第70話 エリスとソフィア、二人の決意
元の世界のこと、スバルとこの世界に飛ばされたこと、それを最後に記憶を失っていたこと。
ユウトは多くのことを皆に話し、全てを話し終えた時には完全に陽は落ちており、窓の外は暗くなっていた。
特に元の世界のことを説明するのは時間を食った。何せ一番興味を引く部分でありながら根本的な世界観が違いすぎるため、些細なことすら説明が必要だったからだ。
「――とまぁ、こんなところかな。証拠らしい証拠といえば、俺が着ていた学生服くらいだけど、これも証拠というには弱いな」
机の上に置いた学生服に視線を落とす。
確かに学生服は、この世界にはない化学繊維で作られており、その意匠もこの世界に無い物だ。しかし、この世界に無いと言われても、エリス達にはその真偽が分からないため、証拠としては不十分だった。
他にユウトが示せるのは元の世界の知識くらいだが、それも妄言と言われてしまえばそれまでだ。
「……やっぱり信じて貰えないかな?」
黙りこんでしまったエリス達に問いかける。
呟くようなユウトの声は、僅かに震えている。拒絶されるのが怖かったからだ。
しかし――。
「いえ、信じます。正直、別の世界と言われても実感がありませんけど、少なくともユウトさんがそんな嘘を吐くとは思えませんから」
「同感だ。そんな嘘吐いたところで、頭のおかしい奴だと思われるだけだしな」
エリスとギルツがそう断言すると、サーシャ達がそれに続く。
「私も同じです。貴方の言葉を疑う理由がありません」
「話は良く分からなかったけど、俺もユウトにーちゃんを信じてるよ」
「僕もだよ。ユウト兄」
「私もっ」
子供達は違う世界といっても良く分からなかったようだが、純粋に信じると言ってくれたことが嬉しかった。
「ああ……。ありがとう」
信じると言ってくれた皆に、ユウトは心からの感謝を告げた。
別の世界の存在を信じた訳では無い。しかし、それを語ったユウトという人物を信じてくれた。ユウトにとっては、単に別の世界の存在を信じると言われるよりも、ずっと嬉しかった。
すると、唯一何も言わなかったソフィアが遅れて口を開いた。
「私は全面的に信じるわ」
「ソフィア……?」
「エルフの文献に、その記述があるの」
「何っ!?」
思いがけない証拠の登場に、ギルツが驚きの声をあげた。
他の者も一様に驚いていたが、最も驚いていたのはユウトだろう。
「俺達以外にも、居たのか……?」
「と言っても、ユウトと同じ世界かどうかは分からないのだけど。異界より訪れた人間が我等の村を訪れた、とあったのは間違いないわ」
「異界、ね。人間の国のことを指しているわけじゃないんだよな?」
「そのはずよ。その文献が残された時代は既に人間と決別した後のことだもの。異国ならまだしも、わざわざ異界なんて呼ばないと思うわ」
「確かにな……」
エルフに残された文献について言葉を交わしていると、ふとした拍子にソフィアがエリスの様子に気付いた。
――エリス、どうしたのかしら?
エリスは先程から何も言わず、思いつめた表情でジッとユウトを見つめていた。
苦しんでいるような、悲しんでいるような。確かなことは分からなかったが、放っておくのはあまり良くない気がした。
「エリ――」
「それで、どうするんだ?」
しかし、ギルツが先を促したことでソフィアの声は届かなかった。
改めて声をかけようと思ったときには既にエリスの様子は元に戻っていたため、そのまま声をかける機会を逸してしまった。、
「どうって?」
「これからのことさ」
ギルツの問いは、今後の方針についてだ。
王都に生活の基盤を築き、ウェンディの母親に会いに行くとして、それからのことが何も決まっていない。
元々はユウトがBランクになって国外に出れるようになったら、東の島国であるヤマトに向かうのを目的としていた。だが、記憶が戻り、そこが故郷で無いと分かった今、目的の根幹が失われている。
「先のことはまだ考えてない。だけど、まずは昴を取り戻す」
「取り戻すって、相手はお前を刺した奴だぞ?」
「いや。確証は無いけど、あのヴァルドとかって奴に操られている節があった。……あいつの目、人形みたいだったよ」
「そうだったか……。だが、どうやって正気に戻す? 殴り倒せば目を覚ますって訳でも無いだろう」
ギルツもユウトも、操られている人間を元に戻す方法など知らない。単なる催眠術のようなものなら衝撃でも加えれば戻るかもしれないが、そんな安易な方法で戻るような代物では無いだろう。
そうして頭を捻っていると。
「ああ、そのことなら、多分母様が知ってるっすよ」
ウェンディが事も無げにそう言った。
「本当か?」
「っす。それより、記憶戻ってたんすね。手間が省けて良かったっす」
「……当然のような顔をしているな。最初から何もかも知っていたのか?」
「まさかっす。母様じゃないっすから何もかもなんて知らないっすよ。ウチは母様からすこーし聞いてるだけっす」
責めるような視線を向けたユウトに、ウェンディは笑みを返した。
「……そうか。やっぱり、その母様とやらに会った方が良さそうだな」
邪気の無い笑みを向けられ、意気を失ったユウトが呟いた。
未だウェンディとその母親の目的は不明だが、ユウトの知りえないことを多く知っているのは疑いようも無い。スバルを解放する方法もそうだが、ユウト達がこの世界に呼ばれた原因や理由も知っている可能性がある。
ウェンディの母親がユウトの想像通りの存在なら、文字通り人智を超越しているのだから。
「そうして貰えると助かるっす」
「あぁ。それで皆は――」
「私達も行きます」
先に続く言葉を察したエリスが、言葉を被せる。
「まさか、ここで待っていろなんて言いませんよね? 怒りますよ?」
「い、いや……」
ニッコリと笑っているが、既に怒気が滲み出ている。
咄嗟に出た否定の言葉だったが、元より待っていろと言うつもりは無かった。もっとも、選択を委ねるつもりではいた。
スバルの件は完全にユウトの私情だ。
ユウトにとって、エリス達仲間の存在は心強い。なので、出来れば来て欲しいと思っているが、当然のように協力を求めるのも気が引けた。
だが、エリスにしてみれば、今更そこで遠慮されるのは心外だった。そして、それは他の者にとっても同じだ。
ユウトが言葉に迷っていると、ソフィアとサーシャがエリスに続く。
「ユウトの友達を助けるためなら、当然協力するわ」
「貴方の友人なら、私達にとっても大切よ。戦うことは出来ませんが、全力で貴方を支えます。ねえ、皆?」
サーシャが話を振ると、カールが勢い良く頷いた。
「当たり前じゃん!」
「ユウト兄の友達かぁ。どんな人だろうね」
「きっと優しい人だよ」
子供達の返事に満足したサーシャが、ユウトに向き直って微笑む。
そして、ギルツがユウトに視線を合わせる。
「……最後まで付き合わせろ」
「――ああっ」
短いが力強い返事をしたユウトに皆が破顔する。
――そう、これが最後だ。
しかし、ギルツだけが誰にも気づかれないまま、別の決意を固めていた。
そうして、当面の目的を昴の解放に定め、その場は解散となった。
その後、各自が部屋に戻ってしばらく経った頃、ソフィアの部屋の扉を叩く音が鳴った。
「誰……?」
「私です。今よろしいですか?」
「エリス? ええ、ちょっと待って」
扉を叩いたのはエリスだった。
珍しい来客に驚きながらも、扉を開けて中へ通した。
「遅くにすみません」
「構わないわ。……どうしたの?」
エリスを備付の椅子に座らせると、すぐにソフィアが切り出した。エリスの表情は暗く、それは先程ソフィアが気がついた時と同じような顔だったからだ。
しばらくエリスは黙っていたが、辛抱強く待っていると、少しずつ話し出した。
「先程の話なんですが」
「うん」
「文献に残っていたという異界の人のこと。他に何か、分かりませんか?」
「……詳しいことは分からないわ」
思いがけない話に、ほんの僅かに戸惑いを見せたが、すぐに何か意味があると察して、答える。
「文献にはその人から何か協力を求められ、当時のエルフはそれを断ったとしか」
「それからどうなったんですか?」
「断られたその人は大森林から立ち去ったわ。その先は何も」
「そう、ですか……」
ソフィアの答えに、エリスが途端に落胆した様子を見せる。
「一体どうしたの? 昔の話なのだし、それほど気にすることは――」
「帰ったんでしょうか」
言葉を被せてきたエリスに、怪訝そうな視線を向ける。
「帰ったって……。大森林を去ったのだから、人間の国に……っ」
そこまで言って、ようやくエリスの言葉の意味を理解した。
――言われてみれば、その可能性を考えていなかったわ……。
エリスの落胆の理由を知ると同時に、ソフィアも表情を曇らせた。
「エリスが気にしていたのは、ユウトが元の世界に帰るんじゃないかってことだったのね」
「……はい」
「……そうね。同じ世界ならたとえ国が違っても、会いに行くことも、ついて行くことも出来る。だけど、別の世界じゃ……」
会いに行くことは到底不可能。ついて行くのも容易なことでは無いはずだ。
もしユウトが元の世界に帰ってしまえば、おそらく二度と会うことは叶わない。エリスやソフィアにとって、それは何より辛い結末だ。
「だけど、それならユウトに居てくれるようお願いすれば――」
「そうすればユウトさんは残ってくれるかもしれません」
ユウトはこの世界を嫌ってはいない。
それにユウトを家族と慕うサーシャ達や相棒と呼ぶギルツ、勿論エリスとソフィアも居る。特にユウトが惹かれている二人が残って欲しいと伝えれば、ユウトはこの世界に残るだろう。
それは勿論、エリスも考えた。だが――。
「でも、それで良いんでしょうか?」
光明のはずのその考えは、むしろエリスを苦しめることになった。
「私達が聞いたのはほんの少しですが、それでもユウトさんの世界が平和で豊かであることは分かりました。なら……ユウトさんは元の世界に居る方が幸せなんじゃないでしょうか?」
「それは……」
「ユウトさんの幸せを奪うことになるのなら、本当にあの人のことを好きなら、私達は諦めるべきなのではないでしょうか?」
そう言ったエリスの声は、辛そうで、悲しそうで、自分を恥じているようだった。
全てを吐き出したエリスを見て、何故自分に話をしに来たのかソフィアは理解した。
分からなくなったのだ。
ユウトを引きとめるべきか、見送るべきか。好きだからこそ一緒に居たくて、好きだからこそ身を引くべきではないのかと。
考えても答えが出ずに、迷い、苦しみ。同じようにユウトを想うソフィアに助けを求めに来た。
それが分かったソフィアは、エリスを優しく抱きしめた。
「エリスは、真面目すぎるわ」
きっと、異界人の話を聞いてからずっと悩んでいたのだろう。
まだユウトが帰るかどうかも、そもそも帰る手段があるのかすら分かっていないというのに。その時のことを考えて、一緒に居て欲しいと思いながら、ユウトの幸せを願って身を引くべきだと、板ばさみになっていたのだ。
ユウトがどう考えているかはソフィアには分からないが、仮に帰るつもりで居たとしても、黙って身を引く気は無かった。
好きな人と一緒に居たい。
それが何にも勝ってしまうのが、恋というものなのだ。少なくとも、ソフィアはそう思っている。
だからこそ、生まれ育った村を半ば捨てることになりながらも、恐ろしい人間の国に一人出てきたのだから。
ソフィアはエリスを離すと、視線を合わせて真っ直ぐに見つめる。
「私はそれでも諦める気は無いし、諦めるべきじゃないと思うわ」
「ですが、それは……」
ただの我が侭では無いのだろうか。
相手の幸せを蔑ろにして、自身の願いを果たそうとするのは独善ではないのか。
口にはしなかったが、エリスの表情はそう語っていた。しかし、ソフィアもそんなことは百も承知だった。
「ねぇ、エリス。貴方はユウトを幸せにしたくないの?」
「したいです。なって欲しいです。……だから」
「何で自分が幸せにしてあげようって思わないの? 元の世界に戻るよりも自分と居たほうがユウトは幸せになれるって信じないの?」
ソフィアの射る様な視線にエリスが竦む。
我が侭だというのはソフィアも分かっている。だからこそ、その我が侭を貫いただけの――元の世界に戻る以上の幸せをユウトに与えてみせると決めていた。
「私はユウトのことを好きになってから、ずっとそのつもり。だって、私はエルフだもの。かたや人間同士、かたや一方がエルフ。どちらが幸せかなんて、誰の目にも明らかだわ」
種族の違いというのは大きい。
エルフと人間は容姿こそ似ているが、寿命、生活環境、常識と多くの点で異なっている。何より、フィリアも言っていたが、子供が出来るか分からない。
子を生し、血を残し、未来に繋ぐ。
それは生物としての本能であり、文化や文明を後世に残す人間やエルフとしても重要なことだ。
そういう意味では、ソフィアは最初から大きなハンデを背負っている。
ユウトがそのことをどれほど大きく捉えているか分からないが、全く気にしないとは思えなかった。だから、エリスの言葉をそのまま受け入れてしまえば、ソフィアはもっと早い段階で身を引くべきだということになる。
「けど、そんなの知ったことじゃないわ。私は誰よりもユウトを幸せに出来るし、幸せにしてみせる」
だが、そんな一般論を受け入れるわけにはいかない。
他がどうであろうと自分は違う。自分ならどこぞの人間なんかよりユウトを幸せに出来る。そう信じ、そうしてみせると心に誓ったのだ。
自信に満ちたソフィアの表情に、エリスは眩しいものを見るように目を細めた。
――この人は、こんなに……。
エリスの心に湧くのは感嘆だった。
ソフィアの表情は自信に満ちているが、その根底は全くの正反対のところにある。自信が無かったからこそ、今のソフィアに至ったのだ。
常識的に見れば、ソフィアが自信を持てない要素の方がずっと多い。だが、そんなことで諦められる想いではなかった。だから、決意を固め、自分を信じることにした。そうするしかなかったのだ。
しかし、それ故にソフィアは揺るがず、どこまでも真っ直ぐに、一途に想っていられる。その想いは、同性のエリスからしても、美しく羨ましいものだった。
「エリス。貴方はどうなの?」
ソフィアがエリスに問いかける視線は鋭く、強い。
ソフィアにとってエリスは最大の恋敵だ。
現在ユウトと最も親しく、女としても人としても魅力的な女性。冷静に見て、今はエリスの方が間違いなくユウトに近い。それはユウトと出会ったタイミングや過ごした時間。そういった諸々があるからだ。
だが、いずれエリスとの差は埋めるし、今だってユウトを想う気持ちは負けていない。ソフィアは常にそう考えていた。
しかし、エリスの側に我を通すだけの気持ちが無いというのなら、最早対等とは思わない。
――貴方が引くとしても、私は遠慮しないわよ。
視線はエリスにそう告げていた。
ソフィアはエリスを最大の恋敵と考えてはいても、ユウトを奪い合おうとは思っていない。
エリスとソフィアの二人でユウトを支える。
最初はアンやケイトに唆されたからだが、今ではソフィア自身それで良いと――その方が良いと思っていた。
タイプの違う二人だからこそ、一緒に支えた方がユウトを幸せに出来ると。
しかし、独占したいという気持ちが無いわけではないし、ユウトの側に居るのが誰でも良いわけでもない。
相手がエリスだからだ。
だが、そのエリスに何がなんでもユウトを幸せにするという気持ちや覚悟が無いのなら、僅かだろうと譲る気は無い。ユウトは自分が独占する。
ソフィアの言葉と視線に込められた意図を理解したエリスの心からは、既に身を引くという思いは消え失せ、ソフィアに負けたくないという熱に満ちていた。
「……情けないところを見せてしまいました。私も――私が誰よりユウトさんを幸せにします」
「そうこなくっちゃ」
迷いの消えたその答えに、ソフィアは勝気な笑みを浮かべた。
しかし、それはすぐに優しげなものに変わる。
「でも、エリス。少し悔しいけど、私よりも、私達の方がユウトを幸せに出来ると思うの」
「実は私もです。……激励、ありがとうございます」
「私は思ったことを言っただけよ。貴方が身を引くなら独占出来るって思ったのだけど」
そう言って、わざとらしく肩を落としながら残念そうな表情を浮かべた。
エリスはクスクスと声を溢し――。
「長い付き合いになりそうですね」
「ええ。少なくとも、エリスがお婆ちゃんになるよりもずっとね」
「そういえば……」
ソフィアなりのちょっとしたお茶目のつもりで言っただけだったが、エリスが何かに気付いたようにハッとする。
「ソフィアさんはずっとそのままなんですよね」
「ずっとではないけど、後四百年近くは変わらない筈よ」
そして、ソフィアの答えを聞いて、不満そうに口を尖らせる。
「ずるいです。私がお婆ちゃんになっても若いままだなんて」
「そんなこと言われても……」
――初めて見る表情ね。少し子供っぽい。
ソフィアは普段のエリスが見せない表情に、内心驚いていた。
元々エリスは大人しい性格だが、年相応に子供っぽいところも持っている。しかし、孤児院でサーシャを除き最も年上だったこともあり、カール達の手前、姉らしく振舞っていたため、それが当たり前になってしまっていた。
その子供っぽい面があることは、育ての親であるサーシャは勿論知っており、ユウトも一度だけだが見たことがあった。だが、それと同時に知っているのも、その二人くらいだけだった。
それを知らずとも、エリスがあまり他人に見せない一面であるということは、ソフィアにも分かった。
――気を許して貰えたってことなのかしら。
そう思うと、つい頬が緩んでしまう。
「私としてはエリスの方が羨ましいわ。だって――」
長い付き合いになるというエリスの言葉が現実になるかどうかはまだ定かでは無いが、二人はそのつもりだった。
これからのことを思いながら、互いのことを知るために二人は遠慮なしに気持ちをぶつけ合う。
今までどう生きてきたか。ユウトとどう出会い、どう過ごしたのか。そうして何を思い、何を感じたか。そして、これからどうしたいのか。
時に羨み、時に張り合い、時に笑い、時に怒り、そうやって語り合いながら、夜は更けていった。
その夜、ソフィアの部屋の灯りは日が変わっても灯ったままだった。




