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 岩礁に乗り上げて歌を歌っていた。

 天高く響くように、高くそして遠くへ。


 私が歌うと、青いはずの空は灰色に染まり、海風も湿気を帯びた。緩やかに吹くはずの風は、どこか刺さるような冷たさを持っていて、それは嵐の予兆だった。


 私は海に潜り、海の唸りを避けるために水底深くまで潜った。


 水底は嫌いだ。

 決められたように流れる潮流。暗い水底。遮るもののない空間。歌声も何もかも響かない。


 あっという間に海は時化て、私が乗り上げた岩礁は沈んでしまった。

 私の歌を聞いて海は目覚めた。

 体の血を巡らせるかのように海は唸りをあげた。

 

 海は自身を自由に動かしているに過ぎない。

 海は偉大だから、少しの動きで大きなうねりを呼ぶ。

 しかし少し体を動かせば、気を利かせる。


 水面は好きだ。

 自由気ままに吹く風。強い力を感じる太陽。それすらを遮ってしまう雲。そして何よりも遠くへ響く歌声。


 しばらくして、水面から顔を出すと何事もなかったかのように、穏やかな海が姿を見せる。

 そして海はすました顔をする。


 ただいつもと違ったのは、海面を遊ぶように漂流する木々に生き物が捕まっていたことだった。


 私は、初めてその生き物を間近で見た。

 

 私と似ているがそれは、私と違って奇妙に二股に分かれた下部があった。

 水を掻けないような奇妙な形をしているソレは、海に嫌われるものだと思った。

 きっと陸の生き物だ。


 その生き物がどうやら水面に突っ伏したように木々に捕まり流れていたので、私はその生き物をひっくり返した。陸の生物は、海を見ることはできない。だが空を見ることはできると思った。


 しかし反応がないので、私が軽くその胴体を叩いた。すると口から海の一部が出ていくだけの一方。私はそれを吹き出す様子が面白かったので、何度も何度もたたいた。口からピュルピュルとこぼすように出てくる海の一部は、私の興味を一心にひいた。


 すると生き物は、汚い音を上げて、体を大きく震わせた。口から海の一部を吐き出し、そして空を吸った。何度かそれを繰り返したのち、木々に捕まりながら体を起こして、そして私を見た。

 

 「君が、助けてくれたのか」

 

 生き物は男だった。

 私は助けた覚えはなく、海の上で遊んでいただけだった。

 そして男は、水底を見た。私の海に浸かっている場所を見て、そして震えるように重ねていった。


 「君は人魚なのか?」


 男の言葉の意味が、私はわからなかった。

 人魚とは何だろうか。


 「それはなぁに?」


 ただその質問の意味がおかしかった。

 私は私だ。


 男はしばらく考えを巡らせてから、そして私にお願いをした。


 「いや、どうでもよい話だった。私は嵐に飲まれてしまったんだ。しかし海の上、このままでは死んでしまう。だからどこか、浜辺まで連れて行ってくれないだろうか?」


 私は退屈だったから、願いを聞いて浜辺までその男を連れて行ってやることにした。私は木々を掴み、それを後ろから推してやった。自慢の足を使い、力強く進んだ。

 不思議な話だが、私にとってそれは楽しいことだった。男は何をすることもなく、ただ驚いたように私を見つめていて、それが私を愉快な気持ちにさせた。速度を上げると、嬉しそうな顔をするのだ。


 しばらくすると島の岸が見えたので、木々を思いきり押しやり、勢いをつけて男を岸辺まで押し込んだ。白い波紋が波たって心地よい。

 

 私は岸に上がるのは嫌いだ。海に怒られるような気がした。

 だから私は岸に上がらない。

 

 「私は岸が嫌いなの。でも楽しかったわ。じゃあね」


 私はそう言って、いつもの岩礁へと戻った。

 去り際に男は何かを言っていたが、私にはどうでもよかった。


 ◇◇◇


 私は歌を歌っていた。

 遠くへ遠くへ、ただただ響き渡るソレが好きだった。海の中とは違う、ゆったりとした響きが好きだった。


 助けた男が積み木に乗ってきた。聞くと船というらしい。

 私は男に興味を持ち、不思議に思った。

 陸の生き物は海では生きていけない。

 何故、海にいるのだろうか。


 「君の歌声が聞こえた」


 不思議そうにしていた私に、男はそう告げた。

 突然私の感情に不思議な気持ちが芽生えた。

 思えば私の歌声を聞いたものは居なかった。

 

 だって誰も何も話さなかった。海も、風も、砂も。

 意思を持っているのに、何も言わない彼らを見て、私は悲しかった。


 だが目前の男は、私の歌声を聞いたと言った。


 「もっと聴かせてくれないか」


 男はそう言ったので、私は歌った。

 男は黙って聞きこんで、私が歌い終わるとただ一言言ったのだ。


 「素敵な歌だった」


 男はそう言ったあと、夜はここに留まれないと言って、陸へ帰っていった。


 ◇◇◇


 男は、私を見つけては、私の歌を求めた。

 いつの間にか、その男に歌を聴かせることが楽しみだった。


 「君の名を教えてくれないか?」


 男はある日、私にそういった。

 私にはその意味が解らなかった。

 私は私で、そして呼ばれたことがない。


 「私を呼ぶ者はいないわ」


 私がそう答えると、男は驚いた。


 「じゃあ僕が呼ぶ。ミルキ、君をミルキって呼ぶ。真珠って意味さ」


 男はそう言った後、手から白い玉を見せた。太陽の光を強く弾くそれは、とても私が憧れる強い輝きを持っていた。


 「綺麗」


 私はその白い玉を見て、心からそう思った。


 ◇◇◇

 

 いつの間にか、男は来なくなった。

 私は男を待ち続けた。歌い続けて。


 どれぐらい待っただろう。

 男は一向に来なかった。

 私は、海が目覚めた時のようにうねりをあげていた。

 それは大きな力をもって私を掻きまわした。


 待ちきれなくなった私は、男に会いに行くことにした。

 私は岸へ近づくのが嫌いだったが、男を探すために我慢しようと思った。


 私が男を送った岸の近くへ行くと、男が座っていた。

 男が驚いたように私を見てから、バチャンと音を立てて海に飲まれて、私の傍へ来た。


 男の髪は白くなっていて、つやのあった黒髪は無くなっていた。

 しかしそれが男だと私にはわかった。


 「あなた、海に嫌われてるわ。いつもの積み木を持ってきなさいよ、アレなら海に嫌われない」


 男は今か今かと海に沈もうとしていたから、私は男の手を引いた。木で組んだ積み木、船を使えば男は海に嫌われない。

  

 「いつもの場所へ連れて行ってくれないか」


 男は海に濡れながら、私に願いを言った。

 海にアレを持ってくる気はないらしい。

 

 「僕は勤めを果たした。君の歌が聴きたい」


 私は男の願いを聞いた。


 ◇◇◇



 私はいつものように歌って、男はそれを喜んだ。

 私の心は、海のように凪いでいた。


 「素敵な歌。ありがとう」


 「私だって、聴かせたかったの。もう来てくれないのかと思った」


 私は思っていたことを言った。男がいないと寂しい。


 「すごく待たせてしまったんだね。でも大丈夫、君の傍にいるよ」


 「無理よ、あなたは海に嫌われているもの。沈んでしまうわ」


 男は首を振って私を抱きしめた。


 「これからは君の傍にいるよ」


 その言葉が最後だった。


 男は海に還ろうとしていた。

 男を見ると、ただ寝静まったように海へと沈んでいった。

 私は、海の底へと寝静まった男の傍に寄り添った。


 ◇◇◇


 男はそれから動かなかった。


 海底で冷たくなった男の頬を撫でると、朽ちた鱗のように剥がれ落ちた。

 私が見てきた他の生物のように、この男もじきに海に還る。

 

 私は、自分の鱗をバラバラに落として、片目を抉り取って、耳を引きちぎった。


 撫でた時に崩れた男に、私の目を入れて、耳をつけた。

 男を鱗で覆い、飾り付けた。


 私の体には思いのよらぬ痛みが走ったが、心が安らいだ。


 「傍にいるのね」


 私の歌が好きな男は何も言わなかった。

 だから私は男を水底で抱きながら、歌を歌った。

 



 私はミルキ、その名を呼ぶのはただ一人

 私の歌を聴いたあなた


 片目をくりぬいた

 私はもう見る必要はない、あなたにあげるわ


 耳を引きちぎった

 私はもう聞く必要はない、あなたにあげるわ


 私は鱗をバラバラに落とした

 私はもう泳がなくていい、あなたにあげるわ


 喉はダメよ

 あなたに歌声を聞かせてあげれないもの

 私を呼べないのは許してあげる

 

 あなたが海に盗まれないように私の鱗を縫い付けて

 傍にいることがわかるように目をはめ込んで

 歌を聴くために耳をつけてあげる


 水底のあなたへ


 水底で歌うのは嫌い

 何も響かないから

 でも歌うわ


 君はミルキ、声が聞こえた


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