周囲の音
ちょっと長いです。すみません。この回は後で大幅に削るかも知れないので、死にゆく文字たちを憐れみながらよろしくお願い致します。
「あら、聞いたじゃない。三人家族で住んでたんですって。でも、奥さんのご実家の方へ住む事になったから、この家の土地をこの辺りのお寺に返したんですって」
まず母に聞くと、母はスラスラそう言った。
「お寺?」
「お寺は格安で土地を貸してくれるんだよ。あればね。古い所は多分今もそういう家あるのよー」
「そうなんだ……じゃあ、お寺の人なら知ってる? 前この家に住んでいた家族の事」
「それがねぇ、先代の住職さんがもう亡くなっていて、今の住職さんは何もわからないみたい」
お母さんだって、ちゃんとそれなりに調べました、と母はツンとした。
それからちょっと声を潜める。
「今の住職さんは、直ぐに土地を売り払ったのよ……」
「ふぅん」
「……ミチル、明日は学校行けそう?」
母は壊れ物に触れる様に、優しい声で私に聞いた。
「……ううん。まだ熱っぽいの」
「……そう。来週は行けると良いね」
「……うん。あのさ、わからないかな? どんな家族だったかとか……奥さんの実家はどこなのか、とか」
母は「う~ん」と言って、
「どうして?」
「どうしてって……気にならない?」
「そりゃなるけど……でも、前住んでいたアパートの部屋の次の人が、私達を詮索してたら気持ち悪くない?」
グッと私は言葉に詰まる。確かに母の言う通り、次の住人が自分たちに興味を持つのはちょっと気分が良くない。
そうだよ。
突き止めて、もしも会いに行けたとして、私は何て言うの?
『以前貴方が住んでいたお家に、今住んでいます。それで日記を見つけて読みました。なので、興味があってあなたを探しに来ました』
問題がありすぎる気がした。
私が唇をすぼめて押し黙っていると、母が「子供ねぇ」と言って笑った。
「さ、もう寝なさい。スマホばっかいじってたら怒るからね」
「うん……。ねぇお母さん。誰かを好きになった事ある?」
母はキョトンとした後、吹き出した。
「なあに? だから父さんと貴方達がいるんでしょう?」
聞く相手を間違ったと後悔。「お母さん」はなんかもう、自分のステージと次元が違う気がした。
「好きな人出来たの?」
こう聞かれると、反抗心が出てしまう。……でも一応聞いておこう。
「そういう場合、どうする?」
母は朗らかに笑った。けれど、どこか初めて会う女の様な、得体の知れない雰囲気をチラリと見せた。そのチラリの中に、母の体験したもの全てがきっと含まれている。私にとって、それはあまり好ましく無い。
「どうしたって、なるようになるんだよ」
「……答えになってない……」
「子供ねぇ」と母はまた私を馬鹿にして、いつもの母の顔になる。
私の母は、教師ぶったりしないのだ。だからこの話は切り上げられてしまった。
代わりに母は、私を愛しそうに見つめた。お母さんみたいに。私は、それだけで何だか満足してしまって、やっぱりそれって、子供だからなんだろうな。
「どんな家族が住んでたんだろうね?」
「……」
日記の事を打ち明けようとして、私はそれを飲み込んだ。
*
無理なのかな……。
早くも諦めモード。
私は手がかりを探して、既に一通り目を通した真愛ちゃんの日記をパラパラと捲る。
十一月は、ほとんど「先生」との事が書かれている。「愛子ちゃん」や「仁君」は、逆に目に着くぐらいに出て来ない。
先生は、文系の先生みたいだった。真愛ちゃんに、たくさんの物語を教えてくれたり、甘い詩の様なセリフを彼女に注いでいる。
なんて言うか、本当に……人の日記って読んでは駄目なんだなって、思う。
十二月は、打って変わって「愛子ちゃん」だらけ。
初めて読んだ時は、「師走」という言葉をシャレ混じりで思い浮かべて、先生の話がクリスマスくらいにしか出て来ない事を気にもしなかった。二人で小さなケーキを食べてた。クリスマスに恋人と過ごすなんて良いなあ、なんて。私は微笑んでページを捲ったんだ。
ポツポツと「仁君」も登場した。この幼馴染の「仁君」は、真愛ちゃんを絶対好きなんだと思う。真愛ちゃんは、先生に夢中だったから、それに気付いたのは一月が終わる頃だった。
日付も天気も無い
どうしよう。
仁君が、学校の近くに出来たドーナツショップへ誘ってくれたけど、それを断って先生のアパートへ行った。
先生が体調を崩して、お休みしていたから。
私に出来る事は少なかったし、もしかしたら邪魔だったかも知れないけれど、先生は嬉しそうにしてくれた。ちょっと奥さんになった気分で、幸せだったのに。
先生のアパートから出て直ぐに、仁君がいた。
階段の隅に座っていて、私と目が合うと、走って逃げて行った。
日付も天気も無い
誰にも言わないって。
私が皆に、後ろ指差される様な事はしないって。
俺はお前が大事だからって。
でも止めろって。
(以後、字が、綺麗な字が物凄く乱れる。激しい感情で、殴り書いた様な)
後ろ指ってなに
私と先生は、そんなに悪い事
止めろって、なに
何がわかるの何がわかるの
私を好きだってどうして後ろ指ってなに
こわい
誰にも言わないで
一月二十六日・曇り
雪が降って来てる。
仁君は、大丈夫だからって言った。
誰にも言わないって。
でも止めろって。
でも私は、先生が好きなのだけは、譲れない。
そしたら仁君言ったんだ。
教師やってる大人が、高校生と恋愛なんてどうかしてるって。
制服好きの、変態なんじゃないのかって。
それ目当てで教師になったんじゃないかって。
顔を平手で叩いてやれば良かった。
でも出来なかったのは、先生が、私を好きなのが、私みたいな子供を好きって言ってくれるのが、未だに信じられないから。
信じられないくらい、嬉しいから、どこかに落とし穴みたいなものがあるんじゃないかって、思ってたから。
仁君、酷いよ。
とても寒い。積もって。積もって、雪。
景色を、真っ白にして。
*
私からとても遠い夜、雪は積もったんだろうか。
*
皆が教えてくれた『パン工場見学』の日だった。
私は真愛ちゃんの手がかりを掴めなくて、部屋でストーブの温風を足に当ててぼんやりとしていた。相変わらず、不登校をしていた。
皆、突然学校に来なくなったクラスメートを気にしていた。
インフルエンザなんかじゃない、と皆が気付き始めているのが、妙に気遣ったメッセージに感じられた。
どうして? なにかあったの?
当たり前に湧くだろう好奇心を、皆が必死で隠してた。
飽きたのか、それが気遣いなのか、もうメッセージを送って来ない人もいれば、マメにたわいもない学校の様子を教えてくれる人もいた。
そんな無駄な事をさせずに、グループから外れてしまえば良いのに、私はそうしなかった。……それは、寂しかったんだ。卑怯だね。
この日も、着信音は鳴ってくれた。午前中の見学で、お昼に焼き立てパンを食べて、その日は終了、と皆はしゃいでいたので、いつもより早い午後二時頃だった。
私は後ろめたさと人恋しさに、画面を見た。
皆……パン工場、楽しかった?
私も、行きたかったよ……。
寂しさなんて、感じる資格も無いのに、私は涙ぐむ。
『ミチル、今日パン工場行った。菓子、ミチルの分ももらったから、届けに行っていいかな』
清水君からだった。
『私も行くね~』
『俺も俺も!!』
『私も!』
『電車! 電車!』
『あんまり大勢でだと迷惑だろうし、なんかな、NHKの番組みたいになるのもいやだからさ、ちゃんと人数絞って行くわ』
『厳選した精鋭部隊のみ行きま~す!』
『厳選されなかったオレ……(泣)』
『よしぴー……(笑)よしよし』
『安心して。イヤだったら、ポストに入れて置くね』
『凄い美味しいよ! 食べてね!!』
私は驚いて、そわそわした。
チャイムが鳴ったら、きっと飛び上がってしまう。
でも、ポストだから。ポストだから。
そわそわとドキドキが、私を部屋でぐるぐる歩かせた 。
皆を出迎える勇気なんて無い癖に、わざわざ部屋着を普段着に着替えたりした。
『もうすぐえきー』
『電車通学、憧れる~』
私の通う高校は、高い志を持って入って来るレベルでは無くて、近隣の中学から集まって来た生徒ばかりだから、ほとんど自転車通学だ。
放課後の電車にワクワクしているのが伝わって来て、私はちょっと微笑んだ。
だから、メッセージがそこからパタリと止まったのは、皆が電車ではしゃいでいるのだと思っていた。
一時間ほど、メッセージは止まっていた。
おかしな事に、私は今か今かとドキドキしていた。
チャイムが鳴ったら、布団を頭から被ってしまおう。
私なんか、だって、どんな顔で会えばいいの。皆の顔見れないよ。
家のチャイムは全然鳴らなかった。
代わりに、スマートフォンが鳴った。
『ミチルごめんね。今日行けない』
こちらへ向かってるメンバーの一人からだった。
『清水君が警察に連れてかれちゃったの』
*
彼の高校で、期末テストが終わった。皆が開放感でいっぱいだった。
いつもより早い下校なのも拍車をかけて、皆空でも飛べる勢いでそれぞれ遊びに出掛けた。
彼も、カラオケに誘われた。
けれど彼は気が乗らなくて、一人で電車に乗って帰った。
カラオケかぁ、そんな風に思って、電車に揺られながら手に入らない少女の面影を思い浮かべた。昼間の電車は、人が少なくて寂しい。
彼は何となく、本当に何となく、いつも少女が乗って来た駅に降り立った。
ホームは静かで、寒かった。
彼は自分を嗤って、次の電車を待った。
待っていると、ワイワイと声がした。
彼の見慣れた制服を着た女の子達が先にやって来て、彼の胸は動揺と共に高鳴った。
でも、彼の期待した少女の姿は無かった。
女の子達は、一人でいる彼をチラリと視線に入れたけど、直ぐに構わずお喋りをする。
「ミチル、喜ぶかな」
彼の心臓が跳ね上がった。
彼の中の何もかもが、会話に集中した。
「出てきてくれると思う?」
「……わからないけど、きっとお菓子は食べるよ。甘い物好きだもん」
「どうしちゃったんだろうね、ミチル……」
「うん……インフルエンザ……ではないよね」
「もう、二週間だもん。私、ミチルに何かしたのかな?」
「なんで? そんな事……思い当たらないくせに言っちゃ駄目」
「……思い当たらないから、余計にミチルを傷つけてるのかもしれない……」
「バカ。大丈夫だよ。そんな気持ちでミチルに会いに行っちゃ駄目」
「あのサ、ミチルって、宮地ミチル?」
彼は意を決して女の子達に近寄り、割って入った。
女の子達はギョッとして、彼を上から下まで見た。
「なにしてる? どうした?」
男の子達数人が、後からやって来た。
一人に見覚えがあった。
その男の子は、彼を見るなり表情を険しくさせた。
彼は、向けられた敵意に気付いたけれど、笑って見せた。敵じゃありませんよ、そんな風に。
「久しぶり~。あ、髪ちょっと明るくした?」
「……」
「ミチル、いつから学校来てないの?」
「……」
「さっき、この人たちが言ってたから」
女の子達が、彼から目を逸らして俯いた。
「関係無い」
「……ミチルんち行くの?」
カッと男の子の目が見開かれた。
「関係無いだろ! なんだお前? お前、なんで宮地の乗る駅にいる?」
「……いや、たまたま……」
「嘘つけ……」
「は?」
「お前、待ち伏せしてたんだろ!?」
彼は、それを聞いて薄く笑った。余りにも、ズキンときて。
―――ミチル。
LINEの返事は無かった。俺の事、怖かった。厭だったんだ……。
こんな風に、ミチルも……?
彼の薄笑いに、男の子が今にも殴り掛からんばかりだ。
たしなめるクラスメートに腕を掴まれて、怒りの表情を膨らませている。
「してたんだな!? 宮地に付きまとってたんだろ!?」
「ちげぇよ、電車が一緒になった時に話したりしてただけだ」
「お前解んねぇのか!? 頭大丈夫かよ!? カラオケの日、宮地帰りに泣いてたんだぞ!? 電車一緒になって喜んでたのお前だけだ!!」
「なぁ! そんなのどうでもいい。ミチル、どうした? 何かあったの?」
「どうでも良いってなんだ!!」
拳が飛んで来た。
視界が揺れて、身体がよろめいたが、彼は足を踏ん張った。
カッとなった。でも、ギュッと拳を握って耐えた。
「ミチルに、何かあったのか……?」
「お前のせいだろ! お前が待ち伏せして、宮地はそれが厭で……!」
また殴られた。女の子達が悲鳴を上げている。
「清水! 止めろ!」
「お前のせいだ! 宮地に何かしたんだろ!!」
襟首を掴まれたけれど、彼はますます薄ら笑って男の子を見た。男の子は彼の目に一瞬怯み、それに負けじと「わーっ」と喚いて彼を背後の自販機に押し付けた。
「宮地に何したんだ!!」
彼は、何だか悲しくてやり切れない。
怖がらせた上に、彼女の何かを、彼女のクラスメートがこんなにも怒る位に狂わせたのかも知れないと思うと、彼は自分が悲しい。
でも、ちょっとだけ、信じてる。違うんじゃないかって。なんか、別のなんかがあるんじゃないかって……。都合の良い妄想だって、自分に言い聞かせていたけれど……。
彼は、確信し始める。
彼女は自分で二両目に乗って来た。自分を見つけて、微笑んで寄って来た。朝は「おはよう」。帰りは「またね」。「どうせ」と言う彼の口を塞いだ、暖かい、手の柔らかさ。
それが偽りだろうがなんだろうが、もうどうでも良い。全部嬉しかった。
俺にあるのは、それだけじゃないか?
思わず伝えた想いに、顔色を変えた彼女。
俺を見たんじゃ無かったんだ。
「今度、宮地に近付いて見ろ! 絶対に許さない」
ミチル~……なんとなく、解った。
お前、イイ奴だなぁ……。
必死の形相の男の子が、何か喚いてまた拳を振り上げた。
もう、あの時一人にされてたミチルじゃないんだな。
お前をこんなに心配するヤツが傍にいたんだ。
大丈夫。ミチル。お前の大事なもんを、俺は傷付けたりしねぇよ。
何度目かに殴られた衝撃で、押し付けられていた自販機に頭がぶつかった。ガラスが割れた音がした。女の子の悲鳴と、他の男の子達の、男の子を止める喚き声。
破片が、スローモーションで散らばって見える。
……ああ、綺麗だな……。
……それにしても皆、周りでぶんぶん煩いったらないぜ。