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エンジェル・ダスト  作者: 御子神 輝
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第5章 テストナンバー

 夜が明け始めた。

天井近くに明り取りの窓がある。透き通った朝陽が窓の外にある面格子の網を抜けて部屋の対面の白い壁を照らした。壁、床、天井の六帖ほどの広さの部屋の全てが白かった。そして、そこにあるベッドも白かった。

「くはぁーっ。よく寝ましたァ~」

 白い掛け布団が舞って伊緒が伸びをしながら起き上がった。

「ここは・・・・・。そうだ、賢介は?」

 伊緒は起き上がって、ベッドから下りた。伊緒は、そこで自分の服装が裾が足元まである白いワンピースであることに気が付いた。何の飾りもなくポケットすらないシンプルなものであった。

ベッドから下りた伊緒は、白い扉へ向いシルバーのノブを回した。しかし、扉は鍵が掛かっていて開かなかった。

 ドンドン、ドンドン。

「誰か、開けてヨ!」

 ドンドン、ドンドン。

 伊緒は扉を叩きながら叫んだ。

 すると間も無く部屋の中で女性の声がした。

「あら、早いわね。よく眠むれた?」

 伊緒が声の方を向くと、部屋の隅に監視カメラとスピーカーが見えた。

「賢介はどこ?」

 伊緒は監視カメラに向かって言った。

「速水賢介ね。安心しなさい。彼は病院に運ばれたけど、既に抜け出したそうよ。案外軽傷だったみたいね」

 女は、坦々と答えた。

「そう、ヨカッタ~」

 伊緒はホットして、その場に膝をついた。

 グウッ。

 膝をついた途端に伊緒の腹が鳴った。

 頬を赤らめる、伊緒。

「どんな時でも、お腹は空くのネ。あの~お腹ペコペコだから、ミルクとトースト頂戴。できれば、ブルーベリーかイチゴのジャムをお願いネ!」

 と、再び監視カメラに向かって言った。

「お、お前は不安ではないのか・・・・・?」

 カメラの向こう女は言った。

「ふ・あ・ん・・・・・?」

「まあいい。朝食に案内します、しばらく待っていなさい」

 そう言って、女の声は切れた。 

「あ、あの・・・・・」

 伊緒は、そこまで言って、ゆっくり歩き、ベッドの端に腰掛た。

 しばらくして、ドアからガチャガチャと鍵が差し込まれた音がして、ゆっくりと扉が開いて、大きな体の男が現れた。

「あーっ!」

伊緒は、男を指して声を上げた。そこに現れたのは、9号であった。 

「あなたは、えーと、えーと・・・・・」

「俺は9号だ」

「9号・・・・・。そんな、名前だったっけ。私は雪村伊緒」

「伊緒・・・・・。それが、お前の名前・・・・・」

 9号は、険しい顔でしばらく黙って伊緒を見ていた。

「あのう~」

 伊緒は、動かない9号の顔を覗き込んだ。

「つ、ついて来い」

 9号は、先に歩き出した。

「チョ、チョット、待って~」

 伊緒は9号を追いかけて部屋を出た。

 9号の後ろを歩く伊緒。廊下はゆったりあるが、時々左右に見える鉄の扉以外は、オフィスビルや総合病院のように、表情の無い廊下が続いた。途中、大きな窓が2枚あった。遠くに山々が連なっていた。山の谷間に町らしきものが見えた。

 間も無く9号が、ある白い扉の止まった。

「ここだ」

 そう言って、9号はゆっくりと扉を開けた。伊緒が9号を見ると、9号は伊緒の背中を押して部屋に入れた。

 伊緒が中に入ってみたものは、無表情な廊下と一変して、高い天井から下がる豪華なシャンデリア。床にはふかふかのワインレッドを基調にした絨毯が敷かれ、周囲にはモダンな洋風の家具が並んでいた。窓にもワインレッドのカーテンが掛かって下り、その外はには美しい自然が広がっていた。そして、部屋の中央には長いテーブルが置かれ、装飾品や果物が並べられている。

そこは、まさに中世の王室の食卓を模したようであった。

「すご~い♪」

 伊緒は喜んだ。振り返って9号を見たが、9号は何も言わず扉を閉めた。

「お掛けなさい」

 部屋の反対側から、裾の長いワインレッドのワンピース着た美しい女性が現れた。女性は長いテーブルの端の席に着いた。伊緒は、首を横に動かしながら、その席からテーブルを上を見ていった。テーブルを挟んで女性の反対側に一つだけ席が在った。伊緒は迷わずその席についた。

 伊緒の前には、直前に置かれたと思われるほど、湯気が立つコーンスープとロールパン、ゆで卵、フルーツなどたっぷりと並べれていた。まるで、ホテルのバイキング料理並みの量であった。

 伊緒は喉から手が出るほどお腹が減っていた。香りを乗せた湯気が、伊緒の鼻の先を誘惑しながら流れていく。伊緒は、チラット女を見たが、女は何も言わず伊緒を見ている。伊緒はまたチラッと女を見る。しかし、女は動じなかった。

 伊緒は我慢が出来なくなり自分から話しかけた。

「えーと・・・・・。ワタシ、雪村伊緒です」

「そう」

 女は僅かに、口を動かしただけで、表情は変わらなかった。何とも言えない窮屈な空気。

伊緒は既にお預けをくらったポチ状態であった。

「えーと、あなたは・・・・・?」

「私は、早乙女奈那子」

「奈那子・・・・・さん」

「そうよ」

 表情を変えない早乙女に、伊緒は思い切って、

「これ、食べていい?」

 と、聞いた。

「どうぞ」

 と、答えた。

「いただきマース!」

 伊緒は合唱して、ロールパンに手をつけ口に放り込んだ。

「んっ?」

 頬が胡桃を食べたシマリスのようになった。伊緒は早乙女を見たが早乙女の姿勢は変わっていなかった。

「あの・・・・・。奈那子さんは食べないんですか?」

 伊緒がそう言うと、そこで初めて早乙女が動いた。

「失礼」

 早乙女は、タバコを一本咥え、金色のライターで火を着けた。一口吸って食卓を避けるように煙を吐いた。そして、伊緒を見るとわずかに微笑んだ。

 伊緒は、早乙女の仕草を見てホッとし、コーンスープを口に運んだ。

「わあ、このスープとってもオイシイ!」

 伊緒は、立て続けに五口もスープを飲んだ。

「随分、手こずらせてくれたわね」

 早乙女の一言が、伊緒の胸を刺した。

「ウグッ。ケッホ、ケッホッ!」

 伊緒は五口目のスープを喉に引っ掛け咳き込んだ。伊緒は恐る恐る顔を上げて早乙女を見る。

 今度は真顔の早乙女。伊緒は無理にニッっと微笑んで見せた。

「あの~。他の人は?」

「何のこと?」

「朝食デス」

「ここで食事を取るのは、貴女と私だけよ」

 早乙女は、タバコの煙を吐いて言った。伊緒は、その言葉を聞いてテーブルの上の料理や果物の皿を見直した。

「でも、こんなにイッパイ・・・・。あっ!」

 伊緒は口に手を当てた。

 早乙女は、伊緒に目線を移して眉を動かした。

「奈那子さんって、すごく食べるんですネ。スゴ~イッ!」

 伊緒は身を乗り出し、胸元で手を合わせて大きく笑った。

 早乙女は、手を震わせながら、眉間には縦皴、こめかみの上には血管が浮いている。

「一・人・で・食・べ・る・わ・け・な・い・で・しょ・・・・・」

 早乙女は、まるで固いスルメを噛み切れないような、イラついた口調で言った。

 キョトンとした表情の伊緒。間も無く瞬きをして気が付いた。

「ワタシは困ります。二人で食べるにも多すぎヨ!」

 伊緒は、合わせていた両掌を早乙女に向けて、遠慮して見せた。早乙女は、その言葉に返事をする前にタバコを大きく吸った。

「誰もあなたに頼んでいないわ。残れば捨てるのよ!」

 そして、タバコは灰皿の上でもみ消された。

「そんな勿体ないヨ。そうだ、8号さんと9号さんも呼んで一緒に食べまショ!」

「そんな必要はない!」

 早乙女は声を上げて、テーブルを叩いた。伊緒は驚いて、乗り出していた体を椅子に落とした。

「そ、そんなに、怒んなくったて・・・・・」

 伊緒はふて腐れて、近くの皿からウィンナーを三本まとめてフォークに指すと口に放り込んだ。伊緒は次々と目の前にある料理に手を着けていった。

 それを、早乙女は冷ややかな視線で見ていた。

「全くう、なんて子なの。こんな低次元な子になっているなんて、途中のプログラミングが欠落しているんだわ。雪村博士も地に落ちたものね。一体、私は何を警戒していたんだろう。こんな子に・・・・・。しかし、この子があれを持っている以上は迂闊なことは出来ない・・・・・」

 早乙女は、呟きながら再びタバコに火を点けた。瞳を閉じて深呼吸するように、最初の煙を吸い込んだ。そして、全ての煙を吐き出すように、深いため息を吐いた。そのタバコは、その一口ですぐに消してしまった。

そして、近くのティーポットから、カップへ紅茶を注いだ。早乙女は、カップの七分目まで紅茶を注いで、ティーポットを置くと、紅茶の入ったカップを口に運んだ。静かに、非常に静かに見せる早乙女の作法は、伊緒と対照的だった。

早乙女が、ティーカップを口に運んだ。

「もしやこの子、私を油断させるために、わざと道化じみた態度を・・・・・。いいえ、そんなことはない・・・・・。いいえ、そうかも・・・・・」

 早乙女は、テーブルの上に置いた三枚の写真を見ていた。その写真にはよちよち歩きの女の子が写っていた。その顔は、幼い伊緒だった。

「あなた・・・・」

 早乙女は顔を上げ、伊緒に話しかけた。伊緒は口に運んでいたサンドイッチを持った手を止めた。

「ハイ?」

 伊緒は、早乙女を見て微笑んで答えた。

「あなたに、教えて欲しいことがあるの」

「教えてほしいこと?」

「ええ、協力さえしてくれたら、速水賢介のところに返してあげるわよ」

「ホント?」

 伊緒は満面の笑みを浮かべた。

「ええ」

 早乙女も微笑んだ。しかし、その瞳の奥は笑っていなかった。

「なんでも言って、チョウダイ!」

 そう言って、伊緒はサンドイッチを掘り込んで、残り少ないコーンスープを飲み干した。



 伊緒は、早乙女に連れられて研究室に入った。

 研究室の中は誰もいなく静かだった。部屋の右手前隅に手術台のようなベッド、その隣の壁には鉄製の組み立て式棚がそびえ立っていて、ホルマリン漬けの標本らしきものがびっしり並んでいた。ガラスの扉がついた棚にはDVDのケースが、単行本のようにびっしり並んでいた。その大半は学術資料であった。左側にはブラインドで閉ざされた窓。その下には五台のコンピューターがあったが、どれも電源が入ってなかった。右側の本棚の隣に、「実験室」と書いたドアがあった。オフィスデスクが四台あったが、その全てに文具や書籍類の存在は無く、人が使っているような気配が感じられなかった。

 そして、研究室の奥にパーテーションで区切られた部屋があって、早乙女と伊緒はその部屋に入った。早乙女の部屋は、まさに書斎であった。特徴的なのは、大きな灰皿にたくさんの吸殻が溜まっていた。

「どうぞ」

 早乙女は、伊緒に早乙女のデスク前にある応接セットのソファに掛けるよう促した。

早乙女は、その奥のドアの奥に姿を消した。間も無くして、ゆったりとしたタイトスカートに淡い水色のワイシャツを着て、長めの白衣に袖を通しながら、再び姿を現した。

そして、分厚い肘掛のある、自分の椅子に腰掛けた。

まず、一服。

早乙女は、席についてタバコに火をつけた。早乙女にとって、椅子に腰掛けてすぐにタバコを吸うのは、すでに習慣化していた。伊緒の目にも、部屋に入ってからの早乙女の動きは、流れるような自然の動きに見えていた。

「伊緒さん。私はね、以前雪村博士と一緒に研究をしていたの。雪村博士は、今どこにいらっしゃるの?」

 早乙女は、細い目をして微笑んだ。

「お父さんがどこにいるのか分からない」

 伊緒はうつむいて首を横に振った。

「そう。お父さん・・・・・ねぇ」

 早乙女は、そう答えて窓の外を眺めながらタバコの煙を吐いた。そして、椅子の向きを変え再び伊緒を見る。

「速水賢介は、雪村博士とどんな関係なのかしら?」

「分からないヨ。ただ、いきなり賢介のところに行けって、賢介の家の住所のメモを渡されただけ。賢介と会ったとき賢介もワタシのこと知らなかったヨ」

「そうなの。ところで、賢介とはうまくいってるの?」

「うまくいってるって、よくわかんないけど、賢介といると楽しいヨ」

「そう、それは結構ね」

「あの~。それで、どんなことに協力すればいいの?」

 伊緒は、何かしらの重たい空気を感じていた。早乙女も伊緒に落ち着きが無いことは理解していた。早乙女は、短くなったタバコを消して、両手の組んでその手の上にあごを乗せて、再び伊緒に問いかける。

「貴女、雪村博士から何か特別なこと聞いていない?」

「何かって・・・・・?」

 伊緒は、早乙女の質問の意味が理解できなかった。

「質問を変えるわ。貴方が警察車両を大破させた方法を具体的に教えて頂戴」

 早乙女は、肱を机について、その掌に白い頬を載せて、伊緒を見つめて言った。

「それは言えません」 

 伊緒はきっぱり断った。

 そんな伊緒に、早乙女は冷たい視線を向けた。

「ふ~ん、協力してくれないのね。残念だわ。それは、雪村博士との約束?それとも、義理立て?どちらにしてもそんなことは何の意味もないの。あなたはね、雪村博士に騙されているのよ」

 そう言って、早乙女は机の端にある電卓ほどの大きさの機械のスイッチを押した。

 伊緒は、両手の拳を握り締めて立ち上がった。

「な、何を言っているのか分からないヨ!」

 伊緒は、早乙女に力一杯声を出していた。

「まあまあ。私はあなたの敵ではないわ」

 そう言って、早乙女は白いリモコンを取って中央のスイッチを押す。すると、部屋の照明が落ち、替って部屋の隅のスタンドの灯りが点いた。

「な、なにを!」

 伊緒は辺りを見回した。間もなく、伊緒の前方の白い壁に映写機からの映像が映し出された。画面の中心に伊緒の上半身が影になって映っていた。

「そんなところに立っていたんじゃ、見せたいものも見せられないわ」

 早乙女は、そう言いながら新しいタバコをくわえて言い終わると同時に火を点けた。

「な、何を見せると・・・・・」

 伊緒は、落ち着き払った早乙女の態度と、動き出した映像が気になり、再びその場に腰を下ろした。

 

 映像は顕微鏡の実験から始まった。

 丸いフワフワの玉のようなものに、細い管が差し込まれるところだった。

 次いで映像は、壁に埋め込まれた空の水槽のような部屋の中に、水の入ったガラスの支柱があった。大きさは良く分からなかったが、その中に白い塊のようなものが見えた。

「これが、何を・・・・・」

 伊緒がそう言いかけたとき、画像がみだれて次に映しだされたのは、グレーの絨毯が敷いてある部屋だった。

よちよち歩きの三~四歳の少女が、おもちゃのような小さな椅子に腰掛け、机にある紙に鉛筆を走らせている。

「おわい(終り)まちた!」

 大人の手が伸び解答用紙がカメラの前に運ばれる。画面には二桁の掛け算が二十問あった。答えは全て正解であった。

 そして、再び映像が変わる。

 画面に早乙女が現れた。画面には早乙女一人しか確認できなかったが、どうやら数人の前で何かの報告をするようであった。

 画面上の早乙女が話し始めた。

「お手元の資料をご覧ください。ご覧の通り、知能はこれまでの実験体を遥かに越えた速度で成果を挙げております。計画では常人の四倍の速度で成長を目指しておりましたが、薬の効果が予想以上の大きな影響を与えているようで、これまでの実験体と比較しても生後7ヶ月でこの成果は、研究がほぼ完成段階に来ていると言っていいでしょう」

 早乙女は自信たっぷりで答えた。

「すばらしい成果だ。それでは、性格面ではどうかね?」

 画面の外から、年配の男の声がした。

「結論から言いますと、問題はありません。まず、六号までのデータをご覧ください。これまでの研究で遺伝子レベルの性格、いわゆる先天的な要素は約一五パーセントであることが解っています。残りの八五パーセントは、後天的な要素によって左右されます。これまでの理論は、先天的効果と後天的効果の割合は三七対六三でした。これは、親や親を知る者の情報によってもたらされた情報が大きく影響しているからであります。しかし、これまで孤児等は親の情報が無いため、その研究対象から

はずされていました。我々はその点を独自の研究によって、個人の基本的な性格は生まれながらにして備わっているものではないことが明らかになりました」

「独自の研究ね・・・・・」

 別の男が言った。

「研究の内容について、ご説明が必要ですか?」

 早乙女は余裕の笑みを浮かべた。

「おぞましい研究成果の経過など知る必要はない。報告を続けたまえ」

 同じ男が答えた。

「それでは何故、全ては後天的な情報で性格が決まるといいながら、性格の十五パーセントが先天的な性格をとしてウェイトを置いているのか?それは、親子の肉体がどこかしら似ていることです。たとえば、目や鼻、骨格などがそれにあたる訳ですが、思考やクセといったものが遺伝子情報の一部に組み込まれているため運動能力や思考パターンに類似点が見られました。しかし、教育課程において、その十五パーセントの先天的な性格も打ち消してしまうことが可能であります。すなわち、環境さえ整えれば、造成された人間を兵器として育て上げることができるということです。そして、この実験体一〇号は、現在従順にプログラムどおりに育っています」

 スクリーン上の早乙女が報告し終わると、部屋が明るくなりスクリーンの映像も止まった。

「御覧なさい」

 早乙女は、一冊のファイルを出して机の上に置いた。

 伊緒は、立ち上がって机上のファイルを手にした。

―実験コード一〇号―

 ファイルの表紙と背表紙に、そう書かれていた。

 伊緒はゆっくり表紙に手を掛けた。

「そう慌てないで。ゆっくり座って読んだら?」

 早乙女は、薄笑いを浮かべながら言った。伊緒は手を止め、早乙女を見てからソファに戻った。

 


 既にクローン再生技術が確立されていた。

 細胞分裂は一つの細胞当りの分裂回数が決まっていて、クローンを作っても細胞分裂に限界があるため、クローンの寿命は短かった。研究を繰り返し科学者たちは、細胞分裂に限界のない癌の遺伝子に目を付け、人の遺伝子にその構造が存在することを突き止めた。

 遺伝子の構造を変える、神をも恐れぬ行動に、各宗教団体からの批判お相次いだ。やがて、遺伝子構造の組み換えに成功し、新しい遺伝子を持った再生児が誕生した。再生児は知能が正常に成長するかどうかが懸念された。

 組み替えられた遺伝子はその成長過程で異変を起こした。マウスの実験データと違い人の思考・肉体はその細部において複雑な情報をもっていたため、自律神経に影響が出たり、五感が鈍ったものが多かった。

 これらの条件をクリアして、初めて「実験コード」がつけられた。

実験コード一〇号ファイル。そのページをめくって伊緒は驚いた。

(実験体は、雪村直美。交通事故により死亡遺伝子原体は毛髪・・・・・。)

伊緒はページをめくっていく。

(分裂開始。培養液から「C・TYPE剤」三〇パーセント溶解済羊水槽へ移行し、人口へその尾装着。心配機能正常。

二十五週目。これまでの実験体と比較して五週ほど成長が早い。

 二十七週目。言語に明確に反応。文章に理解を示していると思われる。「C・TYPE剤」七十パーセント溶解。

三十四週目。誕生。外形成、脳波順調、羊水槽より取り出す。乳歯下二本確認。

生後当日。「C・TYPE剤」哺乳瓶に粉ミルクに混在して直接投与。完成度の高い新生児誕生。予想以上の成果。研究スタッフを見て微笑む。

生後三日。お座り。

生後一〇日。ハイハイはじめる。脳波正常。

生後一五日。ハイハイが安定。これまでの実験体と比較して五日も早い。脳波異常なし。高速成長により要注意と判断。二十四時間有人監視。

生後一六日。二足歩行に備え、呼称設定会議実施。呼称を「IOイオ」とする。同日委員会報告承認を得る。)

伊緒の手が止まった。早乙女が伊緒の異変に気付き、左の瞼がピクリと動いた。しかし、早乙女は何も言わずタバコの煙を吐いた。

伊緒は続きを読まず、ファイルをパタンと閉じた。

「ワ・タ・シ・・・・・」

「分かったでしょ。あなたは、雪村博士の子供ではないの。雪村博士の娘の髪の毛から培養されて人口的生成された実験体なのよ」

 早乙女は冷たく言った。

 伊緒は僅かに震えているようだった。早乙女には何かを肌で感じながら、強い意志でそれを押さえ込んでいるような感じに見えた。

 突然、伊緒が立ち上がったと思うと、ドアノブに手を掛けていた。早乙女が声を掛けようとしたとき、伊緒は既に部屋を飛び出していた。

「やれやれ・・・・・。それにしても早いわね」

 そう言って、早乙女はため息を吐いた。

 間も無く伊緒は研究室のドアに手を掛け飛び出した。

 しかし、飛びだした廊下には、9号が建っていて伊緒にスプレーを吹きかけた。

 伊緒は9号の脇をすり抜けたが、5・6歩進んでバッタリ倒れた。



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