第98話 嵐が過ぎて
2017/08/11 エリスの夢に出てくる女性の髪色を金に修正
気付くと、村に居た。
故郷の村ではない、知らない村だった。視界に移る村人達も、全員が知らない顔だ。今自分がどこにいるのか確かめるために周りを見渡そうとして、気付いた。
――ああ、これは夢だ。
思い通りに体が動かない。それも当然だ、夢の中では登場人物の一人になっているのだから。
知らない村、知らない村人。だが、良く見ればどこか見覚えがある。ユウトと出会う以前には時折見ていた、あの夢だった。
――私が、私でない誰かになっている夢。
ふいに誰かに呼ばれた気がした。振り返ると、黒髪黒目の男性が笑いかけていた。ユウトに良く似ている男だが、年は少し上だ。似ているといっても、ここは夢の中なのだから知人が――或いは知人に良く似た人物が出てくるのはおかしなことではない。
男性は手を伸ばして優しく私の頬に触れた。温かい手だ。
――彼の、この女性に対する愛情が伝わってくるみたい。
見えないので分からないが、きっと私は嬉しそうに、幸せそうに微笑んでいるはずだ。
彼が何かを言い、私が何かを答える。何故か二人が何を言っているのか聞こえないが、彼が顔を赤くしているところを見るに、きっと傍で聞いていれば胸焼けしそうな言葉なのだろうと察しはついた。
そんな二人の様子を羨ましいと思う。心から愛した男性に心から愛されて、二人で寄り添って生きるというのは、間違いなく一つの幸せの形だ。しかし、私は俯いていた。
――あれ……?
そこで違和感に気付く。何故、私であるはずの女性が見えるのか。その時には、私は彼女では無くなっていた。いつの間にか男性は居なくなっており、村人どころか村すら無くなっている。
俯いていた女性がゆっくりと顔を上げる。初めて見る、女性の顔。腰まで届く金の髪と空色の瞳。少し大人びているが、私にそっくりだった。
驚きは無かった。そんな予感をずっと胸に抱いていたのかもしれない。
こちらを見る女性の瞳が悲しげに揺れた。何かを訴えるような、助けを求める表情だ。口が動いたが、やはり何を言っているのかは聞こえない。それは女性も分かっているようで、残念そうに瞳を伏せた。
再び女性が視線を上げると、今度はこちらの目をジッと見続ける。そして、一文字一文字ゆっくりと、伝わるように心を込めながら、言葉を紡いでいく。
「―――――」
短い言葉が終わると、女性が優しく微笑んだ。すると、急速に意識が覚醒した。
目を覚ますと、見慣れた天井が見えた。確かめるまでも無く、ここは昨夜いつも通り横になった自室のベッドの上だ。
「夢……」
今までに何度も見た、誰かの生活を追体験するような夢。だが、今回はいつもとは違っていた。始めてみた彼女の顔、悲しそうな表情、そして、最後の言葉。
これが一体何を意味するのか、或いは何の意味も無いただの夢なのか。
エリスは何気なく自分の頬に手を伸ばす。夢に出てきた男性が触れたのと同じ箇所に触れると、僅かに濡れた跡があった。
魔人の復活から数日が経った。
あの後、ユウト達はすぐに解放されることになった。魔人の件も重要だったが、それよりもまず王都内の事態の収拾を図る必要があったため、シグルド達が忙しくなったからだ。
それと同時に、スバルも解放が許された。予めシグルドにスバルが操られていることを話してあったことや、スバル本人が大人しく協力的だったことで、ユウト達が監視するという条件付きだが捕らえておく必要が無いと判断された。同じように精神支配の影響を受けていたエイシス兵は、全員捕縛されて牢屋に放り込まれていることを考えれば随分と甘い判断だが、そこはシグルドがユウト達のことを信用した結果だろう。
ちなみに、魔人の件については、とりあえず緘口令を敷く事であの場に居た者達だけの秘密となっているため、住民に大きな混乱は無い。もっとも、キメラ――魔物が操られていたことが建国記の一節にある魔人の能力と重ねたのか、新たな魔人が現れただとか、実は魔人が生きていたといった噂が流れていた。ただそれは極僅かなもので、侵攻のショックの方が遥かに大きく、それどころでは無いというのが現状だった。
あれから魔人が何処へ行ったのか、何をしているのかは分かっていない。だが、ウェンディの言葉を信じるのであれば、当分派手な動きは見せないだろう、ということだった。
ウェンディが魔人について何を知っているのか、それもまだ聞いていない。改めて話をするとは言っているが、未だに何も話してはくれていなかった。
――もしかしたら、ユウトが目を覚ますのを待っているからなのだろうか。
そう考えた直後に扉を叩く音がした。「どうぞ」と答えると、金と銀の対照的な髪の色をした二人の娘が扉を開けて部屋の中に入ってきた。
「お疲れ様です。そろそろ時間ですので代わります」
「あ、あぁ。すまない」
エリスが優しく微笑みかけると、スバルがどこか戸惑ったように返事をした。ユウトの枕元に丸まっていたシルが頭を上げると、自分も看病していたと主張するように「キュゥ!」と一鳴きする。
「分かってるわ。シルもありがとう」
苦笑したソフィアがシルの頭を撫でる。すると満足そうな顔をして、再び丸くなった。
その様子を微笑ましく見ていたエリスとソフィアは、すぐ隣で眠り続けているユウトを見て表情を曇らせた。魔人の復活と同時に倒れたユウトは、それから一度も目を覚ましていない。あの時は酷く苦しんでいたが今はそれも落ち着いており外傷も無いため、ただ寝ているようにしか見えないのだが、何をしても起きる気配が無かった。
「まだ目を覚まさないみたいですね……」
「ウェンディは命に別状は無いって言うけど、流石に心配ね」
「……起きない理由は分からないが、大丈夫だろう。ウェンディさんも自信があるようだったし、その……俺もこいつが簡単にくたばるとは思っていない」
スバルが慣れないながらも励まそうとすると、二人が顔を見合わせてから優しい表情でスバルを見た。
「そうですね」
「ええ。そうよね」
居心地の悪い視線を感じたスバルがそっぽを向くと、二人が声を忍ばせて笑い出す。馬鹿にした笑い方ではないのはすぐに分かったが、訳も分からず笑われるのは面白くない。「……なんだ?」と不機嫌そうにスバルが聞くと、エリスが笑顔のまま答える。
「いえ、ユウトさんの言っていた通りだな、と」
「勇翔の?」
絶対碌なことを言ってないと当たりを付けたスバルが渋い顔をすると。
「冷たい態度を取るけど、それは見せ掛けだけで」
「相手を気遣える優しい奴なんだ」
エリスとソフィアがちょっと低い声を出してそう言った。ユウトの真似をしているつもりなのだろう。あまり似ていなかったが。それは兎も角、やはり碌なことでは無かった。「余計なことを……」とスバルが呟いて忌々しげにユウトの顔を睨む。のうのうと寝ているのが腹立たしい。
だが、二人の言葉には先があった。
「「いわゆるツンデレって呼ばれる人種だ」」
「よし、今すぐ息の根を止めてやる」
ベッドに立て掛けてある白皇の柄を掴もうとしたスバルを二人と一匹が止めに入った。
少ししてスバルが落ち着くと、「そういえば」とソフィアが話題を変えた。
「スバルは人見知りだから初対面の相手には特に冷たいって聞いてたけど、そんなこと無いわよね?」
聞かれたエリスも「ですね」と頷くと、「どうして?」と言わんばかりの顔でスバルを見た。
期待に満ちた二つの視線にスバルが怯む。
――この二人はどうにも苦手だ……。
スバルは昔から好奇の目で見られることが多かった。外見的な要素もあったが、スバルの両親が揃って社会的に有名な人物だったため、その息子という意味でも悪目立ちしていたのだ。仕方ないことかもしれないが、そんなスバルに近づいて来たのは何かしら下心のある者ばかりだった。スバルが人嫌い――ユウトは人見知りと言っているが、そうなったのはそれが原因だった。
その反面、純朴というか裏表が無い相手との接点が少なく、どう対応すれば良いのか分からなかった。いっそのこと無視したり冷たくすれば良いのかもしれないが、スバルはそれを徹底出来る性格ではなかった。
多少意地を張っても、結局は二人のペースに飲まれてしまう。ここ数日でそのことは痛いほどよく分かっていた。暫く黙っていたスバルだが、二人を諦めさせるのはどうせ無理だと判断し、素直に答えることにした。
「操られていた間のことは、おぼろげだが覚えている。俺を助けようとするユウトに協力してくれた恩人だし、ユウトの大事な仲間だから、な」
「ふふっ。ユウトさんのこと、信頼しているんですね」
スバルはエリス達に気を許しているが、その前提となっているのはユウトの存在だ。ユウトが信頼している相手だから、スバルもエリス達のことを信用出来る。だが、それはスバルだけの話ではない。
「それは、そちらも同じじゃないのか?」
エリス達がスバルを信用しているのも、やはりユウトが間に居るからだ。エリス達にとってスバルは完全な他人であり、自分達を襲った者の一人だ。ユウトとスバルが友人でなければ、このように受け入れられることは無かっただろう。
「そう、ですね。否定はしません。ですけど、今はユウトさんのことは別にしても、信頼の置ける人だと思っていますよ」
「……何故、そんな風にすぐ信用出来るんだ?」
会ってから数日しか経っておらず、交わした言葉もそう多くは無い。そんな相手を信用出来るというエリスの答えに戸惑いながら聞くと、返って来たのは二人分の苦笑だった。
「何故って、ねぇ?」
「ええ。見ていれば分かりますよ」
意味ありげに顔を見合わせる二人を追及しようとスバルが口を開きかけたところで、ドタドタと廊下から慌しい足音が近づいてきた。
バタンッと勢い良く扉が開き、「スバルにーちゃん! 鍛錬行こーぜ!」と、大きな声が響いた。
「ちょっと、カール兄っ! ユウト兄が寝てるんだから静かにしなよ」
部屋に飛び込んで来たカールを少し遅れて来たテリーが窘める。
「うるさいくらいの方がユウトにーちゃんだって起きるかもしれないだろ?」
「それは、そうかもしれないけど……」
普通の病人や怪我人なら別だが、ユウトの場合むしろ起きて欲しいのだから騒がしくしても問題無い。そんなカールの主張は、テリーにも否定しきれないところがある。言葉を詰まらせたテリーに、「だろ」とカールが胸を張った。
「ユウトお兄ちゃん、まだ起きないの?」
最後に入ってきたエイミィがベッドに近づき、ユウトの顔を覗き込む。眠ったままなのを確認すると小さく肩を落とした。
「そうね。でも、すぐ目を覚ますわ」
シュンとしたエイミィの頭をエリスが撫でると、「うん……」と小さく頷いた。
「鍛錬の時間なんだろう? ギルツさんが待っているんじゃないのか?」
「あっ、そうだった」
「俺は一度部屋に戻るから、先に行っていてくれ」
「うん。スバル兄も急いでね」
「ああ」とスバルが答えるのと同時に、カール達は部屋を飛び出して行った。
「それじゃあ、ユウトのことを頼む」
「任せて」
「鍛錬頑張って下さい」
スバルはユウトの事を二人に任せると、武器を取りに自室に向かった。
「一目瞭然よね」
「ですね」
スバルが部屋を出て行った後、残った二人が笑った。
スバルがどんな性根の人間なのか、カール達に接している様子を見ていれば大体分かる。ユウトから話を聞いているカール達からすれば、スバルは言ってみれば兄の友人のようなものだ。エリス達がスバルを連れ帰ってみれば、すぐに興味を持って話しかけた。とはいえ、スバルの態度次第ではこうも懐きはしなかっただろう。
スバルは屈託無い子供達に、嫌な顔一つせずにきちんと接していた。内心は戸惑っていたのだろうが、少なくともカール達を迷惑だとは感じていなかったはずだ。そういう感情は言葉や表情、行動の端々に滲み出る。特に子供達は敏感だ。ああやって懐いているということ自体が、その答えになっている。
エリス達が見ていれば分かると言ったのは、このことだ。スバルに対する子供達の態度、子供達に対するスバルの態度。それを見ていれば、スバルが善人であることは疑いようもなかった。
「ぁ……ぐ、っ」
先程まで静かに寝ていたユウトの口から苦しむような唸り声が漏れる。
「また……」
ソフィアが手拭いでユウトの額に滲んだ汗を拭う。
ユウトは少しの間唸っていたが、また落ち着きを取り戻した。
「これで何度目だったかしら」
「もう数え切れないくらいです」
二人が小さく溜め息を吐いた。魔人が復活した時の苦しみように比べればかなり軽く、短い時間なのだが、時折こうして苦しむような素振りを見せる。このことも原因はウェンディにも分からないそうだが、命に関わるようなものではないということだった。その点については安心だが、やはり目の前で苦しんでいる姿を見せられれば心穏やかでは居られなかった。
――早く、目を覚まして。
そう願いながら、二人はユウトの手を握り締めた。
自室に戻ったスバルは、鍛錬用の服に着替えると、武器を持って庭に向かった。
スバルは館に来てからギルツ達の鍛錬に混ざるようにしていた。メイザースに操られていた間の経験は残っているため、剣も魔術も一応使えるが、あくまで一応だ。今後どうするかは分からないが、魔人のこともある。強くなっておいて損は無い。
「あら。これから鍛錬ですか?」
玄関に差し掛かったところでサーシャに声をかけられた。「はい」と答えると、優しそうに微笑んだ。
――本当に穏やかな雰囲気の人だな。
今は離れているが、南にある小さな村で孤児院を営んでいる人で、カール達の母親代わりをしていると聞いている。同時に、ユウトにとっても母親同然の人なのだとも。スバルの目から見ても理想的な母親像を体現したような人だ。両親を知らないユウトが慕うのもおかしなことでは無い。
――少なくとも、あの女よりは余程母親らしい。
そう考えてから、嫌なことを思い出したとすぐに頭から消し去った。
「どうかしましたか?」
そんなスバルの様子を不思議に思ったサーシャが尋ねたが、「いえ……」と首を振った。
「そうですか。慣れない環境ですから、何かあったら気兼ねせずに言って下さいね」
「ありがとうございます。では、ギルツさん達が待っていますので」
「ええ。頑張って、それと怪我には気を付けて」
スバルは返事代わりに頭を軽く下げると、その場を離れて庭に出た。そこには既にカール達とギルツが待っていた。ギルツはスバルの姿を見つけると、ニッと笑みを作った。
「おう、来たな」
「よろしくお願いします」
ギルツ自身は敬語は要らないと言っているので普段はそうしているのだが、教えて貰っている間は礼儀として敬語を使うということにしてある。頭を下げたスバルに続いてカール達も頭を下げた。
「それじゃあ、まずは走り込みからだな」
鬼教官の鍛錬という名のシゴキが幕を上げた。
「おーし、今日はここまでな」
鍛錬が終わった頃、庭にはギルツだけが立っていた。他の四人は全員地面に身を投げている。まさに死屍累々。
「ありがとう、ございました……」
辛うじて礼だけは口にしたが、倒れたまま動かない。まだ子供であるカール達は勿論だが、スバルも“強化”無しではギルツの鍛錬には付いていけない。基礎体力や筋力に差がありすぎるのだ。もっとも、それが分かっているからこそ、スバルは鍛錬を行なっているのだが。
スバル達がぐったりとしていると、鍛錬が終わるのを見計らったかのように紅色の髪を揺らしながら艶やかな女性が門から入ってきた。
「皆様、こんにちは」
「ローザさんか。今日もユウトの見舞いとは熱心なことで」
あの日、館に避難していたローザは、倒れて意識が無いままユウトが戻って来たことを知った。それ以降、ギルツが「今日も」と言ったように、今日まで毎日ユウトの見舞いに顔を出していた。
「恩人の御見舞いに行くのは当然ですわ」
「それにしては、毎度ローザさんだよな」
「これでも娼館の顔役ですから」
普段と変わらぬ様子で答えるローザに、ギルツが疑惑の目を向ける。ローザは娼婦の代表ということで来ているが、見舞いの品を持ってきてユウトの顔を見る程度なら、別にローザである必要は無い。初回は兎も角、少なくともそれ以降は別の者で十分だろう。そうであるにもかかわらず、わざわざローザ自らが足繁く通うのは別の意図があるからなのではないだろうか、とギルツは睨んでいた。
もっとも、そうだとしてもそれが悪意の類で無いのは間違いないので、無理に詮索するつもりは無い。というか、微かに頬が赤く染まっている時点で大体想像がついた。
――また一騒動あるか……。いや、ローザさんなら、なんだかんだ嬢ちゃんズと仲が良いから大丈夫か。まぁ、どっちにしても面白そうだから放っておこう。
ギルツはそう心に決め、話題を変えることにした。
「ところで、そっちは落ち着いたのか?」
「はい。まだショックが抜け切らない娘も居ますので、すぐに再開というわけにはいきませんけれど」
「そりゃ何よりだ。ユウトが館に連れてきた娘達はどうだ? 結構怖い目にあったって聞いてるが」
ザックが娼館で行なったことについては、ユウトから大体の話を聞いていた。娼婦達は例の惨状については目にしていないはずだが、敵国の兵士やキメラ共に捕まる恐怖は相当なものだろう。しかし、気遣う様子を見せるギルツに対し、ローザは苦笑を返した。
「そうなんですが、むしろその娘達の方が他の娘達を気遣っているくらいで」
「……なんというか、随分と肝が据わっているな」
ショックで引き篭もってもおかしくないくらいの体験だと思うのだが、意外にも平気だったらしい。
――そういえば、ユウトが連れてきた時も娼婦達の表情にそれほど追い詰められた様子は無かったな。
と、当時のことを思い出していると、ローザがどこか嬉しそうに笑った。
「何があっても助けて下さる英雄が居る、とそう信じているのでしょう」
「英雄……? って、まさか」
「御想像の通りかと」
「そりゃまた面白……もとい、楽しいことになってるな」
「……その二つ、大して変わりありませんよ?」
「まあまあ。だが、何でそんなことに?」
「戦い振りを見ていた者が、その強さに感銘を受けた。という分かり易い理由です」
「ほう」とギルツが笑みを浮かべる。無辜の民を守りながら、非戦闘員すら無差別に襲う悪辣な敵を圧倒的な強さで駆逐するその姿は、確かに英雄と呼ぶに足るかもしれない。
「それに、既に二つ名も王都中に知られ始めていますわ」
「二つ名なんて、一体いつの間に……」
「まあ、考えたのも流したのも、あの方ですけれど」
「ああ……」
名前を出すまでも無い、奴だ。ユウトやエリス程ではないが、クリスの強烈なキャラクターはほんの僅かな時間言葉を交わしただけのギルツにも爪痕を残している。ユウトの第一のファンを自称するクリスが、また暴走したのだろう。既に王都中に知られ始めているということは、クリスの彼女さんですら止められなかったか、とうとう愛想を尽かされたのか。後者ならまだ良いが、前者の場合クリスが息をしているかどうか。治安を守ろうとした彼女さんが捕まるような事態になっていないか心配だ。クリスの生死はどうでも良い。
「ちなみに、どんな二つ名なんだ?」
「銀風。わざわざヤマトの言葉で考えたそうです」
「ん? あぁ……外見的にはヤマト出身だからな」
ユウトの外見からヤマト出身と判断して、故郷の言葉を選んだのだろう。実際は故郷でも何でもないのだが。
第一のファンを自称するわりに情報収集が甘い……と言いたいところだが、異世界人だということは秘密にしているので、仮にユウトに直接聞いたとしてもヤマトだと嘘を吐いた筈だ。それは兎も角。
「銀色の風か。悪くないんじゃないか」
「はい。随分受け入れられているようです」
「そうか……。そのうちユウトが町中を歩くと、銀風銀風呼ばれるのか……」
二つ名持ちは貴重だ。そもそも一定以上の認知度が無ければ浸透しないため、Sランクや一部のAランク冒険者くらいにしか二つ名持ちは居ない。そんな中、ユウトはBランクという稀有な存在であり、しかも年齢に見合わない高ランク、それに加えて異例の昇格スピードという話題に尽きない。以前の近衛騎士への推挙の件である程度名が知られていたことも相俟って、一気に火が付いたはずだ。おそらく、暫くすればユウトの外見も合わせて銀風の名は王都中に知れ渡るだろう。
その時のユウトがどんな顔をするのか、見物だ。まず間違いなく、面白い反応をしてくれるはずだ。
「ギルツさん、悪い顔になってますわよ?」
「胸がときめくな」
「明け透けにされても……」
言葉通り顔を輝かせるギルツに対して、ローザは困った表情になる。悪目立ちを嫌うユウトのことなので、このことを知れば渋い顔をするのは想像に難くない。ローザの心情としてはユウト寄りなのでどうにかしてやりたい思いはあるのだが、こればかりはどうしようもなかった。
「ギルツさん。そろそろ通してあげた方が良いんじゃないか? ローザさんも暇では無いだろう」
「おっと、それもそうだ。ユウトの顔を見る時間が減っちまうな」
空気を読んだスバルの言葉に気付き、これは失敬、とギルツがわざとらしく道を空ける。含みのあるギルツの言葉と態度に、唇を尖らせながらローザが横を通り抜けた。その際、スバルに会釈をしたローザの表情はどこか嬉しそうだった。
――あんな顔して、娼婦の代表とか言われてもな。
娼婦としては絶対に見せないであろう少女のような表情を見せたばかりか、ユウトの顔を見る時間が減るという言葉に対する否定も無い。どう考えても私事で来ているとしか思えない。最早、間違いないだろう。
「まあ、それはそれとして、今日はまた珍しい客が来たな」
ギルツが視線を向けた先には、訪ねて来たセインの姿があった。