二話
拓矢の住むマンションへの道中、柊花が言った通りに雨が降った。雨の勢いは服をずぶ濡れにするには全く時間の掛からないもので、夏特有の夕立だと思う。だって向こうの空はとても晴れているのだから通り雨でしょう。コンビニで一旦雨宿りをし、夕立が去るの待とうと結さんが提案して、私達はそれに素直に従った。もうかなり濡れてますけどね、服。
「だから言ったじゃん雨降るって」
柊花はワンピースの裾を軽く絞りながら私に笑い掛けてくる。あぁ、マスカラ落ちてるじゃんってそのカスを取りつつ手鏡を渡せばありがとうって顔の調子を見ている。何もしなくてもアンタは充分可愛いよ。
拓矢のマンションはもう目の前ではあるが、どうせならと各々欲しいものを選んでいる。私もお菓子とお茶を選んいれば視界の端に楽しそうに話している拓矢と柊花の姿を捉えてしまう。普通に仲が良いんだあの二人。好きなゲームの傾向も、ゲームのプレイスタイルも似ている。リスナーからも度々そんな声が上がっていて、付き合えばいいのに、だとか、付き合ってるんでしょう、だとか。コメント欄で偶に見掛けて何とも言えない気持ちにはなってしまっているのが本音だ。
「これマジで美味いよ」
「ハラペーニョって辛いやつでしょ?お酒飲みたくなるやつじゃん」
「それがなんと……めちゃくちゃ酒が進む」
「よし、今日のおつまみはアンタに決めた」
「それ飲みラジオの時のシュウカの決め台詞じゃん」
「サナ私の動画めっちゃ見てるんだね」
「当たり前だろ」
ほら、楽しそう。いつか言っていた、ゲーム実況者はあまり他の実況者の実況は見ないって。でも拓矢は柊花の実況めちゃくちゃ見てるじゃんね。私に感想送ってくる位なんだけど。本人に言えば良いのに、喜ぶよ。しかし拓矢はそれを渋っていた。恥ずかしいし気持ち悪がられたら嫌だからと。いや、初心か。
面白くない訳でも無いんだ。私は四人で偶に遊びに行って、一緒にゲームをして、そのまま飲みに行って。それで良い事には代わりないし。三人が私の解らないゲーム関係の話をするのもそれは彼らの仕事の一つだから私が仲間に入れないのは当たり前だしそれに関しては無理矢理入ってい行きたい訳でもない。
じゃあ何が言いたい?何を私は望んでいる?それは……まだ私にもよく解らない。
「眉間に皺寄ってるけど大丈夫?」
「結さん」
「サナくんとシュウちゃんの事かな」
「別にそんな事では……」
「本当に仲良いよね二人」
「気が合うんだよきっと」
「気なら玲ちゃんの方が合ってると思うよ。大丈夫」
その大丈夫とは一体何が大丈夫なのだろうか。敢えて聞きはしなかたったけれども。結さんだって今二人の事、笑ってはいるもののちょっと困った顔してるじゃん。強がり屋さんなんだな結さん。本当は混ざりたいクセに変に優しいから私の事を一人にしない様にしてくれているんだなって言うのがよく解ってしまうよ。
そんな私と結さんの事思考とは裏腹、拓矢と柊花はどちらがお会計を出すかのじゃんけん勝負をしているではないか。
「玲ちゃん、アレには僕たちも参戦しないとだよ」
「だよね!」
急いでお茶を手に取ってその勝負に待ったを掛ける。これは私たちの遊びの一つでもある、じゃんけんで勝った人が全員のお会計を払うと言う、所謂男気ジャンケンと言うものだろうか。
「あー、私負けちゃった悔しいな」
「僕も負けちゃった。今日こそ勝てると思ったんだけど」
柊花と結さんがとてつもなく悔しがりながら先に外に出ていると言って颯爽と出ていってしまった。あの二人は悔しがるフリが本当に下手くそすぎるんだよ、良かったね罰ゲームとか無くてって言うレベルには大根役者がすぎる。
「クッソ負けた!残念だな!」
「よっしゃ勝ったわ」
本日の勝者はワタクシでございます、はい、もう良いから悔しがる素振り。拓矢に早くレジに商品置いて外で待っていてと伝えるも私の隣に立ってお会計を待っている。何時もなら一番に外に行くじゃないの。まぁ良いかと合計金額を聞いた時、私より先にスマホを取り出して決済するのは眠そうな顔をした拓矢だった。
「ちょっと」
「はい、これ持って」
「お金今日は私が払うってば」
「もう決済したし」
「いや、そうじゃなくて」
「ユウさんとシュウカには内緒な」
「なんで」
「俺案件のギャラ入ったから今お金持ちだし」
「それなら私だって昨日お給料日だった」
「そうじゃなくてさ。最近俺ら忙しくてゲームはゲームでも、玲居るのに仕事の話ばっかしてんじゃん。だからごめんなって言うのともうちょっと待ってての気持ち」
等とサラッと言ってのけるこの男は誰だ、笹波拓矢だ。拓矢は口がとても悪い方の人間だと思う。それはファンの人たちが一番良く知っている事であろう。しかし動画外の彼は案外そうでもなく、真面目で律儀で教養があって何だかんだで優しい自分物でもある。その片鱗をファンの人たちも感じているから人気のあるゲーム実況者の一人なのかもしれない。なんて。
拓矢だけではない。結さんだって優しい。勿論柊花だって優しいんだ。私には彼らがやっている仕事は解らない。ゲームをプレイしながら喋れるのは凄い事だと思う。それを動画に撮る事も凄い事だ。そしてその動画を編集する事も私には未知の世界でしかないのだから、私のやっている仕事とはまた別の苦労があるだろうに、私が声を掛ければ打ち合わせで無い限り誰かしらが一緒に過ごしてくれる。
口を揃えて三人が言うのは「ニートだから余裕」と笑顔のオプション付きで。
私もその世界に入りたいとは一度も考えた事はない。だって出来る気がしないもん。語彙も無いから凄いなって事しか言えないのだけれども。三人は優しい世界の住人だ。そんな三人が困った時には私が力になりたい。出来る事なら、困った事なんてものにぶち当たらなで三人には楽しくゲーム実況を続けていってもらいたいのだが。
外に出ると、やっぱり夕立だったらしい。雨は上がって代わりに眩しい位のオレンジ色が沈む前、今日一日の最後の輝きを私たちに見せてくれている。もうすぐ今日が終わるんだ。夏のこの時間は私はとても好き。
「さっき虹出てたよ」
結さんが指を指した方向を見れば、薄っすらと七色の橋が見えている。スマホのカメラを向ければ、私が見た時にはもう遅かったらしい、全く虹をカメラに捉える事は出来なかった。ふと、柊花に目線を向ける。少しだけ様子が可笑しい。右手で左右両方の目を片目ずつ何かを確認している様に手で隠したり隠さなかったりと動作を続ける。それはまるで自分の視力を確認しているかの様にも見える。
「柊花、目痛い?」
「あ、いや、何でもない。ちょっとコンタクトがズレただけ」
「擦っちゃ駄目だよ」
「うん」
リュックから目薬を取り出して大丈夫と繰り返す柊花を見守り、拓矢のマンションへ向かうかと足を踏み出した時、全員のスマホに緊急速報の着信が鳴る。これは災害時や政府から大事な発表があった際に鳴る様になっているもので、今回の音は、政府からの発表の音。地震が来る前とかじゃなくて良かった。少しだけ、背中の方に変な汗が流れたもん。
画面を確認すれば『イヴの助言を受信、自然災害の類の可能性はナシ、警戒レベル零、解析後全世界同時発表、速報を待て』の言葉。
イヴの助言って知ってるかな。私たちが生まれる前から居る全世界共通の神の象徴って言われてるものなんだけど、未だにその正体はよく解っていない。本体が何処にいるのか解らないけれど、全世界の偉い人達の前にホログラムで現れて助言って言うお告げみたいなものを独自の言葉で教えてくれる。
それはいつ大雨が降るから避難した方が良いよ、だとか、いつ地震が来るけど指示する通りに対処をすれば安全だよ、だとか、四季の変わり目のお知らせだとか。兎に角私たちを助けてくれるものばかりで、私たちは幼い頃からイヴに関する情報を教わって来ているものの未だにそれはよく解らない。
都市伝説でイヴはAIだ、我々は操られている。イヴは宇宙からの特別な暗号だ。なんて言われていたりもするし私もよく動画サイトでそれに関する都市伝説を見たりもする。面白いなって娯楽の一種としてね。崇拝している人もいれば助けてくれるし言うことは聞こうってだけの人も居る。しかしそれが原因で第五次世界大戦があったらしい。
「警戒レベル零なら秋がいつ来るかのお知らせかな?だとしたら緊急速報ってわざわざしないか」
なんだろうね、なんて呑気に話ているのは私だけだった。拓矢も柊花も結も顔が青ざめながらスマホを見ている。それはさっきの雨に濡れて身体が冷えたとかでなく、何か、恐れていたものが確信に変わった時の様な。もしかするとイヴの助言が仕事に関わって来る事なのかもしれない。邪魔してはいけないなって煙草吸ってるねと一声掛ければ、俺達も行く、だけどごめん、少し時間をくれ。そう拓矢に言われて結局全員で喫煙所に。
結さんが口元を抑えながら凄い速さでスマホの画面をスクロールしている。拓矢は煙草に火をつける手が震えていた。柊花は相変わらず目に違和感があるのかパチパチと何回も瞬きを繰り返した挙げ句目を瞑りながら煙草を吸っている、手にはしっかりとスマホを持って。
「ゆめぽんから電話来た!ごめん玲ちゃん、ちょっと三人で出てもいいかな」
「お構いなく」
「サナくんシュウちゃんイヤホンして」
結さんからの指示で拓矢と柊花もワイヤレスイヤホンを片耳に付ける。結さんが二人のイヤホンに接続コードを流している様子をぼんやり見ている。今ってね、特定の接続コードを共有すればイヤホンで何人でも同時に通話出来るんだ。接続コードって全員持っていて、主に重要な守秘義務のあるやり取りの時に使われるものだから、私も取引先の人の個人情報を上司と一緒に教えて頂く際にしか使った事ないんだよな。自分にしか解析出来ない暗号データになってその会話の音声が残ったりもするんだけど、私は苦手なんだよな、そのデータ解析。
まして、外で使うだなんて、緊急時にしか考えられない事なんだよね。三人ともキョロキョロ周りの様子を伺いながら口元隠して通話し出す。私も辺りを見渡してみたけど、まず可笑しい位に人の気配がない。ちらほらと居ることは居るけど。あれ、あそこの人も接続コード使ってるのかもしれない。そんな人を何人か見付けた。一体何が起こっているんだ。
「もしもしゆめぽん?僕、ユウだけど。今サナくんとシュウちゃんとも繋げてあるから」
「悪いんだけど俺ら今出先なんだわ。こっちからはあんまり喋れないかもしんない」
「やっぱりこれってゆめぽんが言ってた事かな」
柊花がスマホで何かを共有してる。スマホでね、立体のホログラムだったりテキストデータを共有出来るんだけど、パスワードが掛かっているものに関しては権利に該当する人物達にしか見えないんだ。三人がスマホを真横に持ってホログラムを共有しているけれど、私が今見えているものは『閲覧権限ナシ』の赤い文字だけ。つまりはかなり秘密厳守なやり取りが今目の前で行われているって訳。
「だとしたらどうすんの、いや、まだ俺ら何も出来ないけど」
「そもそも僕らに声が掛かる可能性はあるのか」
「多分、ないって言いたいよね。先に声掛かるのきっとあっちさんだよ」
「今日ニュースになってたばっかなのに本当なら相当ヤバくない?」
『……、……、……っ……』
「その資料なら僕持ってるかも」
小声だし口元も見えないから正しく聞き取れているか解らないけど、三人の会話を何となく自己分析してみる。拓矢が俺らって言ってるって事はやっぱり三人の仕事が関係している。結さんが僕らに声が掛かると、柊花が先にあっちさんと呼ばれる人たちに声が掛かると、そして最後の拓矢の今日のニュースになっていたばかりと言う言葉。もしかして、ゲームの話なのだろうか。
それにしてもゲームでそんな深刻な話にならないだろう。
「今回イヴの助言の解析どれ位で終わると思う?」
「僕が見たネットの情報だと二週間じゃないかって」
「それっていつもより長くない?」
「ユウさんどっかにイヴの声落ちてないの」
「政府公式に画像で落ちてるよ」
「私グループに画像投げた。これ。やっぱパス掛かってるから解けないけど文面の長さ的に二週間って読みは妥当かと」
『……、……、…………』
「確かに。俺らが勝手に騒いでるだけかもしんないから今はまだ」
「そう、確定じゃないからね」
『……、…………』
「はいよ、了解」
三人めちゃくちゃ盛り上がってんな。私は特に盗み聞きしつつ、昼間に友人から来てたメッセージに目を今更ながら通すお仕事を今しているのですが。こっちはこっちで大変そうだ。その後、合コンで会った人の中で誰かと仲良くなりましたかだって。いつの合コンだ。どの合コンだ。それを教えてくれないだろうか。私は貴女から鬼の様に誘われて居るのだからな。
まあ、強いて言うなら昔アンタが誘ってくれた合コンは当たりだったよとだけ送り返せば、三人の通話は終わったみたい。皆恐い顔してたけど、今は普段の顔に戻ってにこやか、なフリをしてくれているだけかもしれないけど。
「帰って友情崩壊ゲームしようぜ」
「それめちゃくちゃ時間掛かるし絶対喧嘩になるから僕嫌なんだけど」
拓矢と結さんが私達より一歩先を歩いてゲームの話をしている中、柊花は目をしょぼしょぼさせながら「今年も四人で夏祭り行こうね」と、先程とは変わって私にも見えるホログラムの夏祭り、花火大会の情報をスマホで見せてくる。当たり前だよ、今年もうんと可愛くメイクアップして浴衣も着付けてあげるからね。
スマホのカレンダーに一応日程を入れる。夏はまだ始まったばかりだ。