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第60話 近衛騎士の力


 戦闘が始まってから、しばらく経った。

 二体のキメラを相手にすることになった兵士達は、守りに徹して時間稼ぎを行なっていた。


 「盾隊、前に出ろ! 三人ずつ固まれ! 絶対に後ろに通すな!」


 その指揮を執っているのは、セインの副官である兵士長オルクだ。

 セインはここに居る兵達の総指揮官ではあるが、同時に最強の騎士でもある。最高戦力を指揮に回してしまうのは無駄が大きく、だからといって、戦いながら指揮をするのは難しい。

 そのため、細かい指揮はオルクが執っていた。

 オルクは連れてきていた兵を二分してそれぞれのキメラに当たらせ、それぞれ前衛の盾班と牽制役の後衛班に分けている。

 これは強力な魔物と戦う際の基本戦法だ。

 Bランク以上の魔物に対しては一般兵の剣や槍では殆ど傷を付けることが出来ない。だが、対照的に魔物の攻撃は容易く人間を行動不能にしてしまう。それ故、最も重要なのが守りだ。

 一人では受けきれない攻撃も人を並べ、盾を重ねれば、その衝撃やダメージは分散し、耐えることが出来る。そして、耐えている間に後衛が削る。

 これを繰り返すのが一般的な魔物との戦い方だった。

 実際、その戦い方は効果を上げていた。


 「後衛班! 炙ってやれ!」


 並べられた盾班がキメラの豪腕を同時に受けて僅かに体勢を崩す。そこを狙わせないように、直後に後衛に指示が飛んだ。

 指示と同時にキメラの足元から炎の柱が立ち昇る。

 炎に飲み込まれたキメラは腕を振り回して炎を散らし、その場から下がる。

 大したダメージを受けているようには見えないが、それで構わない。

 元より目的は時間稼ぎだ。

 ヴァルドが連れてきた三体のキメラは、ソフィアの村を襲った獅子型のと酷似している。細部は異なるが、獅子のような体躯と両肩から生える巨腕という点は全く同じだった。

 高い身体能力と頑強な体。

 兵士達はキメラが自分達では本来太刀打ちできないレベルの魔物であると理解していた。

 事実、キメラはAランク相当の魔物であり、少なくともこの場に居る人数の兵士ではどう頑張っても倒すのは不可能に近い。そのことに兵士達は気付いている。

 しかし、勝ち目の無いはずの魔物を相手に、兵士達の顔に悲壮な様子は一切無い。

 何故なら、ここにはアルシール最強の騎士の一人が居る。




 オルク率いる兵士達が二体のキメラ相手に時間稼ぎをしている間、セインは一人で残りの一体を相手にしていた。


 「はぁぁぁぁっ!」


 セインが手にした白銀の剣を閃かせる。

 しかし、キメラの頑強な肉体は精霊銀の剣とセインの腕前をもってしても、深く傷を付けることは難しい。

 ――少し浅いか。

 セインはキメラに傷を付けると、即座にキメラの間合いから逃れた。

 騎士として鍛え上げたセインでもキメラの身体能力には敵うはずも無く、剣が届く距離ではキメラの動きを見てから避けるのは不可能だ。一度や二度ならば経験則によって見切ることも出来るだろうが、そう何度も続くものではない。

 セインはキメラの全体を視界に収め、動き出しを見逃すまいとしていたが、その視線は先程付けた傷口に向けられている。

 ――ゆっくりとだが、傷口が小さくなっている……。再生能力が高いのか。

 傷口が蠢いて、ジワジワと塞がっている。

 再生の早さは大したことは無いが、キメラの頑丈な体と合わせると倒すのには時間がかかる。

 ――最初から時間稼ぎが目的、ということか。それほどまでにユウト君を殺しておきたいようだ。

 キメラの戦闘力は高いが、それでも近衛騎士たるセインなら十分に倒すことは可能だ。しかし、普通にやっていては倒すまでにどれだけ時間がかかるか分からない。その間、ユウトを孤立させるのが目的なのだろう。

 その判断は間違っていない。厄介な相手を引きつけ、本命を狙うのは戦術の一つとして至極真っ当だ。しかし――見積もりが甘すぎる。

 ――幾らなんでも近衛騎士を甘く見すぎているね。

 セインが魔力を練り上げると、精霊銀で作られた細身の長剣が白く輝き始め、剣の周りに白い靄がかかる。

 そしてセインが走り出す。

 キメラがセインを迎え撃ち、両の拳を順番に繰り出しセインを殴り潰そうとする。

 しかし、セインは向けられた拳を紙一重で避けながら、腕を斬りつけた。体勢が十分でないため、剣はキメラの腕を浅く裂いただけに過ぎないが。

 ――それで十分。

 両の腕に一太刀ずつ。それからキメラの前足、胴、後足にも一度ずつ斬りつけ、足を止めることなくキメラの横をすり抜ける。

 キメラの背後に抜けたセインが振り返り、切りつけた箇所を確認すると、満足げな笑みを浮かべた。

 そして――。




 ――二十といったところか。そろそろだと思うのだが……。

 その後もセインはキメラに傷を付け続け、ようやく二十を越える。

 キメラの動きは確かに速い。しかし、身体能力の高さ故か、その戦い方は愚直で一本調子だ。すなわち、近づいて殴る。ただ、それだけだった。

 速いといっても目で追える速さ。その程度の速さで真っ直ぐ向かってくるだけの魔物ならば、セインを捉えるなど不可能だ。

 セインは何度目になるか分からないキメラの攻撃を避け、伸びで無防備な巨腕を二度斬りつける。 

 既に幾つもの傷口が残っている(・・・・・)巨腕に、新たな傷口が二つ刻まれた。

 ――二十一、二十二。

 二度目の斬撃とほぼ同時。突如、キメラの動きがカクカクと不自然な物に変わる。

 それは、セインが待ち望んでいた瞬間だった。


 「ようやくか」


 セインの表情が緩む。

 戦いの最中には似つかわしくない表情だが、既に戦いは終わったようなものだ。

 キメラの動きがおかしくなった原因は、セインが斬りつけた傷口にある。

 本来自己再生を行なうはずのキメラの全身には、今もセインが付けた傷口が全て残っている。

 何故なら、セインの付けた傷、その悉くが凍り付いているからだ。

 外からでは分からないが、凍結しているのは傷口の表面だけではない。傷口から内部に向かって、今もジワジワと凍結が進んでいる。キメラの動きがおかしくなったのは、その凍結が体の大部分にまで及んだからだった。

 纏魔剣(てんまけん)

 その名の通り、魔術を剣に纏わせる技術であり、セインが生み出した絶技だ。

 魔術を剣に纏わせる。

 これだけ見れば普通に魔術を使った方が遠くから攻撃できるため、単なる劣化にしかならないように思える。

 確かに、仮にこれを一般兵が使えば単なる魔術の劣化にしかならないだろう。しかし、ある特定の者が使うことで、その有用性は極めて高くなる。

 纏魔剣の特徴は幾つかあるが、その最たるものは、頑丈な皮膚や筋肉の内側に魔術を浴びせられると言う点にある。

 これは魔物と戦う場合に発揮される効果だが、その効果は絶大だった。

 低ランクの魔物は兎も角、高ランクの魔物に対しては単純な魔術では致命傷に繋がらない。

 何故なら、皮膚や筋肉、甲殻などが異常に硬いため、殆どの魔術は大した効果が無いからだ。例えば、このキメラに対してセインが魔力が尽きるまで魔術を使ったとしても、倒しきるのは不可能だ。

 高ランクの魔物になるほど人数が必要になるのは、防御だけでなく火力不足を補うためにも人手が必要になるためだ。

 しかし、纏魔剣の場合は、傷口に直接魔術を浴びせることになるため、普通に魔術を使うよりも遥かにダメージを与えられる。

 皮膚や筋肉が硬いといっても、切り裂かれた部分はどうやっても脆くなる。

 勿論、そのためには硬い皮膚や筋肉を裂く必要があるのだが、それも優れた剣技と最高峰の武器である精霊銀の剣を持つセインにはそう難しい事ではない。

 すなわち、特定の者とは極めて剣技に優れ、最高峰の武器を持つ者であり、要するに近衛騎士のためにあるような技術だった。

 この技術が生み出されるまでは、近衛騎士であっても高ランクの魔物を一人で倒すことはそう簡単なことではなかった。

 やはり火力不足のため、どうしても倒すまでに時間がかかってしまうからだ。しかし、纏魔剣をその問題点を大きく改善させた。

 そのため、纏魔剣は高く評価され、当然製作者であるセインも高い評価を受けた。セインが若くして近衛騎士になった理由に、纏魔剣の開発者であることが大きく関わっているのは間違いないだろう。

 今では纏魔剣の技術は騎士団内部に広く知られている。

 もっとも、魔術を剣に纏わせるという技術は、単純なようで簡単な技術ではない。

 魔術を使うことさえ出来れば誰でも出来るようにも思えるが、既に現象として生じていて本来放出するだけの魔術を維持し続けるには、魔力の制御と魔術の制御を平行して行なう必要がある。

 その制御は普通に魔術を使うよりも精密でなければならず、それを行いながら相手と至近距離で斬りあうのだから、実践で使うことの難しさは言うまでも無い。

 事実、纏魔剣はアルシールのほぼ全騎士に知られているにも関わらず、使用できるのは近衛騎士の上位席の者と一部の下位席の者だけだった。

 そして、同じ纏魔剣といっても、その性能は大きく違う。

 団長のシグルドですら纏魔剣に関してセインには遠く及ばない。セインが近衛騎士の中で最年少でありながら第五席に着いたのは、この纏魔剣に関して最高の使い手だからだ。

 セインの纏魔剣が他の近衛騎士が使うものと大きく違う点は二つある。

 一つは、複数の魔術を剣に纏わせることが出来るということだ。その場合における制御が輪をかけて困難になるが、その効果は単純計算で倍になる。

 もう一つは、斬りつけた瞬間だけでなく、その後も効果を与え続けることができる点だ。

 本来は剣に纏わせるだけである以上、剣が離れてしまえばその効果は途切れてしまう。しかし、セインは剣を離しても尚、その神がかった制御力で微弱ながらも効果を持続し続けられる。

 斬りつけた傷口を凍らせるだけでなく、その後も傷口から凍結を広げ続けられたのはセインだからこそだ。

 セインは確かに優れた魔力量に加えて剣と魔術の才を持つが、何より優れていたのは魔力や魔術の制御技術だ。本来ならばいくら訓練を続けても到達し得ない領域。セインはその天賦の才によって、若くしてその領域に到達していた。

 

 「さて、後がつかえているんだ。早々に終わりにさせて貰うよ」


 そう言ってセインは更に魔力を込めると、白銀の剣が纏う冷気が強くなる。

 セインは殆ど動けなくなったキメラに剣を突き立てる。――すると、剣の周囲から音を立てて凍っていき、短い時間で全身に回りきる。

 そして、セインは突き刺した剣をそのまま上に抜くと、全身が凍りついたキメラはバキンッという音を立てて縦に真っ二つになった。

 直後、「おぉぉぉぉぉぉっ!」と歓声が沸いた。

 兵士達の歓喜の声だ。

 近衛騎士はアルシールで最強の騎士であり、その強さは民にすら知られている。――と言われているが、実際にその実力を目の当たりに出来た者は少ない。

 勿論、兵士や騎士達は近衛騎士が訓練している様子を見る機会はある。だが、近衛というだけあって基本的に近衛騎士は王の側にあり、兵と共に実践に出る事は意外と少ない。

 その希少な機会に恵まれた兵達は、直にその実力の一端を見ることが出来たことに興奮し、同時に自分達では手に終えない化け物を容易く屠った姿に自信と安堵を覚えていた。

 だが、そんな風に沸き立つ兵士達の中で一人熱に浮かされることなく、冷たく澱んだ瞳をした男が居た。

 誰一人そのことに気付くことは無く、兵士達は士気をあげていく。


 「見たか! 我等にはセイン様がついている! あのような魔物風情、恐れる必要などあるものか!」


 好機と見たオルクが、更に兵を煽る。

 見事にその思惑に乗せられた兵達の士気が最高潮になると、それを見ていたセインが。


 「オルク。やっぱり君の方が私よりも指揮官に向いてるんじゃないかな?」


 そうしみじみと言った。

 しかし、オルクはその言葉をきっぱりと否定する。


 「まさか。これは貴方が指揮官だからこそですよ。私が指揮官ではこんな風に士気を高めることは不可能でしょう」

 「別に私が指揮官でなくても、一人の騎士としてこの場に居れば構わないと思うのだが?」

 「セイン様にはお分かりにならないでしょうが、誰の下で戦っているか、というだけで士気に違いがでるものですよ」


 どこか非難するような言い方だが、セインに気にした様子は無い。

 オルクはセインよりもかなり年上で親子ほどに離れているが、立場的にはセインの方がずっと上だ。しかし、オルクは言葉遣いこそきっちりしているが、そこに含まれている意図には遠慮が無く、セインもそれに気付いているが咎める様子は無い。

 それはオルクとセインの付き合いの長さ故だ。

 セインが初めて騎士として任務に出た時、補佐としてついたのが当時既に兵士長だったオルクだ。その後も直属というわけではないのだが、何故かオルクがセインの補佐につく機会が多かった。


 「そういうものか」

 「そういうものです。それよりも、早めに次のをお願いします」

 「ああ。分かっているよ」


 セインが剣を構えなおし、残っているキメラの一方に狙いを定める。

 その白銀の剣は刀身に炎雷を纏わせ始めると、炎が弾け、雷が迸る音を立てる。

 セインの準備が整ったと見たオルクは、すかさず指示を出す。


 「左盾班! 次の一撃を防いだらすぐに下がれ! 後衛は盾班の後退を援護! セイン様の邪魔をするなよ!」

 

 オルクの指示を受け、盾班がキメラの攻撃を防いだ直後、後衛は魔術で無数の氷の刃を放ち、後退する盾班への追撃を防ぐ。

 セインは盾班とすれ違ってキメラに向かうと、魔術に紛れてキメラに近づき、初撃を加えた。

 キメラの前足に刻まれた切り傷は炎と雷によって瞬時に焼かれ、更にジワジワとその周囲や内部を焼いていく。

 凍結と違い、炎雷は体内を焼かれる痛みが伴う。

 今も傷口から広がる痛みに、キメラがセインを睨む目に篭められる殺意が濃くなった。 

 その視線を受け流し、セインは気負いの無い表情で更にキメラに向かう。

 そうしてセインが更に一体のキメラを受け持つと、兵士達の相手は最後の一体だけになる。倍の人数で当たれる兵達の負担は単純に半分になったといえる。

 無論、兵士達はそれで気を抜いたり、手を休めることは無い。――ただ一人を除いて。

 たった一人。その男の視線はキメラではなく、フードの男と戦うユウトに注がれていた。

 ――あいつさえ。あいつさえ居なければ……っ。セイン様は分かっておられない。あのような下賎な輩を近衛騎士候補などと、とても正気とは……。

 ユウトに恨みと憎しみを持つその男は、思考を偏らせていく。

 そして、何かを閃いたようにあることに気が付いた。

 ――そうだ。きっとセイン様は奴に騙されているんだ。

 何の根拠も無い妄想だ。

 しかし、男は神の啓示が降ったのだとばかりに、その妄想を信じ込む。その行き着く先は、自分に都合の良い物事の解釈だ。

 ――陛下もセイン様も、奴に騙されてるに違いない。あんな男を近衛騎士にしては、アルシールはおしまいだ。アルシールのためにも……私がやらなければならない。

 使命感に満ちた決意。

 だが、それが単なる建前で、自分の感情を満たすことが本懐であることは男の歪んだ口元が雄弁に語っている。

 ――全て終われば、陛下もセイン様も分かってくれる。

 そうやって自身の行為を正当化すると、ユウト達の戦いに注意を向け、静かに機会を待ち始めた。


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