第8章 プロトタイプ
「面白い話を聞かせてあげよう」
木場は東屋の柱に持たれて言った。
「木場先生!」
早乙女が眉間にシワを寄せて抵抗する表情を見せた。
「早乙女君、いいじゃないか。もう、君は気にしなくてもいいのだから」
木場が微笑むと、早乙女が肩を落としてうつむいた。
伊緒は黙ったまま、賢介、見杉は警戒するような視線で木場の姿を追った。
「さてと、八号、九号知っているね。そしてその後に製造されたのが十号、つまり伊緒君だ」
木場は表情を変えなかった。再び身を乗り出そうとする賢介を見杉が制した。
木場は三人を見て、話を続けた。
「そこまでは、みんな知っている話だが・・・。実はここに居る早乙女君も伊緒君と同じなのだよ」
木場がニヤリと笑った。伊緒が驚いて顔を上げ、替わりに早乙女が眼を伏せた。
「どういうことだ、早乙女は伊緒ちゃんの・・・・・。そのぉ・・・・・、研究メンバーじゃないのか?」
見杉は伊緒に配慮して、言いにくそうに木場に言った。
「まあまあ、慌てないで。ちゃんと続きを話そう」
木場は、中指で眼鏡を上げながら応えた。
そもそも、クローン人間は倫理上タブーとされていた。しかし、研究者たちは倫理の前に、実験とその成果を求めることに熱心で密かにクローンを製造していたのであった。ただ製造するのでなく、英才教育を施して、より能力の高い人類を育てるというのが目的であった。一~三号でほぼクローン技術が確立され、それなりの英才教育ができると判断された。そして、四~六号で成長促進剤の実験が行われ、これもそれなりの成果を出した。
七号を造るときに新しい計画があがった。成長したクローンの活用である。英才教育を受けたクローンが、成長した後、その成果をもたらすかである。
それが早乙女奈那子であった。
つまり、成長したクローンが現実に有効活用できるかどうかの実験ということである。
早乙女が生まれたころ、オリンピックでの成績が芳しくない状況であった。そこで、強い肉体もつ八号と九号が生まれた。成長過程で投与された成長促進剤と筋肉増強剤の投薬過多で八号の学習能力に支障きたす結果になった。後に生まれた九号も同等に近い薬品投与が行われていた。高い運動能力を持っているが、国際レベルの運動能力を得ることはできなかった。
クローン研究お並行して、成長促進剤や細胞活性化剤の薬品開発も進んでいた。
十号の研究では、学習能力の向上を優先させた。七号の早乙女の成長の成功、八号、九号の失敗を踏まえて、十号研究は女の子を採用したのであった。
しかし、伊緒が生まれて間もなく、研究チームが解散したため、雪村博士が伊緒を引き取って育てたのである。
「まぁ、こんなところだだが、もうひとつオマケがあるのだよ。ゼロさ。速水君、君は本研究の足がかりとなったプロトタイプ、つまり0号なのさ」
木場はそう言って中指で眼鏡を押し上げて笑った。
一瞬、空気が止まった。
「俺が?」
賢介は木場の話を理解できなかった。
見杉が空かさず口を開く。
「そんなバカな。賢介の両親は、賢介が子供のころ自動車事故で亡くなっているはずだ。そうだろ、賢介?」
「え、ええ。確かに墓参りも毎年行っています・・・・」
賢介は、戸惑いながら応えた。自分の記憶に間違いはないと思いつつ、木場がこの状況で、つまらない作り話をする理由が見つからなかったからだ。
「いいだろう。君の生い立ちについても説明しよう。君の両親・・・・・。両親ということにしておこう。確かに自動車事故で亡くなった。その車には、もう一人、生後1年の速水夫妻の子供が乗車したいたのだ。だがその子も事故で亡くなっていたので、雪村博士はその子の細胞からクローンを造ったのだよ。そして、そのクローンに成長促進剤を投与して、1.2倍の速さで成長させた。そして、その成果が認められて研究施設を開設することになったのだ」
「・・・・・」
賢介は、木場の説明に言葉を返すことができなかった。
「賢介・・・・・」
伊緒が気の毒そうな眼で賢介を見た。
賢介の雰囲気が、ガラリお変わる。
「ふ、ふふふ、はははははっ」
いきなり笑いだす賢介。
「どうした賢介?」
見杉が心配そうに声をかける。
賢介は笑いながら顔をあげた。
「あははははっ、なんかスゲェ話だな。笑いがとまらないよ」
賢介はそう言いながら木場を見た。その笑顔に面食らったのは木場の方だった。
「速水賢介が、プロトタイプ・・・・・」
早乙女にしても、はじめて聞く話である。
「早乙女さん、どうだろうね。あんたと同じで、俺もクローンらしいよ」
賢介はまだ笑っていた。早乙女の視線は木場に移った。
「木場先生、それは本当の話なのですか?」
「ああ、詳しい研究資料が残っていたよ。但し6歳までだけどね。速水夫婦の子供が亡くなったのは1歳、当時の成長促進剤を投与すれば、4年で6歳程度まで成長は可能だから、就学時には他の子供たちと同じレベルに成長できるわけさ」
木場の理屈は正しかった。
ドンッ!
早乙女が立ちあがって、テーブルを叩いた。同時に賢介が笑うのを止めた。
「なぜなの・・・・・?」
早乙女がポツリと呟いた。
「同じですって・・・・・。速水、あなたと私は同じじゃないわ」
早乙女の瞳は、怒りと悲しみに潤っていた。
「同じじゃない。あなたは、自由だった。普通に学校に通い、普通に社会の中で生活をしている。研究の打ち切りが決定された後、研究所に閉じ込められたままの私とは、明らかに違う!」
早乙女の拳は震えていた。
「木場先生、いつまでこんな話を!」
早乙女は、怒鳴るように木場に言った。
木場は、仕方がないなっと言わんばかりの微笑みを見せた。
「やれやれ、手品の種明かしの時間はここまでだね。そろそろ、幕を引こうか」
そう言うと、木場は警備の男に眼で合図をした。
賢介が気がつくと、警備員が、賢介、伊緒、見杉の後ろにそれぞれ着いていた。次の瞬間、伊緒の身体がふわっと浮いた。
伊緒は、腕を掴まれて立つように引き上げられた。
「何をするっ!」
賢介が怒鳴ると、賢介の後ろの警備員が両肩を鷲掴みにして、抑え込んだ。太い指が賢介の肩にめり込むように、身体を抑えつけていた。
「イタイ、イタイ」
伊緒は腕を引き上げられながら、半ば後ずさりするような足取りで、プールサイドに連れてこられた。
「さて、君たちは水遊びは好きかい?」
木場が伊緒に近づいて来た。
「この水は実に美しい。この首都圏から遠く離れた日本アルプスの源流を運ばせたのだよ。このプールの水は、水道水より美味しいんだよ」
木場は伊緒に向かって言った。
「賢介、ヤバいぞ!」
見杉が短く言った。
「やめろ、木場!」
賢介が動けない体を激しく揺すりながら木場に向かって叫んだ。
「あっちの二人は察しがいいな。そのとおりだよ。君たちには、たっぷりこの水を飲んでもらうよ。そして自然豊かなこの川の源流で葬ってやるのさ。司法解剖すれば、源流の水が検出され、君たちは山中にて溺水の事故として処理されるのだよ。このプール水は死体発見までに、水道水に変わっているからね」
木場は銀色の眼鏡の眉間の辺りを中指で押し上げて言った。眼鏡の奥が殺気にギラつく瞳に変わった。
すると、警備員が伊緒の首を掴んで身体ごと押し下げた。
「きゃっ!」
伊緒がちいさな悲鳴を上げる。同時にプールサイドのコンクリートに膝をついた。
木場が賢介の方を向いた。死刑執行人を気取ったような誇らしげな眼をしている。
「速水君、こういうときに助けが来ないかと思っているかもしれないが、実に残念なお知らせがある。どうも私は公安に眼を付けられているようだよ。私邸の正面から見えるところに、監視車両が一台あるようだ。しかし、外部から見て明確な騒動でも起きない限り、与党幹事長の要職にある私の私邸に、飛び込んでくる馬鹿はいないのだよ」
負けを知らない木場の眼は夜叉のようであった。
「助けてく・・・」
ガツンッ!
賢介が叫ぼう押した瞬間、黒服の男が賢介の頬を殴った。賢介の奥歯の一部が欠けて吹き出る。
「無駄なあがきだ。例えまともに叫んでも、外に声は届かない」
男が言った。
木場が、伊緒を抑えている男を見て顎で合図すると、男は伊緒の頭を掴んで水面へと向かわせる。
「イ、イヤァ・・・・・」
伊緒は涙ながらに抵抗したが、男との体力差はハッキリしている。強い力でグイグイ頭が下がって行くのだった。
伊緒の顔が水に沈んだその時、破壊される金属音と共に、ワンボックスカーが飛び込んできた。ワンボックスカーは、敷地内の植栽を蹴散らして一気にプールサイドの真ん中まで突っ込んできた。
伊緒の頭を押さえていた男が思わず手を離してのけぞった。
後部座席のスライドドアが開くと、大きな影が飛び出してきた。
鉄パイプを大きく振り上げると、伊緒から離れた男の肩口目掛けて振りおろした。
バキッ!
鎖骨が折れる音がして、男は倒れた。
「大丈夫か?」
黒い影は、伊緒を起こして抱きかかえる。
「ゲホッ、ゲホッ、ダイ・・・ジョウブ・・・よ」
伊緒は途切れながら返事をした。
伊緒を抱きかかえていたのは、9号だった。
間もなく、8号も運転席から飛び出して、ドアを引きちぎると、立っていた別の黒服の男に投げた。ドアは一人に当たり、その先の男にも当って二人が倒れた。
「動くなよ!」
8号は、拳銃を一丁、右手に持っている。
9号は、伊緒を抱えて立ち上がった。
「この子と、あっちの男二人、貰っていくぞ」
そう木場に向かって言った。
「あなたたち!」
早乙女が声を上げた。
「これは、先生。よくも俺達に向かって攻撃してくれたな!」
8号が周囲の男をけん制しながら、早乙女を睨んだ。
9号は、ワンボックスカーに戻り、自分が座っていた後部座席に伊緒を座らせた。
「8号、いくぞ」
「おう!」
8号は、ドアのない運転席に乗り込んだ。
「木場さんよ、そっちの二人のニイチャンも、引き渡してもらうからな」
9号は、伊緒を見ながらそう言って振り向いた。
「お前らここから出てどうする。出生も未分も証明できない、お前たちはこの社会では生きていけないぞ」
木場は、銀色の眼鏡の眉間の辺りを中指で押し上げて言った。
「さあな。ただ、あの男たちは信用できそだからな。俺達のチカラになってくれると信じている」
9号は、賢介と見杉をさして、そう言った。
「ふふふっ、強者は強者の世界で生き残りをかけた戦いをし、弱者は互いの傷をなめ合って生きていくのか。しかしな、弱者が強者には向かえば、それは即ち破滅なのだよ」
木場がそういうと、周囲の黒服の男たちは9号に向かって銃を向けた。
「うっ・・・」
後ずさりする9号。
「いいかい、与党幹事長の私邸への侵入者なんて、始末されても文句はいえないのさ。ましてや、君達の亡骸は闇から闇へと処分されるのだがな。そういえば、君達は実験動物だったな。いなくなったところで、何も影響がないのだな」
と、木場は足元をさ迷う蟻でも見下すかのように言った。
その言葉に、見杉が怒り露わにした。
「てめぇ、ふざけるなよ!」
「ああ、見杉くん。君には家族がいたんだな。君が居なくなると家族が悲しむかもしれないね」
木場、首を横に振って笑った。
「おい木場。誰かに手を差し伸べようとする者、誰かに手を差し伸べられる者は、一人じゃないんだよ。賢介は俺の大切な後輩だ。伊緒ちゃんも大切な友達だ。そして、そこの奴らは、伊緒ちゃんが手当てをし、そして伊緒ちゃんを助けたいとここまで来た。誰ひとり、いなくなってもいい人間ではないんだよ!」
「見杉さん・・・・・」
賢介は、見杉の言葉に胸が熱くなった。
「ああっ?」
木場は耳に手をあてて聞き直す素ぶりを見せる。
「世迷言はそこまでだ。面倒なんだよ、ムシケラのくせに面倒なこと言うんじゃないよ」
木場は、見杉に向かって歩き出した。
黒服達の銃口は9号とワンボックスカーに向けられ、8号9号ともに動けないでいた。
拘束されて動けない見杉の前に、木場が立つ。
「バカは、回りくどい結論しか出せないからバカなんだよ」
「何っ!」
見杉が木場を睨む。
「あのな、お前と、ここに居る他の奴らを一度に始末すれば、いなくなって寂しい思いをするのは、お前の家族だけだろがぁぁぁ。そんな簡単なこともわかんないのかよ!」
そう言って、木場は見杉の腹をけり上げた。
「うぐっ」
見杉うずくまってた倒れた。
「なにをする!」
賢介が木場に飛びかかろうとするが、賢介も拘束されて入れほとんど動けない。
「ホントにバカが多くて便利な世の中だ。コスモ22のコードキーを解読できたしな。これからこの国は俺の手の中で踊るのさ。お前ら素姓の分からない者を全員抹殺して、実験塔も資料も処分してしまうのだよ」
すでに木場は、国王のような気持ちになっていた。
「素姓の分からない者を全員抹殺・・・・・」
早乙女が木場の脇で呟いた。
パンッ!
乾いた銃声とともに、早乙女の右肩から血が噴き出した。
倒れる早乙女。右手の携帯電話が石畳に落ちて液晶画面が割れた。
「勘がいいね早乙女君。調子にのって、種明かしをしてしまったなぁ」
ふざけた口調で、木場が言った。
「裏切るのか・・・・・」
早乙女は肩を押さえながら、木場を睨んだ。
「裏切ったのではない。見限ったのだよ。君がもう少し優秀なら使いみちもあったのだがね。君は研究者にもなれず、たった二名の統率者にもなれない。これが、その評価だと理解してくれればいいよ」
木場は中指でベメガネを押し上げながら、冷たく言った。
「お~い、そっちの車の三人も殺ってくれよ」
木場の合図で、黒服の男たちが銃を撃つ。ワンボックスカーに飛び込む9号だか、足を撃たれて崩れるようにドアの入り口で倒れた。
「ガンバッテ!」
伊緒が9号の腕と上着の背中を引っ張って、車内に引きずり込んだ。
その際、別の一発が9号の腕に当る。
黒服の男たちは、ワンボックスカーにゆっくり迫ってくる。
「このヤロウ!」
8号が運転席から、手りゅう弾を投げた。
爆音とともに辺りに土煙が舞う。男たちは慌てて退避し物陰に隠れていた。
「おいおい、ウチの庭を荒らすな。そっちはまかせるから騒ぎになる前に始末付けろよぉ」
そう言って、木場は再び銃を握り直した。そして、その銃口は賢介に向けられた。
賢介は銃口越しに木場を睨んだ。
「貴様、そうやって何人の屍を踏み越えてきたんだ」
「お前は、踏みつぶした雑草の数を数えているのか?」
笑う、木場。
「外道が!」
賢介は怒りで唇をかみしめた。
木場は、トリガーにかかった人差し指をゆっくり動かした。
「賢介!」
ワンボックスカーから、飛び出す伊緒。
空かさず一発の銃弾が伊緒の足を掠めた。伊緒はバランスを崩すとその場に倒れる。
バキューン!
東屋の中で銃声が鳴った。
「賢介ぇ~~!」
伊緒の悲痛な叫びが空気を切り裂く。
うなだれる賢介のほほを鮮血が流れて、ポタポタと音を立てながら床に落ちた。まもなく、賢介も椅子から崩れ落ちて倒れた。
「ダメェ~!」
再び、伊緒の叫び声が辺りに響いた。
「うっ、うう・・・・・」
木場が鈍い声を上げて右手をしびれさせていた。
「そこまでだ」
その声は母屋の方からした。母屋の陰に居たのは、蓮井と数人の警官だった。
木場が引き金を引く寸前に、蓮井の放った弾丸が木場の銃に当たったため、賢介はかすり傷ですんだのだ。
警官がなだれ込むように庭園に入ってきて、黒服の男たちは次々と拘束された。8号、9号も拘束され武器を取り上げられた。
痺れた手を擦りながら振り返る木場。
「なんだお前達は?」
木場は眉間に皺を寄せて蓮井を睨んだ。
「公安の者です。木場先生、何をなさっておられるのかな?」
蓮井は銃口を木場に向けたまま、厳しい表情を崩さなかった。
「見ての通りだ。侵入者をお仕置きしているところだよ」
「お仕置き?あなたは政治家だが裁判官ではあしません。その者らの身柄はこちらで確保させていただきます」
「君は誰に物を行言っているのか解っているのかね。私に物を言いたければもっと上の者を連れてこい」
木場は、強い口調でい言った。
すると物陰から、男が現れる。
「蓮井君は私の命令で動いている。君を捕縛するのに役不足とは思わんがな」
それは、瀧川警視庁長官であった。
「瀧川先生。これは何かの間違いでしょう?」
木場は柔和な表情を見せ、瀧川に言った。
「とにかく、拳銃を置いてください」
蓮井は、木場を狙ったまま、ゆっくりと木場に近づいた。
「お前たちは解っているのか。ここに居るのは実験用モルモットで人ではないのだ。それを処分するだけで公安がどうこういう話じゃないだろう」
木場は銃をもったまま、手を広げて主張した。
「いいから、銃を置け!」
と、蓮井が怒鳴る。
「ハイハイ、そういきり立つ必要はないだろう」
木場は、テーブルの上に銃を置いて軽く両手を上げる。
テーブルの上の銃を、近くの警官が確保して木場から離れた。
「やれやれ、助かったよ」
拘束を解かれた見杉が膝についたホコリを叩きながら立ち上がる。
「蓮井さん、助かりました」
賢介が蓮井に頭を下げた。
「君が病院から逃げなければ、もっとスマートに事が進んだのだがね。君達にも聞かなければならないことが多くあるからな。覚悟しておいてくれよ」
蓮井は呆れた表情で言った。
「命が助かったんだ。あの世以外ならどこへでも行きますよ」
そう言って賢介は、東屋を出て伊緒のいるワンボックスカーに歩き出した。
「お前たちは何も解っていないな」
木場が急に笑いながら言った。
「どういうことだ!」
賢介の足が止まり、木場へと振り返った。
「この件が事件として扱われようが扱われまいが、私に罪はなく、キサマらは抹殺されるのだよ」
木場は東屋の外に出て、賢介、見杉、8号、9号に聞かせるよう話し始めた。
「いいか、お前ら人間として存在しない者達が、法の元に裁かれることはない。従って、それらの証言も証拠として採用されることもないのだ。しかもクローンについては国家の最高機密だ。軍事、科学、政治、あらゆる面に於いて、今回の件が公にされることはない。ましてや、私を逮捕すれば、与党の支持は低下して、次の選挙以降苦戦は必至だ。この件は隠ぺいされるのだよ」
木場は自信たっぷりに言った。
「そんなこと、俺達には関係ない!」
賢介は拳を握って反発する。しかし、木場は譲らなかった。
「何をいっているんだ。それらの証拠を残さないようにするため、クローンは始末されるのだよ」
木場は、手のひらを水平にして、首を切られる仕草をみせた。
「木場元幹事長の言うとおりだよ。我々は、無いものを有るといい、有るものを無いことにできる力を持っている」
瀧川はそう言って、賢介に厳しいい表情を見せた。
木場は笑った。
「はははっ、そういうことだよ。力の違いを実感したかい。・・・・・?」
一言言って、木場は違和感に気づいた。
「元幹事長だと?瀧川先生、どういうことですか!?」
「木場君、少々急ぎすぎたようだね。総理が残念だとおっしゃっていたよ。事実上君は更迭されたのだ」
瀧川は笑った。
「私は父から受け継いだ地盤は絶大な票を集められる。更迭の理由をなんとするつもりですか!」
木場の声が上がった。
「先程も言ったはずだ。我々は無いものを有るといい、有るものを無いことにできると。君もその対象になるのだ」
「ふざけるな!」
木場は怒り心頭で、滝川に向かって走り出した。
しかし、捜査員に取り押さえられた。
「離せ、俺は与党幹事長の木場好伸だぞ!」
木場は後ろ手にされて、手錠をかけられた。
「蓮井君、あとは頼んだよ」
瀧川はそういって、その場から立ち去ろうとした。
「ふ、ふふふ。あはははっ」
女の笑い声がした。
早乙女菜々子が、東屋の脇に立って笑っていたのだ。
「なにもかも、おしまい。おしまいよ!」
東屋の脇で早乙女が半狂乱になりかけていた。
全員の視線が早乙女に向けられた。
「おい、大丈夫か?」
見杉が、怪訝な表情で早乙女に近寄ろうとした。
「来ないで!」
早乙女は左手に持った携帯電話を見杉に向けた。なんの変哲のない携帯電話だが、見杉は一瞬たじろいだ。
次の瞬間、周囲の者はその意味を理解した。早乙女がボタンを押せば、最大で半径20kmが一瞬で消えてなくなるのだ。
蓮井の銃口は既に早乙女に向いている。
「待ってくれ、蓮井さん。時間をくれ!」
賢介が叫んだ。蓮井はその一言で、トリガーにかかった人差しの緊張を解いた。
「早乙女、なんのマネだ」
賢介は、東屋を少し周り表から、早乙女を見て言った。
「もうおしまい。木場が捕まったら、私は生きていられない・・・・・」
早乙女の唇は震えていた。
「何を言っているんだ?」
賢介が、ゆっくりと早乙女に近づく。
「来ないでって言っているでしょ!私は、存在しない実験体なのよ。人として存在しない人。身柄を拘束されれば、処分されても、処理されても、闇に消されるだけの存在なのよ!」
早乙女は完全に追い詰められていた。自分の実験体としての存在。藤堂を殺害した実行犯。これだけで、自分が生き続けることができないと悟っていたのだ。
「まて早乙女。お前も、8号9号も、きちんと人として扱う。落ち着け、落ち着くんだ!」
蓮井も、早乙女の説得を始めた。
「そんなこと・・・。そんなことが信用できるか!」
ズキューン!
早乙女が叫んだ瞬間、銃声がして早乙女が持っていた携帯電話が大破して飛んだ。
「やれやれだぜ」
声の主はワンボックスカーの後部座席からだった。後部座席の窓の隙間から硝煙があがっていた。
「ウォン!」
賢介と見杉が同時に叫んだ。
「どうでもいいけどよぉ~。警察のダンナ。一応は役に立ったのだからな、見逃してくれよ」
ウォンは蓮井に言った。
「前向きに検討するさ」
蓮井は、ニヤリと笑った。
ポタリ、ポタリと早乙女の手から、血のしずくが落ちる。
「確保だ!」
蓮井の号令で、一斉に警官が早乙女に向かって駆け出した。
その瞬間、早乙女の顔が般若のような形相に変わった。
「触れるな、私に触れるナァ~!」
早乙女は、ポケットから別の携帯電話を取り出した。
賢介、見杉、蓮井、瀧川ら状況を知る者の眼が凍った。しかし、早乙女に向かう警官たちには、それが何なのかわからない。
ウォンが再び銃を構えたが、警官たちが間にいて早乙女に照準が絞れない。
「半径20キロ、みんな道連れよぉ~!」
早乙女がボタンを押す。
白い閃光がコスモ22から発せられた。光線は一直線に地表に走った。まさに雷のようなスピードで、一帯が一瞬真っ白になった。ほんの一瞬で、ターゲットを狙い撃ちできる、驚異的兵器がはじめて閃光を放ったのだ。
静寂・・・・・
閃光のあと、辺は焼け焦げの煙と、砂埃が舞う。ほんの数秒間、視界が悪くなった。
「無事・・・、なのか・・・」
賢介が閃光でダメージを受けた目を擦りながら、周囲を見た。
ぼんやり、辺が見える。
「速水、無事か?」
蓮井の声が聞こえた。
「大丈夫です。でも眼がまだ・・・」
「賢介、伊緒ちゃんは?」
見杉が言った。しかし、見杉も同じように眼が慣れていないようであった。
「伊緒、伊緒、無事なら返事しろ!」
賢介が叫んだ。
「ダイジョウブ、もうダイジョウブだよ」
伊緒は、いつもの声で返事を返した。
そして、そこにいる連中の誰もが周囲を見渡せるほど視力が回復したときに、状況が把握出来た。
「警部、来てください。こ、これは?」
ひとりの警官が蓮井を呼んだ。
蓮井と賢介が駆け寄り、警官の指す地面を見た。
そこにあったのは、直径1mほどの黒く焼け焦げた円だった。その円こそが、早乙女の立っていた場所だったのだ。
そこに、伊緒が来た。
伊緒はその場に膝を付き、黒い円に手を置いて泣き出した。
「ゴメンね、ゴメンね・・・・・」
伊緒の右手には、携帯電話があった。それは、ウォンのものであった。
「伊緒、お前が・・・」
賢介が優しく声をかける。
「ゴメンね。もう、止められなかたの・・・・・。だから、これしか方法が思いつかなかった・・・・・」
黒い円にポロポロとこぼれ落ちる涙。賢介は自分も膝を付き、伊緒の肩を優しく抱いた。
「お前は悪くない。お前はここにいるみんな、この付近に住む多くの人たちの、命と生活を守ったんだ」
その言葉に、伊緒の感情が一気に高まった。伊緒は賢介の胸に飛びつくと号泣した。
「うわぁぁん!」
「いいんだ。もう、いいんだよ」
賢介は伊緒を包むように抱いた。時折、頭を撫でで優しく抱きしめた。
「どういうことだ」
蓮井は、ガンホルダーに銃を仕舞うと、タバコに火を点けながら賢介に言った。
「コスモ22への固有のアクセス権限は早乙女によって解除されていました。パスワードさえ知っていれば、どの端末からでも操作は出来たということです。伊緒は早乙女の暴挙を止めようとしましたが、発射コードの解除ができなかったのでしょう。早乙女が照準を定めた最大攻撃範囲を、あの瞬間、最小攻撃範囲の半径1mに絞り込んだんですよ。つまり照準の中心にいたのが、早乙女だったんです」
賢介は、そう言って伊緒の頭を優しくなでる。
蓮井はタバコの煙を吐きながら空を見上げた。
「まったく・・・・・。今や、ピザのデリバリーを頼むみたいに、電話一本で手軽に街を消せるようになったってことか。子供のころは、空から神様が見てるって、お袋が言ってたけどなぁ」
木場の広い敷地に、警官達が走り回っている。拘束された木場、また、木場に手を貸したもの達が次々と連行されていく。 多数の人がめまぐるしく映し出される光景は、遥か上空の鳥達から冷ややかに見えた。