南の赤狼②
「……ふむ。その理由は?」
「あたしは――女だわ!」
ドヤァ……という顔で言われ、グレイは軽く眉を顰める。
「な、なによその顔!だって、だって、性別は大事でしょう!?」
「……?」
「ま、まさかグレイ――その子と、お風呂も一緒に入るつもり!!?」
「なっ!!?」
その言葉に、ハーティアが真っ赤になってグレイを振り仰ぐ。グレイは、ぱちぱち、と目を瞬いていた。
「――ふむ。確かに、言われてみればそうだな」
「ちょっ、グレイ!待って、僕は――」
「では、セスナはクロエにつけ。マシロ、ついてこい。ハーティア、まずは風呂だ」
「了解っ!」
フフン、と勝ち誇った笑みをセスナに向けてから、マシロはルンルンとご機嫌な様子でグレイの後ろについていく。グルルルル、と音が聞こえそうな形相でにらみつけるセスナなど気にした様子もない。赤茶色の髪の毛から覗く獣耳が、ぴょこん、とご機嫌そうに動いた。
「ほら、あんたも早く来なさいよ。いつまでそんな恰好でいるつもり?」
「……ぁ…」
言われて初めて、「まずは風呂」と言われた理由に思い至る。昨夜の襲撃のせいで、体中煤だらけで、髪も土ぼこりできしんでいる。今まではそんなことを気にするような心の余裕がなかったため仕方ないが、ひどく汚れたその恰好を、初めて恥ずかしいと思った。
「ふむ。さすがマシロだ。よく気付いたな。私はそういうことに疎くてかなわん」
「ふふん。見直した?――番にしてくれても、いいのよ?」
「あと二百年先までお前が言い続けていたら考えてやろう」
「もう!いっつもそんなことばっかり言って!」
苦笑するグレイに、マシロはぷくっとむくれた顔をする。
「……番……?」
「番は番よ。人間たちはなんていうのかしら……えっと……恋人――」
「えっ!?」
「――じゃないわね。『お嫁さん』……?」
「えぇ!!?」
驚くハーティアに、グレイは苦い顔をした。
「マシロ。人間に、我らの感覚を理解させるのは難しい。あきらめろ」
「ふん……さすが『人間』。たかだか百年も生きられないあなたたちが、あたしたち<狼>の感覚を理解するなんて無理よね」
「そういう話ではない。文化の違いだ。我らとて、人間の感覚はよくわからんだろう」
生意気な幼子を諫めるような口調は、まさに長老然としている。だが、マシロは彼に向って、『番』とやらにしてほしい、と願ったのだ。
「つまり……番っていうのは…結婚相手、ってこと、ですか……?」
「……ふむ。この感覚を説明するのは難しいな。人間は、繁殖相手をころころと変えるんだろう?」
「ぇえ!?」
「さて、人間たちはそれを何と言ったか――……不倫?二股?ハーレム?我ら<狼>には存在しない感覚だから、よくわからんが」
「ちょちょちょ……なんでそんな言葉知ってるの、グレイ!」
かぁっと赤くなりながらハーティアは慌ててさえぎる。グレイはきょとん、とした目を向けてきた。
「ふ、不倫とか、二股とかっ……そ、そんなことする人、少数派だから!」
「――ふむ……?そうなのか?」
「は、はーれむ、っていうのは、よくわかんないけど……っ…す、少なくとも、うちの集落では、結婚相手は一人で、一生ずっと、その人と一緒に暮らすのが普通だったよ!」
「……ふむ。昔、<朝>がいたヒトの集落の頂点にいた者は、ハーレムとやらを築いて一人の男がたくさんの女を囲っていた。繁殖のためだそうだ。まぁ、ヒトは一回の出産で十月十日もかかるらしいからな。効率を考えれば、仕方のないことなのかもしれないが」
「な――」
「ヒトの世界では、あれはかなり大きな集落だったから、あの文化がスタンダードなのかと思っていた。違うのか」
「違います!!!」
千年も生きていたくせに、なぜそんな偏った知識しか仕入れてないのか。百歩譲ったとして、そんな千年前の文化をスタンダードとして認識しないでほしい。<狼>と違って、人間世界では千年も経てば文明も文化も大きく変わる。<朝>がいたという国も、今も一夫多妻制を敷いているとは限らない。第一、千年もずっと守護をしていたはずの一番身近な人間の集落の生態には興味がなかったのか。
色々非難したい気持ちはあれど、多感な十四歳の少女は、見た目だけは若々しい美青年相手に何と言っていいかわからずかぁぁっと頬を染め上げるしかできなかった。
「そうか。それは失礼した。――<狼>は、基本的に一夫一妻制だ。人間たちでいうところの結婚、に近しい言葉として、番になる、番う、などという。一度番うと決めた相手を変えることはないし、番ったならば決して裏切らない――その相手としか繁殖行為は行わない」
「は……繁殖……」
「?……人間の世界では繁殖行為とは言わないのか?」
「ぅ……ぅぅぅ……」
「ちょっとグレイ、もうやめてあげなさいよ……さすがに相手が『人間』でも、ちょっと可哀そうになってきたわ……」
思春期真っ只中にいる幼気な少女に、年上の男が無神経に性的な話を延々振っているのをさすがに見ていられなかったのか、マシロが嫌々ながらも助け舟を出してくれる。
何度かしばたたかれる黄金の瞳は、なぜマシロに止められたのか、よくわかっていない様子だ。「疎い」と本人が言っていた通り、女性の気持ちの機微などにはとことん疎いのだろう。
「ま、マシロさん……こ、こんな人と、結婚したいんですか……?」
「はぁ?何言ってんの、当たり前でしょ?」
コソッ……とグレイに聞こえないように獣耳に向かってささやくと、思い切り不機嫌そうな表情が返ってくる。
「えぇ……でも、デリカシー……」
「そ、そりゃぁ、ちょっと、女心には疎いところもあるかもしれないけどっ!でも、それを補って余りあるでしょう!?」
「……例えば……?」
「まずあの外見!!!死ぬほど格好いい!!!」
(――あ。あれ、<狼>の世界でも格好いい部類に入るんだ……)
美醜の感覚が共有できるとは思っておらず、妙なところに感心してしまう。
すがすがしく面食いであることを宣言したマシロは、さらにどこか勝ち誇ったように言葉を続ける。
「顔も身体も最高クラス!そのうえ、あの圧倒的な強さ!赤狼にも劣らない聡明さ!それでいてまったく驕らない謙虚なところ!<狼>全種族を等しく慈しみ大事にする優しさ!どんな時もドンと構えてて冷静で焦らないし、声を荒げて怒ったりしないし、年上の包容力が半端ない!とにかく器がでかいわ!」
「は、はぁ…」
「彼と番ったら――間違いなく優秀な子孫を残せそうでしょ?」
「――――――は…はぁ……」
やはり、どれほど見た目が人間と変わらないように見えても、根源的なところはオオカミの習性が色濃い、と言っていたグレイの言葉は本当だった。愛だの恋だのではなく、優秀な子孫を残せるかどうか、が重要指標になっているらしい。
文化の違いに困惑しながら呻くようにうなずくと、くっくっくっ、と前を行くグレイが笑いを漏らした。
「誤解するな、ハーティア。マシロは少し変わっている」
「え?」
「<狼>にも、愛だの恋だのはある、と言っている。優秀な遺伝子が欲しいだけだ、というマシロのほうが少数派だ」
「知的好奇心よ。あなたのそのずば抜けた能力の秘訣が知りたいの。族長クラスの<狼>と番った時の子供の能力も、ね。赤狼は、<狼>族の"お医者さん"だけど――学者的側面もあること、知ってるでしょう?」
「そうだな。お前は特にそれが強い」
「だから、気になるの。今までの子種をあげただけの子供じゃなくて、"番"との間の子供の能力が、ね」
(待って待って待って、なんだかものすごくアダルティな会話がなされてない!!?)
ハーティアは口を挟むことも出来ずに真っ赤になりながらうつむく。<狼>の性的事情に、深く突っ込む勇気はなかった。
すると、前を行くグレイがぴたりと徐に足を止める。
「さて。では、入ってこい。――私はドアの前にいる」
「ぁ…う、うん」
どうやらここが風呂場らしい。扉を開けて中に入ろうとすると、グレイがマシロに声をかけた。
「マシロ。わかっていると思うが、もしハーティアに何かあったら――」
ぞくりっ……
背後から飛んできた声音だけで、背筋が寒くなりピンッと伸びる。先ほどまでの穏やかでどこかのんびりした長老のイメージが、一瞬で吹っ飛んでいく。
「わっ……わわわわかってるわよっ…!」
「……ふむ。私が危険だと判断したら、問答無用で押し入るからな」
「っ……!」
空間を転移できるグレイにとって、鍵のかかった扉など何の意味も持たないだろう。ひやりとした温度を感じさせない声音に、マシロがぐっと息を飲む。
もしも――もしも、戯れにでも、ハーティアに危害を加えるそぶりの一つでも見せようものなら――グレイは、きっと、何のためらいもなく、マシロを手に掛けるだろうということが、ありありと予想できてしまった。
その時は、マシロが南の族長であろうがなんだろうが、関係ない。ある程度の年月を共に族長として過ごした絆すら、どうでもいい。
そんな覚悟を感じる声音に、マシロはもう一度悔し気に奥歯をかみしめて、ハーティアの背中を押した。
「さっさと入りなさいよ!あんた、臭いの!」
「えっ!?あ、ご、ごめんなさいっ……!」
それは、八つ当たり以外の何物でもなかったが。
マシロはさっさと脱衣所にハーティアを押し込んでいったのだった。




