採用試験 3
私と直江は、採用試験の帰り道白河羽鳥線、国道37号線を白河市方面に向け走っていた。
試験の結果は、不採用。でも、それで満足だった。
「親鸞って、そんなにスケベだったんだ」
「うん、異常性欲。ヘンタイだよ。普通の一般人なら問題は無かったが、親鸞は僧籍にある身だ。根がマジメ過ぎるぐらいマジメだったから、ずいぶん葛藤があったみたいだ」
「ふ~ん、葛藤ね。女体を妄想して悶々(もんもん)としていたということか」
「そうだね。それにしてもさ、開祖とか宗祖とかは誕生、事跡とか奇跡で飾り立てるだろう。空海が修行中に太陽が口に飛び込んで来たとか、日蓮が生まれた時海が割れたとか、お釈迦様は生まれて『天上天下唯我独尊』と上下を指さしたと言われている。
宗教には、奇跡が付き物だろう。それがね、親鸞の事跡は他の開祖とは異質なんだ。
煩悩まみれで、鬱々(うつうつ)として、失敗続きで苦渋に満ちた人生に見える。『歎異抄』という弟子が書いた書物が残っていて、愚禿と自らいう様子で窺えるんだ。悲惨だよ~」
「何だい、それ。そんなんでよく人が付いて行ったな」
「もちろん、そんな苦渋面ばかりしていたわけじゃない。法然からの他力本願のキーワード、『南無阿弥陀仏』をより深く掘り下げ、窮民救済、『衆生済度』というのだが、それに身を粉にして働くその真摯な姿勢に弟子たちが付いて行ったんだよ。その間に『教行信証』という難解な書も書いている。
その『光強ければ・・・』の強い光に惹かれるものがあったんだろう」
「『光強ければ、影は濃い』か、・・法然とは?」
「法然とは、親鸞の師匠。浄土宗の開祖。この人は高潔にして高邁なひと。絵にかいたような天才の非の打ち所がない僧侶中の僧侶。
源平合戦の平安末期から鎌倉初期に時期に末法思想があってね、釈迦の入滅後1000年間は教えが守られる『正法』の時代。次の1000年が形だけで中身が無い『像法』の時代。次の1000年が形も法も滅びて行く、法然や親鸞の生きていた『末法』の時代。
ところで直江さんは、恵心僧都・源信て知ってるかい」
「いや、知らない」
「では、『往生要集』は」
「どこかで聞いたような気がするけど・・・」
「『往生要集』とは地獄の様相を源信が書いたもので、六道、つまり地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の道を表したものなんだ。西洋にも似たようなものがあってね、ダンテの『神曲』が同じく、氷地獄、炎熱地獄、虫地獄など様々な地獄から天上界までを書いてある。これは、歴史の教科書に出てるから目にしたことがあるだろう」
「そういえば・・」
「騒乱で世が乱れ、父と子血みどろの殺しあい、飢饉や、飢餓、風水害、苛斂誅求など末法の世が現実の世界に末法の世の地獄絵図が現れたんだ。衆生は恐れ、慄き、悲嘆した。
そんな中で、比叡山とか三井寺、延暦寺などは巨大な利権をむさぼっていた。
例えば専売品だな。えごま油とか塩とか、衣類、農機具など先端技術は中国から寺院へと流れる。その巨大な利権と僧兵などの武力、そして権威。やりたい放題さ。
当然、衆生済度なんて眼中にない。
そこで、法然のやむにやまれぬ済度が出てくる。
『往生要集』の地獄絵図+(プラス)比叡山の膨大な仏典の中の『阿弥陀如来』の『南無阿弥陀仏』という他力本願=(イコール)西方浄土→(それは)浄土宗ということになる。
それを深化させたのが、親鸞の浄土真宗となるんだ。
当然、法然は大寺院の利権を脅かす者として弾圧される。親鸞も一緒に弾圧される。
法然は四国へ親鸞は越後への流罪となる。
親鸞は自分の異常な性欲を自覚してたようで、若いころは大いに悩んだそうだ。そこで、一念発起して聖徳太子ゆかりの六角堂に百日参篭を企画するんだ。
そして95日目、朦朧とする意識の中で親鸞は救世観音の夢告を得る。
それは『お前が宿報により女犯の罪を犯す時は、私が妻となって犯されよう。一生の間、お前の身の飾りとなり、臨終には極楽へ導こう』というもの何だ。すごいだろう」
「何だいそれ、ずいぶん気の利いたことを言う観音様だな~。へえ~」
親鸞が終生敬仰した法然は『一人で念仏できないというなら妻帯して念仏申しなさい。僧では念仏できないというなら、俗のままで念仏申せばよく、俗ではできないというなら、僧になって念仏申せばよい』と言った。
だけど、妻を娶れば新たなる煩悩が、子ができて親になってさらなる煩悩が、苦悩、苦渋、
艱難の人生が85年続いたんだ」
「けっこう、長生きしたんだ」
「良いこと、きれいごとばかり飾り立てる宗教者の開祖にしては、ずいぶんと人間味あふれる人物像だろう」
「うん、同感」