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エンジェル・ダスト  作者: 御子神 輝
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第3章 標的

 高層マンションを見上げる男。

 マンションの中層階が黒くすすけていた。男はサングラスをずらして、マンションのすすけた部分を肉眼で確認して、車のドアを開けた。

「とりあえず、行くか・・・・・」

 賢介はサングラスを外し、エンジンキーを回した。赤いミニクーパーがゆっくり走り出す。

 賢介の住んでいるマンションから、円形に戸建住宅が広がっている。賢介の運転するクーパーは駅から離れ、五百メートルほど先の交差点を左に曲がると、ゆるやかな坂を上っていった。

 紅葉台、城丘台、と真塚台、吾妻台の間を抜け、右に曲がると、一番高い地域が光台になる。

「光台といえば、ここしかないが・・・・・」

 賢介は車のスピードを落として、ゆっくり進む。

「園、園園・・・・・」

 一軒一軒、表札を見ていく賢介。

しばらく進むと、角地に住宅地図の看板が見えた。賢介は車を左に寄せて、車を降りた。

看板には、光台一丁目から四丁目まで約二百件の家が書かれていた。賢介は、そのすべてをチェックして、「園」と名の付く家を探して行った。

光台の中央付近に「園」という名前を見つけた。

「ここだろうか・・・・・?」

賢介は地図の家に向かった。

二メートルを越える塀。中は見えないず、鉄板の門がやや錆びかかっている。表札の下にインターホンがあった。

賢介はインターホンを押したが、反応が無かった。

「壊れているのか・・・・・」

 そう呟きながら、門扉を押してみた。門の車輪がギシギシと音を立てて動いた。あまりの音に、賢介は一瞬ためらったが、気を取り直して扉をを押した。頭の通るほど開くと、そっと中を覗く。

「ごめんくださーい・・・・・」

 賢介は中を見て肩を落とした。

 中は、荒地状態で草が生い茂っていた。奥にプレハブの小屋がひとつあったが、外壁の鉄板が剥がれ、ガラスも割れて、その躯体のほとんどは錆びていた。

「なにか、御用ですか?」

 賢介の後ろで声がする。あわてて振り返る賢介。

 そこには、四十前後の男性が立っていた。メタリックブルーのジャージ。肩にテニスラケットのケースがあった。よく見ると、キャップはテニスメーカーのロゴ入りだった。「こちらの関係の方ですか?」

 賢介は、言葉を詰まらせながら言った。

「いいえ、この裏の筋の者です」

「そ、そうですか」

「こちらに御用とは、不動産屋さんですか?」

「えっ?」

「なんだ、違うのか。いやね、ここの土地は、分譲当初に売れたんですが、ずっと空いたままでね。公団のとの契約条件で、土地購入後、一年以内に建物を建てることになってたんでな。それで、一応そのプレハブ小屋があるってわけだよ」

「は、はあ・・・・・。」

「いやね。いつまでもこんなままじゃ、事件や事故がおきるんじゃないかと心配してるんだよ。早く、きちっとした買い手が現れて、家を建ててくれないかと自治会でもいっとるんだがな」

「ご心配ご最もです」

「しかし、不動産屋さんじゃないとすると、ここに何の用事ですか?」

 町内に見慣れない男の姿があれば、気になるのが住人の性である。

「ああ・・・・・。実は、この辺りで、園さんという方の家を探していまして、ご存知でしたら教えていただけませんか?」

「園?」

「ええ」

「園さんねえ・・・・・。おっと、危ないですよ」

 男はそう言って賢介の腕を押して、道路脇に寄せた。賢介が振り向くと、宅配便のワンボックスカーが横をすり抜けて、十メートルほど先で止まった。

「ど、どうも、すみません」

「どういたしまして。世の中危険だらけ、お気を付けください」

「は、はい。それでは、失礼します」

 賢介は会釈をして、その場を立ち去ろうとした。

「そう慌てる事は無いですよ」

 賢介の背中に筒状の物が突きつけられた。わずかに振り向く賢介。

 賢介の背中には、テニスラケットが突きつけられていた。

「な、なに?」

「面倒なことは苦手でね。どっちかといえば、抵抗してくれたほうが、あっさり型がつくんだけどね」

 と、男は言った。

 賢介の背筋に寒気が走る。

「あんたが、メールの差出人か?」

「まあな」

 男は、雪村の携帯電話をポケットから出して賢介に見せた。そして、その携帯電話を放り投げる。携帯電話は、アスファルトの道路の上で数回跳ねて、カラカラと音を立てながら回転して、道路側溝の縁で止まった。

 賢介は、それを目で追ったあと、わずかに見える背後の男に視線を移した。

「何のために・・・・・」

「ほう、それは抵抗と受け取っていいのかな」

「この場合、冥土の土産って言ってほしいですね・・・・・」

 賢介は苦笑して言った。

「おいおい。初対面の相手に土産を求めちゃいかんな」

 銃口が背中を押す。

「は、はははっ。それもそうですね。ところで、命にかかわるほどの用事かと思いますが、何かお手伝いできることは?」

「女はどこだ?」

 男は、伊緒を渡せと言ってきた。

「あんた、昨日、オレの部屋を吹っ飛ばした人かい?」

 賢介の目が鋭くなった。

 男は、銃口で賢介の背中をグイット押した。

「質問しているのは、こっちだぜ!」

 男は、低い声で言った。

「あ、ああ。失礼、失礼。女とおっしゃいましたね」

「そうだ、女をかくまっているだろう?」

「女・・・・・」

「若い女だ」

「えーと・・・・・」

 賢介は考えていた。伊緒は見杉の家にいる。この男は伊緒を狙っているが、伊緒が見杉の家に居ることは知らない。知っていたら、雪村の携帯電話を使って、賢介を呼び出すような罠をかけることはない。

賢介はのらりくらりと、男をかわしながらこの場を切り抜ける手立てを考えていた。

「時間を稼ぐなよ。意味が無い」

「別に時間稼ぎなんて。でも、言っても、言わなくても撃つんだろ?」

「まあな。だが、撃つ場所は変わる。しばらくの間ここから動けない程度で済むぜ」

「結局、痛い思いするのか・・・・・」

「オレはプロだからな。痛み無しでとどめも刺せる。さて、返事を聞かせてもらおう」

 男は、再び賢介の背中を突いた。

「えーと・・・・・」

「賢介っ!」

 後方から、いきなり聞こえる伊緒の声。

「確保~っ!」

 宅配業者の男が吼える。

 次の瞬間、前方に停車していた宅配業者の車の中から、機動隊員が次々と飛び出してきた。

「な、なにっ!」

 男が振り向いた。

男は賢介の背中から離れ、伊緒に向かって走り出した。透かさず、足を出して男に引っ掛ける賢介。男はもんどりうって転がり、銃が入ったラケットケースは、男の手を離れて大きく弧を描いて、公園脇の雑木林の中に姿を消した。

 賢介は転がった男を飛び越えて、伊緒に向かって走った。

「伊緒ッ、とにかく逃げろ!」

 賢介は、右手を胸の前から追い払うような仕草で大きく手を振って、伊緒を立ち退かせようとした。

 伊緒は意味が解からない。賢介は、走ってきた勢いのまま伊緒の手をとって逃走した。

 男は公園の雑木林に突っ込むと、ラケットケースを取って公園の反対側へ逃げた。

「止まれ!」

 宅配業者の制服を着た警官が警告をしたが男は止まらない。威嚇射撃の後、狙いを定めた。しかし、公園の樹木の間をすり抜けるように逃げた。

警官は、拳銃を脇のガンホルダーに収め、宅配車装備の無線機を手に取った。

「少女発見。只今、一班が追跡。若い男と二名で駅方面に移動。二班はさんかい散開して定位置につき路地からの脱出に備えよ。三班、幹線道路封鎖。駅方面からの住宅利用者も西小学校体育館へ移動。四班は二班の封鎖ライン突破に伴い、時計坂トンネルにバリケード設置。少女、男は共に無傷で確保せよ。封鎖エリアから外部へ出る車両および男性はすべてチェックを行うこと、以上!」

 

 走り続ける、賢介と伊緒。

住宅街の交差点を三つ抜けた。追っ手は諦めずに賢介と伊緒を追跡してくる。四つ目の交差点に飛び込んだとき、左右から婚礼家具を積んだトラックと建築業者のレッカー車が進入してきた。飛び出した二人を避けようとして、両車両は蛇行し交差点の真ん中で衝突した。追っ手の足は一旦止まる。

その状況を確認して、賢介の反応が変わる。

「こっちだ!」

 賢介が伊緒の手を引っ張った。

「うわっ!」

 伊緒はバランスを崩しながら、賢介に引かれて五つ目の交差点を右に曲がった。さらに次の交差点を左に曲がった。

「け、賢介。どこに行くの?」

 伊緒が心配になって問いかける。

「解らんっ!」

「わ、解らんって・・・・・」

「とにかく、何かヤバイ!」

「ヤバイって、何が?」

「伊緒は、複数の人間または組織に狙われているぞ!」

「なんで?」

「それが、解らないから逃げる!」

 いつの間にか、賢介と伊緒は坂を下っていった。

賢介は下り坂の途中に神社を見つけた。その向うに幼稚園が見える。人気は無い。賢介は、再び伊緒の手を引くと神社の鳥居をくぐった。本殿へは階段を上るため、下からは見えなかった。


「第一班より本部へ」

「本部了解」

 無線機から応答する声が聞こえる。

「被疑者を見失いました。現在地、二丁目南の木戸神社前。前方二百五十メートルは幹線道路です」

「本部より一班へ、二班及び四班に接触の報告はない。対象者(ターゲット)は周辺に潜んでいる。捜索を続けろ」

「了解!」

 捜査員の返事が歯切れ良くなされた。無線の向うでは、他の班へ細かい支持が飛ぶ。

「本部より三班へ。・・・・・・。三班は時計坂トンネルから即時移動。一班と合同で被疑者確保に当たれ。」

「三班了解」

「本部より一班」

「こちら、一班」

「本部および三班は、一班と合流する。神社後方の道路は二班が封鎖している。合流まで待機せよ」

「一班了解」


 賢介と伊緒は神社には居なかった。神社と幼稚園の間のフェンスの穴から幼稚園に入り、用具室に潜んでいた。賢介は大きな引き戸の隙間から周辺を伺っていた。幸い幼稚園には園児や職員は居ない。賢介はここで、警察をやり過ごそうと思っていた。

賢介が振り向くと、伊緒は倉庫の奥でうつむいていた。

(何とかこの場を切り抜けなければ・・・・・。しかし、この人数では、そう簡単に切り抜けられんな・・・・・)

 周辺に車両や人が集まってきた。

(どう考えてもおかしい。丸腰の俺と伊緒に対して、この人数は異常だな・・・・・。伊・緒・・・・・?)

 再び伊緒を見る賢介。伊緒は下を向いたままだった。

 いくらなんでも、伊緒の手足からミサイルが出るわけでもない。

「伊緒、大丈夫か?」

 賢介の問いかけに、伊緒は顔を上げた。

「賢介、おナカが空いたヨ~」

 伊緒は元気のない声で言った。その言葉に賢介は気が抜けた。すでに、賢介は伊緒と食事を一緒にしているし、ミルクも美味そうにのんでいた姿も見ている。伊緒がロボットなんて、ナンセンス過ぎることもよく解っている。

 伊緒が、何か重大な秘密を知っているのかもしれないと、賢介は思った。

「突撃っ!」

 神社前で怒声が上がった。人が掛け声と同時に一斉に敷地内になだれ込んだ。

 その声に驚いて、賢介が戸隙間から宮内の動きを見た。間も無く頭を上げた。

「それじゃ、ワタシ達も行こうかっ!」

 伊緒は微笑んで立ち上がった。

「い、行くって・・・・・?」

 伊緒はまっすぐに歩くと、迷いなく扉を開けた。

「賢介、早く。走るヨ!」

「ま、待て、伊緒。走るって言っても、ここは神社から丸見えだぞ!」

「ダイジョウブ」

 伊緒は幼稚園の門に向かって、園庭を走った。

「ええいっ、なるようになれ!」

 賢介も伊緒を追って飛び出す。途中で振り返ると、ざっと見ても二十人以上が視覚に入る。確実に賢介と伊緒の方を見ている者もいる。

「伊緒、気づかれたぞ!」

 賢介が走るスピードを上げ、伊緒の背中を押す。

「うわっ。そんなに急がないでヨ」

「のんびりしている場合か!」

 賢介の激が飛ぶ。

「ノンビリしてないよ。でも、向こうからこっちは、見えていないヨ」

「こっちを、見ているぞ?」

 賢介は怒鳴った。

「でも、慌てていないでしょ。さあ、車へ急ぎましょう」

 伊緒は落ち着いている。

 賢介は再び振り返った。柵越に数人の警官と目が合ったように思ったが相手は気が付いていないようだった。

(まるで、透明人間だな・・・・・)

 賢介は不思議に感じていたが、間もなく幼稚園の正門から出て、正面の道を抜け出た。

 交差点の二つ先に賢介が乗ってきた赤いミニクーパーが見えた。

 賢介と伊緒は、幼稚園を出たペースを保ったまま車に向かって走っていた。

「伊緒。お前どうしてここが解った?」

「見杉さんに聞いたら、賢介がパソコンを見て出て行ったって言ったから、履歴を見てみたら、賢介がこの辺りの地図があった」

「それで勝手に出てきたのか?」

「カッテって、ナニ?」

「自分の判断で、見杉さんの家を出てきたのかと言ったんだ」

「そうそう」

 伊緒は軽く答えた。

 目の前に車が見える。賢介は運転席側のドアに、伊緒は助手席側のドアに分かれた。賢介はキーホルダーのボタンを押して、ロックを解除する。二人は同時にドアを開け車に乗り込んだ。

「そうそうって・・・・・。おまえなぁ、狙われているんだぞ!」

 賢介はシートベルトを締めながら言った。

「ワタシ?」

 伊緒は、自分を指して目を丸く開いた。

「自覚ないのか?」

「さっきは賢介がターゲットになってたヨ」

「それは、伊緒の居場所をききだすためだよ」

 と、賢介は言ってキーをオンにしてエンジンをかけた。

「ハテナ?」

 伊緒は、人差し指で自分の下唇を軽く指して首を傾げた。

「どういうことだ・・・・・。そう言えば、さっき、警官達を欺いたのは、伊緒が何かしたのか?」

 賢介は伊緒を見た。

「うん、そうだけど・・・・・」

「だけど何だ?」

「早く移動しないと、囲まれる」

 伊緒の言葉に緊張感はないが、賢介は緊張した。

前方を見たが人気はない。サイドミラー、ルームミラーにも何も映っていない。賢介はとりあえずサイドブレーキを緩め、アクセルを踏み込んだ。

賢介は次の交差点を右に曲がって、駅に向かおうと、指示器を出した。

「ダメ。直進して、五つ目の交差点を左だヨ」

 賢介は急ブレーキを踏んだ。

「駅に戻って幹線に入るほうが早い」

「右は封鎖されているから、真っ直ぐ行って!」

 伊緒は引こうとはしない。しかも、下を見ている。

「もうダメ。三つ目の交差点を右に行って、その二つ目を左に行って」

「伊緒。お前一体何を見ている?」

 賢介が伊緒の肩を引いた。伊緒は携帯電話を持っていた。

「そ、それは、さっきの男が持っていた雪村先生の携帯電話か?」

 賢介が携帯電話を覗き込むとディスプレイに地図が表示されていた。

「お前、これを見て・・・・・。何っ?」

 ディスプレイには、赤い点がいくつか表示されていた。点の脇に数字が見える。五・四・一二・一一、先程の神社には三〇の表示。

「これは・・・・・」

「赤は人、数字は人数。その辺りの青くて四角いのは自動車ヨ」

 伊緒は微笑んだ。ディスプレイに映る三〇の動きが、七と二十三の点に分かれた。

「あっ、二手に分かれた。気が付いたのかも・・・・・」

「おまえ・・・・・」

「賢介。ワタシを信じて、運転してくれる?」

 伊緒の目は真剣だ。

「解った!」

 賢介は、再びアクセルを踏んだ。

「伊緒、ナビたのむぜ」

「うん!」

「まずは、三つ目の交差点を右に行って、その二つ目を左だな」

 賢介は、迷わずハンドルを切った。

「右、左、左、右・・・・・」

 伊緒は、最適なコースを選んでいる。

 車は住宅街を抜け幹線路に出て左折する。この道は、駅から伸びる道でトンネルを越えると隣町に入る。

「賢介、急いで。六つ先交差点に向かって、住宅街から警察の車が二台移動してきている。急がないと、封鎖されちゃう!」

「狭い神社での捜索を軽くして、包囲を広げたか・・・・・」

「トンネルを越えたら、次の交差点をすぐ左折して、県道に入って。山道を抜けるっ」

「解った。しかし、その前に、さっきの二台の車の動きはどうだ?封鎖されたらおしまいだぞ」

 間も無く、先程の交差点だ。相手も焦っていれば、交差点での接触も考えられる。車をオシャカにしても、賢介と伊緒を捉えることができれば、警察サイドの勝ちになる。

「ダイジョウブ!」

 伊緒の返事は一言で終わった。

 賢介は伊緒を信じてアクセルを踏む。サイレンの音や回転灯が周辺の構築物に反射していて、警察車両も交差点に近づいていることは、賢介にも推察できた。

(突っ込むか、ブレーキを掛けるか)

 賢介が一瞬悩んだ。

突然、交差点に向かっていた前方の警察車両のボンネットに穴が開いた。ソフトボール程度の穴だったが、次の瞬間爆音とともにエンジンが火を吹いた。民家の塀に車体を擦りながら、向きを変え横転して電柱に激突した。後続車両が、巻き込まれることはなかったが、完全に足止めを食らってしまった。タイヤのホイルがカラカラと音を立てながら、交差点の入り口付近で回転して倒れた。

その立ち上る炎を横目で見ながら、賢介はパトカーのホイルを弾いて交差線を突っ切った。

「す、すごいなっ。しかし、ラッキーだった。伊緒、他の動きはどうだ?」

 賢介は安定した運転でトンネルに続く道を走っている。ゆっくりとした右曲がりのカーブを上っていくと、序々にトンネルが見えてきた。

「さっきの事故で、車が事故現場に集中しているヨ。三台がこっちに向かっている」

「まずいな・・・・・」

「どうして?」

「警察の機動力はかなりのものだ。俺達がトンネルのほうに向かっていることが判れば、すぐに包囲網が張られる。トンネルの向こうの情報はどうだ?」

 賢介はトンネルの入り口をはっきりと捉えながら言った。伊緒は携帯電話のボタンを押して、情報検索をする。

「トンネルの出口、半径五キロメートル以内に、移動中の警察車両が二台。一台はトンネルに向かっている。到着まで約三キロ、その他、トンネルから二キロ地点に交番があり、停止中の車両確認」

 伊緒の報告は的確で解かり易かった。

 車はトンネルに入った。全長三〇〇〇メートル。

「進行方向の指示を出してくれ!」

「チョットまってね」

 伊緒は軽く答えた。

 車はトンネルの中ほどまで来たが、伊緒の返事がない。

「伊緒。どうした?」

「もうちょっと待って・・・・・」

 車はトンネルを進む。対向車はまったく無い。トンネルの中ほどまで来るとゆっくりと右にカーブしていた。カーブに入る直前、ルームミラーに、回転灯で周囲を赤く染めながら、賢介と伊緒を追跡する車両二台を見つけた。しかし、まもなく車はカーブを曲がりきって追跡車両はミラーから姿を消した。

 伊緒は動かない。

「伊緒、どうしたんだ?」

 賢介がチラリと伊緒を見る。

 伊緒は顔を上げた。

「どうもしない。ただ、トンネルの中では周辺状況はわからないの」

 伊緒は賢介を見て首を左右に振った。

「わかった。とにかく、急いでトンネルを抜ける!」

 賢介はアクセルを踏み込んだ。しかし、出口まで一二五〇メートル地点まで来て、賢介がブレーキを踏んだ。

「な、なんだこれは?」

 賢介は目の前の状況に愕然とした。

 目の前に、パワーショベルがあった。その横にパワーショベルを積んでいたと見られる。平らなボディーのトラックが横転していた。

「通られないじゃないか。しかも、トラックは横転しているから動かせない・・・・・」

賢介はルームミラーには警察車両は見えていない。

賢介は前方のトラックとパワーショベルを再び見た。そして、あることに気が付いた。

(あのアームを動かせば、この車ならと折れる)

賢介は、そう思ってパワーショベルの運転席を見た。運転席に見える黒い影・・・・・・。

次の瞬間、パワーショベルが動き出した。 

 パワーショベルのアームは、その運転席を中心に、しなやかな弧を描きながら車に向かってきた。賢介がギアを切り替える。バックにしてアクセルを踏み込んだ瞬間、トンネル内に響く破壊音とともに、視界がさえぎられた。

 一瞬身を竦める、賢介と伊緒。

 パワーショベルの爪は、車のボンネットに深く食い込み、ラジエターからは水蒸気が噴出し、辺りは霧がかかった状態になっていた。

「伊緒、逃げるぞ!」

 賢介の掛け声で、二人は車から飛び出した。

「きゃっ!」

 伊緒の悲鳴。振り返る賢介。

 伊緒は霧の中から飛び出してきた太い腕に、右手を掴まれた。賢介は本能のように飛び上がり、車の天井を滑る。そして、霧の中に潜む影に向かって一直線に右足を蹴り込む。

 ガシッ!

「何ぃっ?!」

 賢介の蹴りは、鈍い音を立てて止まった。

 いつの間にか、ラジエターの蒸気は沈静化していた。そして、トンネル内を突風が通り抜ける。

 黒い巨体が2つ。

 一人は、伊緒の右腕を掴んでいた。そして、もう一人は、その左手で賢介の右足を掴んでいた。賢介は透かさず、左足を飛ばす。

 賢介の足を掴んでいた男は、まるで食べ終わったバナナの皮を放り投げるように、賢介を投げ飛ばした。賢介はトンネルの曲面に頭と背中を打ち付けて落ちた。

「賢介~っ!」

 伊緒の叫びがトンネル内に響く。

「うるさいっ!」

 伊緒の手を掴んでいた男は、伊緒の頬を張った。伊緒は唇を切り、脳震盪を起こして気を失った。

「8号、ムチャするな。」

賢介を投げ飛ばした男こそ、9号であった。

「いいか8号。早乙女博士に生かして連れてこいと言われているんだぞ。万一のことがあったらどうする」

「捕獲前の事故って言っておけよ。」

「まあいい。削除されたくなかったら、少しは考えて行動しろってことだ」

 9号は、8号の肩に右手を置いて、ゆっくり掴んだ。ギリッギリッと手に力が込められ、9号の指が8号の肩に食い込んでゆく。9号の言葉は単なる脅しではなかった。

「わ、わかってるよ・・・・・」

 8号は、肩を掴まれると、声のトーンを落として体を硬直させた。そして、その場の雰囲気から逃げるように、伊緒を肩に担いで歩き出した。

 9号は鼻で笑って、8号の後について歩き出した。

「おいっ」

 9号の後ろで、賢介の声がした。9号が振り向くと同時に、9号の顔が歪んで、その巨体がふっとんだ。賢介は9号を殴り飛ばしたのだ。そして、その勢いのまま、前へ走り、物音に振り返った8号の懐に飛び込むと、ボディ・ブローを叩き込む。

「うごっ・・・・・」

 8号は険しい顔で、数歩下がった。伏せた顔を上げて賢介を睨んだが、賢介の姿を見ることなく、賢介の拳が顔面を捉える。

「うりゃああああっ」

 ボコボコボコボコボコボコッ!

 降り注ぐ拳の雨に押された8号が、トンネルの壁を背にした。

「うりゃああああっ」

 ボコボコボコボコボコボコッ・・・・・。

「うりゃあ!」

 ガツンッ!

 最後の一発が8号のあごを捉えると、8号は、その冷たいアスファルトにひ膝を付いた。

「い、伊緒は返してもらうぞ・・・・・」

 そう言って、賢介は伊緒を抱きかかえた。

 次の瞬間、賢介の首の後ろに激痛が走り、

賢介は伊緒を抱えたまま倒れた。

「う、ううっ、け、賢介・・・・・」

 伊緒が目を開ける。

「あっ、賢介」

 意識が戻った伊緒は、賢介の後ろの位置に、立つ、9号に気が付いた。

「全く、なんて奴だ・・・・・。おい、行くぞ8号」

 そう言われて、8号は頭を左右に振りながら立ち上がった。

「この、ヤロー。こうしてやるっ!」

 8号は恨みを込めて、賢介を踏みつけようと右足を上げた。

「ヤメテー」

 伊緒は賢介を庇おうとしたが間に合わない。

 しかし、8号の右足が下ろされる前に、賢介はカッと目を開くと、両手で8号の左足を掴んで、捻り倒した。

「賢介っ!」

「い、伊緒。俺はいいから、逃げろ」

賢介は、伊緒を突き放そうとしたが、力尽きて膝を着いた。

「賢介、賢介~っ!」

 伊緒は賢介にしがみついた。

8号はムクッと起き上がると、賢介を睨みつけた。そして、倒れ掛かっている賢介の頭を蹴ろうと足を上げる。

「やるなら、ワタシにして!」

 伊緒が叫ぶ。

「待て!」

 9号が8号を制した。

 8号は一瞬足を止めて9号を見るが、一拍置いて再び賢介を蹴ろうとした。

「8号ォォッ!」

 今度は厳しい口調で言った。

「なんでだっ。こいつは関係ないだろ!」

 8号は怒鳴った。

 しかし、賢介はまだ気を失っていなかった。ゆっくりと手を伸ばし、8号の足を掴む。

「こぬぉ~っ!」

 8号は掴まれた足をバタつかせ、賢介の脇腹を蹴った。

「ぬおっ」

 賢介の体は一瞬浮き上がると、伊緒の目の前で軽くバ

ウンドした。

「賢介ぇっ!」

 賢介は、伊緒の叫び声を遠くに聞きながら目を閉じた。

 

 黒いワンボックスカーが高速道路を走っていた。黒いスモークで中は見えない。

運転席には黒眼鏡の8号の姿があった。

 後部座席には伊緒と9号が向かい合わせに座っている。

「いったい、ナニが目的なの?」

 伊緒は9号を睨んで言った。

「まあ、そう怖い顔をするなよ。俺たちはお前を連れて来いって言われただけだ」

「アナタ、警察の仲間?」

「そんな風に見えるか・・・・・」

「見えない。それじゃあ、公園にいたヒットマンの仲間?」

「さあな」

「・・・・・。賢介には用はないんでしょ。この人は解放して」

 伊緒は気を失ったままの賢介を膝枕で解放していた。そして賢介は、後ろ手に縛られていた。

「そうは行かないね。もし、お前が妙な態度をとったら、この男は二度と目が覚めない身体になるぞ」

「そんなことしないヨ」

 伊緒は、そう言いながら、賢介をさするような手つきで、ポケットを探っていた。

 それを見ていた9号は薄笑みを浮かべた。

「携帯電話でもお探しかな?」

そう言って携帯電話を見せた。

「べ、べつに・・・・・。でも、賢介の電話だからワタシが持っておくヨ」

伊緒は、9号が持っている電話を取ろうとした。しかし、9号は電話を懐の中に収めた。

「あ、あの・・・・・」

「ふふっ、お前に携帯電話を渡せばどんなことになるか分っているんだぞ」

 9号はニヤリと笑った。



「そろそろ降りるぞ」

 8号が言った。車は高速道路を降りて一般道へ入った。

車は郊外の山道を走っていた。町々をつなぐ外幹線道路のようだった。伊緒の目には、スクラップ置き場や資材置き場の絵しか映らなかった。ときどき、プレハブ小屋や無人販売所が、ひっそり建っている。

「おい、そろそろ着くぞ」

 8号が声を掛ける。伊緒が顔を上げると、前方に三階建ての大きな建物が見えた。まるで、自動車の生産工場のように見えた。

「さっ、ドライブもおしまいだ・・・・・」

 9号が、そう言おうとして車に異変が起きた。

 突然、助手席のガラスが割れた。銃撃を受けたのだ。8号は鈍いうめき声を上げて、身体を横に「くの字」に曲げた。

 打ちこまれたのはガス弾で、車内はあっという間に白い煙に包まれた。車は急回転しながらすべって、縁石か側道の空き地突っ込む。

資材置き場の中央を車は、緩んだ土の上をフィギアスケートの選手のように、滑っていく。

 ガツンッ!

車はH鋼にぶつかって、跳ねた。そして、崖の手前五メートルの位置で停止した。

「8号、早く窓を開けろ!」

 9号が、後部から運転席の8号に向かって怒鳴る。

「・・・・・」

 しかし、9号の返事はない。8号はガス弾の弾をわき腹に受けて気を失っていた。

 社内の息苦しさに耐えられず、後部のスライドドアを開けた。白い煙が一気に車外に飛び出す。8号の右手には銃がしっかり握られていた。辺りを見回すため、半身を車外にだして、周囲を警戒した。

 9号が辺りを見回すが人気は無い。次の瞬間、9号の顎が突き上げられる。手のひらで、突き上げられた9号の頭は、ドアの天井のレール付近に強く叩きつけられ、9号は車の外に倒れ気を失ってしまった。

「賢介、賢介!」

 伊緒は賢介を縛っているロープほどいて揺すった。表情を曇らせて目をさまそうとする賢介。そうしているうちに、車内の煙は薄れていく。

「誰っ?」

 警戒する、伊緒。

「おう、間に合ったな」

「見杉さんっ♪」

 伊緒の声が歓喜に変わった。見杉は、グリーンのツナギに身を包んでいた。片手にロケットランチャーと護身用のショックガンと、胸のポケットに、手榴弾が二つ入っていた。

「どうして、分ったの?」

「今朝な、賢介が出て行く前に、賢介の携帯電話を俺のパソコンにGPS登録しておいたんだ。賢介は、目的地に着いたら、直ぐに戻るって言ってたからな。近くのトンネルに入って、一旦、アクセス不能になった後、全然違う方向に走り出したんでな。追ってきたってわけだ」

「ありがとーっ!」

 伊緒は見杉に抱きついた。賢介は伊緒の膝から滑り落ちる。見杉と伊緒の横で、9号が目を覚まそうとしていた。そこへ、滑り落ちた賢介がそのまま車外に転がり出て、偶然に9号の後頭部に頭突きを食らわした。

「うごっ!」

 再び気をうしなう、9号。

「うっ、痛え・・・・・」

 賢介が目を覚ます。

「ど、どこだあ、ここは?」

 賢介は、頭を擦りながら身を起こす賢介。

「賢介、見杉さんが来てくれたヨ」

「大丈夫か、賢介?」

 そう言って、手を差し伸べる見杉。

「す、すんません。」

 賢介が見杉の手を握る。そして、見杉は賢介を引き上げた。

「それにしても、スゴイ装備ですね」

「いつも言ってるだろ。用意周到ってな」

「しかし、胸のポケットの手榴弾なんか、チョット危ないんじゃないんですか?」

「ああ、これか。これは、フェイクだ」

「フェイク?」

「オモチャだ。これあると、様になるだろ」」

「はあ・・・・・」

 賢介はため息交じりで返事をした。

「ほらよっ!」

 見杉は腰のバッグから、ゼリー状の飲料品のパックを2つ出して、二人投げた。

「おお、サンキューっす」

 賢介は、キャップを取ると口に当て、軟らかい袋型容器を押しつぶした。

「あ、ありがとー」

 伊緒も、賢介を真似て口にした。伊緒は口に運んだ瞬間、険しい表情になった。

「なに、これ?」

「ゼリーだよ。知らないのか。こうやって、袋から押し出すように飲むんだ」

 賢介は、伊緒に見えるように向きを変えて飲んだ。

「それは、おれの特製だからな。ありがたく飲めよ」

 見杉が、気を失っている8号はハンドルに、9号は助手席側の半開きのドアの枠の部分に、それぞれ手錠で繋ぎながら言った。

「これで、よしっと。二人ともいけるか?」

 そう言って、賢介と伊緒に短銃を一丁ずつ渡した。

「これって・・・・・」

「心配するな、護身用の電撃銃だ。射程距離は五十メートル。着弾すれば、弾頭がつぶれ、電流が数秒流れるが命に別状はない。気を失う程度の代物だ。ただし、至近距離で発射すれば、怪我もするからな。そこは気をつけろよ」

 見杉は、腰のバッグのファスナーを締めた。

「それじゃあ、行こう」

「行こうって、見杉さんとこには戻れませんよ。迷惑を掛けちまう」

 賢介は首を横に振った。

「行く宛でもあるのか?」

「そ、それは・・・・・」

「賢介・・・・・」

 伊緒が首を傾げて、心配そうに賢介を見た。

「賢介よ。何も家に来いってんじゃない。まあ格好よく言えば、別荘ってやつだ。いやなら、伊緒ちゃんだけでも招待するけどな。伊緒ちゃん、ゲームもいっぱいあるんだぜ」

 見杉は、笑った。

「ワタシ、行くヨ!」

 喜ぶ伊緒。それを見て賢介はため息をついた。

「俺は、伊緒の保護者ですよ」

「ヤッター!」

 伊緒がはしゃぐ。

「善は急げだ」

「何ですか、それ?」

「古いことわざだ」

 この時代、ことわざは既に古語辞典レベルに達するほど使われなくなっていた。

「早く来いよ。路駐しているんだからな」

「こんな、辺鄙なトコで取り締まりなんかないッスよ」

 賢介は見杉の後について歩き出した。

「あっ」

 伊緒が声を上げる。

「どうした?」

 振り返る見杉。

「賢介の携帯電話。9号って人が持っいてる。取ってくる」

「おい、急げよ!」

 見杉が、急かせた。

 運転席と助手席に、8号9号が気を失ったままいた。伊緒は9号の内ポケットを探って賢介の携帯電話を取り戻した。

「アリマシタ♪」

 緊張感の無い伊緒。

「う、ううっ・・・・・」

 9号が、意識を戻そうとしていた。

「急げ、伊緒」

 賢介は、伊緒を呼んで、

「見杉さん、すみません」

「行くぞ!」

 と、見杉が言った瞬間だった。

ズキューンッ!

 銃声とともに、見杉の体が仰け反った。背後から撃たれた見杉は、背中を突き上げられたようになって、倒れた。賢介には、それがまるでスローモーションのように、見杉の動きがゆっくりと見えた。

「見杉さんっ!」

 賢介が声を掛けたが、見杉はバタリと倒れ崖の下に滑り落ちた。

 慌てて駆け出す賢介。

ズキューンッ、ズキューンッ!

駆け出した賢介の、足元の小石が砕け散る。思わず立ち止まる賢介。

「誰だ!?」

 賢介は、銃弾の飛んでくる方向を見て叫んだ。

「さっきは、どうも」

 男の声がして、小さな事務所の影から姿を現した。

「お前、さっきの!」

 賢介は叫んだ。現れたのは賢介が先ほど住宅街であった、上下がメタリックブルーのジャージ姿の男であった。

「さあて、面倒なやつらは排除できたし、付いてきてもらおうか」

 と、男が言った。

 伊緒が携帯電話のボタンを押し始める。

「チョット待った。それ以上、キーを押すと、彼氏を撃つぞ」

「カレシってナニ?」

 伊緒は、質問してキーを押し続けた。

「こら、伊緒」

 賢介が言いかけたその時、

ズキューンッ!

 銃声がなった。

 同時に賢介が倒れる。

「賢介!」

 伊緒の手が止まった。

「ナニするのヨ!」

 伊緒は、携帯電話を落として賢介に駆け寄る。

「彼氏ってのは、こいつのことだぜ」

 男が薄笑みを浮かべて言った。

「この人は、賢介。カレシじゃないヨ!」

 伊緒は男を睨み付けた。

「何をゴチャゴチャと」

 男はそう言いながら、賢介と伊緒に銃口を向けたまま近づいてくる。

 伊緒は賢介を見ると、賢介の太もものあたりが、真っ赤に滲んで序にその面積を広げていた。

「賢介ッ!」

「だ、大丈夫だ。おそらく急所ははずれている。逃げろ、あいつは本気だ」

「ダメダヨ。賢介だけ置いて逃げられないヨ」

 伊緒は半べそで言った。

「バカ、聞こえるぞ。傷は見た目ほどたいしたことはない。今は、お前だけでも・・・・・」

 賢介が、言い終わろうとしたとき、賢介の頭に銃口が当たった。

「伊緒ちゃんが逃げちゃったら、この賢介ってやつの頭から血が出ちゃう結果になるけどいい?」

 冷静な男。

「ど、どうしたら、いいの?」

 伊緒の瞳は、覚悟を決めた厳しい眼になっていた。

「いい眼だ。お前が俺に黙って付いてきてくれさえすれば、もう何もしやしない」

「その根拠は?」

 伊緒は目を細めて言った。

「俺はプロだぜ。邪魔するものは徹底的に排除するし、利用できるものは利用する。しかしな、目的さえ達すれば、余計にことはしない。弾も無駄にしたくないしな。言っておくが、取引しようったって応じないぜ。この仕事は信用が一番だからな」

「よせ、伊緒」

 賢介は怒鳴った。すると男は、賢介に押し当てた銃口を、さらにグイッと押す。

「今大事なお話中。お前さんは黙ってな。下手に動けば、お前の頭の銃口が伊緒ちゃんの方を向いて、暴発するかもな」

 男は賢介もけん制する。

「さあて時間だ。素直に付いてきてくれるかな?」

「わかったヨ。でも、賢介をこのままにしておけない。足の手当てをしたい」

 伊緒は賢介の足の出血が気になっていた。

「伊緒・・・・・」

 賢介は自身が身動きできず、伊緒に助けられようとしている自分が不甲斐なかった。

 しかし、男は、

「それは、出来ない相談だな」

「でも、このままじゃ、賢介死んじゃうヨ!」

「それは俺に関係ない。気になるなら、ここで一思いにあの世に送ってやってもいいぜ」

 男は冷静な態度で言った。

「わ、わかった行くヨ」

 伊緒は、賢介から離れて、男の側に付いた。男と伊緒は賢介に背を向けて歩き出した。

 ドガンッ!

 鈍い音がして、賢介の上を影が走って行った。ドアに手錠でつながれていた9号が、繋がれたドアの根元を、力任せにもぎ取って男に向かって走り出した。

 振り向く、男と伊緒。男は伊緒を突き飛ばして、体制を崩しながら銃を構える。

 ダダーンッ!

 男は9号に向かって銃を発射した。しかし、9号は車のドアを盾にして、男に突っ込んだ。体制を立て直すことの出来ない男は、9号のドアを盾にした体当たりをまともに受けて、十メートルほど突き飛ばされた。9号もバランスを失って倒れた。

 突き飛ばされた男は直ぐに体制を立て直し、銃を構える。

「うっ!」

 男の肩に激痛が走る。腕が十分に上がらず、銃が構えられない。

 ウウウーッ

 遠方から警察車両のサイレンが聞こえる。

「ちっ、これまでか・・・・・」

 男はそう言って資材の影に消えた。

「賢介!」

 伊緒は賢介に駆け寄る。

 賢介は、うつろな目で微笑んだ。

 大きな影が、賢介と伊緒にかかる。9号が側に立っていた。見上げる伊緒。

 9号は、

「ふんっ!」

 と、唸ると手錠を引きちぎった。

「こいつ、このまま削除だな」

「削除・・・・・。死ぬってこと?」

「ああ、削除だ」

 9号の表情は、冷めている。

「ふざけないでヨ。賢介は死なせない」

 必死の表情の伊緒。

「なぜ?」

「ワタシが、そう思うからヨ」

「お前が決めたら、削除されないのか・・・・・」

「何を言っているの。誰かが決めなくても、死んじゃいけないヨ!」

「俺もか?」

「そうだヨ。お願い賢介を助けて!」

「・・・・・」

 9号は賢介を見ていた。そして、その場に腰を下ろすと、自分のネクタイを首から抜いて、賢介の打ち抜かれた足の付け根を縛った。

「これで、時間は稼げる」

「あ、ありがとう」

 伊緒は、涙をこらえ微笑んで礼を言った。

「なんだ、それは?」

「あっ、感謝の気持ちですけど・・・・・」

「感謝・・・・・。そうか、悪くないな」

 9号は、車に戻ると8号を起こした。そして、助手席の足元から発炎筒を出して着火した。

 伊緒に近づく9号。

「なに?」

「悪いが、この男はここにおいていく」

「えっ、どうして」

「俺たちの仕事は、お前を連れて帰ること。ここから先一緒では邪魔になりそうだ」

「でも、賢介をここにおいては行けないヨ!」

 必死に食い下がる伊緒。

「心配ない。警察車両も近いし、この発炎筒が目印になる」

「そんなの応じない!」

 伊緒はそう言って立ち上がった。次の瞬間、9号は伊緒に当身を食らわした。伊緒はゆっくりと目を閉じた。

  


 賢介は病院のベットで目を覚ました。

「ここは・・・・・」

「気がつきましか、速水さん」

 渋みのある凛とした歯切れのよい言い回し。その言葉に賢介は、開いたばかりの瞼から侵入してくる明かりを眩しそうに避けながら、焦点を合わせた。

「あ、あんたァ、だれ・だ・・・・」

 そこに居たのは、四十歳前後の黒いスーツにグレーのネクタイをした姿の男だった。丁寧な口調であったが、瞳の置くが鋭い光を放つ。

賢介は身体を起こそうとしたが、足に痛みを感じて仰向けのまま枕の上に頭を落とした。

「い、痛てえ」

「まだ起きないほうがいい」

 男は余裕の笑みを見せて言った。

「ここがどこで、あんたが誰なのか教えてくれよ」

「随分、威圧的だな」

「質問に答えてもらおうか、さもなきゃ出て行ってくれ」

「いいだろう。ここは、警察病院だ」

「警察病院?」

 賢介は、辺りを見回して、薄いピンクの花びらが散りばめた壁紙を見つけた。安っぽいベットとカーテンがなんともいえない、古風な感じのする病室。

「伊緒は、伊緒はどうした?」

 賢介厳しい顔で言った。

「伊緒?。君と一緒に目撃された女の子か」

「とぼけんな、おまえら伊緒を狙っていただろう!」

 賢介は怒鳴って起き上がろうとした。

「うっ!」

 しかし、再び足の痛みを感じて、ベッドに体が沈んだ。

「答えにくい質問だが、こちらも出来るだけ君に協力していただきたい。可能な限りこちらの事情をお話しよう」

 男は、そう言ってベットの足下のほうに視線を向けた。白衣の若いドクターが男を挟んで、賢介のベットの反対側に来た。ドクターは賢介の目の動きや顔色を見て、男に向かって言った。

「話は、短めにお願いします」

「ありがとう、ドクター。十分もあれば話は終わります」

 男は、会釈した。ドクターは頷くと病室から出て行った。

「掛けてもいいかな?」

 男は、脇の椅子に目線を移して言った。

「ああ」

 賢介は愛想無く言った。

「傷の具合は?」

「・・・・・」

 賢介は何も答えなかった。

「喉は渇かないか?」

 男は脇の冷蔵庫を開けて見せた。

「余計な話は必要ない。早く本題に入って欲しい」

「いいだろう。タバコはかまわないか?」

「どうぞ」

 賢介が答えると、男はタバコを取り出した。

「あー、やっぱりカフェオレがあったらくれるかな?」

 と、賢介。男はタバコを咥えてライターを出したところで、手を止めて冷蔵庫からカフェオレの缶を出して、開けてから賢介に渡した。

 そして、タバコに火を点けた。

 賢介は、クイッと一口飲んで、サイドテーブルの上に置いた。

「それで、あんた名前は?」

 賢介は凄んだ。相手を威嚇して話の流れを優位に持っていこうとしていた。

「そうだあな。俺は、蓮井だ。ちなみに、あんたを追っていた警察集団とは無関係だ。」

「ってことは、一応は警察の人ってことか・・・・・」

「まあ、そんなところだ」

 蓮井はタバコの煙を吐いて、愛想の無いステンレスの灰皿に灰を落とした。

「一緒にいたお嬢さんはどうした?」

「なんで、伊緒を追う?」

「おいおい、質問しているのはこっちだぜ。まあ、いいだろう。俺の仕事は、お嬢ちゃんを捕まえることじゃない。お嬢ちゃんを狙っている奴の捜査なんだよ」

「あんた以外の警察は、なぜ伊緒を追うんだ?」

「そりゃあ、火災や爆破と現場にいたはずの人物がいなきけりゃあ、探しもするだろう。行方をくらましたとなると、警察は動くわな」

「それで、伊緒は誰に狙われているんだ?」

 賢介の目が鋭くなった。

「あんまり気合入れると、傷にさわるぞ」

「医者が言うほどたいしたことはない」

「そうか。実は、お嬢ちゃんを狙っている容疑者はハッキリしていない」

 蓮井はタバコの火を灰皿にもみ消した。そして蓮井は冷蔵庫を開けて、缶コーヒーを出した。

「この病室は俺の手配だ。一本、貰うぞ」

「おいおい、この病室って一日いくらなんだよ?」

 と、賢介が皮肉っぽく言う。

「気にするなよ。ここのベッド代は税金で払っているんだからな」

「そんな言い方すると納税者が起こるぜ。で、犯人はハッキリしないが、おおよその見当はついているって感じか?」

「まあな、正しくは灰色の人物が多すぎて絞りきれんってとこだ。しかし、狙われる理由の方は概ね解っている」

 そう言って、蓮井は内ポケットから写真を一数枚出して、賢介に渡した。

 写真に写っていたのは、研究施設に巨大な白いプリンのような形状の物体だあった。

「これは?」

「流星監視衛星コスモ22だ」



流星監視衛星コスモ22。

 五年前、文部技術省、警備防衛省、厚生保険省の政府三省が中心となって共同開発した巨大流星監視衛星。

サーモグラフィによる物質・生命体の判別が可能。太陽光発電による無限エネルギーを確保している。直径3センチメートルの物体の種類も判別でき、レーザーキャノンを四門搭載していた。

巨額の資金が組まれたが、打ち上げた衛星は軌道に乗ると通信不能になり、それまでにゴミとなって宇宙を漂う廃棄物衛星群の中に埋もれてしまった。

 各省庁は、巨額の資金をつぎ込んだため、次に起きる議題に頭を悩ませた。つまり、それが「責任問題」である。

 失敗したのは、どの省庁なのか・・・・・。

 必ずその議題は上がるものである。

 結局、各省のプロジェクトチーム現場責任者が解雇された。なぜ、現場責任者なのか。それは、各省のスタッフといっても、そのほとんどは、民間の研究施設に委託しているため、大規模なプロジェクトにおいては、プロジェクトチームが編成される。各省とその研究機関は、直結していることが多いのであった。その為、研究所は国から多額の補助金を受け、その見返りに関連する省の職員の天下り先として研究所が受け入れるのである。その職員は相談役に就任し、二~三年ほど非常勤で勤務して、補助金の一部を退職金として受け取るのであった。その為、研究所の責任者や重役にその責が及ぶことは一切なかった。

 打ち上げ失敗の後、解散したプロジェクトチームは、もともと出向元の研究施設がバラバラだったため、各人は出向元に戻り、各人新しい研究に携わった。その後、流星監視衛星にの研究そのものが無期延期になってしまった。

 しかし、コスモ22は故障して動かなくなったわけではなかったのだ。



 蓮井は、コスモ22の説明を一通りすると、新しいタバコに火を点けた。

「ふう~。まあ、ざっとこんなもんだ。今話したことはチョットしゃべりすぎたかもしれないが、速水さん、あんたは命まで狙われているんだから、これくらい知る権利があるだろう」

 と、蓮井は賢介から写真を返してもらい、内ポケットに仕舞い込んだ。

「しかし、女の子一人と衛星一機。何をどう繋げたらそんな話になるのか解からんのだが・・・・・」

 賢介は頭をの天辺をポリポリと掻きながら言った。

「いや~、アンタなら何か知ってると睨んだがね~。例えば、お嬢ちゃんからではなく、雪村博士からとか?」

 蓮井は、わざとそっぽを向いて煙を吐いた。

「何も聞かされていない。誓って嘘はない」

 賢介の返事に、蓮井は静かにタバコを吸ってゆっくり吐いた。

「住宅地で作戦展開中の警察車両が二台大破した。その車体を見てきたんだが、真上からボンネットを貫いてエンジンを一撃でやられている」

 そう言って、蓮井はタバコを吸った。一瞬の沈黙。

「蓮井さん。あんたを信じよう。警察車両を破壊したのは伊緒だ」

「やはりそうか。確信はなかったが、その線も考えていたんだ。お嬢ちゃんと衛星と警備車両破壊の三点が繋がったよ。これでも俺たちは特別任務の部隊でね。おっと、こっから先は、しゃべりすぎだな・・・・・」

 そう言って、最後の一口を吸ってタバコの火を消して立ち上がった。

「待ってくれ」

 賢介は、去ろうとする蓮井を止めた。

「なんだ?」

「俺が倒れていた場所の周辺に、グリーンのつなぎを着た男がいなかったか?」

「いいや。俺の部下が周辺を調べたが、それらしい人影は見なかったな」

「そ、そうか」

 賢介はうつむいた。

「そいつは、この件に直接関っているのか?」

「いや、ただの知り合いだ」

「そうか。それなら、俺たちの任務外だ。悪いが俺たちは、己の任務を忠実に遂行するために、余計な仕事はしない。お嬢ちゃんの素性を聞いたのは、あくまでもお嬢ちゃんを狙っている奴を特定するためだからな」

「ああ、わかっているよ」

 賢介が言葉を返したと同時に、蓮井は賢介の病室を出た。扉が開いたとき、病室の前に黒いスーツの男が二人立っていた。賢介は、自分のボディーガードとして病室の前にいることを認識した。

 賢介は一人になると、缶に残ったカフェオレを飲み干した。

「ふう~」

 ため息を吐いてサイドテーブルの上に空き缶を置いて、手を組んで頭の後ろに回すと後ろの壁にも垂れた。

「どうする。これから・・・・・」

 賢介は内心あせっていた。伊緒がどこへ連れて行かれ、どうなっているのか。そして、誰が何のために伊緒が必要なのか。少なくとも複数の個人または団体が伊緒を狙っている。その一つが警察関係でその他にあの8号・9号の男、そしてあのスナイパー。雪村右能の安否も不明。

「解らないことが多すぎる」

 賢介は病室の天井を見上げることしかできなかった。

 病室の外で会話が聞こえてきた。

「面会が終わったと聞いたので患者さんの様子を見に来ました」

 外では、ドクターと警護の男たちが話をしていたが、間も無く先ほどの若いドクターが病室に入ってきた。

「ご気分はいかがです?」

 ドクター賢介のベッドに近づきながら言った。

「そうでね。気分はまあまあ、機嫌は悪いかな」

 と、賢介は答えた。

「それは、いけないね。どうしたら機嫌は直るのかな?」

 ドクターは窓から外を見ながら言った。

「退院許可を出してくれないかな。そしたら直る」

 賢介は、きっぱりと言った。

「はっきりおっしゃいますね。しかし、一勤務医の私には今の貴方に対して、退院許可を出す権限はありません」

「それじゃ、窓から飛び降りるか」

「ここは、八階ですよ。しかも、下は物資搬入用の駐車場ですよ。しかし・・・・・」

 そう言いながら、ドクターは賢介を見た。

「患者さんへのお見舞いの品を渡すことはできます」

「見舞い?」

 訳が解らない賢介。ドクターはベット脇のサイドテーブルにジュースのロング缶を置いた。

「これがお見舞いの品。そして、メッセージです」

 ドクターは、白衣のポケットから二つ折りにしたメモを賢介に渡した。賢介は、ドクターの顔を見ながらメモを開いた。

(賢介へ。今夜10時、病院前のコンビ前に車を着ける。伊緒ちゃんを迎えにいくゾ!!)

「ええっ!」

「シーッ、静かにっ!」

「あっ、すみません」

 賢介は、ドア外の警護の男たちの様子を見た。二人の会話は外には聞こえていなかった。

「ド、ドクター・・・・・」

「私も見杉さんには、色々とお世話になってまして・・・・・」

「色々・・・・?」

「ええまあ」

 このドクター、小学校時代から父の病院を継ぐために、勉強の毎日で交友関係を作るのが苦手で対人恐怖症であった。大学時代、半ば強引にテニスサークルに入会させられ、見杉のサークルの後輩で、卒業後も合コンのお世話になっている。卒業後も、まずは勤務医として修行をしていたのである。社会に出た後も、対人恐怖症のリハビリのため、見杉がセッティングする合コンで何度も世話になっていた。

 すでに対人恐怖症は完治していたが、合コンが趣味になってしまっていた。

「見杉さんと会ったんですか?」

「ええ。これでも主治医ですから」

「怪我は?」

「肋骨二本。ヒビが入っていましたが、ピンピンしていますよ。これ以上は盗聴の可能性もありますので」

 ドクターは、賢介に渡したメモを取って粉々に破くと、一礼して病室を出た。

 賢介は、見杉が無事でいることが判って、ガッツポーズをした。

 


午後九時、病院に静寂が訪れた。

病院は、大抵が夕飯が午後五時、面会の最終時間は七時、就寝は午後九時である。午後九時を過ぎると消灯となり、煌々と明かりが着いているのは、ナースセンターだけであった。

賢介の病室の前には、相変わらず黒服の男が張り付いていた。もちろん、賢介の部屋も例外なく明かりを消していた。

 午後九時三〇分、賢介の病室の扉が開いた。扉が開くと同時に、腰掛けていた黒服の男が立ち上がった。

「なにか、御用ですか?」

 黒服の男は、地獄の番人のような低い声で言った。

賢介は笑顔で、

「悪いねぇ。こんな遅くまで警護して貰って」

 賢介は、廊下に響かないように声を殺して言った。

「礼は必要ありません。仕事ですから」

 男は無表情で返した。

「プロだね」

「何か御用ですか?」

 男は繰り返し賢介に尋ねた。

「用がないと声をかけちゃいけないのかい?」

「規則で、本件以外の対象者との会話は禁じられております。何か手掛かりになるようなことがあれば、お聞きするようにと蓮井に申し付かっております」

 男は賢介を見ず、周囲を警戒しながら言った。

「あっそう。別に何にもないけどね。眠気覚ましにコーヒーでもどうかなと思ってね。ハイよ」

 賢介は冷蔵庫から出した冷たいコーヒー缶を男に渡した。

 そこで男は、はじめて賢介を見た。

「これって仕事以外のことだけど、気分をリフレッシュしないと、神経が持たんでしょ。仕事以外の会話禁止だから何も言わなくていいし、気に入らなかったら飲まなくてもいいよ」

 そう言って、賢介は病室の戸を閉めた。

 廊下に一人男が缶コーヒーを持って立っていた。

「あ、ありがとう」

 男は、その大きな身体に似合わない小さな声で病室内の賢介に礼を言った。

「さ・て・と」

 賢介は首を左右に振ってポキポキと間接を鳴らした。


 会議室。

 高層ビル五十二階。限られた人だけが眺めることの出来る夜景が美しく広がっていた。広い室内に直径五メートルのドーナツ状の丸いテーブル。そこに等間隔で三人の男の姿があった。青い間接照明が光る薄暗い会議室ではお互いに、その輪郭しか確認できなかった。街の灯りが届かない五十二階といえど、周囲にも超高層ビルはあった。そんな中で、煌々と照明を灯せない話題にその三人は集まっていた。  

「単刀直入にお聞きしますが・・・・・。瀧川先生。少々独断でお進みのようですが・・・・・」   

 四十半ばの一番若い男が、銀色の眼鏡の眉間の辺りを中指で押し上げて言った。

「報告の義務があるのではないかね」

 最年長の恰幅のいい男が、葉巻を持った右手で、瀧川を指して言った。

「何か勘違いをされているようですな。警察は不審者を追っているだけ。逃げれば、当然追いかけもします」

「それが、独断といっているんだ。君、立場を解っておるのかね」

「藤堂先生に報告をすれば、街に自衛隊を投入されるのでは?」

「ふざけるなっ!」

 二人のやりとりが続いた。

 瀧川とは、元警視庁副長官で与党重鎮の瀧川泰三である。口論の相手は同じく現職の副総理で与党当選十一回の「政界の虎」の異名を持つ、藤堂重太郎。そして、一番若い四十前半の男が、当選二回目にして大抜擢となった、元副総理、故木場伸太郎の息子、与党新幹事長の木場好伸であった。

「まあまあ、藤堂先生、瀧川先生、お忙しい中わざわざお時間を頂戴したのは喧嘩をするためではございませんよ」

 木場が二人の会話に割って入った。

「判っておる!」

 藤堂の息は荒かった。

「藤堂先生、血圧が上がりますよ」

 と、瀧川はさらりと言った。

「茶化すんじゃない!」

 藤堂は机を叩いて怒鳴った。

「ですから、落ち着いてください」

 再び木場が割って入る。木場は銀縁の眼鏡の眉間の辺りを中指で押し上げた。

「藤堂先生、ここは私に進行をお預けいただけませんか?」

 木場は丁寧な口調で言った。

「手っ取り早くなっ!」

 藤堂は再びタバコをふかして言った。

「ありがとうございます」

 木場は無表情で礼を言った後、口だけ微笑んで見せた。薄暗い室内で木場の表情は二人にハッキリ見えていなかった。

「瀧川先生、先日の住宅地の一軒ですが、警察車両が二台大破しました。こちらに、その直後の写真があります。見事にボンネットの部分に丸い穴が空いています」

 木場は焼け焦げたパトカーの残骸を撮った写真を瀧川の前に置いた。

「これは、すごいですな。」

 瀧川は写真を取って見ながらそう言った。

「初めて見た・・・・・っと?」

 木場が目をひそめる。

「ええ、それなりの報告は受けておりましたが、写真を見るのは初めてですよ」

 平然と答える瀧川。

「瀧川君、警視庁の教育に問題があるんじゃないのかね。それとも、クズ揃いなのかな?」

 たまりかねた藤堂が皮肉った。

「無駄な国会議員を減らせば、教育費用が捻出できますね」

 と、瀧川も返した。

「お二人とも、はぐらかさないで下さい」

 木場が二人を制した。そして、プロジェクターをリモコンで操作した。そこに、映し出されたのは、コスモ22だった。

「本題に入りましょう。これは、コスモ22です。私が説明する必要がないでしょうが、藤堂先生、瀧川先生、そして私の父、木場伸太郎、当時の大森派の三人が、大臣の時に製造され任期が終わる前に打ち上げられた、流星監視衛星コスモ22。その性能については、説明の必要はありませんね」

「それで、君が電話で言っておった、コスモ22と小娘との話、あれはどういうことかね。詳しく聞きたい」

 藤堂がイラついた口調で言った。瀧川は黙って腕を組んでいる。

 木場は話を続けた。

「コスモ22の開発には、ノアズ6という研究開発特別チームが編成されいました。そのサブリーダーとして加わっていたのが雪村右能です。この雪村右能という男は、宇宙工学・生物学・生理学など多岐に渡ってその才能を開花させた天才とよばれていたそうですね。藤堂先生、瀧川先生、お二人ともご面識がおありですね」

 そい言って、木場は銀色の眼鏡の眉間の辺りを中指で押し上げた。

「うむ」

 藤堂が唸るように首を立てに振った。瀧川は黙って頷いた。

「この新聞をご覧ください。木場は同じ新聞をそれぞれ二人に渡した」

 一面トップには閉鎖された原子力発電所の解体工事事故における放射能漏れが大きく写真つきで載っていた。

「二十二頁の地方欄に火災事故が載っています」

 木場に言われ、両者が新聞をめくる。

 そこには、雪村右能宅火災、雪村は一人暮らしで行方不明となっていた。

「これが、どうしたというのかね」

 藤堂が言った。

「廻りくどい話はやめましょう。雪村右能氏はコスモ22の開発と同時に厚生保険省の中の別プロジェクトに関っていました。そのプロジェクトとはSHP、スーパー・ヒューマノイド・プロジェクトです。当時の警備防衛大臣の瀧川先生と厚生保険大臣の私の父が発足させた極秘プロジェクトです。父の死後、自宅の書斎の中から資料が見つかりました」

 木場は瀧川の顔を見たが、瀧川は黙って雪村邸の火災記事を読んでいた。

「どんなものかね?」

 藤堂がタバコに火を着けながら、痺れを切らして言った。

「高性能クローンです」

「クローンだと。そんな物騒な物を勝手につくっとったんか?!」

 藤堂が机を叩いた。

「研究段階でしたが、四年でプロジェクトチームは解散しましたよ」

 瀧川は新聞をたたみながら言った。

「確かに解散はしたが、研究はかなりのところまで進んでいた。否、完成していたのでは・・・?」

 木場はそういいながら、瀧川を見た。

「お父上は何と?」

「父は何も話さず、ご存知の通り政治の闇の部分を懐に抱えたまま他界ましたので・・・・・」

 木場は伏せ目がちに答えた。

「瀧川君。十年前に中東軍事国家のクローン兵生産施設問題で国連監視になったあの事件を知らぬとは言わせぬぞ。くだらん問答はうんざりだ。そろそろ明確な発言をしたらどうかね!」

 藤堂は、右手に葉巻を持ったまま瀧川を指して言った。

 瀧川はしばらく考えてから口を開いた。

「確かに。あの研究は、概ね完成していたと言っていいでしょう。しかし、その明確な研究成果は出ていませんでした」

「どういうことかね」

「私たちは、優れた資質を持つ人間から、それを上回る能力を持った人間を作ろうとしていました。具体的には、オリンピックで入賞した選手がいるとします。しかし、その選手の大半は、生まれつきオリンピック選手の指導を受けていたわけではない。それなら、その遺伝子レベルで胎児の段階から教育を施せば、金メダルを確実に手にすることが出来るというものです」

「それで、瀧川先生。その研究成果はどこまで完成していたのですか?」

 木場が言った。

「成長過程における教育実験段階まで来ていたが、オリンピックのような国際大会に出場できる程の年齢に成長するには、人間同様、最低でも十二~十三年は必要になりますな」

「何を言うておる。十二歳といえば、まだ小学生じゃぞ」

 藤堂が言った。

「常識を超えた英才教育プログラムがあったということです。しかし、実験の過程では失敗も多々あり、SHPのサンプルが現存していたとしても、現在の年齢は四~五歳程度、まだまだ幼稚園の園児です。それに、継続して英才教育を施せる研究施設はすでにありません。」

 淡々と話す、滝川。

「存在していたとしてもですって。瀧川先生はどこまでご存じだったのですか?」

 木場が身を乗り出して言った。

「最終的には、現在の人間の能力を200%以上も上げたと聞いている。しかし、その能力は知力・体力的において、問題点が発生したという報告もあったが、プロジェクトチーム解散時点で、サンプルは全て処分されたようだ」

「雪村博士は我々の知らない何らかの新実験に取り組んでいたのではないのですか?」

「さあな。だが、プロジェクトをスタートする段階で雪村博士は、自分が完成させた研究結果をプロジェクトの最終段階に取り入れようとしていたという噂もあったらしい」

「その雪村博士の研究とは何かね」

 藤堂は相変わらず五月蝿い。

「そこまでは、わかりません。あくまでも噂ですから。確かなことは焼失した雪村博士宅には少なくとも二人以上の生活した形跡があったこと。そして焼け跡から若い女性の生活の痕跡もあった」

 瀧川は腕を組んで言った。

「雪村博士はどうしているんだ」

「行方不明で、現在秘密裏に特別捜査本部を置いて捜索中です」

 瀧川は、藤堂の質問に即答した。

「それで、その小娘について、警視庁はどこまで判っているのだね」

 藤堂は再びタバコに火を点けていった。

「詳しくは何も判っていません。ただ、近所の宅配業者の販売員が、その女性を携帯電話のカメラで撮影していました。画像に若干のブレがありましたが、解析処理をしてほぼ手配写真として利用できるほどのところまで画像処理できました」

「その写真は?」

「持ってきていませんが・・・」

 瀧川は坦々と答えた。それが、藤堂の苛立ちに拍車をかけた。

「瀧川ッ、キサマは事の重大さが解っとらん。これはスキャンダルだぞ。クローン研究のことが表沙汰になれば、次の選挙で与野党はひっくり返りかねんのだぞ!」

 と、藤堂はテーブルを叩いた。

「瀧川先生、藤堂先生のおっしゃるとおりです。下手をすれば国際問題に・・・・・。総理もそういった事態になることを心配されております」

 木場が静かに言った。

「全力であたっていますよ」

 瀧川は、無表情でゆっくりとした口調で言った。

「瀧川先生。総理からの伝言を、お伝えします。雪村博士を探し出し、クローンに関する資料・サンプルを完全に処分しろとのことです。なお、ご報告はこの木場にお願いします」

木場は銀縁の眼鏡の眉間の辺りを中指で押し上げた。眼鏡の奥で木場の瞳が光っていた。

 そして、部屋の灯りは落ちた。


 バタン。

 ビルの地下駐車場。黒い大型セダンのドアが閉まった。後部座席に黒い影があった。

 携帯電話のボタンを押すと、ボタンがほのかに光り、顔が照らされた。

「あー、藤堂ですが・・・・・。例の戦闘機の件でちょっと・・・・・。ええ、うまく行けばご希望通り追加注文させていただきますよ・・・・・。はっはっはっは、うまくいかない場合でも、海外市場がある・・・・・。いやあ、お察しが早い、探して欲しい人がありましてな。・・・・・ええ、ではこれからでも・・・・・」

 電話を切ると藤堂は笑った。

 藤堂を乗せた車は、ネオン輝く街に消えて言った。


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