第4章 選ばれし者
無人の病室。部屋の隅にフタの開いたジュースのロング缶が空っぽの状態で転がっている。その上で、風がカーテンを揺らしていた。窓枠には外に向けて垂れ下がっているロープが一本出ていた。
賢介は病院の門を出た。夜間、救急車の出入りのため門には扉がない。病院とは案外自由に出入りできるものである。賢介が正門を右に出て長い塀に沿ってしばらく行くと、四車線道路の交差点の対面にコンビニがあった。
コンビにのある交差点の手前五十メートルの辺りに黒いセダンが停車していた。コンビニの少し手前に保冷車が一台。後ろの扉が半分開いている。ドライバーが納品物のチェックをしているようだった。コンビニの目の前にグレーのワンボックスカー、さらにその前に少し離れて、赤いスポーツカーがエンジンを掛けたまま停車していた。
賢介はキョロキョロしながら道を渡った。
その途端に後方の黒いセダンのエンジンが掛かった。黒いセダンの中に男の影が二つ。視線は賢介を追っている。警察の警備車両だった。賢介が保冷車の陰に消えた。しかし、賢介は車の間を抜けて歩道に姿を見せない。
扉の閉まる音がして、スポーツカーが発進した。いきなり、Uターンすると黒いセダンの横を猛スピードで抜けていった。
黒いセダンは急発進して即Uターンし赤いスポーツカーを追った。
黒いセダンが向きを変えたと同時にグレーのワンボックスカーがゆっくりと発進して次の交差点を右折した。
しかし、黒いセダンの男はバックミラー越しにそのことを認識して無線連絡を入れた。グレーのワンボックスカーが曲がった交差点の陰にもう一台黒いセダンが停まっていて、無線連絡を受けてグレーのワンボックスカーを追った。
コンビニ前に静寂が戻る。
保冷車のドライバーが扉を閉めて運転席側のドアを開けた。
「賢介、乗れよ」
ドライバーがそう言うと、道路脇のゴミの山が動いて、黒いビニールを被っていた賢介が姿を現した。
「見杉さん、相変わらず手が込んでますね」
「慎重といって欲しいね」
見杉は笑いながら帽子を脱いた。二人は保冷車に乗ると道路をまっすぐ走った。五百メートルほど走って、閉店間際のディスカウントショップの駐車場で停車し、ダークグリーンのバンに乗り換えた。
「慎重というより用心深いっすね」
と賢介。
見杉は後部座席に手を伸ばして、パンと牛乳の入った白い袋を賢介に渡した。
「どうも」
賢介は早速牛乳パックにストローを指した。
「用心深いっていうか、段取り8割ってな。俺は相手の動きを読んで準備ができるからな。営業の仕事をやればトップセールスマンになれるだろな」
見杉はニカッっと笑った。
「確かに。詐欺師のトップも目指せますよ」
パンをかじりながら賢介が言った。
「よく言うぜ。その詐欺師のおかげで、お前と伊緒ちゃんを見失わずに済んでるのにな」
「えっ、伊緒の居場所がわかっているんですか?」
「勿論よ!」
見杉は得意気に入った。
賢介は微笑んで、最後のパンの欠片を飲み込んで、再びストローを口に運んだ。
「こんなこともあろうかと、昼間のゼリーに発信機を仕込んでおいたんだ」
と、見杉は笑った。
「ブブーッ!」
賢介は口に含んだ牛乳を吹いた。
見杉は驚き、牛乳を避けようとして一瞬ハンドルを左右に振ってしまった。
「け、賢介ッ。汚いぞ!」
見杉は慌ててサイドボードからティッシュペーパーを引き抜いて前のパネルを拭いた。
「見杉さん!」
「なんだよ」
「俺と伊緒の腹ん中に、発信機入れたんですか?」
賢介は怒鳴った。
「心配すんな。熊や野犬の追跡に使っている。害はない。三十六時間で消化される」
見杉は澄ました顔で言った。
「見杉さん!」
「なんだ?」
「まさか、この牛乳にも入っているんじゃないでしょうね?」
「いいや・・・・・」
その返事に、賢介は一先ずホッとしたが、見杉の言葉には続きがあった。
「さっき食ったパンの中に入れといた」
と、見杉は笑っていった。
賢介は窓を開け、外に向かってゲーッゲーッと舌を出しながら戻そうとしたが、時すでに遅しであった。
賢介と見杉の乗ったダークグリーンのバンは閑散とした夜中の街を抜け、広いを国道を走っていた。二十四時間営業のコンビニエンスストア、ファミリーレストラン、バッテリースタンドの明かりが左右にまばらに繰り返しながら見える。時々、地方の産地から卸売市場へ向かう産地のロゴ付大型トラックとすれ違った。
「見杉さん・・・・・」
「ああ、伊緒ちゃんの所へ直行する。急がないと発信機の電波が途切れるからな」
「それなら、高速道路に乗った方が早いんじゃ・・・・・」
「高速道路は警察の手が廻っている。この時間ならこの国道を走っても問題ない」
見杉の自信には裏付けがあること
「そろそろ、今後のことについて教えてもらってもいいですか?」
「そうだな」
見杉が前のスイッチを入れると、前面から十二インチの画面が出てきた。見杉がタッチパネルのキーボードを左手だけで叩く。すると画面上に地図が現れた。
ナビゲーションシステムの画面上に赤と緑の点滅が見える。赤は明らかにこの車である。緑は目的地のようであった。
「見杉さん、ここですか?」
賢介は緑の点滅を指した。
「そうだ」
地図の状況から、街から五~六キロメートル離れた場所に自衛隊の演習場があった。
「こんな街の近くに演習場が・・・・・」
「いいや、この演習場は一五〇年前、第二次世界大戦後に日本軍が自衛隊として再出発したときに設置されたものだ。もともと何もない山奥だったが、都市開発によって街が拡大して、ここまで広がってしまったんだ。しかし、目的地は演習場ではない。よく見ろ」
そう言って、見杉は画面をタッチして地図を拡大表示した。
演習場の近くに、いくつかの建物の影が点在していた。その内の一つに緑の点滅がある。
「これは、自衛隊の施設ではありませんね」
賢介がどう見ても、建物は自衛隊施設の外にあった。
「法務局のホームページから土地建物の所有者を検索してみた。ここは城之崎重工の役員の個人所有になっているが現在は閉鎖状態のようだ。五年ほど前までは、財団法人生物科学総合技術研究局の所有になっていた。この施設のデータはほとんど無い。お前に見せた軍事マニアのサイトの中に、生物科学研究所というのが存在していたんだが、その研究内容や場所について大まかな記述があり、ここと酷似している・・・・・。もうすぐ目的地だ、チョット休憩入れるぞ」
見杉は車を道路脇にあるバッテリースタンドに入れた。今の時代、自動車は全て電機自動車になっていた。電気自動車はバッテリーの軽量化と加速力の向上に加え馬力も上がっていた。ガソリンスタンドに変わって普及したバッテリースタンドが各店舗単体でのソーラーエネルギーの高変換率機の導入によって、ガソリンよりも安い単価でエネルギー供給ができるようになっていた。今やガソリンを必要とするのは、旅客機や宇宙ロケット、自衛隊関連の重機など一部爆発的なエネルギーを必要とする乗り物だけであった。
「いらっしゃいませ!」
オレンジのつなぎを着た若い男が出てきた。
「レギュラーですか、ハイパワーですか?」
「ハイパワー、フルチャージ。クイックで頼む」
「はい、ハイパワー、フルチャージ。クイック充電ですね。ありがとうございます」
この電気自動車の一回の充電時間は普通充電で四十分、クイック充電でも十分ほどかかる。
二人は車を降りた。
「賢介、バーガーでも食べて元気つけようぜ」
見杉はスタンド脇のハンバーガーショップを指して言った。
「俺、ちょっとトイレに行ってきます」
「バーガーショップで行けよ」
「漏れそうなんですよ」
「しょうがねえなあ。賢介、何にする?」
「チーズバーガーにジンジャーエールでお願いします」
「オーケー!」
見杉は先にハンバーガーショップ向う。賢介はスタンドの奥にあるトイレに入った。賢介が用を足して、トイレから出てくると充電中の車のところに、店員に話しかける男がいた。顔は見えない。男は店員に写真を見せ何かを聞いている。男は店員の肩をポンと叩くとハンバーガーショップへと向かった。ここで初めて賢介の目に男の横顔が映った。
「あいつ!」
賢介の目に映ったのは、伊緒を攫おうとしたあのヒットマンだった。賢介がハンバーガーショップに目を向けると、二階の窓際の席に腰掛けている見杉の姿が見えた。見杉は男の存在に気が付いていない。
男がハンバーガーショップに入った。次の瞬間、男の手に銃が握られていることに気が付いた。
「やばい!」
賢介はハンバーガーショップに向かって走る。
男は一階を見渡してから、二回へ向かった。見杉は、身の危険に気づかない。タバコを吸おうとして灰皿がないのに気づき、一旦席から離れて、部屋の奥の備品棚に置いてある灰皿を取りに行く。男は二階へ上がりきった。
二階に入った男は、二、三歩前に進んで周囲を見渡す。部屋がL字になっているため、男の位置からは見えなかった。見杉が灰皿を取って向き直って歩き出す。徐々に縮まる見杉と男の距離L字の部屋の内側の角に背丈ほどの観葉植物が三本あった。繁った木の中に見杉の姿が見える。男は、目を凝らして見ているが、人影を確認している。観葉植物の向こうを、一本、二本
三本、ついに見杉の姿が現れた。
見杉が男に気が付くと同時に、銃口が構えられた。
「よう!」
男は、ニヤリと笑った。
「その節は、どうも」
見杉は、男を睨んで言った。
「もう少しダメージがあるかと思ったが、案外丈夫なんだな」
「健康には人一倍気を使ってるんでね。」
二人は、その場に立ったままであった。
「一応、丸腰なんだが座ってもいいかな?」
見杉は表情を変えずに言った。
「いいだろう」
男がそう答えると、見杉は自分の席には戻り、腰掛けた。
「雪村伊緒の居場所を教えてもらおう」
「さあて、意味が解らんが・・・・・」
見杉の目は、すでに賢介を捉えていた。賢介は階段の近くにいる。
「とぼけるな。お前たちの行動には迷いがない。雪村伊緒の居場所を知っているのだろう?」
男が低い声で話し、銃を構えなおした。
「しつこい男は、嫌われるぜ」
賢介が男の後ろで言った。
男は思わず振り返って賢介を見る。見杉は男が持っている銃の銃口が下がったのを見逃さず、空かさすトレーを投げた。トレーの角が男の手首に当たって、トレー上の品々と共に拳銃が飛んだ。
落ちた拳銃を拾おうと男が手を伸ばしたが、賢介が灰皿を投げて弾いた。
男は見杉を見て、足首付近に隠し持っていた短銃に手を伸ばす。見杉が飛び込んで、男に右の拳で一撃を放とうとしたが、男の銃口が見杉の腹のど真ん中に突きつけられた。
「腹に風穴を開けてやろうか?」
男が言った。
「その引き金を引いた瞬間、あんたの頭の風通しがよくなるぜ」
賢介が弾き飛ばされた銃を拾って、男の頭に突きつけていた。
「形勢逆転だな」
見杉はそう言いながら微笑んで、ゆっくりと男の短銃を奪った。
「ご自由に」
男は笑った。
見杉は奪った銃を、男に向けた。賢介は見杉の行動を確認すると、少し下がって近くの椅子に腰掛けた。男を挟んで前に見杉、後ろに賢介。
「一応、丸腰なんだが座ってもいいかな?」
と、男は見杉に言った。
「だめだ」
見杉は、平然と言った。
「おいおい、さっきはお前が同じこと言ったとき、俺は許したんだぜ」
男は見杉に突っかかった。
「本当に丸腰なのか怪しいもんだぜ」
「なるほどな、それは正論だ。だが、丸腰なんで座るよ」
そう言って男は勝手に腰掛けた。
「チェッ!」
と、見杉は舌打ちをした。
男は、プロだった。よほどの危険がない限り二人が引き金を引かないと確信していた。
「次はないぜ」
見杉は、男にクギを刺したが、男は微笑んだだけで答えなかった。
「ここは見杉さんにお任せしますよ」
「わかった。まずは上着と、ポケットの財布をこっちに投げろ」
見杉は、威嚇を強めるように銃を構えなおして言った。男は見杉の言う通り、上着を脱いで見杉の足元に投げた。それから、右手をゆっくりズボンの後ろのポケットへ動かし、折りたたみの財布を抜いて見杉に投げた。
「まず、名前を聞こう」
「・・・・・」
男は答えなかった。しかし、男の名前はすぐに判った。
見杉は男の上着からパスポートを取り出した。
「ジミー・ウォンか。これが偽造ってこともあるがな」
「見杉さん、すごいですね」
賢介が感心して、銃口が下がった。
「賢介、油断するなよ」
その一言で、賢介は銃を構えなおした。
「こいつはプロだぜ。荷物は少ないがいつでも出国できるようにパスポートを身につけているんだ」
「なるほど」
「ところで、ウォンさんよ。あんたも仕事熱心だね?」
そう言って、見杉はコーヒーを口にした。
「・・・・・」
ウォンは答えなかった。
「見杉さん。何か手がかりになるものを持っていませんか?」
「いいや、それはないな。さっきも言ったように、こいつはプロだ。依頼に関する資料があったとしても、全て覚えた後に処分しているはずだ」
見杉はあらためて賢介に言った。
「ウォンさん。まあ、これでも飲んで暖まってくれ」
見杉は、賢介のコーヒーを見杉のと隣の席に置いた。するとウォンは見杉の顔を見てから、ゆっくりと席を移動した。そして再び見杉を見てから、そのコーヒーを飲んだ。
「それで、依頼主は誰だ?」
見杉が真顔で感情を出さずに言った。
「それは言えん」
ウォンはきっぱりと答えを拒んだ。ズキューン。見杉が引き金を引くと、ウォンの肩口を掠った。
「何をする!」
ウォンが怒鳴った。
「言っただろ、指の動きは滑らかだって」
見杉は眉一つ動かさなかった。
「わ、わかった」
「元の依頼主は女だ。今の依頼主とは面識はない。出国間近にサングラスの男に連れられ空港のVIPルームで依頼を受けたが代理人らしき人物だった」
「ふーん、依頼主が二人。それで、黒幕は誰だ?」
「知らん」
男がそう答えると、見杉は銃を構えなおすと再びトリガーに手を掛けた。
「まて、本当だ。判るのは、その代理人の男が携帯電話で先生と呼んでいたことぐらいだ」
「先生ねえ・・・・・。賢介、心当たりはあるか?」
「先生といっても、雪村先生の友人・知人は、みんな先生と呼ばれる人ばかりで・・・・・」
賢介は天井を見上げた。
次の瞬間、ウォンは持っていたコーヒーを見杉に投げた。ウォンはコーヒーをほとんど飲んでおらず、見杉はコーヒーが顔にかかって一瞬怯んだ。賢介はその異変に気が付いたが時すでに遅し、ウォンは二階の窓から外へ飛び出した。
「野郎!」
賢介はすばやく席を立つと、ウォンが飛び出した窓へ駆け寄り、身を乗り出した。ウォンは既にバッテリースタンドの中を走っていた。賢介は透かさず銃を構えた。
「待て、賢介!」
賢介の後ろで、見杉が叫んだ。振り返る賢介。
「み、見杉さん。大丈夫ですか?」
「ああ大丈夫だ。それより、スタンド内に発砲するな。当たり所が悪けりゃ、スパークしてボンッだ」
見杉はハンカチで、顔や肩を拭きながら言った。
「うわっ!」
その時、外でうめき声がした。賢介が再び外に目を向けた。そこにはスタンドの中央で店員が倒れていた。
間も無く充電中の見杉の車が走り出した。
「な、なにィッ?」
ウォンが見杉の車を奪って逃げた。
「見杉さん。あいつ、車を!」
「ん?」
見杉がテーブルから身を乗り出し手外を見た。
「やられた。ナビに伊緒ちゃんの居場所を設定しておいたのが残っているぞ。あいつ」
見杉は、言葉とは裏腹に表情は落ち着いている。
「落ち着いている場合じゃないですよ。どうします?」
「どうもこうもない。伊緒ちゃんの大体の場所は判っている。もう目的地までは十キロほどだ。地図さえあれば問題はない。とは言え、このまま盗られるのもしゃくだしな」
「それじゃあ、早く」
「はいよ」
そう言ってポケットからスペアキーを出して、その柄の部分についているボタンを押した。
すると、見杉の車のウィンドウすべてにスモークがかかって、ウォンは外が見えず運転が出来なくなった。ウォンは慌ててブレーキを掛け停車させた。
「なんだ、どうなってんだ」
ウォンはパネルのスイッチを探るが良く分からない。
しばらくして、スピーカーから男性の声が聞こえてきた。
「当車両は、セキュリティーレベル4の設定中に、登録者以外のドライバーを検知しました。よって本車両は盗難と判断し、
爆破を持って犯罪者に抵抗します。万一、ドライバーが当該犯罪者でない場合は、一分以内に本車両の半径百メートル圏外に退避してください」
間も無くエアコンの噴出し口から白い煙が出てきた。
ウォンは慌てて社外へ飛び出し、走って逃げた。
「どうだ賢介、うまいもんだろう」
見杉は、自分の声でウォンを追っ払ったと笑った。
「ホント、小細工が好きですよね」
賢介はため息を吐きながら言った。
「おいおい、用意周到といってくれよ」
「すみません」
そう言って、賢介が笑った。
「なあに、ウォンも腐ってもプロだ。ナビで表示されていた伊緒ちゃんの位置ぐらい覚えて出ただろう。それに、あと一~二時間で夜が明ける。どっちみち、無暗に飛び込むこともないだろう。ウォンも迂闊に動かないさ。さっ、車を取りに行こうか!」
見杉は、トレーからハンバーカーを手にして立ち上がった。