族長会議④
「マシロの言う通り、この千年、縄張りを不在にすることは幾度となくあった。……そういうときのために、私は、お前たちの村の周囲に――外からの侵入者を防ぐ戒を展開させていた」
「侵入者を……防ぐ……?」
「あぁ。獣も、ヒトも、<狼>も――千年前に私がその戒を張った時点で中にいた存在以外は、あの領域には、私が許可を与えた者しか戒の外から入ることが出来ぬ」
「で、でもそれじゃあ、村人も――」
「かなりの広範囲に張ってあった。ほぼ黒狼と灰狼の縄張りの際くらいからだ。お前たちが生命活動を営める程度に――中で狩りをして、採集をして生きていくのには、十分すぎるほどの範囲だった。日常生活の中でうっかり外に出るなどということはないだろう。そうして千年、お前たちの集落を守ってきた」
「……もし、グレイが許可してないものがその戒に触れたら、どうなるの……?」
「どうもしない。ただ、転移するだけだ。――戒が張られた反対側の森へと」
白狼の縄張り――グレイの縄張りそのものを、万物すべて、問答無用ですり抜けさせる、という感覚に近いだろう。
「じゃぁ…グレイが、許可していたのは――誰――…!」
「……そう激昂するな。私もそれをこの場で議論したいと思っていた」
グレイが許可を出したものだけがあの集落にたどり着けるのであれば、端的に、その存在が村を滅ぼした犯人だろう。瑠璃の瞳に仄暗い憎しみの炎を宿したハーティアを静かに制しながら、グレイは円卓に集う族長たちへと向き直る。
「私が縄張りに入ることを許可していたのは、『夜水晶を持ったもの』だけだ」
「――――!」
「儀式で縄張りの外に出る必要のある、月の子らの族長だけが、きちんと村に帰れるようにとその縛りを設けていた」
ごくり…と唾を飲んだのは誰だったのか。
「それが昨夜、決してあり得ぬことだが――私の『月の子』らの集落が襲われた。『ヒト』だった」
グレイの声が低くなる。その場にいる全員が、その押し殺された低い声に固唾を飲んで聞き入った。
「たとえば、戒が張られた境界で――夜水晶を持ったものが中に入る。そのまま、戒の外にいる物に、戒の中から夜水晶を手渡すとしよう。さすれば、受け取った者は戒の中に入る事ができる」
「…………」
「それを繰り返せば、何人だって入る事ができるだろう。武装した集団が、不可侵の領域に侵入したカラクリは、それ以外考えられない」
グレイは淡々と低く言葉を紡ぐ。彼が口を開くたび、室内の空気がズン…ズン…と音を立てて重くなるようだった。
「夜水晶を手に出来る可能性のある者など限られていた。各月飼いの代表者たる族長は勿論――今、ここに集う各<狼>の族長ならば、それを己の縄張りの<月飼い>から、何らかの理由で預かり管理することもあり得よう」
ビクリ、とマシロの耳が動く。グレイは冷静に、円卓に座る一人一人の族長の顔を順々に見渡した。
「夜水晶を持つ可能性のあるそれらの存在は、信頼出来るものばかりだ。万に一つも私の『月の子』に手を出すことなどあり得ぬ、と思っていたが――事態は重い。気は進まぬが、疑いを持たざるを得ない状態だ」
「っ――――まっ、待って!」
堪えきれなくなったのか、マシロが声を上げた。その可愛らしい面からは完全に色が失われ、獣耳は情けなく垂れ下がり恐怖に震えている。
「た、確かに私は南の夜水晶を代わりに管理してる……!でも、私はそんなことしない、するわけない!」
「――――――」
「そ、そんなこと言うなら、クロくんだって、ナツメを使えば簡単に手に入れられるでしょう!?セッちゃんが守ってた集落から奪われた水晶が使われた可能性もある…!ううん、それが一番可能性が高い!私達の中に裏切り者がいるなんて、そんな――」
「奪われた水晶が使われたとしても――あまりにも、タイミングが良すぎる」
氷よりも冷たい声音が、室温を急激に冷やした。
「マシロ。賢いお前は、すでに気付いているのではないか?――黒狼の件から全て、繋がっているかもしれないということに」
冷ややかな声に、マシロがふるっ…と小さく身体を震わせた。
グレイは少し視線を下げて言葉を続ける。
「仮に私の縄張りに、西の<月飼い>から奪った夜水晶を使って武装したヒトどもが入り込んだとして――私が領域内にいさえすれば、どこにいようとすぐに気が付く。一瞬で転移する。壊滅などということにはなりえない。――だが実際は、まるで図ったように私の不在を狙われた」
「――――……」
「今回の私の不在は、完全にイレギュラーな事態だった。事前に予見できたはずがない。だが、西への襲撃が、夜水晶を手に入れる目的たけではなく――各族長を、私を、それぞれの縄張りから引き剥がすことが目的だったと考えれば合点がいく。結果、私は事態に気付くのが遅れ――大事な『月の子』らを失った」
「…………」
先程まで威勢が良かったマシロは再び視線を落として項垂れている。恐らく、指摘されるまでもなくその可能性には気づいていたのだろう。
「ここまでくると、そもそも襲撃者たちの狙いが夜水晶なのかどうかも怪しくなってくる。水晶が欲しいだけなら、集落に火を放ち、混乱に叩き落す必要などない。そもそもが夜襲だった。<月飼い>たちは寝静まっていたはずだ。静かに、夜盗よろしく長の家にあたりをつけて侵入し、外れなら騒がれる前に殺し、当たりならその家の者だけを殺して奪う方が、はるかに楽だろう。――反撃に遭うリスクも少ない上に、村人すべてを惨殺するなど、時間がかかりすぎる。もし、私の不在を予見していなかったとしたら、お粗末な計画にもほどがある。私の戒をすり抜けるために夜水晶を用いることを思い付くような者が、そこまで間抜けとは考えにくいだろう。――私の不在を見越して、一晩程度は決して帰ってこないと踏んでいた証拠だ」
「つまり、何が言いたい」
クロエが、静かにグレイへと問いかける。漆黒の三白眼が、ジロリと白狼を見やった。
「北の襲撃は、『夜水晶』を奪うことではなく――そこに住む<月飼い>全員を殺すことそのものが目的だったのではないか、ということだ」
ガタンっ……
ハーティアが、思わず腰を浮かして立ち上がる。グレイはちらり、と視線だけでそれを見た後、青ざめたまま二の句を告げないハーティアをそのままに言葉を続ける。
「そうすれば合点がいく。西が先に襲われた時点では、集落の壊滅よりも『夜水晶』を奪うことが本来の目的だったのだろう。だから、灰狼を使った。――『人間』など使えば、黒狼が守護に来た瞬間、返り討ちだ。迅速に集落を蹂躙し、目当てのものを奪取する必要があった。黒狼が来た時の対策も考えなければいけない。そのため、戦闘種族たる灰狼を使ったのだろう。すべては『夜水晶』を手に入れ、私を縄張りから不在にし――その隙に、北の縄張りに、入るために」
グレイは一度瞳を閉じて肺の中の空気を吐き出す。
ゆっくりとその瞳が再び見開かれたとき――絶対王者の威厳と力を持った視線が、その場にいる<狼>たちの族長を刺し貫いた。
「誰よりも信頼に足る子らを疑うのは心苦しいが、仕方ない。――現時点では、誰も信頼に足るものはいない。ここまでの大掛かりな計画を、族長クラスの関与なしに行うなど、不可能だ。――今申し出るなら、族長権限を剝奪し、本人の命のみで片を付け、従う種族には罰則を与えぬと約束しよう」
ひゅっ……と息をのんだのは、誰だったのか。触れた瞬間ざっくりと斬れるほどの鋭さを持った厳しい視線が、ひたりと族長たちへと注がれる。
「ま……待って、待ってグレイ……わっ……私は、関係ないっ……!」
「――――ほう?」
青ざめて耳を垂れさせたマシロが、震える声を絞り出した。
「グレイが言いたいことはわかってるつもりよ……確かに、怪しい。セッちゃんが言っていることが本当なら、灰狼を意のままに操れるクロくんが一番怪しいし――でもそもそもセッちゃんが言っていること自体、本当かどうか、生存者がセッちゃんしかいない以上、証明する術はない」
「なっ――マシロ!?僕が嘘をついているっていうのか!?」
「じゃあ証明してよ!本当だって、誰の目にも明らかなように証明して!少なくとも、クロくんは知らない、って言ってる。どっちかが正しいことを言っているなら、どっちかが嘘をついてるってことになるでしょう!?セッちゃんが嘘をついている証明はできないけれど――クロくんが嘘をついていることも証明できない!だから、二人は今、等しく怪しいの!」
キッと睨むようにして声を荒げるマシロに、ぐっとセスナは押し黙る。――死した屍は何も語らない。目撃者を用意できない以上、客観的な証明など不可能に違いなかった。
「なんの意図があってそんなことをするのかは全くわからないけれど、クロくんかセッちゃんが黒幕だっていうなら、グレイが言った話が通る……夜水晶の秘密を知っていて、グレイを含む族長全員をここに呼び出すことが出来るのは、私たち族長だけだもの」
ハーティアは、青い顔で二人の<狼>を見やった。どちらも、押し黙ったまま口を開く気配はない。何を言っても、説得力のある材料がないとわかっているのかもしれない。
「で、でも、私はそんなことをする必要がないっ……!」
「ほう……?」
「だって――だって、私は最初から、南の夜水晶を持っているもの……!私は、わざわざ西の<月飼い>を襲って夜水晶を奪う必要性がない!」
「……ふむ」
「だから私が関与しているなんてありえない――う、疑わないで、グレイ……!」
可憐な獣耳を持った少女が蒼白の顔で必死に訴えるさまは、見る者の憐憫を誘った。ハーティアは思わずグレイをうかがうように見て――その表情に、息をのむ。
そこにいた白狼の族長は――その姿を見ても、眉一つ動かすことは、なかった。
「マシロ。確かにお前は、夜水晶をわざわざ奪う必要はないかもしれない。その点では、ほかの二人よりも、疑惑が少ないのは確かだろう」
「そ、そうでしょう!?だから――」
「だが――お前は他の二人よりも、『動機』に心当たりがあるだろう」
「――――!」
ハッ……とマシロが目を見開いた。
グレイの黄金の瞳が、マシロのオッドアイを正面から見据える。
「お前は、この中で一番――『人間』を嫌っている。ヒトも<月飼い>も等しく『人間』だと言って、憎んでいるな」
「な――……で、でも、それは――」
「今回の目的が、夜水晶ではなく、<月飼い>を殺すことにあったとしたら――この中で一番、動機がはっきりしているのは、お前だ。マシロ」
ビクンッ……とマシロの薄い肩が跳ね上がる。唇を真っ青にして、小さく震えているようだった。
しん……と気まずい沈黙が下りた後、グレイは深く嘆息した。
「とはいえ、どれもこれも決め手に欠けるのは事実だ。クロエやセスナが関与しているとすれば、動機に心当たりがない。マシロが関与しているとすれば、行動に矛盾が生じる。――だが、現段階で、お前たちを無罪放免というわけにはいかない」
「――――……」
三者ともが押し黙る。圧倒的強者の言を前に、何も言い出せない雰囲気が、そこにはあった。
「現状で、お前たちを群れに帰すわけにはいかない。しばらく、ここにとどまってもらうぞ。その間、単独行動は許さん。必ず、誰か他の族長と行動を共にしろ。私に許可なく単独行動をした時点で、やましいことがあると見なして断罪する」
ごくり……と息をのむ音が聞こえて――重苦しい沈黙を破って最初に口を開いたのは、灰狼の族長クロエだった。