正体
勢い良く窓を開けた。
冷たい風が吹き込んで、日記がバラバラバラ、と捲れた。
「―――っ、――――っ!!」
なんて声を掛けて良いのか、私は判らない。
その女の人は、とても驚いた顔をしていたけれど、やがてそんな私を見て遠慮がちに微笑んでお辞儀をし、そそくさと踵を返した。
私は急いで駆け出し、玄関を出る。
「待って―――、待って!」
寂しそうな、小さな背中を必死で追いかけた。
女の人は振り返って、動揺している。
私は、―――間違っていたらどうするつもりだったんだろう?―――息を切らしてその人を呼んだ。
「あ、愛子ちゃん……?」
いよいよ本当に驚いて、その人は殴られでもした様によろめいた。
*
絶対そうだ、と私は確信した。
「私、あの……真愛ちゃんの事知っているんです」
「……」
「あの、真愛ちゃんの親友の愛子ちゃんですよね?」
「……どうして……」
ああ、日記を持って来れば良かった。
私は気持ちに急かされて、喘ぐ様に捲し立てた。
「私の家、以前、真愛ちゃんが住んでたんですよね? 屋根裏に日記を見つけたんです。それで、あの……言いにくいですが読んで……」
「日記を?」
愛子ちゃんの目が、渇望に光った。
私は頷いて、
「ちょうど、さっきみたいに窓を開けた真愛ちゃんが、部屋を見詰めるあなたを見つけたところとか、書いてあって……もしかしてって……」
愛子ちゃんも、記憶にあるのだろうか。手で口を覆った。
「あ、あなたの事や、先生の事や……それで、なんとなく私と似てるなって、会って、話がしたいなって……思っていて……」
今、真愛ちゃんはどこにいますか?
そう聞こうとして、私は、はた、と喋るのを止めた。
夕日の明かりの中、母親よりも少し年かさの女性が目だけを妙に印象的にさせて佇んでいる。涼し気で奥二重の目を印象的にさせているのは……悲しみだった。
このひとは、真愛ちゃんが今、どこにいるか知らないんだ。
だって、だから、私の家を見ていたんだもの……。
「ま……な……ちゃん、は、いま……」
私はもう、何も聞けない。
愛子ちゃんの両目から、涙が溢れて流れ出ていたから。
*
クラスメート達がグループメールで「どうやら相手はあの病院にいるらしい」と情報を発信していたので、私は一かバチかでその病院へ向かった。
面会時間終了は八時。まだ間に合った。間に合ってなくたって、行くつもりだった。
総合受付で、恐る恐る相羽君のフルネームを伝えると、看護師さんが病棟と病室を教えてくれた。
病室へ早足で急いだ。
相羽君の名前を見つけると、病室へ飛び込んだ。
カーテンに仕切られた部屋。名札の並びを頼りに、そっとカーテンを捲った。
頭に包帯をグルグル巻いて、顔に青あざのある相羽君がベッドにあぐらをかいていた。
もう一人、大人の男の人がいて、どちらもそっくりの驚いた顔をして私を見た。
私もびっくりして、カーテンを元に戻す。
「ミチル!?」
相羽君のひっくり返った声。
「ヒロ、友達か」
そう言いながら、大人の男の人が、カーテンを捲って私にお辞儀をした。
相羽君にそっくりな、気の強そうな、でもちょっと眠たそうな顔。きっと相羽君のお父さんだ、と私は思って、慌ててお辞儀をした。
「どうぞ……じゃあ、父さん行くな。明日は一人で帰れるか」
「ダイジョーブ」
相羽君のお父さんは私に優しく微笑んで、病室を出て行った。
なんだか出鼻を挫かれた面持ちで、私はベッドの脇の丸椅子にストンと座った。
「なんで正座するの」
「や、なんか……」
「相羽君、ごめんね」
「……ミチルが謝る事じゃない」
「私が悪いんだよ」
頬に貼ったシップや、膨れて青くなってる目元、頭に巻いた包帯がとても痛々しくて、全部、自分の身に起これば良いと思った。
「身から出たなんとかだ」
「だったら私の身から出た錆だよ」
「なんで来たの?」
「生きてるか見たかったからだよ」
相羽君が吹き出した。私は泣き出した。
「あんなモヤシに俺が殺せるかよ」
「う、う、打ちどころが悪かったら、わ、わからなかったかも」
「泣くなよ、ナースが来ちまうぞ。あ、でもスゲェ美人のナースがいるから、いっか」
私はそんな事を言う相羽君の膝を叩いてやった。
いてぇ~、と言って、相羽君は横向きに寝転んでクスクス笑った。
「なに笑ってるの」
「だってミチル来た~」
「来るよ、当たり前でしょ」
「責任感じて?」
相羽君は忙しい。クスクス笑ったと思ったら、こんなに寂しそうな顔。
私は彼の包帯からはみ出した髪に触れた。
相羽君が嬉しそうに目を細めたので、ぎこちなく撫でる。
「……違うよ。言ったでしょ。生きてるのを、確かめに来たの」
「……生きてるよ。ハリー・ポッターはしぶといだろ」
「蛇使いじゃなかった?」
「ミチル、さてはハリー・ポッター知らねぇな」
「もうハリー・ポッターはいいの」
「蛇使いも?」
「そうだよ。大体、女の子を蛇に例えるなんて酷い」
「ジセー(二青)でも?」
「二青は、相羽君。だから私は小青になる」
「……蛇使いはどうする?」
「知らない。どうせ新しい蛇を見つけるよ」
「良いのかな」
「なにが?」
「お前のガッコの奴ら、お前をスゲェ心配してた……」
どうして私の不安が、わかるんだろう。そう思った途端、どうして相羽君が無抵抗だったのか、理由が解った気がして、また涙が零れた。
「大丈夫。私、真愛ちゃんに教えて貰ったの……」
「真愛ちゃん? 日記の子?」
不思議そうにして、相羽君が私を見た。私は微笑んで頷いた。頷くと、涙が零れた。
「人はね、たくさん顔があるよね。たくさんの側面を持つ想いがあるの。それは、光の当たり処で愛になったり、幽霊になったりするの。怖いよね。万華鏡みたいに、角度を変えたらガラリと変わるんだよ」
「……」
「でも相羽君、私達は、愛にも幽霊にも、怖気づいちゃいけないんだよ」
「……どうしても怖い時は?」
「真っ黒クロ助出ておいでー! って大声出す……とか?」
トトロかよ! と、相羽君が笑って、とうとうカーテンの向こう側から咳払いが聴こえた。私達は顔を見合わせて、首を竦めて微笑み合った。
「……ミチル」
「なあに?」
私が微笑み返すと、手を伸ばしたので、その手に手を重ねた。
「もっかい言ってもいい?」
「? なあに?」
「ミチルが好き」
十二月十二日・晴れ
私は相羽君とキスをした。
まさかあの時、あんなにイヤだった男の子とキスをするなんて思わなかった。
それから、真愛ちゃんの話をした。愛子ちゃんが教えてくれた過去の事件も。
真愛ちゃんは、とても綺麗な女の子だった事。
優しくて、大人しくて、でも、結構ヤキモチ焼きだった事。カスタードチョコのパンが好きだった事。怒ると、綺麗な字が汚くなる事。
先生を大好きだった事。愛子ちゃんを大好きだった事。仁君は……ちょっと鬱陶しかったかも。でも、大切に思っていた事……。
だから、何かが狂ってしまった事。
相羽君は、話を聞いた後、私を抱きしめた。
「真愛ちゃんが、幽霊の正体をミチルに教えてくれて良かった……」
相羽君、私の話を聞いてたんだろうか? 私は真愛ちゃんの日記を読んで、幽霊に怖気づいてはいけないって思ったんだってば……でも、的を得ている様な。
私は相羽君の腕の中で、これからも現れ続けるであろう幽霊を想う。
そうしたら、消しゴムで消しちゃおうと思うの。
だから、私は今日からえんぴつで日記をつけるんだ。
探し出して、どんどん消しちゃうの。
出ておいで、怖くないよ……。
 




