第53話 大森林の中へ
「結局お前が良いところ持ってくんじゃねぇか」
アーマービートルを倒すと、不満そうなギルツがユウトをジッと睨む。
「悪い悪い。そんなことより――」
ユウトがエルフの一団に視線を向けると、その視線に合わせてエルフ達がビクリと身を震わせた。
エルフにとって人間は畏怖と嫌悪の対象だ。ユウト達の戦いを目の当たりにして、もしそれが自分達に向けられたらという想像をしてしまったのだろう。
ユウトとギルツはそれを分かっているため、どうするべきか迷っていた。
――説明したところで、聞いてくれるかどうか……。
「ユウト」
名を呼ばれて顔を向けると、カイン達が困惑した顔を浮かべていた。
未知の魔物に、御伽噺と思われていたエルフの存在。思いがけないことが同時に起こって、ランド達は理解が追いついていなかった。
「この人達はエルフ……で良いのだろうか」
「そう、だと思うわよ?」
自分達の目で見たものを疑うように互いに確かめ合う。
エルフと人間が決別したのは遥か昔のことであり、それ以降エルフが人間の前に現れることは無かった。それでも御伽噺の類として、その存在だけは知られている。そんな存在を急に目にすることになったのだから、すぐに受け入れられないのも無理は無い。
そんな困惑の中にあって、ランドは一人不快そうだった。
「助けられたってのに礼は無いわ、嫌な視線は向けてくるわ。何だってんだ」
ランドは過去にエルフと人間の間であったことを知らない。
だから、エルフ達がランド達人間に向ける警戒心や怯えを多分に含んだ視線の理由が分からず、気分の悪い思いをしていた。
「エルフは人間を嫌って、怖がっているんです」
「大昔に人間に酷い目に遭わされたらしくてな。そのせいで今も人間に対する好感度はゼロどころかマイナスだ」
「だからか……」
この場で唯一事情を知っている人間であるユウトとギルツがエルフ達のフォローを入れる。ソフィアと言うエルフの友人を持つ身としては、事情を知らないままにエルフに対して悪感情を持って欲しくは無かった。
その説明にカインが納得したように頷き――しかし、すぐに違和感に気付く。
「……ん? お前達、何故そんなことを知っているんだ?」
「それは――」
既にエルフの存在を知った以上、今更カイン達に隠しても意味がない。
だが、ユウトが答える前に、横から声がかけられた。
「すまない。人間達よ」
視線を向けると、金髪の若い男性と腰まで伸びた金の髪を揺らした若い女性が立っていた。もっとも、外見的に若いのであって、実年齢の程はユウトには見分けがつかなかった。
二人に視線を向けたユウトは女性の顔を見て、目を瞠る。
「……ソフィア?」
「え?」
ユウトが小さく呟いた名に、女性が驚きの声をあげる。
その声でユウトが我に変える。
「あ、と……。すみません、知り合いに良く似ていたもので」
「知り合い……?」
今度は女性がユウトをジッと見る。
――黒い髪に黒い瞳、珍しい剣を持った男の子。
ユウトの全身を確かめた後、ユウトの隣に居るギルツに視線が移る。
――それに、大柄で鎧を着込んだ灰色の髪の男性。
「もしかして、ユウト君にギルツさん?」
「え、俺達のことを――」
「知ってるんですか」と聞こうとしたが、女性に遮られる。
「やっぱり!」
すると、不安げだった女性の表情が明るくなる。
「あなた! この子達がソフィアの言っていたユウト君とギルツさんよ」
「あ、あぁ……まさか実際に会うことがあるとは」
女性が隣の男性に話しかけると、男性も驚いた様子でユウトとギルツを見ていた。
「あの……、その様子だとソフィアから俺達のことは聞いてるんですよね? 貴方達は一体……?」
「ソフィアは私達の娘だ」
「じゃあ、ここに居るのは」
「そう。ここに居る者達は同じ村の住人だ」
改めて周囲のエルフを見渡し、再びソフィアの両親を見る。
――ソフィアの両親ってことは、やっぱり相応の年なんだよな。……全然見えない。
どう見ても自分より少し上くらいにしか見えないソフィアの両親に内心驚愕していた。
エルフが人間のような老化の仕方をしないことは聞いていたが、実際に目にするとやはり驚かされる。
ユウトは相応の年を百歳前後と考えていたが、実際は百どころかその倍以上だ。もっとも、人間のユウトにとっては百だろうと二百だろうと、どちらにしてもそんな年には見えないという意味では大差ない。
そんなことを考えていたユウトが、周囲のエルフ達から警戒心の篭った好奇の目を向けられていることに気がついた。
「あれがソフィア様が言っていた……」
「……事実だったのか」
ユウトの耳にそんな言葉が届く。
ソフィアが何を話したのかはユウトには知る由も無いが、少なくともそれほど好意的に取られているわけでは無いことだけは分かった。
それはそれとして、目の前に居るのは大事な友人の両親だ。きちんと挨拶をすべきだろう。
「はじめまして。ご存知頂けているようですが、ソフィア――さんの友人でユウトです」
「ギルツです」
揃って頭を下げると、同じようにソフィアの両親も頭を下げた。
「ソフィアの父で、ソティスと言う。娘が世話になった」
「母のフィリアです。お二人の話はソフィアから聞いています。特にユウト君のことは、それはもう色々と」
フィリアが楽しげに笑うと、ソティスは何とも言えない難しい顔をする。
色々の中身が何なのか、フィリアの笑い方で何となく察したユウトが気恥ずかしくなって話題を逸らす。
「……ところで、何故こんなところに?」
話題を逸らすためと言っても、疑問に思っていたのは間違いない。
エルフが大森林を出ないのはソフィアから聞いている。そのエルフがこれほど多く大森林の外に居るのは異常だ。
――それに、ソフィアの姿も無いし、戦える者があの二人だけ……。
これではまるで、非戦闘員だけ村から避難してきたように見える。
「それは、人間には関係の無いことだ」
「あなた……」
拒絶の意思を示したソティスをフィリアが悲しそうな目で見る。
しかし、そのソティスの態度はユウトを――人間を本当の意味で拒絶しているようには見えなかった。
それと同時に、突き放すようなその言い方で、ユウトは大方の事情を察することができた。
エルフにとって人間は外敵だ。それを前提にすれば、ソティスが事情を話そうとしないのは、その事情がエルフ達にとって都合が悪く、人間に知られたくないものだからだと考えるべきだ。
そして、今回起こっている事がソフィアの時と酷似しているのなら、その原因と同じである可能性は高い。
「魔物……ですか」
ユウトの言葉に反応して、ソティスが微かに口元を緩ませた。
――正解か。それにしても、この人は俺達にも好意的みたいだな。
人間を拒絶するというエルフとしては真っ当な態度を取りながら、ユウトが事情を知るのを否定的に捉えてない。それは他のエルフ達の手前味方するわけにはいかないが、ソティス個人はユウトに思うところは無いということなのだろう。
ならば上手くやれば事情を聞くことも出来るはずだ。
――さて、魔物が出たなら、ソフィアが居ないのも道理だけど……。
あの家族思いのエルフの少女が、村を魔物が襲うとなって放っておく訳が無い。それは良い。問題はその魔物がどれほどのものか、ということだ。
ユウトはソフィアの実力を良く知っている。特に今回は他のエルフも一緒にいるはずだ。並の魔物なら何の心配も無い。
しかし、周辺の魔物は逃げ出し、エルフ達が避難して来ている。
――並の魔物なわけが無い、か。
そう断じてから、改めてエルフ達の様子を観察する。
人間に遭遇して怯えているのかと思っていたが、それだけではないようだ。時折、大森林の方にチラリと見て、不安げな表情を浮かべている。
――これは、予想以上にやばい状況か……? それなら、すぐにでも……。
エルフ達のその様子に危機感を覚える。しかし、助けに行こうにも、村の場所は分からない。
どうにかソティス達から聞きだしたいところだが、先程のソティスの態度を見る限り、単に聞いただけでは教えてはくれないだろう。
どうしたものかとユウトが迷っていると、ソティスがユウトを見据えながら口を開く。
「……最近ソフィアが捻くれていてな。北から来るだの、最も弱い魔物がどうだの、そんなことばかり言う」
「急に何を――」
突然の言葉に戸惑い、しかし、すぐにソティスの目が何かを訴えるような強い物であることに気付く。
――何かを伝えてるのか? 捻くれて……素直じゃない。……逆、ということか? なら、最も強い魔物が南から来た? いや、それならわざわざ順序を逆にする意味が……、別のことを言っているのか。北だけじゃなくて来るも逆か……、ということは南へ行けか。
そこまで思考が進んだところで、聞き捨てならない部分に気がついた。
――最も強い魔物? ……まさか、Aランクの魔物かっ!?
ソティスの伝えようとした内容を理解したユウトは慌てだす。
Aランクの魔物といってもピンからキリまで居る。ピンの風竜は別格だとしても、キリの魔物も当然弱い訳はない。村に残っているエルフ達がどれほどの実力を持ち、何人居るかは分からないが、Aランクの魔物と戦える実力者がそう多くいるとは思えなかった。そうなると、ソフィアの命が危ない。
「ギルツっ!」
「分かってる」
話を聞いていたギルツもソティス達が伝えようとしたことに気付いていた。それと同時に、それを聞いたユウトがどうするかも分かっていた。
当然のように頷いたギルツに頼もしさを感じながら、ランド達に向き直る。
「ランドさん達はここでこの人達の護衛をお願いします」
「お前達はどうする気だ?」
「俺とギルツ……それと、エリスは大森林の中に入ります」
エリスを連れて行くか迷ったが、一緒に行こうと言った以上、それを反故にするつもりは無かった。
置いていこうとするのではないかと心配そうにしていたエリスも、それを聞いて嬉しそうにしていた。
「……止めても無駄か」
「はい」
「分かった。しっかりな」
「お願いします。それと、念のためにですが、エルフ達にもあまり油断しないようにしておいて下さい」
ユウトがそう言うと、カインが表情を引き締めて頷いた。
ユウト自身あまり気分の良いものではなかったが、ありえないことではないため、言っておく必要があると思っていた。
大森林に入ると聞いて、先程からエルフ達がざわついている。やはり、人間が入るということに抵抗があるのだろう。その表情を見る限り、好意的なものは殆ど無い。
それは当然といえば当然だ。人間がエルフの住処に足を踏み入れるということなのだから。
ソティスは内心は兎も角、表面上は人間を受け入れるような態度を取っていない。それはソティス自身の立場と、他のエルフ達の感情面を配慮したから
だ。しかし、そのためユウト達が大森林に入ることはユウト達の独断ということになり、それはある意味エルフ達との対立を意味する。
――最悪、敵対する可能性も考慮しなきゃいけない。
ユウト達が居ない間にランド達に何かしようとしないとも限らなかった。
ともあれ、可能性さえ示唆しておけばランド達なら大丈夫だ。彼らとて冒険者であり、ユウトの師匠なのだ。
その場のことをランド達に任せ、ユウト達三人は大森林の中に足を踏み入れた。
三人が大森林の中に入った後、ランド達とエルフ達は一定の距離を保ったまま、その場に居た。
エルフ達は当然人間に近づきたいとは思っていない。また、ランド達も詳しいことは兎も角、人間という種それ自体が恐れられていると聞いたため、不用意に近づいて刺激しないように気をつけていた。
そんな中、エルフの一団に居るソティスとフィリアが大森林の中に消えていった少年達を思い浮かべていた。
「優しい子達でしたね」
「ああ。あの子が気に入るのも頷ける。あんな人間も居るのだな」
人間とエルフの交流が断たれたのはソティスが生まれるより遥か昔であり、ソティスも人間のことは聞いていただけで実際に会ったことは無かった。だからこそ、娘から良い人間に助けられたと聞いたときは耳を疑いもしていた。しかし、その話は真実だったとようやく分かった。
焦ったように大森林に入っていくユウト達の様子を思い出すと、嬉しくもあったが、同時に情けない気分になった。
――人間が、あれほどソフィアのことを思っていてくれるというのに、私はあのようなやり方しか出来んとは……。
下手な伝え方しか出来なかったが、その意図はきちんと理解していたはずだ。それでも怯むことも躊躇うことも無く、ソフィアを助けるために大森林に入っていった。
それに対して自分はどうか。
正式にお願いすることも出来ず、彼らの好意に縋る様な真似しか出来なかった。
――こんな様でどうして人間がどうだと非難できるというのか……。
そんなソティスの内心を察したのか、フィリアがそっと寄り添う。
「これからどうなるのかは分かりませんが、あの子が村を出て彼らに出会ったのは、きっと運命のような――何か意味があることだったのでしょう。今後のエルフの行く末を決める。そのためにあの子が居るのかもしれません」
ここに来て、まるで人間とエルフを会わせようとするかのような流れが生じているのは確かだ。それは長らく関係を閉ざしてきた両者が改めて互いのことを知る機会が設けられたようでもある。それが偶然なのか、誰かの思惑によるものなのかは兎も角、これを逃せばまた数百年以上もの時間を関係を閉ざしたまま過ごすことになるのだろう。
「なら、あの子の好きにさせるべきか……」
「そう思います。それに彼なら安心して任せられます」
「フィリアはあの少年を気に入ったのか?」
「えぇ、あなたもではありませんか?」
「……私は立場上それを口には出来んよ」
フィリアがクスクスと笑う。
ソティスの言葉は、認めているのと同義だ。
――立場というのは面倒なものだな。口にしたいことを口にすることすらままならない。
ソティス自身はユウトを気に入っていた。しかし、未だ人間を嫌い敵視しているエルフの村長としては、人間に厳しい態度を取らざるを得ない。一部の人間に対してであっても、心を許すことがエルフの中では異質の考えだからだ。
異端が排斥されるのは人間もエルフも変わらない。そうなれば大森林に点在するエルフの村の間で無用な不和を生むことになってしまう。
そのため、ソティスが人間を大森林の中に入れたという事実を残すわけにはいかなかった。
ユウトはソティスの意図を汲み、勝手に入り込んだというスタンスを貫いた。
――仮に彼が村を救ってくれたとしても、まともに礼を言うことも出来ないな。そうなれば、あの娘は反発するだろう。いや、それどころかおそらくは……。
殆ど確信に近い予想を立て、そう遠くなく訪れるであろうその時に思いを馳せる。
だが、確かに彼らと共にあるのならば不安はない。
「私達もソフィアのことは言えんな」
何だかんだいって、結局ユウト達のことを好意的に見てしまっている。
自嘲気味に笑うと、フィリアが当然という顔をする。
「それは勿論、私達の娘なんですから。好き嫌いも似ますよ」
ソティスが肩を竦めることで返事をする。
――きっと、彼らと共に在るのがあの子にとって一番良いのだろう。
そう自分に言い聞かせる。しかし――。
「それにしても、こんなに早く娘を嫁に出す日が来るとは思いませんでした」
「……何? どういう意味だ、それは?」
「あら、あなた。気付いていらっしゃらなかったんですか? あの子がユウト君の話をするときの顔、どう見ても恋をしている娘の顔でしたよ」
予想外の妻の言葉に、開いた口が塞がらなかった。




