愛子ちゃん
いない。
お菓子を、あげに行きたいのに。
今日も私は、玄関を潜る。
出て来て。話をしよう。
それから教えて。
答え合わせをしようよ。
階段を上がって二階。
両親の寝室と、弟の部屋と、私の部屋。納戸。トイレ、向かいに洗面ドレッサー。
どこにもいない。
私の部屋で、あなたの日記がパラパラ風に捲れている。
窓を閉める。閉めて行く。
風が、滞る。
誰もいない。誰も。
*
日記、読みますか?
それは、なんて魅惑的な言葉だったでしょう!
悪魔って美しいのね。
無垢な、あどけない顔をして……なんていう誘惑をするのでしょう。
あんなに綺麗な子を見るのは、久しぶりでした。
貴女の居た家に、高校生の女の子が住む事になったのを知った時、私は一体何を期待したんでしょう。頭がおかしいのです。おかしくなっていたのです。
あれから……平穏に生きました。でも、私は平穏に納得がいかなかったのです。
貴女を失ったというのに、狂気に堕ち入れない自分を責め続けていました。
なので、きっと、狂気を装いたかったのでしょう。
暇があれば、気が赴けば、といった様に、貴女の家へ行きました。
あの日、菓子パンを届けに行った日の事、書いてくれたそうですね。
嬉しいです。半分コした事は、あの子は言ってなかったけれど、半分コ、しましたね?
何もかも……菓子パンの様に……分ける事が出来たなら。
貴女のかつての部屋を見詰めながら、あなたの名前を呟きました。ああ、狂えていた……立派に、狂えていたのかもしれません。
窓が開きました。
貴女かと、思いました。
時が巻き戻ったのかと……なんて残酷な仕打ちを、と私は今でも思いますよ。だって、どれだけ胸がときめいたか……! 狂気が晴れた時、本物の狂気が待っているのです。
でも、ええ。貴女の方が美しいですよ。だって、貴女は女でしたから。
でも、ええ。あの子も空恐ろしいですよ。美しいのは罪と言いますが、全くそう思いますよ!
大きな綺麗な瞳をしていましたよ。貴女みたいに、お人形さんの様な。親御さんは、さぞ自慢の娘さんでしょう。お行儀も良かったです。私をつっかけで追って来ましたけどね。
私は現実的な狂気の中で、急ぎ足に立ち去りました。
不審者と思われたくなかったのです。溺れ切れておりませんでした。
そして、名前を呼ばれました。
もう、溺れているのかいないのか、訳が分かりませんでした。
貴女に会いたがりました。
素直にそう言うので、私は「私もよ」と答えました。
日記は断りました。当時ならかじりついていたかもしれませんが、探さない事が、貴女に出来る唯一の誠意だと、その時勝手に悟りました。
そして、私は幽霊探しをお終いにしました。
先生の事は、今でも恨んでいます。私をオールドミスにしました(大丈夫です、私は石の様に、何も先生に吐いたりしませんでしたよ)。きっと、あの方以上に心惹かれる方にお会いする機会はもうないでしょう……。結局、貴女を媒体にしたからこそ、と、思います。私は昔から元々おかしいのでしょう。
日記の中で、貴女がどうしていようが構わない。
目の前で微笑む貴女をとても好きでした。
本当に少しだけ貴女の話をあの子としました。何だか、同い年の友達みたいに気安くよ。半分コ、するみたいに。
あの子は泣いてくれましたよ。それから、言ったのです。
「愛子ちゃん、ごめんね。私もう行かなきゃ」
「そうね、お母様に怒られてしまうわね。さようなら」
「また会える?」
少し考えました。良くない事だと、思いました。
「いいえ。ご迷惑をかけてしまうかも知れないし、もう来ないわ」
「……卒業式だね」
聡い子だ、と思いましたよ、ええ!
「さようなら」
「はい。愛子ちゃん、真愛ちゃんはね、本当に愛子ちゃんを好きだったよ」
「……嬉しいわ」
夢うつつで呟きました。
「ホントにホントに、大好きだったよ」
狂気がね、見せたのね。
「愛子ちゃん、さようなら!」
一線を超えて、追いかけてしまいそうでしたよ。でも、駄目なのね。
私は境界線を踏み止まって、「かつて愛子ちゃんだった」「小母さんの顔」で、手を振りました。
さようなら。
真愛、真愛……。
ああ……。幾らでも、幾らでもあげます。
 




