Pass1 二つ名 <<愚者>>
力と魔法が支配する緑深き大地<ガイア>
そこには人族が支配する3つの王国がありました。
数多部族が存在する中で、一番の勢力を誇ったのはヒューマンと呼ばれた人間。
武具を揃えて他部族を圧迫し、3つの王国を打ち立てたのでした。
神の眷属であった龍神を崇める人族の中に、信徒の少女が居ました。
彼女は15歳を迎えて成人となり、人々に教えを説く旅に出たのです。
青みを帯びたふさふさの銀髪を腰まで垂らし、シスターの衣装を纏い・・・
まだ年端のいかない少女が旅立ったのには・・・本当の目的がありました。
彼女は自分探しの旅に出たのです。
黄色いリボンで隠された・・・彼女自身の秘密を知る為に。
地下迷宮の最奥部に続く回廊で。
私は暗闇の中に居たのです。
暗い回廊より、もっと光の当たらない穴の底に。
暗いから自分の姿も確認できません。
どこかに怪我を負っているのか、痛むお尻が腫れているのかもしれません。
それに龍神様に仕えるシスターの衣装が乱れて、腰まで垂らした青みを帯びた銀髪に泥が纏わり着いていたのにも。
「ロッソさん、ガルシェさん、グスタフさん。
それに黒魔術師のケートさんは大丈夫なのかな?」
自分が落とし穴に引っ掛かったのを教える術なんてありません。
私がこの中に墜ちたのは・・・魔物達との戦闘中だったのですから・・・
「もしかしたら。私が連れ去られちゃったと思っているのかも」
旅の賞金稼ぎさん達とパーティを組んで、まだ1日と経ってはいませんけど。
仲間になった私を見捨てるなんて・・・思いたくもありませんでした。
「それとも・・・みんなが魔物にヤラレちゃった?」
そんな最悪な場合になっているのなら、私の運命もいずれは・・・
悪い予感が身体を強張らせてしまうのです。
だから・・・助けを叫ぶ事も出来ません。
大きな声を上げたら、魔物に感づかれちゃうかもしれませんので。
唯、何とかして落とし穴から逃げ出そうと藻掻き、穴の底から紅い瞳で見上げるだけだったのです。
5人の賞金稼ぎが地下迷宮へと挑んだ。
地下迷宮・・・いや、そこは苔むした洞窟だ。
入り組んだ洞窟の最深部にあるのは、地下迷宮を支配する者の住処。
暗闇に篝火が燈り、怪しげに蠢く者の影を模っている。
数体の得体の分らぬ者達が、大広間に集って何かを行っていた。
何かとは?
異臭漂う空間に居る者。
暗い闇の中で息衝くのは、人族とは違う存在だった。
地下迷宮の主達は近隣の町や村を襲い、住民達から恐れられた魔物。
金品を奪い、若い女性達を誘拐し・・・男達の命を奪ったと聞かされた。
「ぐるるぉ・・・」
人族とは違う、悍ましい唸り声が手下に命じた。
「ぎ・・・ぎぎぃッ」
数体の禍々しき影が応え、捕えた獲物を引き摺って行く。
大広間は血生臭い匂いで充満していた。
侵入して来た賞金稼ぎのパーティを迎え撃った結果。
男女数名のパーティは返討ちに遭った。
チーフらしい男は魔物によって惨殺され、彼を助けようとした戦士二人も後を追わされた。
残された唯一人の黒魔術師の女性は、抵抗虚しく魔物の虜になってしまった。
彼女は仲間達の無残な最期を目の当たりにして、放心状態のまま魔物達に住処へと引き摺られて行ったのだ。
なぜ?どうしてこんな目に遭わされなければならないのかと・・・失意の眼には恐怖より絶望だけが映っていた。
魔物達が巣食う地下迷宮に挑んだことを後悔しながら。
魔物が根城にする洞窟の存在。
魔物が住み着いた地下迷宮は、近隣の住民達を恐怖に貶めていた。
今度はいつ、自分に災禍が訪れる事になるのかと。
近隣の街や村を手当たり次第に襲って来るのを防ぐにはどうすれば良いのか?
町で生き残った者は熟慮の末、金を払って討伐隊を募ったのだという。
だが。
何個かの討伐パーティが赴いたが、全て失敗に終わったようだ。
勇気溢れる旅の者達や賞金稼ぎが地下迷宮へと入ったが、誰も帰っては来なかったらしい。
討伐は、帰還者が誰もいない状態では成功した筈もない。
全ての挑戦者が失敗したのは、未だに魔物達が徘徊している事からも容易に判断出来た。
そんな折、噂を聞きつけて来たパーティが街へやって来た。
十分に経験を積んだ数人の賞金稼ぎが、オーガクラスならば倒してみせると意気込んで乗り込んで来たのだ。
討伐を依頼した町や村の者達が危険を仄めかしても、パーティのチーフらしい男は気にもかけなかった。
自分達に任せておけと豪語するだけ。
それよりも成功報酬に興味を持つだけだった。
依頼した者達は、今度もどうせ無駄に終わるだろうとは思った。
でも、パーティが地下迷宮に向かえば、少なくともその間だけは魔物は出没しなくなると踏んだようだ。
なぜなら、そのパーティには二人の女性がいたからだ。
向う見ずなチーフは、地下迷宮へと向かうと断じた。
5人の賞金稼ぎが街から出て行くと、依頼主達は細く笑んだ。
特に女性二人の後ろ姿を見詰めながら。
魔物が女性を誘拐して行ったのを思い出し、この二人が村や町の女性の代わりになってくれると思ったのだ。
二人がどんな目に遭わされようとも、残った女性達の身代わりになってくれさえすれば良いのだと。
依頼主達は、既に半ば討伐を諦めてしまっていた。
賞金を払うと宣伝し、賞金稼ぎ達を討伐に向かわせる。
討伐できれば儲けモノ。しくじっても魔物達への貢ぎ物になる・・・
何度も失敗した末、討伐隊を募る者達は歪んだ考え方に染まって行ったのだ。
自分達の身を護るために、賞金稼ぎ達を魔物への献上品に仕向けるようにまで堕ちていたのだった。
それが魔物達との共存だと、謂わんばかりに。
人は力ある者に阿る時、悪魔の心を宿すという・・・
深い森。
まるで入り込んだ者を迷わせようとするかのような木立。
人を阻む森は、魔物の住処にとって相応しい。
その森の奥に、件の洞窟が存在していた。
木立の中にぽっかりと口を開けた洞窟。
苔むした洞窟は、魔物達が住み着くよりも遥か昔から存在しているのを伺わせていた。
もしここに魔物が棲み付かなかったのなら、大型の野獣の住処に落ち着いていただろう。
いや、魔物によって駆逐された後なのかもしれない。
もしかすると野獣が魔物になったのかもしれない。
人族によって狩られる対象だった野獣が、恨みを抱いて魔物に堕ちたのかもしれない。
人が悪魔に堕ち果ててしまうのと同じように・・・
先行した賞金稼ぎとは別の黒い靴が洞窟に踏み込んで行く。
黒い靴を履き、黒いマントを羽織った影が洞窟内へと消えていった。
洞窟は入り口を潜った所から異様な匂いが漂っていた。
生臭い・・・血のような匂いが。
足を踏み入れる者を警告するかのような、悪臭に眉を顰める。
どうしてこんなに血生臭いのか?
その答えは洞窟の地面に横たわる者が教えてくれた。
ジャリ・・・
靴を停めた影が<そいつ>を観た。
「小鬼か・・・」
土のような体の色。悍ましく歪んだ貌。
人族の子供位の体長、身に纏っているのは野獣の毛皮か。
その魔物は既に何者かにより葬り去られていた。
「小鬼が一匹だけで行動するとは思えないな」
洞窟に侵入した影は、死に絶えた小鬼を通り過ぎていく。
「先に入った奴等の仕業だろうが、俺の得物まで辿り着けるかな?」
小言を溢しながら歩む影は一つだけ。
灯りと呼べる物を一切手にしてはいないが、洞窟のそこかしこに点在している篝火が影を長く曳いていた。
「帰る道しるべのつもりだったのか知らないが、なまじっか魔物に存在を知らせるだけだぜ」
一つの影から男の声が聞こえて来る。
どうやら男は年若い者らしい。
たった独りで魔物の巣窟にやって来るとは、どんな職種を生業にしているのだろう。
若気の至り・・・恐いもの知らず?
影を曳く男は、洞窟の暗がりでも目立たない。
身に纏う衣装は、頭の先から靴まで黒一色なのだ。
いや、頭の上に被った帽子からと、言うべきか。
帽子を被った男は、黒いマントを纏っている。
だから暗闇でも目立たない、強いて目立つと言えば瞳の色位か。
帽子と前髪に隠され、左目だけが見えている。
目立つのは蒼い瞳の色。深く沈んだ海のようなブルーな瞳の色が暗闇でもはっきり分かる。
「賞金稼ぎか、それとも旅の勇者か。
どちらにしたって、俺にとっては邪魔者でしかないけどな」
深く被った帽子に手を添え、蒼眼の男が嘯いた。
たった独りで魔物の根城に入り込んで来た。
余程の闘い上手か、若しくは愚か者なのか。
「邪魔をするようなら、魔物達と一緒に滅んで貰うまでだ」
男が言う邪魔とは?魔物の討伐以外に何を求める?
歩を進める謎の男。
その先に待っているのは、先行したパーティなのか地下迷宮の主なのか?
最初は5人のパーティだった。
だが迷宮に迷ったのか、はたまた途中で倒れてしまったのか。
魔物達との一戦には、4人しか居なかった。
チーフの剣士が襲いかかって来たワーウルフになぎ倒され、とどめを刺されんとしていた。
仲間の戦士が庇おうとする横合いから、もう一匹の人狼が躍り出て来る。
強大な腕で戦士に掴みかかると、唯の一撃で戦士の腹を引き裂いた。
もう一人の戦士は二人が無残にも死に絶える様を見て、怖気づいたように後退る。
二人に襲いかかった人狼は優に自分の身長を凌ぎ、圧倒的な腕力を持っている様だった。
戦士の自分では太刀打ち出来ないと悟ったのか、それとも最後尾に居る黒魔術師に頼ろうとしたのか。
闘いを放棄して逃げ出そうと試みたのだが。
二匹の人狼ばかりに気を取られていた戦士の失態。
それは自分の命によって払わされる事になる。
黒魔術師が<そいつ等>を防いでいた・・・数匹も居る人狼の手下を。
蠢く小鬼達・・・人がゴブリンと呼ぶ悪鬼達。
魔族の最底辺に位置する者・・・だが、悪賢さと欲は悪鬼と呼ぶに相応しかった。
黒魔術師によって、8匹中3匹が炎の魔術で黒焦げになっていた。
残った5匹が黒魔術師に襲いかかると見せ、逃げ出す戦死を背後から襲ったのだ。
悲鳴をあげて小鬼の襲撃を受ける戦士。
不意を打たれた戦士が、小鬼によってズタズタにされたのは言うまでも無かった。
一部始終を観た黒魔術師は、仲間の死を目の当たりにして絶望に立ち竦んでしまった。
このままならやって来るのは死だけだと。
無残に惨殺される自分を想い、心身衰弱状態に堕ちてしまった。
魔術で抗う術もなく、黒魔術師は人狼に捕まってしまった。
その場で殺さない・・・ならば?
この後に待っているのは、囚われた街娘達と同じ結末。
自分が女性なのを呪い、絶望と苦痛に苛まされる・・・想像もしたくない最期。
曳きたてられていく最中、彼女はもう一人の少女を想った。
彼女も・・・自分と同じ目に遭えばいいのにと。
想いは呪いとなり、絶望が支配していくだけだった。
地下迷宮の広間で繰り広げられた残忍な闘い。
それにより、広間には血の匂いが漂っていた。
悪鬼達は黒魔術師の女性を虜にして、夜宴を始めた。
二匹の人狼と数匹の小鬼は、唯一人の魔術師を弄んだ。
彼女が想ったもう一人は何処に居る?
すでに亡き者に入っていたのか?
この広間に辿り着く前にも、闘いはおこなわれていたのか?
魔物の総数が少ないことからみても、パーティが魔物を倒しながら来たのが想像できる。
全滅したパーティに居た少女。
黒魔術師よりも年若い少女がいた筈なのだが・・・
ガコンッ!
「いたたたぁ~、もう少しで落とし穴から出られると思ったのにぃ~」
暗い穴の底で。
手をかけていた穴の壁が崩れてしまい、また底まで落ちてしまったのです。
「みんなどうしてるのかな?ワタクシが墜ちた事に気が付かないのかな?」
私は生きています・・・まだなんとか。
「戦闘中だったから。連れ去られたとでも思ってるのかな?」
戦闘中に落とし穴に引っ掛かったんですよ。
みなさん私より経験豊富な人達ばかリみたいだから、気が付いてくれると思うのですが。
「大声で呼ぶのは魔物を呼ぶ事になるから出来ないよね」
闘いの時に観た小鬼の群れを思い出しちゃいます。
あんな沢山の小鬼に囲まれたのに、皆さんは敢然と立ち向かわれたのです。
私なんて恐いから逃げ惑ったのに・・・です。
何度となく同じ事を呟いてしまうのは、恐怖に心が染められている証でしょうか。
どうして賞金稼ぎの皆さんの仲間なんかになったのか、改めて自問してしまいます。
「聖なる龍神様のシスターとして、悪い魔物達を見過ごせなかった・・・
なんて、格好をつけられる経験も度量だってなかったのに。
本当は初めて体験するクエストに興味があっただけだったっていうだけなのに」
自分の殻を破るのが目的だったんです。
ずっと憧れだった人族の世界に出て来られて、初めて体験する魔物退治ってものに心を擽られて。
4人のパーティに誘われたから・・・
「右も左も分からないワタクシを誘ってくださったから」
パーティのチーフで剣士のロッソさんが、ついて来るだけで良いから仲間にならないかと誘ってくださいました。
賞金稼ぎらしい4人の仲間になったのは、黒魔術師ケートさんが女性だったからもあります。
彼女は王立魔術会を卒業したらしく、攻撃魔法を会得されているんだそうです。
女性がいるのだから身の安全は気にせずとも良い・・・そう思ったからです。
残りのお二方は戦士らしく、身体の大きな男性でした。
グスタフさんはいつもしかめっ面をした不愛想な人。ガルシェさんは少しオドオドした感じのする方でしたけど、身体の大きさで頼もしく思えたものでした。
4人は依頼主である街長から教えられたダンジョンへ繰り出されました。
初めてクエストに挑むワタクシを仲間に加えて。
初めて観た魔物との闘い。
残酷で凄惨な場面に、ワタクシは腰を抜かしそうになりました。
何をするでもなく唯見守るだけで、お役に立つ訳でもありません。
どうしてシスターのワタクシを仲間に加えられたのか?
恐がるだけで、戦力にもならないというのを分かっていたのでしょうか?
なぜ?
なぜ・・・
気が付いたのは<ワタクシ>が女の子だからなのではないか、という悲しみ。
魔物が狙うのは宝と女性だって聞いていましたから。
4人の賞金稼ぎさん達にとってワタクシは、単なる囮に過ぎなかった?
そういえば、どこかで聞いた事があります。
魔物は聖職者を貶めようとするって。
紛いなりにも聖職者の端くれなワタクシを、魔物が狙うのは当然な話。
もしも魔物が手強かったのなら、ワタクシを囮にしようと?
それが狙いだった?その為だけにワタクシを仲間にした?
世間知らずなワタクシを利用したのでしょうか・・・
そうだとしたら・・・あんまりな話です。
それが本当なら・・・助けて貰えないかもしれません。
「どうしよう・・・どうすれば落とし穴から抜け出せるの?」
皆さんをあてに出来ないとすれば・・・
「助けを呼んだら・・・魔物が来てしまうかも」
堂々巡り。
このままでは魔物に見つかるのは必至。
微かな希望は、皆さんが魔物を退治してくれるのを願うしかありません・・・けど。
「あんな大勢の小鬼達に囲まれたら・・・それに。
まだダンジョンのボスがいる筈だもの」
眼にした光景が脳裏を掠め、絶望感に苛まされてしまいました。
と・・・その時です。
穴の底から見上げ、助けを待つワタクシの眼に何かが写り込んだのです。
ワタクシの潜む穴の底を探る影が。
薄く差し込む灯りをバックに、何者かがワタクシを見つけたようです。
助けに来てくれた仲間の誰か?
人の形をしている・・・二つの影?
「ひッ?!」
懼れていた事が・・・現実に。
ワタクシを好奇な目で見下ろしているのは。
「ぎ・・・ぎぎぎぃッ!」
二匹の・・・小鬼!
「あ・・・あああッ?!」
最悪です。
頭に過ったのは、村娘達と同じ運命。
魔物達に弄ばれてしまうなんて・・・考えたくもない生き地獄。
見下ろして来る小鬼の悍ましく歪んだ貌を見上げて、ワタクシは恐怖と絶望を啜り上げてしまうのです。
「だ、誰か・・・助けて。助けてください龍神様!」
もう此処に至っては、叫ぶより助かる道は残されていません。
魔物に見つかった今、ワタクシに出来ることと言えば恐怖に怯えて叫ぶぐらいなものでした。
「ぎ・・・ぎぎぃッ!」
小鬼は叫ぶワタクシを嘲笑うかのように騒ぎ立てます。
「ぎる・・・ぎぎぃ」
片割れがロープをワタクシの元まで投げ落として、上がって来いと手招きするのです。
ロープを上がってしまえば。
そこで待っているのは、小鬼に捕まる悲劇。
投げ込まれて来たボロボロのロープ。
それを掴んだワタクシの考えは、このまま穴に居ても死ぬだけなのだという諦め。
登り切って待っているのは凄惨な生き地獄。
でも、僅かでも。
微かでも生き延びられるとしたら・・・登るより他にありません。
もしかすると、龍神様の御遣いがお越しになられて助かるかもしれません。
絶望するには早い・・・そう考える事にしたのです。
シスターであるワタクシは、希望こそが生きる道だと教えられてきたのですから。
この世界に居られる筈の、聖なる龍の神様を崇める信徒なのですから。
ロープを手に、登り始めたワタクシを見下ろす小鬼。
歪な口元から薄汚い涎を溢して、手にした得物を向けて来ます。
黒曜石で造られたナイフには、何かの液体が塗りこめられています。
まず考えられるのは毒・・・それも相手を動けなくさせる痺れ薬でしょうか。
アレを一突きされてしまったら、抵抗も出来なくなってしまうのでしょう。
為すがままにされてしまう・・・蹂躙される。
動けなくされ、意識はあってもどうにもならない・・・苦しみを与えられてしまう?!
改めてナイフを観たワタクシは、現実を突きつけられて怯えてしまうのでした。
怯えて・・・恐怖に負けて・・・
「い、嫌ッ!嫌ですッ!助けてください」
登り切る寸前で手が停まります。
小鬼に命乞いするワタクシの叫びは、龍神様に届くのでしょうか?
「メレクに加護を!信徒をお助けください」
龍神様は迷える子羊に、救いの手を挿し伸ばしてくださるのでしょうか?
「ぎッ?!ぎぎィッ!」
泣き叫ぶワタクシを嘲笑っていた小鬼が、振り返り様に変な叫びをあげたかと思うと。
ぐしゃッ!
聞いたことの無い破裂音が聞こえたのです。
ビシャッ!
と、ほぼ同時に。
「ひ・・・ひぃッ?」
黒い小鬼の肉片と血飛沫が、ワタクシに降りかかったのです。
一体何が・・・小鬼に降りかかったのでしょう?
頭部を西瓜のように断ち割られた小鬼の胴体が、落とし穴に転がり落ちて来ました。
「きゃぁ?!」
すぐ脇を落ちていく小鬼は、首より上が有りません。
どす黒い魔物の血を吹き出す首を下にして、底へ叩きつけられてしまいました。
一体何が?どうなっているの?
混乱したワタクシが頭上の気配を感じたのは、もう一匹の小鬼が巨大な手に捕まった時だったのです。
「ぎぃいいいぃッ?!」
今の今迄ワタクシを嘲笑っていた小鬼が、恐怖に喚く?
「ぎッ?!」
というよりも、断末魔の叫びだったみたい。
バシュ・・・ブシャッ!
巨大な黒い手によって、小鬼は握りつぶされてしまったのです。
見るも無残な姿と成り果てて。
黒い巨大な手・・・それが意味しているのは新たな恐怖。
人族ではない・・・それが意味するのは。
「あ・・・あああッ?!」
小鬼よりも数倍も恐ろしい存在・・・もしかするとオーガかそれ以上に巨大な魔物?
そんなのに襲われたら・・・間違いなく殺される?
辺りに漂う血の匂い・・・小鬼から流れ出た血の異臭。
それがワタクシを更なる絶望へと貶めて行くのです。
いくらワタクシが聖なる龍神様を崇めようと、助けは来なかったのでしょうか。
希望を捨てずにいた信徒は、絶望しなければならないのでしょうか?
恐怖でロープにしがみ付いたまま、ワタクシは次に来るモノを待つだけだったのです。
「おい、そこの。
隠れていないで出てきたらどうなんだよ」
男の人の声が聞こえた気がします。
「小鬼共は俺様が潰してやったぜ。
出て来て感謝の一言を捧げるのが筋ってモノだろうが?」
今度ははっきりと。
人族の言葉が聞こえました。
死の絶望から生者の希望へと。
まるでかけられた声が、龍神様の御遣いにも思えたのです。
恐る恐るなんてものじゃありません。
ワタクシは全力でロープを登り切り、助けて下さった方の姿を求めたのです。
「あ、あのっ!助けて頂いてありがとうご・・・・」
そこに居る筈の人は見当たりませんでした。
巨大な手を繰り出して来た者が居る筈だったのです・・・間違いなく。
お礼を言いながら見渡す内に、光るモノに気が付いて声を呑んでしまったのです。
「ひッ?!」
蒼く・・・微かな輝を反射しているのは・・・瞳?
驚いたワタクシは、その場で腰を抜かしたようにへたり込んでしまいました。
一つの蒼い目がワタクシを見詰めています。
「あ。あ・・・」
黒い闇に浮かぶ蒼い目が、ワタクシをじっと観ています。
巨大な手を持った魔物を想像していたワタクシは、意外な声の主に助けられたのを悟りました。
蒼い瞳は人族の眼らしかったので。
「すみません、助けていただいたのに。怖がってしまいまして・・・その」
人族らしい眼に、助けて頂いたお礼を改めて贈ろうとすると。
「お前・・・長耳族だな?」
蒼い瞳が質して来たのです。
「龍神に仕えるシスターとはな。
長耳族も珍しいが、そいつがシスターとはねぇ」
質されてやっと自分の姿に気が回りました。
シスターの衣装が泥に塗れ、着けていた黄色いリボンがずれていたようです。
確かにワタクシの耳は人族の中では目立つでしょう。
数の少ない部族である長耳族だと思われるのが嫌で、このリボンで目立たないように隠していたのですから。
慌てて黄色いリボンを充て直し、本当に観られてはいけない秘密がバレていないのを祈りました。
「み、見ましたね?ワタクシがエルフだと思うんですよね?」
長耳族だと思い込んでくれるのなら・・・まだ救いは有ります。
「違うというのか?その耳を観たら誰だってそう言うと思うが?」
男の人が肯定して来たので、少し安堵しました。
「そ、そうですよね。長耳族のシスターなのです・・・ワタクシは」
動揺を隠そうとして、言い回しが不自然になっちゃいました。
と。
やはり、隠す事が下手なワタクシに。
「シスターが、またどうしてこんな魔物の根城に居るんだ?」
じろりと睨む蒼い瞳の人が質します。
「それは・・・訳が有って」
興味本位でクエストに同伴したんだなんて、言えっこありませんよね。
それ以上訊かない声の主の歩む足音が近づいて来るのですけど。
どうしても姿がはっきりとしません。
暗闇の中に浮かんでいるのは一つの蒼い目だけに思えてしまうのです。
それだからか、瞳の遠近感が掴めず近寄って来ようとしている筈なのに動いていないかのように感じてしまうのです。
ジャリ
足音が停まった時、遠い篝火に微かに照らされた人の姿が分かりました。
「あ・・・」
真っ黒な衣装を纏っていたのです。
頭の先から靴まで。
いえ、よく見たら・・・鍔の広い帽子を被っておられます。
「あ、あの。
ワタクシは龍神様の元に仕えさせて頂いておりますシスターの・・・」
助けて頂いたのですから名乗らないと失礼に当たる・・・のですが。
本当の名前を晒すのは、神父様から強く控えておくように命じられておりましたから。
4人の賞金稼ぎさん達にも、実名を言わずにおいたのです。
シスターとしての法名を名乗る事に決めていたから。
「シスターの<レーシュ>と申します」
龍神様に仕える前はレーシュではなく、本名の<メレク・アドナイ>を名乗っていましたけど。
その本名だって・・・本当の名前なのかはワタクシには分かりません。
だって、ワタクシは・・・
見ず知らずの方に知られてしまえば、どんな事になるか。
私の秘密を知られてしまえば、災いがやってくる。
神父様から強く言い含められて来たのです。
私の素性をお知りになられた後、師のスクエア神父様から言い渡されたのです。
<お前の素性を知られてはならぬ。もし知られれば災いが襲うだろう>
警告を与えられたワタクシは、旅立つ前に名を捨てたのです。
いいえ、本名を名乗らないと決めたのです。
もしも本名を知られてしまい、秘密を暴かれでもしたら・・・
蒼い瞳の殿方に知られないよう、そっとリボンの位置を確かめるのです。
ワタクシの秘密・・・リボンの結び目に隠した秘密を晒していないかと。
「レーシュ・・・<太陽>か?」
ビクン!
思わず身体が跳ね上がってしまいました。
この方は<レーシュ>の意味をご存じなのかと。
「生命の樹に纏わる小径に記載されてある。
22個の内の一つ、太陽を意味する名。
タロットで言えば、太陽を指すんだが?」
お見事です・・・そこから名前として採られたのですから。
世界を明るく照らせる存在になりたいと願ったワタクシに授けてくださったのです、神父様が!
「そうです、そのレーシュです」
「ふん・・・シスターには勿体ない名だな」
むッ?!失礼な!
「いくら助けて頂いたとはいえ、名前に文句を言われる筋合いはありませんからッ!」
頂いた法名を穢されたみたいで、勘に障ってしまったのです。
「レーシュを小馬鹿にするのなら、あなたの名前も名乗られたらどうなのです?」
黒尽くめの殿方に言い募ってしまいました。
ワタクシばかり名乗らせておき、自分は名乗りもしないで小馬鹿にするなんてと。
「俺か?」
「そうですッ!」
黒尽くめな異様さを醸し出す碧き瞳。
声は男性。しかもワタクシと大差ない年頃だと思うのですけど。
見下した態度や声が教えるのが、冒険者としてどれ位の腕を誇るかは分かり兼ねました。
帽子の鍔の間から黒髪が零れ、右目を隠しています。
左と同じなら蒼い瞳が髪の間から見える筈でした。
と。その時!
ズザ・・・ズザ・・・
不意に背後から何かの気配と近寄る者の足音が!
「レーシュと名乗ったシスターよ。
俺は召喚術師!」
背後を振り返り様、殿方が帽子を脱ぎ払います。
ザゥッ!
マントを払い除け、片手で帽子を突き出し。
「帽子の召喚師と呼ばれるアイン・ベート!」
現れ出た魔物目掛けて奇術師のような杖を繰り出すのです。
「あ?!」
召喚師と自らを呼ぶ殿方・・・アインさん。
薄く笑う顔に光輝くのは・・・オッドアイ。
左は蒼。もう片方の右目は・・・澱んだ金色。
黒髪の隙間から覗く瞳は、闇を抱いた者の象徴。
<黒の召喚術師>?!
噂に聞いた事のある、辺境髄一の冷淡な魔物殺し?!
ワタクシの前に居るのは、アクゼリュス・サモナー・・・黒の召喚術師だったのでした!
力が支配する<ガイア>大陸。
ここでは生きることに全力で挑まねばなりません。
でなければ・・・すぐ傍に死神が?!
レーシュとアイン。
2人が出逢う事になったのは運命だったのでしょうか?
次回 Pass2 アインとレーシュ <<魔術師>>
あなたはどんな魔法を唱えられますか?