実体の無いもの
前の話から少し切り離して読んで頂けると、楽かもしれません。
高校に入学してすぐ、初めて合コンに行った。
中学生の時に塾で知り合った子が、違う高校になっても誘ってくれたから。
『ミチルちゃん、可愛いからサ、来てくれたら鼻が高いよ~』
こんな風に。
悪い気はしない反面、何だか利用されている気がしないでも無かった。
加えてそれ程仲が良い子でも無かったのに……入学したて、学校に知らない子だらけの環境が、私はちょっと寂しかったんだ。
狭くて煙草臭い、カラオケボックスの個室の中で、その子以外皆、私の知らない人が集まった。
直ぐに後悔した。
メンバーの男の子も女の子も、髪が真新しくキンキンに茶色い。
喋り方や動きが皆乱暴で、女の子は制服のシャツの胸元を露骨に開いて派手な色のキャミソールを覗かせていたり、スカートが短すぎて太ももが剝き出しだったりで、私の目には、失礼だけど下品に映った。私は直ぐに彼らと心に一線を引いた。
男の子達は身を乗り出してどんどん私に下らない質問ばかりして、恐る恐る答えると大きなリアクションと声を出す。
反面、男の子達が私に話しかければ話しかける程、女の子達の私を見る表情が冷たくなって、私はそれにも居心地が悪い。
「ねぇねぇ、ちょっとー、アンタ達テンション上げ過ぎーっ」
女の子の内の、誰かがマイクを使ってそう言った。チラリと一瞬だけ私を睨みながら。音がくわんくわんと耳に響いて、こびり付いた。
対抗する様に、一人の男の子が空いているマイクを手に取った。
「だってぇ、ミチルちゃん、可愛いから!」
くわんくわん。
「うちら必要ないみたいじゃーん」
くわんくわん。
誘ってくれた子は、何だかバツが悪そうに苦笑いしている。助けてくれなかった。
「うっせーなー、ウチのガッコの女子わー、あ、ミチルちゃん、この歌、歌ってよ」
もう止めて。
帰ります。
そう言えたら良かった。
勝手に入れられた曲が流れ出して、マイクを持たされる。
何とか盛り上げなくちゃいけないと、気持ちを空回りさせて、私は歌い出す。
「あたしトイレ」
「あ、あたしもー」
女の子達がどんどん席を立つ。
狭くて薄暗い部屋で、何だか興奮気味の男の子数人に囲まれて歌うのは、怖かった。
今頃、女の子達はトイレでどんな会話をしているのだろう。
トイレなんかじゃないのかも。
男の子達の好奇の目が怖い。
女の子達は、歌が終わっても帰って来なかった。
誰かの着信音が鳴って、持ち主がスマートフォンを指でいじくりながら、
「あー!? 女子みんな帰ったってサ!」
私は胸がヒヤッと冷えた。初めて会った子たちばかりだけれど、やっぱり傷ついた。
「え~?」
「いーべいーべ、ミチルちゃんがいるべ!」
声の一番大きな男の子が、女の子達がいなくなったからか、私の肩に腕を回した。それで男の子達のタガが外れて、皆余計に馴れ馴れしくなった。
厭で泣き出してしまいそうだったけれど、その後の彼らの反応が何故かとても怖くて、私はグッと堪えた。
「女の子、帰ったなら私も帰ります」
ようやく言うと、腕を掴まれた。私の肩に腕を回して来た男の子と、私を挟む様に座った一番背の高い男の子だった。
「いいじゃん。俺らの事イヤなの?」
「いえ……」
外に出たくて、ドアを見る。ドアにはめ込まれた窓ガラスの向こうで、見覚えのある男の子が驚いた顔をして私を見ていた。
まだ目に新しい、私の高校の制服。同じクラスの男の子だった。
確か、確か名前は清水君。
先生が提案した、『自己紹介をしましょう』で、「お笑いが好きです」と言って一発ギャグをして笑いを取ってた子。
目が合ったのに、その子は直ぐに顔を逸らせてドアの窓ガラスから姿を消してしまった。
私はまた、胸がヒュッと冷えた。
知り合ったばかりの女の子達に置いてきぼりにされて、クラスメートにも見放されてしまった。
同じ空間で騒ぐ男の子達の声が遠い。引っ張られて、すとんと力なく彼らのいるボロくて臭い革張りソファに、座り込む。
―――明日、清水君はクラスの皆に言うのかな。
―――こんな男の子たちの中に一人でいる私を、一体皆にどう報告するのだろう。
後ろ指差す指が見える。ひそひそ声が、私に聴こえる様に近づいて、振り返れば遠のいて……。
『遊んでる』『浮ついてる』『不潔』『低レベル』
自分を囲む男の子達への感想が、そのまま私に降って来る気がした。
どうやって、どうすれば?
大音量のバックミュージックがうるさい。男の子たちは楽しそうにがなってる。
まずはこの野蛮で馬鹿げた場を出なくては。
「ミチルちゃん、ドリンクバー行こうぜ」
私の肩に腕を回した男の子が、そう言って「おまいら、欲しいのある~?」
と皆に聞いた。皆それぞれ欲しい飲み物の名前を上げて、夢中になって歌っている。
ドリンクバーに誘った男の子は、「全然覚えられねぇ~」と笑って、私の手を引き部屋の外へ出た。部屋の外は明るくて、何故だか急に現実に戻った様な心地になった。
そっか、あの煩い空間は、ヘンテコな異空間なんだ。
この子だって、明るい明かりの中で見れば、頭がキンキンに茶色くて、ちょっとだらしないカッコなだけで、そんなに怖くないんだから!
部屋を出て直ぐに男の子は私の手をパッと放し、「荷物そんだけ?」と私の肩にかけたポシェットを指差した。
私は、意味が解らずに恐る恐る頷いた。(やっぱりちょっと怖い)
まさか、カツアゲ? と顔を強張らせているところに、
「宮地さん!」と私を呼ぶ声がした。
ビクッとして振り返ると、清水君だった。
清水君は、ちょっと構えながらも私の方へずんずん歩み寄って、ぎこちない大きめの声を出した。
「宮地さんと合流したいから、連れてっていいかな」
「あれ、同校?」
「そう。別室で皆が待ってる。二十人はいる」
私を外へ連れ出した男の子は、吹き出して「え~、怖ぇ」と言った後に、
「ど~ぞ~、ミチルちゃん、バイバイ」
と言って手を振った。
清水君は私の手を取って、ずんずん出口へ歩き出す。
少し気になって振り返ると、男の子はもうこちらに背中を向けて、部屋に戻って行くところだった。
清水君は早足で私を連れて店を出ると、「はぁ~」と息を吐いた。
店の自転車置き場は、バラバラと自転車が行儀悪く駐輪されている。私の自転車と、清水君の自転車に同じ校章シールが貼ってあるのを、少しだけ嬉しく思った。
「あの……ありがとう……」
鍵を開けながら、私はお礼を言った。
「いや、余計なお世話だったらどうしようって思ったけど、やっぱり気になって」
私のいる部屋に、戻ろうとしてくれたのだと言う。
「ううん。困ってたの。どうしようって。あのね、初めは女の子がいたんだよ……あんまり知らない子と、ほとんど知らない子達ばかりだったけど、女の子もいたの」
「俺が見た時、いなかったけど」
「うん……皆、私を置いて帰ったの」
私はほとんど夜になりかけた夕暮れの中、自転車をこぎ出した。
「え、なんで?」
清水君は心底不思議そうな声を出してついて来た。きっと送ってくれるのだ、と私は心強く思った。それにしても、彼が不思議そうにするのは当たり前だ。私だって、不思議だったんだから。
「まさか、最初からアイツら仕組んでたんじゃ……」
私の横に並びながら、清水君は興奮気味に言った。
私はその言葉を聞いて、「だったら、その方がずっとマシな様な気がする」と思った。その悪質さの方が、納得できる気がして。
でも、今となると、あの男の子達を……あの男の子を……そこまで悪くは思えないのが
不思議だった。
「ううん……。多分、私が悪いんだ……」
そう言ったら、涙が零れた。
困った時に泣けなくて、助かった時に泣けるんだなぁ、なんて思いながら。
清水君の動揺が伝わって来たけれど、私も清水君も自転車を止めなかった。
清水君は、袖で涙を拭いながら自転車を漕ぐ私の横を、家まで黙って走ってくれた。
それから家の玄関の前で私がお礼を言うと、
「二十人は盛り過ぎだよな……」
と、頭を掻いて言った。
私は吹き出して
「部屋に入り切らないよ」
と返した。
「俺がチキンだった事、皆に内緒な」
「うん。二十人の他校生を相手に戦ってくれたって、皆に言うよ」
「止めろ止めろ、言わないで」
私たちは笑って、今日という日に、お互いの秘密を持ち合った。
悪いと思っていなくても、総スカンをされてしまう程疎ましい存在になってしまう事があるんだ、と学んだ。「悪い」にならない方法を、身に付けなくてはいけないと思ったけれど、それはとっても難しい。だって回避しなくちゃならないそれは、実体がないから。
私の胸をヒュッと冷たく通り抜けた、実体の無いもの。
いつ、どこで、どんな風に現れるのか。
まるで幽霊みたいだ。
これからは用心深く、探さなくてはいけない。そんな事を思った。