どこかに
鍵は、開いておます。
玄関からお入り下さい。
どうぞご遠慮なさらずに。そこは貴方のご自宅です。
見覚えがございますね?
ドアもドアノブの形も、全く一緒でしょう?
ドアを開けた途端に、いつもの「お帰り」の匂いがします。
お手数ですが、用心の為、内鍵を掛けて下さいね。
貴方の後ろから、誰も玄関に入れない様に。
幽霊を探すのですから、たった一人でやらなくてはなりません。
証明の為に、誰でも無いあなたが見なくてはなりません。
さて、玄関を上がり、次はどこに続いているのでしょう。
廊下でしょうか、すぐに居間というお宅もございましょう。
まずは家中にある窓を全て、開けて下さい。トイレも風呂場もお忘れなき様……。
そうしながら、お宅にある全ての部屋を回ります。
誰もおりませんね? 誰もいないのを確認しましたね?
では、今度は窓を全部締めながら玄関へどうぞ。
その間にあえるはずです。
本当にいるのなら。
*
罪を犯した。
罪にも色々あるけれど、僕の場合は、生徒を抱いた。
大人しい娘だった。
生徒と恋なんて出来ない。そう言って断り続けた。
けれどいつしかその娘の静かな情熱に負けた。
そしていつしか、僕がそこ娘を追っていた。
僕の汚いワンルームの隅っこ、敷きっぱなしの布団の上で、彼女は静かに僕に抱かれた。
彼女が着ていた制服。僕が恐れていたもの。僕たちの動きにまみれて散らばっていた。
それを脱がしてしまえば、僕の腕の中にいるのは生徒では無く、少し僕には若すぎる女というだけで、「そうか、脱がせてしまえばいいのだ」と、僕はその愚かな発見に幸せを感じながら、彼女に溺れた。
罪悪感は、あと数年の事。そう思っていた。
しかし時は待ってくれなかった。
卒業間近のある寒い冬の日、彼女は自ら命を絶った。
制服の群れる葬儀場で、喪失感に打ちのめされた彼女の母親が立っていた。
母親の持つ彼女の遺影は、お互い生き写しで、本人が本人の遺影を抱えているみたいに見えた。
恋しさと教師としての罪の意識に、僕は消えてしまいたかった。
母親が僕に深々と頭を下げる。まとめた髪の後れ毛の様子まで娘とそっくりで、僕は発狂しそうだ。発狂しそうだ。発狂しそうだ。
僕は亡霊の様に、恋しい少女の亡骸を見る。
生徒たちの幾人かの囁き声が聴こえた。
―――大人しかったから
―――イジメ……
―――ああ、そういえば……
虚ろに漂っていた僕の心が、その囁きに発火した。
その時、僕は自らの生を何処かからぶつけられ、息を吹き返した。
僕は、これから幽霊を探す。
彼女のじゃない。
彼女の死の影で、薄ら嗤う幽霊だ。
君の埋葬日。
僕の誕生祭。
真愛、真愛!!
*
先生が、怖い顔で私に聞いた。
どうしてそんなに怖い顔をしているのか、私には分かっていたけれど、知っているのを悟られてはいけない様な気がして、私は知らないフリをした。
その私のはぐらかしを、先生は別の意味に読み取った。
「……何か隠しているなら、今のうちに言うんだ」
可笑しい。隠しているのは、先生なのに。ストレートに言って良いの?
私はまだ、先生の動揺する顔を見ながらフォローするだけの力も、気力も無い。あの子の思い出話をする程の余裕も無いし、「秘密よ」と言った死者との約束を破る勇気も無い。
それから、この沸き上がる怒りをぶつける勇気も。
「一番仲が良かったって、一之瀬から聞いている」
へえ、何時、どこで? 先生、何時、どこであの子から聞いたの?
「入学してから、三年間同じクラスで―――」
先生が、あの子の事を知っている事に腹が立つ。
「……そうです」
入学式、隣の席に座ったんだ。長い黒髪の、綺麗な子で。私はあの子の髪から漂う良い匂いに、ドキドキした。
初めての体育の授業で、ペアを組みなさいと言われて、モタモタしてしまった私とあの子。こんな綺麗な子が、自分とペアを嫌がりやしないかしら、なんて心配しながら、チラリと様子を伺うと、あの子はふんわり笑って、「いいかな?」って私に聞いた。
それから、それから私はあの子と同じシャンプーを使う様になった。ドラッグストアに一緒に買い物に行った。口紅やネイルを試し合ったり、コンドームが並ぶ棚の前を通って、忍び笑いをしたり……。
廊下でたくさんお喋りをした。ハンカチを貸しっこしたり、髪を結い合ったり、授業中に、小さな紙切れに手紙を書いてコッソリ回したり。
そんな風に、ごく普通に私達は仲良くなった。
それから、次の学期で、あの子が私に言ったんだ。
先生が好き、と。
他の女の子達が、キーキー煩く打ち明けるのとは一線を画していた。
とても静かで、苦し気で、そして熱かった。
私はそんな恋をする友人を持てた事に、涙ぐみそうだった。
「応援する」と言った私に、あの子は断った。
迷惑を掛けたら悪いから、ってあの子は言った。
こんなに魅力的な女の子に好かれて迷惑する男がいるなんて、私は思わない。
そう思ったけれど、私は頷いた。私には解らない領域なのだ、と悔しく思いながら。
あの子はホッとした様に微笑んで、「これからも話を聞いてね」と言った。
そして私は、話を聴き続けた。
あの子の口から音楽の様に流れる、先生と言う男。
必然的に始まった、多重奏。
あの子と先生の愛の音楽に、私は恋をした。
あの子を殺したものの、正体は判ってる。でも、姿を見る事は叶わない。
まるで、幽霊みたい。
こんな私を嗤っている。
あの子に何をしたの? あの子に何を言ったの?
あんなに先生を愛していたのに。
それとも、あの子が子供だとでも言うの?
子供の愛なんてしれてるって、言うの?
知りたい。見たい。二人の間の全て。
でも、私は話を聞くだけって、あの子と約束をしたから。
あの子の望まない事は出来ない。
そして、恋する人の人生を狂わせる勇気が私には無い。例えそれが幻想でも。
だから、幽霊を捕まえられない。
先生、私は貴方を憎みます。
ソウルメイトが、私の魂を持って行った。
良いよ。あげる。
ああ、真愛! 真愛!
*
目の前でほとんど凄む様にする男に、俺は怯んだ。
けれど、怒りで目が眩みそうだ。
「お前、一之瀬と幼馴染だってな。でも最近酷く冷たくしていたそうだな」
「……」
「そうだろう。なにか彼女に隠れて、していなかったか?」
お前の担任が、誰かがお前を苛めていたんじゃねぇかって、嗅ぎまわってる噂を聞いて、俺は笑っちまったよ。
そうか、卑怯者。そうやって、自分の罪をはぐらかすつもりか。
「違うだろ、先生。アイツが死んだのは、苛めなんかじゃねぇよ」
「何か知っているのか?」
食い入る様に聞いて来た男の目が、ギラギラしていて、俺は更に怯んだ。俺はまだ子供で、こんな目をした男と向き合うなんて初めてだった。でも、もしかしたら、俺にもこの目が出来るのかも知れない。
「……」
いや、勝てっこ無い……。話の内容が別のものだったら、俺は確実に組み敷かれていただろう、と悔しさに塗り潰される。この目をしながら、冷静を装って席に着く目の前の男を、素直に恐ろしく感じた。
「何を知っている? 何でも良いから教えるんだ」
最終下校の鐘が鳴る。この鐘を、惜しんだ時間は消えて無くなっちまった。
「下校時刻だから」
「いや、待て。ちゃんと先生に話せ」
怒りで震えながら、腕を掴んで来た手を振り払った。俺の手より、少し大きくて力の強い手。
「テメェこそ!」
「?」
「俺は全部知ってる! 知ってるんだ!」
「なにを言ってる? 落ち着け、相羽」
「テメェこそ落ち着けよ!? こんな風に嗅ぎ回って、バカじゃねぇのか!? 皆アイツに何もしてねえよ! アイツの事知らねえの!? ウソだろ!? 人に嫌われる様な奴じゃねぇよ! 大人しくて、優しくて、……っ、……っ!!」
スゲェ、綺麗で……。
なんでだよ!!
お前が頷いた時、俺は、これからだと思っていた。
お前は「辛い」って言ったじゃねぇかよ!
このクソ野郎が、お前を泣かせた。
もう止めろって、俺は言ったじゃねぇかよ……。
どうして止めなかった……。
俺も辛かったよ。
幸せそうなお前、辛そうなお前、どっちも見るのがスゲェ辛かったよ!
お前の事、本当に解ってるのは俺だけだ。
絶対にそうだ。
お前は本当に弱くて、でも、変な所が強い。
俺はお前を守りたくて、だから……。
なのになんでだよ!
どうして止めなかった……。
本当は笑ってたのか?
本当は鬱陶しかったのか?
このクソ野郎と、俺を笑ってたのかよ!?
そう思うと悔しくて悔しくて、俺は次の言葉が出て来ない。
お前の本当はどれだ?
どうして見えない所で、透けて俺を見ているんだ!
なんにも知りたくない。
姿を見たくない。
でも、見えている。
俺を嗤う幽霊。
畜生!
真愛、真愛!!
*
幽霊が見えるって。
そうすると幽霊が見えるんですって。
誰かから聞いたの。
目を閉じるだけの、簡単な方法。
私は悲しくって、苦しくって、試してみたの……。
まず、鍵の開いた玄関に入るの……。
実際は霊感があるかないか調べるなんちゃらかんちゃらの都市伝説ですが、雰囲気だけ取って、後は別物として読んで頂けたら幸いです。