第5話 旅立ちの前
16/9/29 差し替え
カインの言葉通り、次の日から再び鍛錬が始まった。
ランド達との模擬訓練は今までと変わらなかったが、ケイトとの魔力制御の訓練が“強化”の訓練に大きく方向転換することになった。
「ユウト君は魔術が使えないし、ランドも言ってたけど、“強化”を使えるのは大きな武器になるよ」
「はい。でも、正直どうやって使っていたかも覚えて無いんですが」
「それは大丈夫。使い方は私が教えられるから。というか、魔力の制御が出来れば、そう難しくは無いんだ」
“強化”の使用法は単純だ。
体内を魔力で満たすこと。ただその一点に尽きる。
「随分簡単というか、単純ですね」
「まぁ口にすればね。やってみて」
「はあ……」
言われた通り、集中して体の中心から外側に向かって魔力を流し、全身に行き渡らせ――。
「――っ!?」
直後、ユウトが息を飲んだ。
「分かったでしょ? 誰も使えないって意味が」
「……えぇ。驚きました。流した魔力が一瞬で飲まれましたね」
全身に魔力が巡ったと認識した瞬間、大量の魔力が一瞬で消滅した。
正しくは消滅したのでは無く、“強化”に消費されたのだが。
「それは最初だけじゃなくて継続的に起こるから、“強化”を使っている間は常に消えていく魔力を満たし続けなきゃいけないの」
「……これは、確かに尋常じゃない魔力量が必要ですね」
「というわけで、魔力切れを起こさない程度にどんどんいってみよう。意識しながらじゃなきゃ使えないんじゃ、戦闘中に使うことが出来ないからね」
「はい」
再びユウトは“強化”をはじめる。
何度も何度も、まずは意識をしながら、慣れてきたら少し体を動かしながら。
とりあえずの目標は、戦闘時に余計な意識を割かなくて済むように“強化”を極力無意識で使用出来るようになることだ。
最終的には、“強化”の出力調整を自在に出来るようにすること。ただでさえ魔力消費の大きな“強化”だ。必要以上に出力を上げて、無駄な消費を増やさないようにしなければならない。
それらを目標に、繰り返し“強化”を使う。
だが、訓練を行なっていると、徐々にケイトの顔色が変わる。
――ちょっと、予想外……かな。
訓練をはじめてから二時間以上が経った。
そう、ユウトが“強化”を使用し続けて二時間以上だ。
――私の認識はまだ甘かったかも。
今のユウトは白い光を放っていない。要するに、コマンダーウルフと戦った時よりも出力が低いということだ。しかし、それを差し引いても継続時間が二十倍以上というのは予想外だった。しかも、まだまだ魔力切れを起こすような様子が無い。
だが、ケイトはまだ知らない。
ユウト自身も認識していないことだが、ユウトが無意識に“強化”を使ったのはコマンダーウルフと戦った時ではない。
西の森でソルジャーウルフと戦った時、その時点でユウトの“強化”は発動し、それからずっと使い続けていたのだ。コマンダーウルフの時には、その出力が急激に上がったというだけに過ぎない。
そして、西の森の時ですら、今よりも遥かに出力が高かった。
もしケイトがこのことを知れば、おそらくユウトの魔力量が五指に入るとは言わなかっただろう。
ユウトはその後も鍛錬を続け、戦闘に耐え得る程度に“強化”を使えるようになった頃。
「ユウト。明日の早朝、卒業試験を行なう」
そう、カインが切り出した。
「……はい」
返事をしたユウトも、話を聞いていたエリスやカール達も複雑な心境を隠しきれていなかった。
そして翌日。
いつも鍛錬に使っている孤児院の庭先には、ランド達だけでなく、珍しくサーシャを含む孤児院の住人が勢ぞろいしていた。
普段は声を上げて応援しているカール達も今日は大人しい。
「相手はランドだ。武器は木剣だが、実戦を想定してやって貰う。言っている意味は分かるな?」
「はい」
実戦を想定してということは、要するに何でもありということだ。実戦は試合や訓練ではない、殺し合いだ。
生き残ったものこそが勝者で、その手段に是非は無い。どれだけ正々堂々と戦おうが、相手がどれだけ卑怯だろうが、死ねばそこで何もかもが終わりなのだから。
ランドは普段剣と、精々体術を交える程度のことしかしないが、今回は何をしてくるか分からない。
――ありえるのは砂や石、投擲武器とかか。他には……。
考えられるだけの事態を予め想定しておく、想定外のことが起こっても動けるように鍛錬を積んできたが、想定内であるほうが適切な行動を取りやすい。
あらゆる状況を想定し、それでも尚想定外のことが起こったときには、咄嗟の判断で動く。いざというときに戸惑って動きを止めることはだけは最もしてはいけないと教えられた。
「では、双方構えろ。――はじめっ」
カインの合図と同時に両者が地面を蹴る。
この時点での速度はほぼ同等。両者の最初の立ち位置から大体中間あたりで、剣がぶつかり合う。
「……っ」
ギリギリと僅かにだがユウトの剣が押される。力はランドの方が上だった。
押し合いは不利だと判断したユウトは、受け流すように剣をずらす。
「温いっ!」
しかし、それを読んでいたのか、ランドは押し合いを止めて、蹴りを放つ。
「ぐっ……」
ユウトは腹部に蹴りを受け、大きく吹き飛ぶ。
「まだまだっ」
それを追って、ランドが剣を振りかぶる。
しかし、振り下ろされた剣をユウトは同じく剣で受けると、そのまま剣を受け流すように体ごと回転させて、おかえしとばかりにランドの頭部に向けて蹴りを放つ。
「うぉっ……」
曲芸紛いの動きに驚いたランドは、後ろに下がって蹴りを避ける。
その間に、ユウトは体勢を整え終わっていた。
――こんな動きを教えた覚えはねぇんだけどな……。
ここ最近の訓練では、こんなことが多かった。
ランドがユウトに剣を教え始めたとき、ユウトは間違いなく素人だった。剣の振りどころか握りも、それどころか体の使い方すらなっていなかった。そこをランドが基礎の基礎から教え込んだ。
だから、ユウトの動きは本来ランドの教えに沿ったものでなければおかしく、実際少し前まではそうだった。
しかし、ここ最近になって急に動きが変わった。時折だが、今のようなアクロバティックな動きをするようになった。
普通、少し剣を覚えた程度の者がそんなことをすれば、剣の型は滅茶苦茶になり、動きも安定を失う。派手な動きというのは元来そういうもので、それを剣技の一つとして昇華するのは並大抵の苦労ではない。
そうであるにもかかわらず、ユウトのそれは昇華したものと大差ない。あんな動きをしているにもかかわらず、基本が崩れていないのだ。むしろ、その動きのせいで、ランド達は模擬戦の中で随分苦労させられた。
基本に忠実な動きの中で、時折混ぜられる意表を突く動き。しかも、その基本もここ最近で数段キレを増している。
――一体何があったんだろうな。
それはランド達全員の疑問だった。
ユウトの変化はコマンダーウルフとの一件からだ。実践を経たからといえばそれまでだが、それにしても変化が過剰すぎる。まるで剣に優れた何者かが乗り移ったかのような変化だ。
――いや、それは少し違うか。
今のユウトはまだ剣に優れたと言うには足りない。
上手く言えないが、その知識だけを教えられたが、知識しかないため実際に使いこなせないという感じだ。だが、それも鍛錬の中で少しずつ自分の物にしつつあるように感じられた。
――とはいえ、まだ負けねぇけどなっ!
ランドが剣を構えてユウトに向かって猛然と駆ける。
直後、ユウトの姿が消える。
――“強化”かっ。確かに速ぇ。けどなっ。
ランドが急に後ろを向き、剣を横薙ぎに振る。そこにユウトが振り下ろした剣がぶつかった。
「くっ」
「いくら速かろうと、やりようはあるんだよ。――って」
――重っ!?
剣を持つ腕がミシミシと音を立てている気がする。
即座にユウトの剣を横に逸らして受け流すと、ユウトが体を沈めて足払いをかける。
“強化”を使っている今のユウトの速さは、先程までとは段違いになっている。普通なら隙を晒すような動きでも、その速さのせいで、生じる隙は極めて小さい。
――これが“強化”の力か。使い手が居なくて良かったと心底思うぜ。
剣腕は鍛錬によって幾らでも鍛えられる。
所謂天才といわれるような次元になればまた話は変わるが、少なくとも自分レベルならば時間さえかければ誰でも到達できる域だとランド自身は思っている。
だが、身体能力は別だ。あれはどう鍛えても、ある程度以上にはどうやっても行かない。
人間は人間を超えられない。それが当たり前だ。
しかし、“強化”はその枠を簡単に抜けてくる。
経験と予測で対処は出来ているが、動きそのものはランドにもおぼろげにしか知覚できない。
もし、こんな使い手がそこら中に居でもしたら、冒険者を廃業するしかない。
圧倒的な速度と力で早く動き、強く斬る。戦士としては最も単純で、最も基本的な要素だからこそ、その違いは戦闘力の差に如実に反映される。
――まともにやりあうのは分が悪いな。
技術や経験はランドが上だが、力と速度で遥かに負けている。いずれ押し切られるかもしれない。
――なら、こっちは経験の差を活かさせて貰う。
ランドがそんなことを考えている間、ユウトも同様に頭を回転させていた。
――やっぱり強い。“強化”を使っても精々互角。ランドさんには引き出しが多い分、こっちが不利かな。
“強化”の効果は絶大だ。だが、それだけでは足りない。
身体能力が高いというのはそれだけで有利に働くが、それのみでは勝てないことは、人間が魔物を屠っている点から見ても明らかだ。
――ランドさんは真っ向勝負を好む人だけど、実戦で明らかに不利な土俵で戦う人じゃない。速さや力比べなんてしてこない筈だ。
戦闘という広い意味ではランドの方が上だが、速度や力だけならばユウトの方が遥かに上だ。それは慢心でも何でもなく、純然とした事実だ。
――まぁ、“強化”使ってるわけだし当然なんだけど。
だからこそ、ランドはそこは避ける。真っ向から来ないのならば、考えられるのは奇策の類。
――ランドさんは正統派の戦士……のはずだけど。そう思っているからこそ。
ユウトは次の一手に当たりをつける。
そして、読み合いは終わった。
両者が剣を構えなおし、意識を向け合う。空気が重くなり、二人の気迫がピリピリと肌を突く。
「行きます」
先に動いたのはユウトだった。
地面を蹴り、一瞬で加速したユウトは、物凄い速さでランドに接近する。
当然のようにそれを読んでいたランドは、ユウトの想像通りランドが取らないであろう行動を取った。
どこから出したのか、利き手とは逆の手で持った何個かの小さな石をユウトに向けて投げる。
石飛礫自体は大した速度ではないが、ユウト側の速度はそうではない。しかも、丁度頭部の辺りだ。もろに顔面で受ければ、大きな怪我になる。
ユウトは両腕を交差させて顔を守る。
――守ったな。
ランドが読み通りのユウトの対応に内心で笑みを浮かべ、自ら視界を塞いだユウトに斬りかかる。
ダメージ覚悟で石飛礫を受ければ、回避出来た。もっとも、その場合石飛礫で受けるダメージが深刻になる可能性があるため、その後の展開は運任せになるが。
確実な方を取ったという意味では、間違った判断ではない。
そこまではランドの読み通りだった。
ユウトは腕で石飛礫を受けたのを感じると、木剣を手放した。
――何っ!?
突如武器を手放したユウトに驚き、ランドは落ちていく木剣につい視線をやってしまった。それはほんの一瞬の隙に繋がった。
直後、落ちていく木剣をユウトの足が蹴り上げた。
ランドが体を捻って剣を避ける。しかし、無理な動きで体勢が崩れたランドは、ユウトの突き出した拳を避けきれない。
ユウトの拳がランドの脇腹に突き刺さる寸前で、カインの声が止める。
「そこまでっ! ユウトの勝ちだ」
ユウトが手を止めると、すぐにランドがカインに噛み付く。
「ちょっと待てっ。まだ決まってねぇだろ!」
「決まったようなものだ。“強化”を使ったユウトの拳だぞ? 本気で打てば悶絶必至。最悪内臓が潰れる。そんなこと分かっていることだろう」
「ぐぬ……」
その通りなのだが、納得できないという顔でランドが唸る。
カインはそれを無視してユウトに話かける。
「良い動きだった。だが、お前もランドも奇策が過ぎる。あれが通用するのは人間だけだぞ」
「はい。魔物相手に使えない手なのは重々。それに、奇策頼りになったのも自覚してます」
「なら良い。まぁ“強化”があるとはいえ、経験の少ないお前が勝つには仕方が無い部分もあるか」
「そうそう。むしろユウト相手に奇策に走ったどこかの師匠の方が問題じゃない?」
試合が終わったことで、アンとケイトが意地の悪そうな笑みを浮かべながら近づいて来る。
自覚があるのか、ランドがムッとする。
「うるせぇぞアン。文句があるなら、お前もユウトとやってみろ。こいつの“強化”、本当に厄介だぞ」
「それは見てても分かるわ。私が言っているのは、師匠としてどうなのかって話。いくら負けたくないからって」
「確かに。逆に情けないよねぇ」
アンがわざとらしく肩を竦めると、ケイトが馬鹿にするように笑う。
「やれやれ、精進が足りないのはランドの方だったか」
極め付けに、カインが溜め息を吐いた。
「てめぇら……」
言いたい放題のカイン達をランドがジロリと睨む。
賑やかになったランド達とは対照的に、エリス達の反応は芳しく無い。
ユウトがそっと視線を向けると、皆どこか表情が暗かった。
――悲しい様な、嬉しい様な……。
頑張って勝ったのだから喜んで欲しいところだが、何故暗いのか想像がついているので、その理由を考えると嬉しくもあった。
「ユウト」
複雑な心境で居ると、カインから声がかかった。向き直ると、カインだけでなくランド達もしっかりとユウトを見ていた。
何となく、いつもとの空気の違いを感じて、背筋を伸ばす。
「よく頑張ったな。合格だ。……正直、お前は俺達の思っていた以上に優秀だった」
「ランドなんて最後の最後に追い抜かれてるしね」
「抜かれてねぇよ!」
「往生際が悪いわね」
空気の違いを感じたのは気のせいだったらしい。
「……お前達、もう少し空気を読んでくれ」
ギャーギャーと喧嘩を始めた三人にカインが疲れたように言うと、仕切り直す。
「ゴホン。とはいえ、まだまだ未熟なのは自覚しているだろう。俺達が教えたのもあくまで基本だけだ。ここから先はこれからお前が自分で学んでいけ。慢心するな、常に謙虚であれ。そうすれば、お前なら俺達よりも遥か上にいけるはずだ」
「はい。ありがとうございます」
今までの感謝を込めて、しっかりと頭を下げた。
「それで、これからどうするの?」
「……とりあえずは王都に行ってみようと思います」
ユウトが鍛錬を始めたのは冒険者となり、いずれは故郷と思しき東の島国に行くためだ。とはいえ、どこに記憶を取り戻す切っ掛けがあるかはわからない。アルシールの中で最も大きく、人や物の集まる王都ならばそれも見つかる可能性が高い。
どの道、Bランクに上がるまではどこかで依頼を受けなければならないため、それなら王都が一番効率的だ。
「いつくらいに出るの?」
「それは……まだ」
だが、今のユウトは村を出る決心が鈍っていた。
理由は幾つかある。
一つは、またコマンダーウルフが襲ってきた時のようなことがあるかもしれないということ。しかし、これはランド達が請け負ってくれている。当分の間は村に居て、守ってやると。そのため、このことについてはさほど心配はしていない。
もう一つは、単純にエリス達と別れ難いということ。短い時間だったが、ユウトにとって孤児院は確かに家で、エリス達は家族だった。死ぬ気は無いが、冒険者になる以上その危険は常にある。いつ、どこで命を落とし、会えなくなるか分からないのだ。
最後の一つは、エリス達がユウトを快く送り出してくれないであろうことだ。
先程の様子を見ていれば、予想は付く。いざとなれば送り出してくれるだろうが、快くというわけにはいかないはずだ。ユウト自身そうなのだから、別れが辛いとか、会えなくなるのが怖いというような気持ちはどうやっても残るだろう。
だが、それでも仕方なく送り出したのでは無く、もっと前向きな気持ちで送り出して欲しかった。
そんなユウトの思いを察したのか、アンが気遣わしげな表情になる。
「性急に決める必要は無いわ。ちゃんと話しなさい。……大事な家族なんでしょ?」
「そう、ですね……。話してみます」
「えぇ、頑張りなさい」
激励を受け、ユウトは強く決心した。
その決心を実行に移すため、ユウトはその日の夜にサーシャの部屋に向かった。
全員居る前で一斉に話すよりも、一人一人ときちんと話した方が良いと考え、そうしたいと思ったからだ。
「院長先生。夜分にすみません、ユウトです」
扉をノックすると、しばらくしてから返事があった。
「入って」
「はい。失礼します」
「……お別れを言いに来たのかしら?」
ユウトが部屋に入ると、サーシャが開口一番そう言った。
微笑みながらも、どこか寂しげだった。
「……そう、ですね。そうなります」
いつ出て行くかはまだ決まっていないが、いずれ出て行くことに変わりは無い。そして、そのことを話しにきたのだから、間違っていない。
「そう……」
「……あの――」
「ユウト」
口を開きかけたユウトをサーシャの声が静かに止める。
「……ここに残っては貰えませんか?」
その声は、今までユウトが聞いた事の無い声だった。
孤児院の長として、カール達の保護者――母親として毅然としているサーシャとは思えない、弱々しい声だ。
ユウトがそのことに戸惑っていると、サーシャが寂しげに微笑んだ。
「困らせて、しまったわね」
「ぁ……、いえ」
「……これはエリスにも話して居ないのだけれど、私はエリスの両親をよく知っているの。あの子の両親は私の……そうね弟子とでも言えば良いのかしら。私が王都でシスターをやっていたとき、あの子の両親の指導役のようなことをしていたの。でも、二人が結ばれてこの村に行って……でも、二人は魔物に殺されてしまったわ」
それはエリスから聞いていたことだった。
エリスは子供の頃、両親を魔物に殺され、唯一生き残った。その直後村に来たサーシャが、身寄りの無いエリスを引き取って孤児院を作った。そう聞いていたのだが。
「じゃあ、院長先生がこの村に来たのは……?」
「えぇ、二人の子供――エリスを引き取るためよ。でも、これは内緒ね。あの子が気にしてしまうかもしれないから」
「何故、俺に……?」
「そうね。貴方がエリスと良い雰囲気だから」
「そ、それは。その……」
慌てたユウトの姿が微笑ましく、悪戯が成功したとばかりにクスクス笑う。
「……からかわんで下さい」
「ごめんなさい。でも、二人が仲が良いのは嬉しいのよ? 二人とも私の自慢の子供だもの。でも、だからこそ――」
言葉を切ると、サーシャの表情が曇る。
「怖いのよ。エリスの両親と別れる時、あんなことになるなんて思ってもみなかったわ。もし、貴方が同じようなことになったら。私達の知らないところで亡くなって、二度と会えなくなったら。そう思うと、どうしようもなく怖いの」
それはユウトも懸念していたことだ。
冒険者になる以上、その危険はどうやっても付きまとう。ソルジャーウルフと戦って魔物の恐ろしさを知った今は、余計にそのことが頭をちらつく。
その危険はユウトだけではない。今回のように魔物が村を襲うということもあり得るのだ。
「記憶が無くて不安だったり、怖かったり、色々あると思うわ。私には分からないことも多いでしょう。その上で、勝手なことを言うわ。全てを捨てて、私達の家族になっては貰えない?」
「それは……」
全てを捨てる。過去を捨てて、サーシャ達の家族としてここで暮らす。
どうせ昔のことは覚えていない。何を捨てたのかも分からないのなら、それは捨てたとすら言い難い。
確かに不安や恐怖はあるが、皆が居るなら気にならないはずだ。それはきっと、とても幸せだろう。だが――。
――あの夢が頭にこべりついて離れない。
誰かが助けを呼んでいた。その後おかしなモノを見た気もするが、そのことは良く覚えていない。しかし、助けを呼ぶその声だけはいつまで経っても消えなかった。
助けを呼んでいた。誰かの助けでは無く、ユウトの助けを。
そんな気がしてならなかった。
「……ごめん、なさい」
「そう……。私達では駄目?」
サーシャの悲しげな表情がユウトの胸を締め付ける。
「違う……違うんです。皆のことは好きです」
堰が切れたように気持ちが溢れ出す。一度漏れ出した気持ちは、もうユウト自身止められなかった。
「エリスは時々怖いけど優しくて、カールの明るさはいつも元気をくれる。テリーは大人びてるけど俺には甘えてくれるのが嬉しくて、エイミィの屈託無い笑顔は穏やかな気持ちにさせてくれた。院長先生はそんな俺達をいつも見守ってくれて。……家族だと、思っています。家族になりたいとも。でも、俺は――」
ふわっと優しい匂いがユウトを包んだ。
サーシャはユウトを抱きしめると、申し訳無さそうに謝った。
「ごめんなさい。ずるい聞き方をしたわ。貴方が私達を大事に思ってくれているのは良く分かっていたのに……」
ユウトが語ったのは全て嘘偽りの無い気持ちだ。だが、それでもあの夢が、ユウトを呼ぶあの声が忘れられない。忘れてはいけないと、ユウトの中の何かが叫ぶのだ。
それを無視したら、いつか死ぬほど後悔する。そんな予感が――否、殆ど確信と言って良いだろう、それがあった。だから、一時の別れを受け入れてでも、記憶を取り戻さなければならない。そう決めた。
「貴方にはどうしても行かなければならない理由があるのね。なら、応援しないなんて母親失格ね」
「……すみません。みっともないところを」
自分でも、何故ここまで感極まったのか分からなかった。覚えていないだけで、家族に対して何か思い入れのようなものがあるのかもしれない。
「いいえ。それだけ私達のことを想ってくれているということなのだから。嬉しかったわ」
「うぅ……」
恥ずかしそうにしているユウトを見て、サーシャが微笑む。
「いつでも良いから、ちゃんと帰って来なさい。ここは貴方の家なのですから」
「はい」
「エリスやカール達にも話してあげて。あの子達も寂しがってはいても、貴方を応援したい筈だから」
「分かっています。ちゃんと――」
その次の日、ユウトは早朝の鍛錬を済ませると、カール達と遊んでいた。
昨晩サーシャに背中を押された後、ユウトはカール達の部屋に向かった。そして、ユウトが話を切り出そうとした直後、カール達から遊びに誘ったのだ。まるで話を聞きたくないと言う様に。
そのことに気付きつつも、ユウトはその誘いを受けた。
「何して遊ぼう?」
「そうだねぇ。エイミィは何がしたい?」
「んー」
「なぁ、今日は俺が提案して良いか?」
「良いよ」
珍しく自分から遊びの内容を提案しようとしたユウトに驚きつつ、カールが頷いた。
「ありがと。じゃあ、ちょっと変則の鬼ごっこやろう」
「変則?」
「普通は捕まったら鬼が交代するけど、今回は全員捕まるまで交代無しで、鬼は俺な」
「それは良いけど、ユウト兄が鬼だとすぐ捕まっちゃうよ」
年齢的な差もあるし、何よりユウトは鍛えている。普通に鬼ごっこをしても、ゲームにすらならない。
「それもそうだな……、どうしよう」
「あ。それならさ――」
ユウトが首を捻っていると、カールが何かを思いついた。そして――。
「にーちゃん、こっちこっち!」
「待てカールっ。ってかハンデっても逆立ちは無理があるだろ!?」
走るカールを逆立ちで追いかけているユウトが不満をぶつける。
ユウトは逆立ちで移動する。それがカールが思いついたハンデだった。
確かに速度という意味では、対等になったと言える。しかし、慣れない逆立ちを続けながら追いかけるのは、想像以上に辛いものがあった。幾ら鍛えているとは言え、逆立ちの訓練などしたこともないのだ。
「だってユウト兄、これくらいじゃないと勝負にならないよ」
「そうだよ。ユウトお兄ちゃん速いんだもん」
不満を告げるユウトに、二人が心外だとばかりに声をあげる。
全く以って妥当な言い分だが、そのまま受け入れるのは少々癪だった。
そして、ユウトの頭に名案が浮かぶ。
「足を使わず、手なら良いのか?」
「そうじゃなきゃ公平じゃないよ」
カールの答えに、ユウトが邪悪な笑みを浮かべた。
「言質は取ったぞ」
「え?」
ユウトは足を下ろして逆立ちを止めると、うつ伏せの体勢で上半身を反らせ腕だけで地面を這い出した。所謂、匍匐前進だ。
「ちょっ、それずるい!」
「何がずるいかっ! 手なら良いと言ったじゃないか」
「言ったけど! 確かに言ったけどさ!」
ユウトはランド達との鍛錬で鍛え上げた体を駆使し、高速の匍匐前進を披露する。その姿は控えめに見ても気持ち悪かった。
半ば悲鳴のような声をあげてカールとテリーが逃げ回る。
その様を見て、エイミィが楽しそうに笑っていた。
そして、一度目の鬼ごっこが終わる。
「うし。カール捕まえた。お前で最後だ」
「くそー。あれは反則でしょ」
「ちゃんとルールの範囲内だぞ」
「汚い。流石ユウト兄、汚い」
「汚い言うな。正攻法が駄目なときは多少卑怯な手も必要だ」
「卑怯だって認めてるじゃん!」
「じゃあ、次は一番最初に捕まった僕が――」
鬼ごっこを再開しようとしたところで、固まっている三人をユウトが同時に抱き込んだ。
「ユウトお兄ちゃん?」
「三人とも、俺が捕まえたよな?」
「え? うん。だから鬼の交代を……」
「捕まえたから。少しだけで良い、ちゃんと聞いてくれ」
そう言われて、三人が黙る。
最初からこのつもりだった。子供じみた発想だが、捕まったなら話を聞いてくれるだろうと。
逃げることは出来ただろうが、三人は逃げようとはしなかった。
「俺はもうすぐここを出るよ。記憶を取り戻すために、まずは冒険者になる」
「……知ってる。だから、ランドさん達に稽古をつけて貰ってたんでしょ」
「ああ。それも一応は卒業できた。だから、さ」
上手い言葉が出てこずに、躊躇いがちに言葉を紡ぐ。しかし、カール達はどこか素っ気無い。
「分かってるし、分かってたよ。僕達は止めたりしないから」
「……それは、俺がどうでも良いから?」
寂しさを感じ、情けないと思いつつも、そんな言葉が口を突いた。
しかし、それをカールが真っ向から否定する。
「そんなわけ無いじゃないかっ」
「カール……」
「……ユウト兄との約束があるから。僕とカール兄には」
「だから、止めない。何かあったら、駆けつけてくれるって言ったじゃないか」
「覚えて、いたんだな」
「当たり前だよ」
あの夜の約束を。
口先ばかりだったユウトの言葉を今も覚えて、信じている。だが――。
「……俺は一度その約束を破ってる。結果的に無事だったとは言え、カールを守りきれなかった」
「それなら、俺もだよ。大丈夫だったけど、一人でも欠けちゃ駄目だって言われてた約束を破った」
「僕も、最後にカール兄に頼っちゃった。一緒に守るって決めたのに」
誰もが約束を守りきれなかった。ユウトは勿論、カール達もそのことを悔いていたのだ。しかし、カール達はとっくに前を向いていた。
「だからさ。今度は破らないよ。俺も、皆も、誰も欠けさせない」
「僕も、今度こそカール兄と最後まで戦うよ。ユウト兄は?」
二人は既に約束を守りきれなかったことを認め、次は破らないと決めていた。
「――っ」
そのことに、心底驚いた。
それに比べて、何て自分の情けないことか。いつまでもウジウジと。
これで何度目だろう。自分が兄だと名乗るのが滑稽に思えたのは。
――だけど、それでも。カール達は俺を兄だと思ってくれてるんだよな。
「……あぁ、そうだな。俺も、改めて誓うよ。お前達を、家族皆を、今度こそ守ってみせる。何かあればすぐに駆けつける」
今度こそ。口先だけでなく、決意を込めて。
ふと、すすり泣く声が耳に届いた。
「エイミィ……」
その声はエイミィのものだった。ずっと黙っていたが、泣くのを我慢していたらしい。
「う゛ぅぅぅ……」
カールとテリーを腕から解放し、決壊寸前のエイミィを優しく抱きしめる。
すると、胸に顔を埋めて泣き出した。
「エイミィにさ。泣いちゃ駄目だって言ったんだ」
「ユウト兄が行きにくくなっちゃうからって。でも、我慢できなかったみたい」
「そっか……。気を利かせてくれてありがとうな」
どこまでも出来た弟達だ。
「でも、泣いてくれて構わないんだ。エイミィ、そのままで良いから聞いてくれ」
ユウトの言葉が届いたらしく、エイミィの泣き声が僅かに小さくなる。
「俺はエイミィが泣いてくれて嬉しいよ。それだけ俺が行くのを寂しく思ってくれてるってことだから。カール達の気遣いも嬉しいけど、でも可愛い妹に我慢させたままじゃ俺は兄貴失格になっちゃうよ」
「おに、ちゃ……、置いて、かない、で」
ところどころ詰まりながらも、必死に訴える声だった。
エイミィはもっと小さな頃に親に捨てられた。その理由は定かでは無く、今はもう確かめる術も無い。
エイミィの両親はこの村の住人ではなく、余所から立ち寄った者だった。エイミィを置いていった両親を探しはしたが、どこに行ったのか、今生きているのかすら不明だ。
その頃のエイミィは本当に幼く、自分が捨てられたということも理解出来ないほどで、両親が迎えに来てくれると思っていた。だが、月日が経つうちに、理解していった。
自分は捨てられたのだと。
今のエイミィはその時のことを思い出していた。ユウトが自分を置いていって、もう戻って来ないのではないかと、そう感じていた。
「……ごめんな。行かないわけにも、エイミィを連れて行くわけにもいかないんだ」
「ふぇ――」
更に泣きそうになるエイミィの頭を優しく撫でる。
「だけど、必ず戻るから。どこかに居る俺の家族にエイミィを紹介したいんだ。可愛い妹が出来たってさ」
「思い、だし、も。かぞ、に会えて、も。私、いも、とで良い、の?」
泣いているせいで聞き取りにくいが、何を言っているのかはちゃんと伝わった。
「勿論だ。家族が多くて悪いことなんて無いだろ。エイミィが妹で俺は凄い嬉しいんだから」
しばらくすると、エイミィの泣き声は止んでいた。まだ完全に治まったわけではないようだが、普通に話せる程度には治まっていた。
「私も。お兄ちゃんの家族に会ってみたいな」
「ああ。いつか連れてくる。それか、皆で会いに行こう」
家族がどこに居るかは分からない。本当に居るのかすら分かっていない。
ユウトも人間なのだから両親が居るのは間違いないが、もう死んでいるかもしれない。もしかしたらエイミィのように子供の頃捨てられて、親を知らないという可能性もあった。
記憶が無いのだから、何も分からないのだ。
だから、これは気休めだ。家族が今もどこかに居て、会いにいける場所に居るという希望的観測を前提とした、エイミィを泣き止ますための。
だが、それでもエイミィが笑えるのなら、それを信じようと思えた。
「うんっ」
涙を流しながら、エイミィは嬉しそうに笑った。
エイミィが泣き止んだのを切っ掛けに、再び四人で遊びはじめた。日が落ちるまで、ずっと。
その日の夜。
――うぅ。明日にしようかな……?
ユウトはエリスの部屋の前でヘタレていた。
それというのも、今は話をするにはエリスの機嫌があまりよろしく無いのが想像出来ていたからだった。
夕方、カール達と遊んで孤児院に戻ると、エリスがユウトの姿に目を吊り上げた。
そう、あの匍匐前進のせいで、服が汚れていたのだ。
その結果、遊ぶのは良いけど何故そんなに服を汚す必要があったのかと、エリスからお説教を食らうことになった。
ちなみに、カール達はユウトがエリスに捕まった直後に逃げていた。
それからずっとエリスの機嫌があまり良くなかったため、今日話そうという決意が鈍っていた。
しばらくの間部屋の前で立ち尽くしていると、中から声がかかる。
「ユウトさんですよね。そんなところに居ないで入ってきたらどうですか?」
その声はどこか冷たく聞こえた。
――ああ。これ絶対怒ってる……。
逃げたくなったが、気付かれている以上逃げるわけにもいかない。
「えっと、失礼します」
声を掛けてから、おずおずと扉を開く。
――あれ……?
椅子に座っているエリスの表情は、怒っているのとは違うように見えた。何か感情を抑えようとしているような。
「どうかしましたか?」
「あ、あぁ。その……遅くにごめん」
「いいえ。起きてましたし、入って良いと言ったのも私です」
言葉は交わしているが、どこか素っ気無い。それはまるで、昼間のカール達のようにも見えた。
「エリスは――」
「ユウトさんは――」
同時に口を開いてしまい、二人ともすぐに口を閉じた。
何となくそれがおかしくて、ユウトは頬を緩めると、手振りでエリスに先を促した。
「……ユウトさんは、ここを出て行くんですよね」
「うん」
「私は、ユウトさんを応援したいと思っています。記憶も戻れば良いと。その方がユウトさんのためですから。でも……」
エリスが目を伏せる。
これから言うことは、きっと口にしてはいけないことだ。どう考えてもユウトを迷わせるだけでしかない。
そう思っていても、言わずにはいられなかった。
「行って欲しくありません。行かないで下さい。ずっと、ここに……っ」
グッと強く目を瞑って、一気に吐き出した。
握られた拳はプルプルと震え、瞼を閉じた顔はどこか自分を責めているようだった。
――そんな顔をするエリスを見るのが、こんなに辛いなんて思わなかったな。
自分がそうさせてしまったのだと思うと、余計胸が痛かった。
「エリスはさ。怒ると怖いけど、優しくて。俺のこともずっと気にかけていてくれたよな。まだ会ってからそんなに経っていないけど、一緒に居て、暮らして……凄い楽しくて、幸せだった。ずっとここでって、それも考えたよ。でも、上手く言えないんだけど、俺は記憶を取り戻さなきゃいけないって、そう感じてるんだ。このままだと、何か取り返しの付かないことになりそうな予感があるんだ。だから、俺は行ってくる」
その答えに、エリスの拳から力が抜ける。
予感はあった。
昨日まで、ユウトに迷いがあったのは見ていてすぐ分かった。だが、今朝になってユウトの顔を見たとき、その気持ちが定まっていることに気が付いた。ずっと見てきたのだから、見間違えるはずが無い。
前日の夜にサーシャに話をしに行ってのは知っていた。サーシャと話して決心が付いたのだということも容易に想像ができた。
だから、思っていた以上にすんなりと受け入れることが出来た。
「……行ってくるというのなら、ちゃんと戻って来てくれますよね?」
「当然。院長先生やカール達ともそう約束したよ」
「私は最後ですか」
エリスがぷくっと頬を膨らませ、子供のように怒る。
「え゛。い、いや、そういうつもりは――」
初めて見せる意外な反応にユウトが戸惑うと、クスクスと笑い声が耳に届いた。
「冗談です。……一つ、いえ、二つ聞いて良いですか?」
「何?」
「ユウトさんは私達を家族だと思ってくれますか?」
「勿論」
間髪入れずに答えた。
血の繋がりがなかろうと、一緒に居た時間が短かろうと、これだけは誰に対しても自信をもって言える。
その答えにエリスが嬉しそうに笑う。しかし、すぐに表情が強張った。
これから聞くことは、エリスにとって今までの一生で一番勇気が必要だった。そのことをユウトに悟られないために、表情に出さないよう努めたからだ。
「なら、私はユウトさんの何ですか? 妹?」
その質問に、ユウトが僅かに動揺した。
それはユウト自身も考えたことがあったからだ。しかし、その時は答えが出なかった。
「……年齢的には妹、になるんだよな。でも、正直妹だと思ったことは無いよ」
「それは、何故ですか?」
「二つじゃなかったの?」
「意地が悪いですね。……答えたくありませんか?」
努めて冷静な受け答えをしているが、エリスの心臓は破裂しそうだった。
少しだけ答えが知りたくて踏み込んだ。しかし、踏み込みすぎれば、今ここでエリスの想いに結果が出てしまうかもしれない。
「そういうわけではないけど……少し、気恥ずかしい」
「尚更聞きたくなりました」
きっと悪い意味ではない。そう感じた。だからエリスは更に踏み込んだ。
それに対して、ユウトは答えに窮していた。
明確な答えは今も無い。それに、言葉通り、言うのが物凄く恥ずかしかった。
しかし、エリスが葛藤を乗り越えて、何かを思いながら聞いているのは理解出来ていた。
「……多分」
しばらくの沈黙の後、ユウトも決意を固め、口を開く。
「見蕩れたから」
その言葉にエリスが意味を理解できずに固まる。
「ここで目を覚まして、初めてエリスを見た時、見蕩れたんだ。こんなに綺麗な女の人見たこと無いって。……記憶も無いのに可笑しいよな。でも、そうだったんだ。だから、その時からずっと、俺はエリスを妹とは思えなかった。俺の妹にしては綺麗すぎるし」
気恥ずかしさに負けて、一気に捲くし立てる。
ユウトにとってエリスは特別だった。
出会った時に見蕩れてしまったことで、その後もその時の印象が消えなかった。
エリスのことも家族だと思っているのは事実だ。だが、サーシャやカール達とはどこか違う風に感じていた。それは、家族としての形に入れられないという結果に現れている。
ユウトがサーシャとの関係を問われれば、母と答えられる。カールやテリー、エイミィなら弟妹だと。だが、エリスに限っては妹だとは言えず、思えなかった。
それが本当の意味で何故なのかは、今のユウトには分からなかったが。
「――っ!?」
大人しくユウトの独白を聞いていたエリスが、数秒遅れて沸騰したように顔を赤くした。
――い、今のって、そういう意味? もしかして、私今こ、告白され……?
混乱した頭でユウトの言葉の意味を理解しようとする。
しかし、ユウトの表情を見て、冷静になった。
――ああ。早とちりですか……。
確かにユウトは恥ずかしそうにしている。先程の告白が恥ずかしかったからだ。
だがそれは、エリスの思う告白とは別の意味での告白だ。それはユウトの態度からすぐに分かった。
それが分かると、勝手に盛り上がった自分が馬鹿らしくなる。
――はぁ……。でも、期待しても良いんですよね?
妹だと思われてしまえばそこから抜け出すのは難しい。相手がユウトでは尚更だ。しかし、妹だとは思われて居ない。そして、綺麗だとも言ってくれた。
家族ほどに近くて、ただの家族では無い。それに外見的には気に入られている。それはエリスにとっては朗報だ。
だが、それと同時に、まだ異性として意識されているとは言い難いことも分かった。
そのことは少し不満だった。
――私ばかり意識しているのは不公平です。
折角一歩踏み込んで、悪くない感触を得たのだ。もう一歩踏み込んでおきたい。
そう決意したエリスは、真正面からユウトに抱きついた。
「なっ、えっ!?」
エリスの頭の上から驚愕の声が振りかかる。
振りほどかれるかもしれないという恐怖か、それとも恥ずかしさからか。
実際はその両方だが、エリスがギュッと強く抱きしめる。
必然、エリスの体はユウトと密着する。
その柔らかい感触と甘い匂いに、ユウトの動きと思考が完全に停止した。
数秒の後、エリスがユウトから一歩離れる。
エリス自身、恥ずかしくてそれが限界だった。
「ユウトさん。ちゃんと帰って来て下さいね。あんまり遅いと、迎えに行っちゃいますから」
頬を紅く染めたまま、エリスが意味ありげな笑顔を浮かべる。
どこか晴れ晴れとしたその笑顔に、エリスはある決意を秘めていた。
エリスの部屋を後にしたユウトは、熱に浮かされたようにボーっとしていた。
今も、エリスに抱きつかれた時の感触と匂いが残っている気がする。
――何か、ドキドキする……。
エリスの試みはまさしく成功したと言って良い。