病っていうくらいだから――<狼>さんたちだけがかかる病気なんですか?」

「いや……我々はかからない」

 グレイは少しだけ言いよどむように口を閉ざした後、観念したように口を開いた。

「我々ではなく――<狼>と<月飼い>との混血児に、高確率で発症する病だ」

「へ――!?」

 思わずグレイの方を二度見する。グレイは、鼻の頭にしわを寄せながら、苦い顔で言葉を続ける。

「我々<狼>が、<月飼い>との交流を断絶させた原因だ。――私が、当時の族長たちと話し合って決めた。不幸な子供を、わざわざ不幸になるとわかっていて誕生させる必要はないだろう」

「妖狼病は、他者に感染はしないけれど混血児なら八割が発症するといわれているわ。発症した患者の二十歳までの致死率は百パーセント。<狼>としてはもちろん、人間の感覚で言ってもかなり若い間に命を落とすことになる。共通するのは吐血を伴うような激しい咳。発症した後も、すごく苦しむわ。――だから、グレイは、当時の族長たちは、なるべくそんな子供を出さないように、って考えたんだと思う」

 マシロがグレイの言葉を引き継いで、淡々と症状を説明する。赤狼が<狼>の"お医者さん"だと彼女が称したのもうなずける冷静な口調だった。

「セッちゃんがクロくんを疑ってるのは、妖狼病の件もあるかもね」

「……まぁ、十分にあり得るだろうな。百五十年前、クロエが当時の黒狼の族長に問答無用で襲い掛かっていったのは記憶に新しい。あれはさすがに、仲裁するのに骨が折れた」

(――百五十年……?)

 その数字は、どこかで聞いたことがあった。ハーティアは少し記憶をたどり――

「――……鎖国……」

「?……どうした、ハーティア」

「さっき、マシロさんが言ってたことを、思い出して……東の<月飼い>の集落は、クロエさんのせいで、百五十年前からずっと鎖国していた、って――」

 そう、疑問符を上げたのに、軽く肩をすくめただけで流されてしまったあの話題。

「妖狼病と、黒狼と、灰狼――何か関係があるの……?」

 ごくり、と唾をのんでグレイを見上げる。

「……ふむ。マシロ、どう思う」

「え゛……何。グレイがあたしに意見求めるなんて、雪でも降るの?」

 急に話を振られて、マシロが警戒をあらわにする。ピンっと耳がせわしなく動いた。

 グレイは軽く顎に手を当てて何かを考えるそぶりを見せながら、口を開く。

「私の『月の子』は、とても好奇心旺盛だ。<狼>について、世界のことについて、わからないことを素直に質問し、知識を吸収していく。知識は、時に、己の身を守る武器にもなる。故に、なるべくその気持ちには答えてやりたいと思っているのだが――不必要な知識まで、仕入れさせる必要もないと思っている。人間の頭脳も有限だしな」

「あぁ――なるほど」

 グレイの言葉に、マシロは訳知り顔でうなずく。

「ん……でも、その子、これから、東の<月飼い>のところに入れるんでしょう?」

「え!?」

 驚いた声を上げるハーティアに、呆れた顔を返す。

「さっき言ったでしょう。南はすでに解体されてる。西は、数日前の襲撃で壊滅。北も同じでしょう。となれば、残っている集落は、東だけ。あなた、森の中で、たった独りで生きていくつもりだったの?」

「あ……そ、そうか……」

 しゅん、とハーティアはうなだれるようにして事態を受け止める。

 生まれ育ったあの懐かしい集落に帰ることは、もう二度とないのだ。あそこでの愛しい日常は、もう二度と帰ってこない。

 これからは、誰一人知り合いのいない集落の中に混ぜてもらい、生きていく必要がある。ヒトから隔絶したこの山岳地帯の中、すでに東以外の<月飼い>の集落はなくなってしまったのだから、ハーティアに選択肢など残っているはずもなかった。

「そう落ち込むな、ハーティア。ことが落ち着いたら、お前の村に一度戻ろう。約束だ。村人の墓参りでも、遺品の整理でも、ただの里帰りでも、何でも付き合う。何度でも、いつまででも付き合おう。お前が、あの村で生まれ、育ったという事実は消えないのだから」

 グレイの優しい声が響き、ふわりと優しく頭を撫でられた。

 慈しむようなその仕草に、ぎゅぅっと胸の奥が締め付けられるように痛み、涙がこぼれそうになって必死にこらえる。

 マシロはそれを見て小さく嘆息した後、グレイを見上げる。

「東は、ちょっと特殊だから――少なくとも、クロくんの過去くらいは伝えておいた方がいいんじゃない?……万が一、クロくんの機嫌損ねたら、『人間』の女の子なんて簡単に八つ裂きにされちゃうし」

「そんなことはさせん。その前に私がクロエを殺す」

 頭に置いていた手を背中に回し、ハーティアを守るように軽く引き寄せながら冷ややかな声を出すグレイに、マシロはゴクリ、と唾をのんだ。この長老――目が笑っていない。

 グレイは、小さく嘆息してハーティアを解放すると、安心させるようにもう一度頭を撫でた。

「だが……そうだな。確かに、知っておいた方がいいかもしれない。本人の許可なく話すのもどうかと思うが――まぁ、相手はあのクロエだ。気にすることもないだろう」

 そういってグレイは苦笑したのだった。


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