貌万華
無重力感の最中、相羽君の名を、心臓を差し出す位の気持ちで呼ぼうとした。
その瞬間、清水君の顔が浮かび上がった。
彼を筆頭に、私と仲の良いクラスメート達が、相羽君の後ろにズラリと並んだ。そうしてボンヤリと虚ろに、私を見ているのだった。
相羽君は、なんて数の幽霊を背負っているのだろう!
「ミチル……?」
私は自分でも顔色が変わったのがわかった。
相羽君の普段は飄々とした表情が、後悔と苦痛に歪んだ。
咄嗟に、という感じで、相羽君が歯切れ悪く言った。
「今のウソ……ウソウソウソ……ウソだ、ミチル……」
「ごめんなさい、か、帰る」
「ミチル! 今の、ウソなんだよー! ウソだ、ウソだ!」
ホームへ続く階段は、昇りだったかしら? 下りだったかしら?
ウソだ、ウソだ、と繰り返す相羽君の声が遠ざかる。
私に言っているの? 自分に言っているの?
頭の中が、機械みたいになった。
ここから二駅目、駅を降りて、バスに乗って、バスは三駅目で降りて、真新しい電柱の角を右へ曲がり、真っ直ぐ行って……。
部屋で泣いた。
毛布を被ってワンワン泣きたかったけど、泣き声すら出なくて、口を歪めてザラザラした息を、吐き続けた。
*
十月二日・雨だけど晴れ。でも、やっぱり雨?
今日で五回目。先生のアパート。
先生の裸に触った。(くしゃくしゃと二行程消されている。薄っすらと見えるけれど、割愛)
先生、好き。
十月八日(天気の記載は無し)
先生、理化学の先生を車に乗せて、何処かへ行った。
理化学なんて大嫌い! 大嫌い! 大嫌い!! 私は私がもし教師になったらマニキュアなんてぬらない! ピンクのカーディガンなんて着ない!! ショートカットは男の子みたい! それに――― ―――割愛―――― 死んじゃえ!!(消してある。薄っすら筆圧が残っている)
十月九日・晴れ
身内の方に、不幸があって、それで送って行ったそうです。
私は、恥ずかしいです。
恥ずかしくて、死んでしまいそうです。
理化学の授業の度に、私が私に鏡を見せると思う。
映っているのは、昨日の私の酷い貌。
十月十日・晴れ
先生は、その時だけ私を「真愛」と呼ぶ。
私は、声が熱いなんて知らなかった。
私はまだ恥ずかしくて、「先生」と呼ぶ。
十月二十日・晴れ
愛子ちゃんが、おかしい。
私の様に、先生を目で追っている気がする。
廊下の南方面に私、北方面に愛子ちゃん。私も愛子ちゃんも、お互いに近寄ろうと歩き出した時、仁君のクラスからヒョイと私と愛子ちゃんの中央に現れた先生。
愛子ちゃんの視線が私より早く、先生を追った。それから直ぐに、私の方を見た。
私は先生を見ずに、そんな愛子ちゃんを見ていた。
疑問をここに書きたいけれど、文字で見たくない。だから、吐き出せない。
十月二十八日
愛子ちゃんに先生と先生の部屋でした事を話した。
先生が、どれだけ熱い声で私を「真愛」と呼ぶか、愛子ちゃんに聞かせた。
素直に愛子ちゃんは喜んでくれて、話の内容に頬を赤らめたり、口を手で覆ってクスクス笑ったりした。
私は安心した様な、つまらないような気がした。でも、その内に愛子ちゃんは元気を失くして、最終下校の鐘が鳴ると、ホッとした様な顔をした。
「先生を愛してる」と私は大胆に言った。何かをぶつける様に。
「わかってるよ」と、愛子ちゃんは微笑んだ。「死ぬほど伝わってくるよ」
愛子ちゃん、愛子ちゃん、愛子ちゃん。私の大好きな友達。(ページが濡れて所々歪んでいる)
真愛、あなたなんて、大嫌い!!
*
十月は、真愛ちゃんにとって、随分辛い月だったよう。
私はこれを初夏に読んで、泣いたんだ。
ドラマみたいって、そんな、能天気な涙だったけれど。
真愛ちゃんは今、どこにいるんだろう?
相羽君は、「ババア」と言った。
きっとそうなんだろう。
でも、歳なんてどうでも良かった。
もしも叶うなら、真愛ちゃんと話してみたい。
だって、彼女の気持ちがこんなにも判る。
日記の中には、嘘も虚栄も幻も無い。(それだらけに書かれているけど、……解るでしょ?)
書かれているのは真実だけ。この女の子の。
―――着信音―――
私はバッとスマートフォンに飛びついた。
グループメールに着信。ポイとベッドに投げ出して、やっぱり気になって画面を覗く。
『宮地さん、インフルエンザなの?』
『もう一週間~(泣)大丈夫~?』
一人がメッセージを入れると、連鎖してスマートフォンがキンコンキンコンキンコンキンコン……。
ポッポと現れ続けるフキダシを暗い顔で眺める私が、画面の黒縁に反射してる。
『ノート、とっとくからね! 安心してゆっくり休んで』
『ミチルちゃん、皆心配しているよ』
『寝てるのかな? 熱高いのかも。返信良いから、寝ろよ!』
『社会見学のプリント、ファイルしといたから、また登校したら説明するね』
『十二月十二日な~』
『パン工場!』
『出来立てお菓子食べれるよ! それまでに元気になってね』
『寂しいよーミチルー。一緒にトイレに行って~』
『一人で行け(笑)』
『俺、行ってやろうか?』
『バカ、ユータ変態!』
『お前ら、宮地がうるさいかも知れないだろ、もう別でやれ』
『王子キター!』
『きゃー、王子―!』
『王子! 王子!』
『馬鹿! 宮地、早く元気になれよ。俺も寂しい』
どうしてそんな風に、貴方達は眩しいの。
私は目が眩んで、眩しさにかき消されてしまいそうだよ。
私は、何かの皮を被って優しさを貪っているんだ。後ろめたくて醜いんだよ。
皆を幽霊なんかにして……。きっと自分の事が一番可愛いんだ。最低なんだよ。
同時進行で、相羽君からもメッセージが来た。
悪魔の仕業としか思えない。
『ミチル』
『俺』『と、ツレら』
『一人にされたミチルを、寂しくないようにしようとしたんだけど、俺達アホだから。女子たちイミ解んねぇし、それにもちょっと動揺してて、見捨てられた気分ってゆうの? そうゆうので、カラ元気出してた。ミチルまで帰ったら、本気で俺ら、「要らない」って言われてるみたいで、そうゆうので、バカだから、ミチルを引き止めた』
『後から聞いたら嫉妬つってた。俺達って本当に、アホなんだ』
『ミチルはドアの外ばっか見てた』
『笑わせたかったけど、全然笑わなくて』
『怖がらせて、ゴメン』
『本当は、俺の事ずっといやだった? 怖かった?』
『あの日も』
『もう』
『二両目に乗らねぇから、安心して』
『俺は蛇使いになる』
相羽君、貴方の幽霊を教えてくれてありがとう。
何がそんなに怖いのって、笑っちゃいそう。らしくないよ。
相羽君、私の幽霊はでも、本当に醜くて、相羽君に見せてあげられない。
だって好きなの。
私は私が大嫌い。
大嫌いなヤツが、自分の好きな人達を好きなのが許せない。
……真愛ちゃんに、会いたい。
どこにいるの?
手掛かりは、私の家に、以前住んで居た事。
―――辿れるかもしれない。