カペラとシトリン
お久しぶりです。
今日は仕事の日だったことを忘れて、寝過ごしそうになり、カペラは頭が真っ白になった。
いつも履いているブーツは、紐を結ぶ暇も惜しくて、いつ買ったかもわからない
古い短靴を足につっかけて、リニアとマグノリアに挨拶もそこそこに家を飛び出す。
「頑張ってこいよ~」
とのんきに朝食を食べるリニアを恨めしげに見て、石畳を駆けだす。
野菜や果物や雑貨を売っている朝市を、今日はあわただし気に走る。
いつもだったら、品物を眺めて、いいものがあればマグノリアにお土産で買っていこうと
思って買っていったり、リニアが好きそうなお酒があれば、お金を払って
家に届けてもらったりするのだが、今朝はそんな余裕がない。
履きなれない短靴は走りづらくて、脱いで裸足で走った。
(急げ急げ!)
足の裏が切れたような気がするが、かまっていられなかった。
周りの人は、訝し気にカペラを見ては通り過ぎて行った。
裏道に入り、小さな森につくと、ラピスラズリの工房までもうすぐだった。
見覚えのある工房が見えて、戸を開けて中に入る。
中では、ラピスラズリが鉛筆でキャンバスに鉛筆で下描きをしていた。
青い目を丸くして、カペラを見た。
「そんなに急いで、どうしたんだ?」
ラピスラズリは、カペラのところまでかけてきて尋ねた。
「お、おくれそうに、なって……寝坊して……」
しどろもどろとカペラは答えた。
「遅れそうにって……いつも来る時間よりも30分も早いぞ」
キョトンとした顔でカペラはラピスラズリを見る。
そして、足元を見て、目を見開いた。
「足が血だらけじゃないか。どうしたんだ?」
30分早い、という言葉が頭の中をぐるぐると回った。
(30分早い? そういえば何か、忘れているような……)
だんだんと今朝のことを理解し始めて、カペラは顔を赤くした。
『明日で雇ってもらって7日目で、ラピスラズリにお礼を持っていきたいから、早く起きないと』
昨日自分が言ったことを思い出して、その場に頽れた。
耳まで赤くして、顔を伏せた。
お礼を買っていこうとして、それで早く起きようと思い、起きる時間をマグノリアに知らせたのだ。
この時間になっても起きなかったら、起こしてほしいと。
「わ、忘れていた……」
小声で言って、ついには耳まで赤くなった。
「何があったかは知らないが、それだと足が痛いだろう。手当てするから、こっちに来て座れ」
ラピスラズリに促されて、木で作られた椅子に座る。
簡素なつくりの椅子は、あめ色になっており、長いこと使われていると思われた。
古いが清潔な布は水でぬらされて、カペラの足の血や汚れをゆっくりと拭き取っていく。
濡らされた布は、火照った足にひんやりと心地よく、カペラは静かに息を吐いた。
「実はね……」
今朝起きたことをラピスラズリにゆっくりと話していくと、ラピスラズリは笑いを耐えるように
プルプルと震えていた。
傷をきれいに洗い、塗り薬を塗りながら、ラピスラズリはクスクスと笑い出した。
「自分で決めておいて、自分で忘れて慌てるなんて、そんなこともあるんだな」
笑いながら包帯を巻き終えて、鉛筆で薄くキャンバスに下描きをしていくラピスラズリを
カペラは呆然と見る。
心底面白い、という目でカペラを見るラピスラズリの目は、面白い人を見る目と同じだった。
「面白い次いでに、変える用の鉛筆を削ってくれないか。
カッターは鉛筆が置いてあるところに一緒にあるから、それを使っていい」
机の上に並べられていた、先が丸くなった鉛筆が置いてある台のところにいって
ひたすら鉛筆を削っていく。
シュッシュッと音を立てて、芯は細くとがってゆく。
「あと、あの短靴は足に合わないだろうから、俺のお古でよければそれを履くと良い」
さりげなくラピスラズリはそう言って、収納から古くもよく手入れされた革靴を出してくると、
カペラのそばに置いた。
「え? あの靴、俺に合わなかったの?」
「埃まみれだったし、手入れも碌にしていなかっただろう? 革が固くなっていた。
合わない靴を履いて走れば、痛くなるし、歩きにくいだろう。これを履いて帰れ」
言いおいて、ラピスラズリはまたキャンパスの前に戻った。
さらさらと、薄い線がキャンパスに描かれていき、絵になっていく。
その様子を見ながら、カペラは靴を履いた。
大きさはぴったりで、足によくなじんだ。
朝に履いた短靴とは大違いだ。
「あ、鉛筆削れたよ」
「絵の具が置いてあるそこの机に、置いておいてくれ。そこにあるのは全部削っていい」
ひたすらに鉛筆を削っていく。
小さくなった鉛筆は、すぐに捨てられるように、机の端に寄せておいた。
「小さい鉛筆はどうする?」
「それはもう捨てていい。使いづらいだけだ」
「わかった」
削りながら、ラピスラズリの様子をうかがう。
青い切れ長の目に、白い肌はひどく冷たい印象を受ける。
謎めいた雰囲気を彼はまとっているが、気遣いのできる、話していくうちに印象が
変わっていく人だとカペラは思う。
カペラの血だらけの足を見た時の顔は、唖然とした中に、痛みに顔をゆがめたような表情が
見て取れた気がした。
(不思議な人だよな)
人知れず街にやってきて、画材を買って、そっと工房に帰ってゆく。
画材を売った人は、その買っていった人が、ラピスラズリだとは知らない。
誰も、画家としての彼の顔を知らないのだ。
小さくなった鉛筆をゴミ箱に捨てながら、真剣な顔をしてキャンバスに向かうラピスラズリを見る。
ラピスラズリは、鉛筆を机に放りだすと、思い切り背伸びをして言う。
「飽きたから、掃除と整理整頓を手伝ってくれ」
その言葉を聞いて、カペラは目を白黒させた。
まさか、ラピスラズリの言葉から飽きた、という言葉が出てくるとは思っていなかった。
市場に出た後の6日間は、仕事、というよりも、ラピスラズリの話し相手や
家事の手伝いをすることのほうが多かった。
今まで気が付かなかったが、部屋の中にはだいぶ埃がたまっていて
床には丸められた紙が投げ捨てられていた。
(なぜ今まで、気づかなかったのだろう?)
ラピスラズリと話すのが楽しくて、気にしていなかったのだろうと思った。
「洗濯籠に放り込まれている服は、いつのものか、考える気にもならない。
たまに洗濯屋に持っていくが、持っていくのを忘れることのほうが多いな」
ケラケラ笑いながらそんなことを言うので、カペラは頭の中で、掃除の手順を
組み立ててゆく。
「1人で暮らしているから、なかなか掃除する気にもならなくて、あらかじめ来客があれば
床を掃くくらいのことはするさ」
「そういう友達がおれにもいるが、汚いと何もやる気にならないのじゃないか? 家に帰るのが
嫌になるとか、ならないのか?」
カペラはそう問うたが、ラピスラズリはカペラの問いかけに答えず、1言こう言った。
「掃除道具なんて、うちには箒くらいしかないぞ。古くておんぼろな箒だ」
なぜ箒しかもっていないんだ? という疑問は心の隅に置いた。
「掃除道具を一式買ってくるから、籠を貸してくれ」
カペラはそれを聞くなり、ラピスラズリからもらった短靴を履いて、買い物かごを持ち
市場に買い出しに出かけた。
「籠の中に入っている銅貨を使っていいぞ。銀貨も入ってる」
そういわれて送り出された。
(雑巾と、バケツを買わないと。あと塵取りも)
朝に駆けてきた森の中を歩く。
チチチ……と、鳥が鳴いていて、風が木々を揺らしていく。
風が心地よく、気分もよかったので少し早歩きをしたら、ピリッと足が痛んだ。
てくてくと歩いて、街に向かう。
街についたのは昼の少し前で、街はにぎわっていて、どの店で箒を買おうか迷っていた。
なぜラピスラズリは箒しか持っていないのかが疑問で、頭の中で答えを探しながら街中を歩く。
(待てよ。古くておんぼろ、ということは、箒も買うのじゃないか?)
掃除道具を一式買う、という課題を目の前に突き出されて、カペラは頭を抱えた。
心なしか籠の中に入っている銅貨と銀貨が重い。
あの時は、リニアが近くにいたから掃除道具を持って帰れたが、今日は自分1人なのだ。
どうやって一式の掃除道具を持って帰ろうか。
(おんぼろな箒も使えないことはないかもしれないけれど、箒の状態を見てから
買い出しに来ればよかった)
ふう。と、息をついて、リニアときた店を見つけて入ってゆく。
塵取りと雑巾、バケツを買い、両脇に抱えて外に出た。
(ぼろい箒が使えることを祈って、箒は買わなかったけど……)
箒を買わずに出てきたが、それでも重かった。
何とか両手で抱えて歩いていたカペラの目に、木でできた簡素な看板に描かれた文字が
目に飛び込んでくる。
『コキア』
ホウキギと呼ばれるコキアが、これまた簡素な木で作られた台に、大雑把に並べられていた。
コキアはきれいな緑色をして、丸くかわいらしく植木鉢に植えられている。
値段も高くなく、銅貨5枚で買えることに気づいた。
「これだったら、季節が終わったら箒に作り替えられるな」
しかし、両手がふさがっており、買うことができない。
困り果てたカペラは、諦めて帰ろうとした。
「お兄さん、荷物持ちましょうか」
高い声がカペラを呼び止めて、振り返ると、黒髪の長い、騎士団の服を着た
少女が立っていた。
(騎士団の子? にしては……なんだか若い?)
「わたし、見習いなので、時間はたくさんあるの。そこのコキアを買いたいんですよね?」
よく見てるなぁ、と感心しながらカペラは荷物を渡そうとバケツを持った手を伸ばす。
「これ、持っててもらっていいかな? そう。そこのコキアが欲しいんだ」
差し出したバケツを少女は笑顔で受け取った。
「もちろんですよ」
カペラは笑顔で頭を下げてから、店主に声をかけて、コキアを買う。
ふんわりと丸いコキアを片手で持ち、少女のもとに戻る。
「家はどこですか? 一緒に持っていきますよ」
少女はカペラにそう申し出てから、名乗る。
「わたし、シトリンといいます。竜騎士見習いです」
シトリンは、長い黒髪を揺らして一礼をした。
礼儀正しく口調も丁寧で、見習いと言いつつ、1人前の騎士のようにふるまう彼女に
カペラは少したじろいだ。
「おれは、カペラと言います。ラピスラズリの手伝いをしてます」
カペラは、少しもたついて、名乗り上げた。
「え? ラピスラズリって、あの有名な画家の……」
まじめな空気をまとっていたシトリンは目を輝かせた。
「お名前は、カペラさんですね? カペラさんすごい!
じゃあ、カペラさんは、お手伝いということは、絵がお上手なんですか?」
「いや、おれは絵は描けないよ。色を作るのとかは得意なんだけどね」
シトリンは腕にバケツをかけてカペラの隣に並んだ。
2人で並び、ラピスラズリの工房を目指して、道を歩いていく。
「シトリンさんは竜騎士ってことだけど、どういう仕事をするの?」
カペラからの問いに、シトリンは少しうつむいて答える。
「わたしはまだ見習いだから、大体は訓練で1日が終わるんです。
自慢じゃないけれど……いや、自慢かもしれないけれど、わたしは、周りから優秀と言われて
育ちました。座学も、あっという間に覚えて、剣の使い方も、槍の使い方も、斧ですら
扱い方や、使い時を覚えました」
カペラは、時折うなずいて話を聞く。
風は、サラサラと流れてゆく。木漏れ日が、シトリンの黒髪を照らした。
「それはすごい。人並だけど、おれも、優秀だと思う。竜に乗って、平和を守るのだもんね
すごいなぁ」
カペラに褒められたシトリンは、頬を少し赤くした。
そして、胸を張って、照れながらそれほどでも、と謙遜をする。
「専用の槍とか、あるの?」
シトリンはカペラの問いに少し考えてから答える。
「ありますよ。名前を掘って、更に目印に目立つ色の布を巻く人とか。
飾り紐を巻くだけの人とかいます。特に武器に規定はないので、絶対手元に戻ってくるように
飾り紐に自分の名前を刻んだ木製の小さいプレートを括り付ける人もいます」
「騎士団は、結構自由なんだね」
「自由ですね。使えれば、何でもいいって言うような感じですから。
それに、武器は使い慣れた物が1番ですし」
「もしかしたら、奉公に出る子供たちが、弟子入りする職人よりも自由かもしれません。
上流階級の子たちが通う学校より自由かも」
こそこそ、とシトリンは耳打ちする。
「今は治安維持とか、大司教の守護とか、そっちのほうですね」
胸を張ってシトリンは言う。
平和なのはいいことなので、それについて言及することはないのだ。
「見習いの騎士でも、治安の維持は任されてる仕事の1つです」
この街を守ってるのはわたしたちだぞ、と、シトリンのオーラが得意げに言っているのが見えて
カペラは微笑ましくなり、ニコニコとうなずいた。
(年齢はマグノリアに近いかな。シトリンのほうが少しだけ年上かもしれない。
随分しっかりしているなぁ)
初めて会ったばかりだが、話しぶりから、てきぱきとまじめに訓練をしているのが
想像できるくらい、シトリンはしっかりしていた。
気が付けば、ラピスラズリの工房の近くまで来ていた。
「もう少し話を聞いていたいけど、工房がすぐ近くだから、この辺で大丈夫だよ。助かったよ」
「そうなんですか? 困っている人を助けるのも、騎士の務めですから! 気にしないでくださいっ」
前髪は眉のあたりで切りそろえられており、立ち居振る舞いもキビキビしている。
いかにも生真面目な彼女だが、褒められるのはうれしいらしい。
手に持っていた荷物をおろしてから丁寧な一礼して、彼女はその場を後にした。
カペラは、その後姿を見送ってから、荷物を引きずり、工房の中に入っていった。
「ただいま」
おかえりと、ラピスラズリが出迎えて、カペラは箒はどのような状態か訊くと
ああ、と当たり前のようにラピスラズリは部屋の隅をさした。
「ああ、箒ならあそこにぼろいのがあるぞ」
箒は、シダがまとめられて作られたものだったが、持つところがボロボロなうえに
掃く部分が抜けてスカスカだった。
カペラは外からよくしなる若木の枝や、シダを持ってくると
無言で修理をし始める。錆びた針金をほどき、代わりに丈夫な紐でしっかりと結ぶ。
柄の部分は、ぼろ布をきつく巻いて、手に刺さらないようにした。
「これで何とか使えるだろう」
汗をぬぐったカペラは、目を丸くした。
夢中で箒を修理していたら、夜になっていたことに気が付いた。
「え、もう夜?」
思わず声に出すと、ラピスラズリは楽しそうにカペラに声をかける。
「カペラが修理しているところが面白かったから、声をかけずに見ていたんだ。
いつ、夕方を通り過ぎて夜になっていることに気が付くかなって」
そういいながら、金貨と銀貨を入れた布袋を手渡す。
「これ、箒の修理代と、新しい掃除道具代の金貨」
ちょっと多めに入れておいた。
そう小声で付け足して、気を付けて帰るように促した。
手に持った布袋が前にもらったものより重くて、カペラは目を白黒させた。
ほんわりと丸いコキアを横目に、また明日、と挨拶をしてラピスラズリの工房を後にした。
「暗いから気を付けて帰るように」
ラピスラズリは、そういってカペラを見送った。
シトリンちゃん、かなり気に入ってます




