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南の赤狼⑤

 キィ……と扉が開き、<狼>の少女が出てきたのを確認し、グレイは口の端に苦い笑みを刻んだ。

「何よ」

「いや。……強くなったな、マシロ」

 ポンポン、と洗い髪を上から軽く撫でるグレイに、マシロは不満そうに口をとがらせる。

「グレイは、すぐあたしを子ども扱いする……」

「まぎれもなく子供だろう。せめてあと倍の月日を生きてから言え」

「むぅ……」

 再び唇を尖らせてうめく。獣耳が不服そうにひくひくと小さく動いた。

「お前から見て、どうだった。ハーティアは」

「どう……って。別に。『人間』だなぁって感じ。脆弱で、愚かで、頭が悪い」

 吐き捨てるように言うマシロに、グレイは苦い顔をする。

 ――でも、とマシロは言葉をつづけた。

「南の<月飼い>の話をしたとき、信じられない、って顔をしたわ。『人間』のくせに、<狼>寄りなのね。変な子」

「……さぁ…それはどうだろうな」

「少なくとも――あたしの耳やこの瞳の色を見て、気持ち悪い、とは言わなかったわ」

 ふるっ……と髪のしずくを落とすように、タオルをかぶせた頭を軽く振りながら言う。獣耳についた水滴が小さく周囲にはじけて散った。

(この場にハーティアがいたら、またイヌのようだと言われるのだろうな)

 苦笑しながらグレイは心の中でつぶやく。

 獣耳を気味悪がらなかったのは、彼女のイヌ好きという気質ゆえだとは思うが、それでも――マシロにとっては、それが重要なことであることを、グレイはよく知っていた。

「不思議な子よね。――あぁ、でも」

「?」

 思い出したように声を上げるマシロに、グレイが疑問符を上げる。

「お風呂で汚れを落としたら、髪が、すごく綺麗な黄金色で驚いたわ」

「――――……ふむ」

「顔だちも整ってるし。『人間』の中じゃ、すごくモテるんじゃない?」

「……ほう」

「"整った顔の造形"フェチの私が言うんだから間違いないわ。なかなかの逸材よ、あの外見。『人間』なら、あと数年もしたらすごい美人になるんじゃない?ナツメといい、あの子といい、何なの、<月飼い>の族長の血筋は美形揃いなの?」

「……さて、どうだろうな」

 グレイは鼻の頭にしわを寄せた後、苦い顔でつぶやいた。

 ふと、その反応に違和感を感じ――マシロは、背の高いグレイの顔を見上げる。

「グレイは、ああいう顔、タイプじゃないの?」

「……タイプ……か。そんな感覚には覚えがないな」

 苦味走った顔をさらに苦くゆがませて、グレイはうめくようにつぶやく。

「千年以上も生きてるんだもん。誰かは、いたでしょう?タイプな女の子。<狼>でも――大戦前なら、ヒトだって」

「……さて、どうだろうな。あったとしても、記憶が遠すぎてな」

「ちょっと、おじいちゃんみたいなこと言わないでよ」

 半眼のマシロに、苦笑を漏らす。ポンポン、と頭をなでると、むっとまた唇を尖らせた。

「あの子、<狼>との混血を知らなかったわ」

「ほう。……まぁ、北の集落は、そうだろうな。<狼>と子をなすなど、そんな発想をすることすらないだろう」

「やっぱりそうなんだ。――でも、交流が断絶するまでは、グレイも<月飼い>の集落になじんで生きてたんでしょう?だったら、誰か一人くらい――」

「マシロ」

 グレイは苦い顔のままポン、と言葉を遮るように頭に手を置いた。

「知っているだろう。私は、他の<狼>とは違う」

「でも――」

 なおも言い募ろうとするマシロに、嘆息する。

「私は――誰にも、”呪い”をかけるつもりは、ない」

「――――――……」

 押し黙ってしまったマシロの頭を、ごしごし、とタオルの上から拭くようにして撫でる。

 子ども扱いのそのしぐさと、発せられた言葉は――マシロの要望への、明確な拒絶。

(いつも、そうだ――)

 こんな風に、女を振る時ですら、優しくて、慈しみ深くて、温かいグレイに――いつだって、マシロの方から触れることは、許されない。

 傍にいたいと願っても、力になりたいと志しても、年長者の余裕で、あっさりとかわして最後の最後、彼の"本音"の部分には決して触れさせてもらえない。

 いつでも<狼>という種族の存続を考える彼にとって、それは何よりも大切な資質であることは理解しているが――番になりたい、と迫る一人の恋する女としては、ひどく複雑な気持ちになるのも事実だった。

 ぐっと奥歯をかみしめていると、キィ……と背後で小さな音がした。

「あの……呪い、って何ですか……?」

 マシロとグレイが、声の方を振り返る。中から、グレイが調達したであろうマシロの衣服を身に着けたハーティアがきょとん、とした顔で出てきたところだった。

(なんでその服で、そんなに胸のあたりが強調されるのよ……!)

 自分が身に着けた時とは明確なシルエットの違いを発するその部分を親の仇が如くにらみつけると、ハーティアはひるんだように軽く身を引いた。その反応に少し胸がすく思いをかみしめ、グレイを見上げる。

「グレイ、この後――」

(え――……?)

 ふ、と言葉が途切れる。

「……ふむ。マシロが言ったとおりだな。見違える髪色だ。まるで、月光を溶かしたように美しい」

「へ!?……あ、ああああありがとう……」

 急に歯が浮くような口説き文句をさらりと言われて、ハーティアは頬を紅潮させてうつむく。

 だから、彼女は気づかないのだろうか。この、<狼>の頂点に立つ男の視線に。表情に。

(なんで――…?)

 いっそ、見惚れているような顔なら、納得ができた。男女問わず整った顔を観察するのが趣味なマシロでさえ、評価するくらいの整った造形のハーティアなのだ。風呂に入り、汚れを落とした彼女が美しすぎて言葉を失っているなら、それはグレイらしくはないとは思うものの、「こういう顔がタイプだったのか」と納得する反応だろう。

 だが、今の、うつむくハーティアを眺めるグレイは――

(なんで、そんなに――寂しそう、なの――?)

 まるで、この世の哀愁のすべてを煮詰めたような横顔で、息が詰まるような切ないまなざしを、その黄金の旋毛に注いでいるだけだった。


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