彼女は
~5年前~
突然だけど、わたしには名前が無い。
親に捨てられ、路地裏で泣いていたわたしを拾ってくれた人がいる。その人は、わたしみたいな捨てられた子供たちをいっぱい保護してくれている、とても優しい人だった。わたしも数年前に拾ってもらいこの人のもとで生活している。今日はとても大事なお話があると言われて部屋に呼ばれた。
「し、失礼します!」
「やあ、急に呼び出してしまって済まない。よく来てくれたね」
こんなわたしにもとても丁寧に話しかけてくれる。背が高く、顔はフードで隠れており見たことはない。名前も聞いたことがない。だけどそんな些細なことは関係ない。
だってここで暮らしている、わたしたちの事を本当に大切に思っていつも考えてくれるとても優しい人だから。
「いえ、大丈夫です。わたしにお話ってなんですか?」
きっと、わざわざ呼び出すのだから、よっぽど大事なお話なんだろう。いつもはこの部屋にはこの人しかいない。なのに今日は初めて見る大人の人たちが数人居る。
「そうかい、ありがとうね。急な話なんだけど、君を引き取りたいと言ってくれた方がいてね。その人は昔から僕と懇意にしている人でね。とても優しくて信用できる人なんだよ。君にとっては家族が出来るようなものだ。とてもいいお話だと思ってね、すぐにでも君に話さないとって思って呼んだというわけなんだよ」
—————————ッッ!!
(え……引き取る? わたし、ここには居られなくなるの? 嫌だ、そんなの絶対に嫌だよっ!)
急な話でびっくりしたわたしは、動揺して頭の中が真っ白になっていた。
「い、嫌です! わ、わたしはここに必要なくなったんですか? もう、ここには居場所はないんですか? わたしはずっと、ここでみんなと居たいですっ!」
泣きながらこんなことを言ってしまった。そう言うと、目の前から少し息が漏れるのが聞こえた。
あぁ、この人を困らせてしまった。わたしたちの為に一番頑張ってくれているのに。せっかくわたしの為に言ってくれたのに……
「ふぅ、そんなこと言って僕を困らせないでくれ。僕だって、君のことは実の娘のように思っているよ。しかし、正直に言ってこの屋敷の状況もいいとは言えない。僕がこうやって君たちを保護して一緒に居るのをよく思わない連中も居るんだ。君たちを僕から離そうと悪い奴らがたまに来ているのは知っているだろう? あんな奴らに君たちを関わらせたくないんだ」
そう言って「分かってくれるかい?」と頭を撫でられた。そんな風に言われたらわがままなんか言えない。わたしはこの人の、ここの皆の迷惑には、重荷にはなりたくない。
「はい。分かりました。みんなにもあなたにも迷惑はかけられません。今までお世話になりました。拾ってくれたこと、今まで育ててくれたこと、家族を作ってくれたこと本当に感謝してます。本当に、本当にありがとうございました」
そう言って涙を堪えながら頭を下げた。
「君みたいな娘を持てて、僕は幸せ者だな。こちらこそ今まで楽しい日々をありがとうね。これからは、ギーリッヒ様のところで楽しく過ごすんだよ。ギーリッヒ様は外で君のことを待っているからね。今まで以上に幸せになるんだよ」
ああ、わたしは幸せだ。
生まれてから、わたしはこんなにも必要とされたことは一度としてなかったから。母親には物心つく前に捨てられた。この人が拾ってくれなかったら今頃は生きていないだろう。だからこの人に恩返しをするんだ。それに、この人が紹介してくれるというだけで、絶対に幸せになれると確信できる。
そう思いながら部屋を後にする。
部屋を出ると、少し恰幅のいい優しそうな笑みを浮かべた男性が立っていた。
「初めましてかな? 私の名前はギーリッヒ・アヴィドと言います。今日から君の家族になる人だよ。これからは私のことをお父さんだと思ってくれていいからね」
あの人の言う通り、とても優しそうな人だった。
この人が新しい家族になってくれるなら、もっと幸せになれるに違いない。わたしはこれからの幸せであるはずの日々を想像しながら挨拶をする。
「これからよろしくお願いします!」
~数年後~
わたしはあれからギーリッヒ様の下で奴隷をしている。
最初は本当に優しくしてくれた。家族の皆様もメイドや執事の人たちもみんな良くしてくれていた。ほんとに楽しくて笑いの絶えない幸せな日々だった。しかし、ある日を境にそれが一転した。
そう、この首に付いている大きな首輪。これが奴隷の証らしく、首輪を付けられてからというもの皆、人が変わったかのような態度になった。屋敷の離れにある家にわたしのような奴隷が数人集められていて、そこに居る人たちは皆、体中に傷跡があり、やせ細っていた。目には生気が宿ってなく、中には壊れたように笑っている子も居た。
そしてそれはわたしにも当然のように訪れた。あれだけ優しかったギーリッヒ様や奥方様、御子息のヘンブリッヒ様まで暴力や暴言が日常茶飯事になっていった。毎日、毎日、暴力や暴言、食事もろくに与えてもらえず、拷問まがいのことや性的なことまでされる時もあった。
ほんとに、辛くて苦しくて、何度も何度も逃げ出したくなった。だけど、わたしがここで逃げるとあの人に迷惑がかかる。せっかく、こんなわたしを拾ってくれて、育ててくれたのに。こんな大貴族のもとに送り出してくれたのに……
きっと、わたしがいけないから、不出来だから、あれだけ優しかった人たちが変わってしまったんだ。
そう思い込むことにして耐えることにした。そう思わないと心が壊れそうだった。
ある日、屋敷でいつものように夜遅くまで拷問のようなことをされやっとの思いで解放され離れにある部屋へ戻ろうとした。
(あの人にもう一度会いたいな……)
部屋に戻る途中、そんなことを考えていると、ギーリッヒ様の部屋から、ギーリッヒ様が誰かと話している声が聞こえた。
あまりいい行為とは言えないけど、どうしても気になってしまい耳を傾けた。
「ギーリッヒ様、お久しぶりでございます。あの子はどんな調子ですか? なにかやらかしたりはしていませんか?」
耳を傾け話を聞くとそこにはもう一度会いたかった人が居た。声で分かった。もう一度会って話をしたかった。顔を見たかった。頭を撫でて欲しかった。
しかし、次の言葉でわたしは部屋に入ることをやめた。入れなくなったのだ。
「あの子は物覚えが悪く大変でしたから。こちらへと奴隷として送り出すのに無駄な時間やお金を浪費したのですよ。その分はしっかりと稼いでもらわないといけないですからねぇ。なにかやらかしていないか心配でしてね……」
「はっはっは。君も本当に人が悪いな。なにも心配はいらないよ。あの子は奴隷として申し分ないよ。家族全員、それに、使用人にも人気があってね。もうすぐ、あの子を全員でと思っているところなんだ」
「そうですか、そうですか。それは何よりでございます。あんな親に捨てられている糞どもを拾って、ある程度育てて、人の役に立てるようにしてやったんですから。ちゃんと全員、金を運んできて欲しいんですよ。その程度のことしかあんなガキたちには価値がないですから」
その言葉を聞いて、わたしは気づいたら屋敷から飛び出していた。あの人からそんなことを聞きたくなかった。信じたくなかった。
酷い。酷い。酷いっ!!
本当はわたしたちは望まれてなんかいなかったんだ。なんも大切にされてなかったんだ。この世界に産まれてきちゃダメだったんだ。
屋敷を抜け出してからどれだけ走ったか分からない。毎日の拷問もあり疲労もかなり溜まっていたため、足がもつれ転んでしまった。
(あぁ、もう、このまま死んでしまいたい)
昼間から拷問を受け、信じていた人に裏切られ心も壊れてしまい、なにも食べていなかったこともあってわたしはそのままどこか分からない路上で眠ってしまった。
あれからどれだけ眠たんだろう……騒がしい喧騒と眩しい日の光りで目が覚めた。昨日のあれは全部夢だったのではと思った。夢であったらと思いたかった。しかし、立とうとしたとき足に鈍い痛みが走った。
痛みのする方を見ると足が青く腫れていた。
(そういえば転んだんだっけ)
この痛みのおかげで昨日のことが夢ではないと実感してしまった。わたしは近くに落ちていた布を身体に巻きその場に蹲る。
あぁ、もうどうでもいい。このまま死んでしまいたい。このままなにもかも忘れて消えてしまいたい。
それから少しすると若くて少し怪しい男性三人がこちらを見ている。彼らはわたしを見かけるとニヤニヤした顔をしながら近づいてきた。
(もう、なんでもいいから好きにして。楽にしてよ)
そう思っていると、また別の男性が来て先ほどの男性三人を瞬時に倒していった。彼がなにか言ってるけどあまり聞き取れない。
顔も少しずつぼやけてきた。
意識を手放しかけた瞬間、彼がものすごい慌てた顔をして倒れそうなわたしを受け止めてくれた。
(なんかこの人、もの凄く暖かい。それになぜか分からないけど、とても安心する)
そんなことを思いながらわたしは意識を失った。
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