竜騎士シトリン
今回は見習い竜騎士の話
長く黒い髪を靡かせ、エメラルド色のうろこの竜の背に乗る少女は、少し曇った表情をしていた。
竜は力強く羽ばたき、風を切って空を飛んで行く。
革でできた丈夫な手綱を、左手でしっかりと握りしめ、右手では腰に携えている
短剣が風で飛ばされぬよう、抑えていた。
少女の名前はシトリンといい、とても賢く、優秀な竜騎士見習いだった。
彼女は14歳であり、最年少の竜騎士見習いだ。
『わたし、お母さんみたいな騎士になる!』
そう、家族に公言したのは5歳の時。もう9年も前だ。
母は、17歳で見習いの竜騎士になった。
母を目標とし、必死に勉強をして、母よりも3年も早く見習いとして騎士団に入隊した。
15歳で1人前の人として見られるので、あと1年で1人前の娘になることが出来る。
見習いから、半人前の竜騎士になることが出来る。
そう思っていたのに、ちょっとした不注意で、自分で作ったベルトに傷をつけてしまった。
「私としたことが……!」
岩で引っ掛けて、切れそうになっていた革のベルトが切れてしまったのだ。
短剣も飛ばされそうになっており、早く村の近くにある、駐屯地に降りたかった。
「ごめんね、ガレオス……短剣が飛ばされないように、もう少しゆっくり飛んで」
そういって、手綱を強く引っ張る。
ガレオスと呼ばれた竜は、速度を落とし、バッサバッサと緩やかに羽ばたいた。
竜はふつう、深緑色か、焦げ茶色のうろこを持つが
ガレオスは鮮やかなエメラルド色をしていた。
(今日はお休みだからって、調子に乗りすぎたなぁ)
今日は、川に遊びに行った。
そこで、岩の間にある、きれいな藍色をした石を見つけたので、上半身をねじ込んで
石をとろうとしたのだ。
シトリンは、石を集めることが好きで、いろんな色の石を集めて
眺めることが好きで、今日見つけた石も、深い青色の、ずっと見ていても飽きないであろう物と
想像も容易かった。
目的の石を手に入れたのはよかったが、抜けなくなってしまい、焦った。
何とか抜け出した時には、顔や腕は擦り傷だらけになり、ベルトはちぎれる寸前。
そして、今は、風にあおられて、ちぎれてしまった革のベルトが、腰に引っかかっている。
(1人前の竜騎士は、こんな失態はしないのに!)
シトリンは情けなさで、ため息をついた。
「わたしは、完璧な竜騎士になるのよ!なのに、こんな失態を犯すなんて!」
思わずガレオスに愚痴を吐く。
ガレオスは、少し低い声で鳴くと、駐屯地を見つけて降りて行った。
「ああ! ついた! よかったぁ」
ほっとして、地面に降りたガレオスから、そっと降りると、竜騎士の宿舎に行く。
消毒液と、制服を借りようとした。
宿舎の前では、母の知り合いであるスピネルが、窓ガラスを拭いていた。
思わずほっとして、声をかける。
「スピネルさん」
名前を呼ぶと、スピネルは振り返る。
手には革ベルトを持っていて、スピネルはシトリンの姿を見ると、目を丸くした。
「シトリン、久しぶり。どうしたの?! その格好……」
擦り傷だらけの腕や顔に、擦り切れた服、ちぎれた革ベルトを持っているシトリンの姿を見るなり
スピネルは、彼女に駆け寄り、擦り切れた服や、頬を見て
手当をしようと自分の部屋がある宿舎に連れて行った。
ガレオスは大人しく、その場にいたが、やがて別の竜騎士が竜舎に連れて行った。
「消毒するから、そこの椅子に座ってて」
ベッドと、机に灯りを点ける用のカンテラが置かれていた。
その横に椅子が置かれ、かわいらしい小物や、装飾品が少しだけ乱雑に置かれた棚が壁沿いに
設置されている。
そして、本棚には、画集や絵本が並べられている。
スピネルは傷口を拭くための手ぬぐいと、水を用意している。
「どうしたの? そんなに傷だらけになって」
「えっと……」
装飾品や絵本を見ながら、なんて言おうか、シトリンは目を泳がせた。
(きれいな石を見つけたから取ろうとしたら、取れないところにあって、体をねじ込んだら
擦り傷だらけになってしまいました、なんて言えない……)
ポケットの中に入れられた藍色の石を握りしめる。
擦り傷だらけなのは、とても恥ずかしいことが原因だったが、嘘をつくのは嫌だった。
シトリンは、正直に理由を言うことにして、口を開く。
正直に生きなさい、と、母からもいつも言われている。
「きれいな石を見つけたの。それで、拾おうとしたけれど、岩の隙間に合ったから
拾えなくて、無理やり、隙間に体をねじ込んで、拾ったら……」
このありさまで、と、シトリンは顔を赤くして、うつむいた。
最年少で騎士団に入団し、同期の中でも群を抜いて賢く、努力家であり、槍も、剣も使いこなせる。
鍛錬も欠かさず行い、戦を想定した盤面での戦略も練ることが出来る。
何事も完璧であり、一目置かれた自分が、まさか擦り傷だらけで母の知り合いから
手当をされているなど、誰も想像できやしないだろう。
「なるほどね~、シトリンは、昔から石が好きだったものね」
スピネルがくすくすと笑いながら、傷口をきれいに拭ってゆく。
水にぬらされた手ぬぐいの冷たい感触に、思わず顔をしかめた。
「あら、染みる? 痛い?」
顔をしかめたシトリンを見たスピネルは、少し心配そうに問いかける。
「ちょっとだけ染みる、けど、あんまり痛くない」
「ならよかった」
拭われたところから、消毒され、絆創膏が貼られていき、顔には3か所あて布が貼られた。
頬と、口の脇。それから鼻の頭。
「ありゃりゃ、いたずら坊主みたいね」
小さなあて布だらけのシトリンの顔を見て、スピネルは思わず笑った。
鏡を見て、つられてシトリンも笑う。
「申し訳ないのだけれど、上着を脱いでくれる?」
シトリンは、言われたとおりに、上着を脱いだ。
腕は2か所、それぞれ上腕部と、肘に擦り傷があった。
その部分も、丁寧に手当てされてゆく。
「上着は洗って返すから、乾くまで、外とかも歩いてのんびりしててよ」
上着は洗って返すといわれたので、半そでのまま、外を出歩いた。
ガレオスは、おとなしく、ほかの竜騎士からもらった肉を竜舎で食べていた。
「見て! ガレオス。私の顔傷だらけで、いたずら小僧みたいだよ!」
なんとなく、ガレオスに話しかけてみると、ガレオスは鼻面をシトリンの顔に押し付けてから、
うぉん、と、一声嘶き、また肉を食べ始めた。
大きな口に、肉はあっという間に吸い込まれていく。
「よーしよし、上着が乾いたら、早く帰ろう」
頭をなでながら、シトリンはガレオスに話しかける。
他の竜騎士たちは、訓練をしたり、竜に乗ってどこかに出かけたりしていく中で
ボルツダイヤは、自分は時間が止まっているような感覚を受けた。
ずっとせわしなく教練を受けていたので、本当にのんびりした気分なのだ。
草地がすぐ近くにあり、そこでごろんと寝転がる。
空遠く、竜騎士が舞い上がり、飛んでいるのが見えた。
(街の人からも、私はあんな風に見えているのかなぁ)
そんな不思議な心地で、シトリンはうとうと、目を閉じる。
頭の中で、どことなく聞いた歌が、流れた。
その歌を聴きながら、うたた寝をしてしまった。
「……ン、シトリン!」
名前を呼ばれて、慌てて目を開けて身を起こすと
スピネルが上着を手に、シトリンのすぐ傍にしゃがんでいた。
空はオレンジ色に染まり、訓練で飛んでいた竜騎士たちは、降りてきていた。
「上着乾いたからこれを着な。あと今日はもう遅いから早馬を飛ばして、訓練所に今夜はここに泊まる
って伝達しておいたからさ」
そういってスピネルは、シトリンを食堂につれていく。
スピネルは明るくて、ほかの騎士団員から人気だった。
「へぇ、スピネルにそんなにかわいい知り合いなんていたんだ」
彼女が紹介してくれたおかげで、シトリンは周りの騎士団員に歓迎され、おかずやらを
分け与えられていた。
はじめは断っていたが、断っても皿に勝手に載せられてしまう。
「シトリンって名前なのね、よろしく!」
「まだ見習いなのに、ずいぶんしっかりしているねぇ」
少しくすぐったい思いで、シトリンはふわふわとした心地で、その場で夕食を食べ
駐屯地に泊まった。
「スピネルさん」
スピネルの部屋に、シトリンは泊まった。
「ん? 何?」
「私のお母さん、私に一人前になるための試験を受けさせてくれないんです」
母であるカンパーナが、シトリンの指導員だった。
シトリンが、一人前の騎士団になるための試験を、いつも受けさせてくれない。と
枕に頭を預け、天井の木目を見ながら話した。
「試験? 受けられる年齢の15になるまで、あと1年あるじゃない」
「お母さんは、いつも部屋は散らかっているし、書類は出さないで忘れるし、マントは汚れているし」
遅刻はするし、お母さんより、自分のほうがしっかりしているんじゃないかとさえ、思う。
「お母さんより、私のほうが絶対、しっかりしてるって思うのに」
母はかたくなに、シトリンに試験を受けさせない。規定年齢がどうとかではなく
まだ、足りないものがある、と言って受けさせてくれないのだ。
「私から見たら、シトリンは完璧だと思うけど、きっとカンパーナなりに
伝えたいことがあるんだよきっと」
拗ねるシトリンを、スピネルは優しくなだめた。
「私は槍だけではなく、剣も使えるし、竜にだってうまく乗りこなせる。
ガレオスに乗ってどこにだって行ける。何が足りないのか、わかりません」
寝る前にいつも思う。
(私に足りないものは何?)
そう思っても心当たりが見つからない。
同機たちは、すごいとほめてくれる。
先輩たちも、素直に「完璧だ」と、ほめてくれる。
「もうっ!」
掛け布団をかぶり、そのままくるまった。
やれやれ、とスピネルは笑うと、おやすみ~、と声をかけて、カンテラの明かりを消した。
まだ続きます