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第4話 襲撃の果て

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 「大丈夫。大丈夫だからね」


 エリスが安心させるように囁きながらエイミィを強く抱きしめる。

 ユウトの予想は当たっていた。

 ユウトが森に向かい、カール達が孤児院に戻ってからしばらく経った頃、ユウトが戻ってこないかと何気なしに外を見たカールが孤児院を囲んでいる狼らしき存在に気が付いた。

 それは狼ではなくソルジャーウルフの群れだった。

 ソルジャーウルフの数は全部で二十を超え、その中に一際大きな黒毛の個体――コマンダーウルフの姿もあった。

 サーシャとエリスはすぐに孤児院の扉や窓を閉め、棚や机をバリケード代わりに積み上げた。

 今は全員が居間に集まって、身を寄せていた。


 「大丈夫だよ、エイミィ」

 「そうそう。心配無いって」

 「……うん」


 カールとテリーもエイミィを安心させようと何度も声をかけているが、エイミィはずっと怖がったままでエリスから離れようとしなかった。

 しかし、エイミィの反応は当然だ。

 まだ幼いエイミィからすればソルジャーウルフやコマンダーウルフは自分よりも大きく、鋭い牙や爪は恐怖を感じるには分かりやすい凶器だった。

 むしろ、この状況で怖がる様子を見せないカールやテリーの方が異常と言うべきだ。

 もっとも、怖くないわけではない。

 二人が平気そうな顔をしていられたのは、二人が二人一緒だからであり、ユウトとの約束があったからだ。

 ――約束したんだ、守るって。今がその時だよね。

 困った時、辛い時、大変な時、そういう時に近くに居て支える。それも守るということだと、あの日のユウトにそう教えられた。

 魔物がすぐ近くに居るのが怖くない筈は無い。今だって気を抜けば体が震えだしてしまいそうだった。

 近くに居て支えることが、何故守ることになるのか。その時は正直良く分からなかったが、今なら少し理解出来る。

 こんなときに誰かが居てくれるということが、どれほど心強いか。

 ユウトに言われていなければ。自分独りだったなら。きっとこんな風には出来なかった。

 カールにはテリー()が、テリーにはカール()が。

 共にユウトから言葉を受けた兄弟が隣に居たから、恐怖に負けずに居られた。

 互いが互いを支えにし、守り、守られていることが実感出来た。

 そう、(ユウト)の言葉は正しかったのだ。

 だから――


 「すぐにユウトにーちゃんが駆けつけて、皆を守ってくれるさ」

 「すぐにユウト兄が駆けつけて、皆を守ってくれるから」

 

 言葉に僅かな違いはあるが全く同じ事を二人が同時に、自信満々に告げた。

 交わした約束をユウトが破るはずが無いと、絶対の信頼を寄せて。


 「うんっ」


 二人の言葉にエイミィはようやく安心したように頷いた。

 二人の態度が自信満々だったからか、ユウトの名が出たからか。あるいはその両方かもしれない。

 何にせよ、一番怖がっていたエイミィが落ち着いたことで、全員の雰囲気が和らぐ。


 「そうね。ユウトを信じて待ちましょう」

 「はい。ユウトさんならきっと――」


 全員がユウトを信じると決めた直後――大きな音を立てて、孤児院の扉が破られた。すると、その時を待っていたソルジャーウルフ達が雪崩れ込むように孤児院の中に足を踏み入れる。

 低い唸り声と床を軋ませる足音が幾つも重なる。その音はエリス達の耳にとても大きく響き、恐怖を煽った。


 「近寄ってきた……」


 そう呟いたのは誰だったのか。

 少しずつ近づいて来る足音に気を取られ、誰の声なのかすら分からない。

 その足音は居間の前で止まった。

 すぐ入ろうとするのかと思えば、その様子は無い。しかし、その場を立ち去ろうともしない。

 ソルジャーウルフの嗅覚は人間よりも遥かに鋭い。エリス達――人間が居間の中に居ることは分かっているはずだ。

 そうであるにもかかわらず、踏み込もうとしないのは――。


 「ウォォォォッン!」 


 ビリビリと窓ガラスが震えるほどの遠吠えが轟く。

 コマンダーウルフがソルジャーウルフに遅れて孤児院の中に入ってきたのだ。

 ソルジャーウルフが獲物を前に動かなかったのは、群れのボスを待っていたためだった。

 ソルジャーウルフよりも一際大きく響く足音は、やはり居間の前で止まる。

 その直後、轟音と共に扉が破壊され、バリケード代わりに積み上げた机や棚が全て蹴散らされた。

 そして、開かれた入り口から、のっそりと巨体の黒狼が姿を現した。


 「あ、あぁ……」


 その恐ろしい風貌に悲鳴をあげることが出来ず、エリス達は恐怖に震えた声を漏らした。

 しかし、カールとテリーだけは、恐怖を感じながらも目に力が篭っていた。

 二人はそこら中に転がっている壊された机の足――木の棒を手に取り、エリス達を守るようにコマンダーウルフの前に飛び出した。


 「エリスねーちゃん達は下がって!」

 「僕達が時間を稼ぐよ!」


 ユウトが剣を握っていた姿を思い出し、真似るように構える。


 「二人とも止めなさい! そんなこと――」


 二人が何をしようとしているかを察したサーシャが二人を止める。しかし、二人の決意はそれで揺らぐほど柔くは無かった。


 「止めないっ!」

 「ユウト兄が戻るまでは、僕達が皆を守るんだっ!」

 「貴方達……」


 二人の剣幕にサーシャがたじろぐ。子供だと思っていた二人が初めて見せた男の顔に、それ以上止める言葉が出てこなかった。

 その代わりに止めに入ったのがエリスだ。


 「二人とも、ユウトさんとの約束を忘れたのっ!?」

 「……覚えてるよ。でも、もうこうするしかないんだ」

 「ここで何もしなかったら、ユウト兄に合わせる顔が無いよ」


 ユウトとの約束には、自分達の身を守ることも含まれている。しかし、自分の身を守りながら時間を稼げる段階はとうに終わっている。あとは、命を懸けて時間を稼ぐしかない。

 しかし、二人の決意とは裏腹に、その顔は今にも泣き出しそうだった。

 それも当然だろう。

 大の大人でもこれだけの魔物に遭遇すれば恐怖に顔を歪め、泣き喚いて助けを求めるのが普通だ。その上、二人はまだ子供なのだ。

 泣きそうになりながらも、家族を守ろうと魔物の前に立ちふさがっただけでも勇敢というものだ。


 「くそっ。来るなっ!」

 「あっちへ行けっ!」


 二人は手にした木の棒をがむしゃらに振り回す。

 間合いも振り方も滅茶苦茶だったが、二人は必死だった。

 しかし、当然コマンダーウルフはそれを脅威に思うことは無く、むしろ嘲笑うように大きく裂けた口を歪ませた。

 コマンダーウルフがわざとらしく、大きく音をさせて一歩足を踏み出す。

 ズドンッと床を震わせた一歩は、木の棒を振っていた二人を驚かせ、その手を止めさせた。

 更に一歩。

 再び重い音をさせた足に、テリーが一歩後ろに下がってしまう。

 それを見たカールが、一つの決意を固めた。


 「……テリー、下がってろ」

 「ぇ……?」


 カールが腕を伸ばし、テリーを押すようにして後ろに下げる。

 ――逃げたい……。怖いよ、ユウトにーちゃん……。

 恐怖で体が竦む。

 だが、ここで怖気づくわけにはいかない。

 長男であるユウトはカールやテリーを含め家族全員を守ると言った。なら、次男である自分はエリス達だけではなく、弟のテリーも守るべきだ。

 少なくとも、先に体を張るべきなのは自分だ。

 それがカールの決意。

 ――俺が死ぬまで、誰にも手を出させないっ!

 カールは木の棒を強く握り締めた。


 「うあぁぁぁぁっ!」

 

 恐怖を振り払うように声をあげながら、カールがコマンダーウルフに向かっていく。思い切り振りかぶった木の棒を、精一杯の力で振り下ろす。

 しかし、カールの決死の一撃はコマンダーウルフが無雑作に振るった爪に防がれる。

 爪に触れた木の棒は四つに裂かれ、カールの一撃は得物を失い空を切った。

 裂かれた木の棒の残骸が地に落ちる様を認め、カールの表情が崩れる。

 ――褒めてくれるかな。良くやったって言ってくれるかな。皆を守るって約束……最後まで守ったよ。けど……。

 コマンダーウルフは木の棒を裂いた爪を、今度はカールに向けた。

 カールは自分に爪がゆっくりと迫ってくるのを見ながら、ここには居ない兄の顔を思い出す。

 ――ごめん。一人も欠けちゃいけないって約束、……破っちゃった。

 それを最後に、コマンダーウルフの爪がカールの胸を切り裂いた。




 それより少し前、ユウトは森から驚くべき早さで村に戻っていた。

 村の様子はユウトが出たときと特に変わった様子は無い。

 ――俺の考えすぎなのか……?

 近くに魔物の魔力は感じない。

 キョロキョロと挙動不審なユウトを見つけたトムが声をかける。


 「ユウト。ゴートは見つかったか? やっぱり村の中には居ないみたいだ。……って怪我してるじゃねぇか!?」

 「あぁ、いえ。これは大丈夫です。ゴートさんは森の中でソルジャーウルフに襲われたみたいで……」


 それだけでどうなったのか察したのだろう。トムが表情を歪ませた。

 

 「そうか……。なら、その怪我は」

 「はい。俺も襲われて、でもそれは何とか倒しました。それより、こっちで何か変なことは起きてませんか?」

 「こっちは何も……。いや、そういえば少し前に狼の遠吠えのような鳴き声が……」

 「どっちの方角ですかっ!?」

 「確か……孤児院の――」


 そこまで聞いた瞬間、ユウトは孤児院に向かって走り出した。

 勘違いならそれで良い。しかし、もしそうでなければ、僅かな遅れが取り返しの付かない結果になるおそれがある。

 孤児院は村のはずれにあり、丁度森とは反対側だ。

 森に居たゴートを囮にしたところからしても、正反対の位置にある孤児院を標的に定めた可能性は高かった。




 孤児院に近づいたところで、ユウトの“探査”は幾つもの魔力を捉えた。

 ――皆はっ!?

 最早コマンダーウルフが孤児院を狙ったのは間違いない。ならば、孤児院にいるはずの皆の安否が気がかりだ。

 ユウトは必死でエリス達の魔力を捉えようと“探査”に集中する。

 ――居るっ! 孤児院の中だ。まだ皆無事だっ!

 今のユウトの集中力は極限にまで高まっていた。

 それによって研ぎ澄まされた感覚は“探査”の精度を高め、今までに無いほど周囲の魔力を鋭敏に感知していた。

 個人の魔力を特定できているのもそのためだ。

 ユウトは剣を強く握り締めて、孤児院に向かって走り出す。

 孤児院の周りにはまだ十体ほどのソルジャーウルフが残っている。だが、今のユウトには気にもならなかった。

 ――邪魔だっ!

 途中に居た一体をついでのように斬り捨てる。

 足を止めずにそのまま孤児院の中に突入すると、エリス達が居る居間に一直線に向かう。

 居間の入り口が視界に入ると、そこにはソルジャーウルフが固まっており、中心にはコマンダーウルフが居る。

 ――間に合った!

 そう思った。

 しかし、その直後に居間の入り口に佇むコマンダーウルフに動きがあった。

 居間の入り口に近づいて行くと、ユウトの位置から僅かにだが居間の中が見えた。

 ――待て……、駄目だ……っ。

 視界に入ってきた予想外の光景にユウトは目を瞠り、届くはずの無い静止の声を上げる。


 「止めっ――」


 だが、その声は届かない。

 コマンダーウルフの爪はカールの胸に吸い寄せられ、三本の赤い線を引きながらその体を弾き飛ばした。

 カールの体はユウトの見ている前で宙を舞い、地面を転がり力を失った。

 その光景にユウトの足が止まる。 

 

 「あ、うぁ……」


 地面に倒れて動かなくなったカールを呆然と見つめたまま、ユウトは呻くような声を漏らした。




 ユウトは地面に伏したカールを視界に収めたまま、呆然と立ち尽くしていた。

 頭の中がグチャグチャだった。

 しかし、そんなユウトを一つの悲鳴が呼び戻す。


 「いやぁぁぁっ!?」


 エリスの悲鳴を呼び声に、カールの名を呼ぶ皆の悲痛の声がユウトの耳に届いた。だが、そんな中、ユウトは表情をピクリともさせていなかった。

 ――何だこれ。何でこんなことになった……?

 答えを探すようにユウトが周りをグルリと見渡す。

 周囲には嗤うように口を歪ませたソルジャーウルフの群れとコマンダーウルフ。カールは倒れていて、他の皆は泣いている様にも悲鳴をあげている様にも見える。

 ――あぁ……、そうか。

 ようやく得心がいった。

 皆の居る位置はそれぞれ僅かに違う。

 サーシャやエリス、エイミィは部屋の奥に、その手前にテリーが居る。そして、カールはコマンダーウルフに最も近くに居た。

 この位置関係は偶然では無い。

 ――俺のせいだ。

 テリーとカールは他の皆を守ろうと前に出たのだ。カールはそこから更にテリーよりも前に出た。

 二人がそんなことをしたのは、ユウトが皆を守るように言ったからだ。

 ユウトはそう確信していた。

 ――俺が、カールを殺したんだ……っ!

 何もかもが自分のせいだと思った。

 あの日、皆を守るようにと二人に言った時、こうなることを少しでも想像しただろうか。どんなつもりで言っただろうか。

 二人が命を懸けるほどの価値が、自分の言葉にあっただろうか。

 ――あるわけないっ! 俺は何も考えていなかった。偉そうに兄貴面しただけだ。

 だが、そんな薄っぺらい言葉を、カールとテリーは真摯に受け取っていた。

 命を懸けるほどに。

 勿論、ユウトが言ったからと言うだけではない。二人がそれだけ皆を大事に思っていたというのが根幹だ。

 しかし、ユウトの言葉が無ければ、おそらくは違った結果になったはずだ。それが今より良い結果なのかどうかは分からないが、そんなことは確かめようも無いし、何の慰めにもならない。

 ユウトの言葉が二人に影響を与えたという事実は何も変わらないのだから。

 ――それに対して俺は何だ……っ。怯えて、逃げ出そうとして。

 無表情なユウトの口から微かな笑い声がこぼれる。 

 最早嗤うしかなかった。

 乾いた笑い声が耳に届く、それは自らを嘲笑する声だった。

 吐き気がする。胸が苦しい。心が軋む。

 ――俺には涙を流す資格すらない。なら……俺は何をしてやれる?

 ふと、右手が重く感じて目を向けると、そこには血に濡れた鉄剣がまだ握られている。

 力を込めると、ギリッと柄が軋んだ感触が返ってきた。

 ――これくらいしか出来ないんだな。……俺は。ごめんな、カール。お前は凄いよ。本当に勇敢で、立派に家族を守ったんだ。……俺はもう、兄貴だなんて名乗れやしないけど、せめて……仇くらいは取ってやるから。

 笑い声を止めたユウトがコマンダーウルフを睨みつける。その瞳は冷たく、深い闇を湛えていた。


 「……やる」


 それは呟くように小さく、しかし、底冷えするような冷たい声だった。


 「……して、やる」


 頭の中で何かがガンガンと響いている。何かを伝えているようだが、何を伝えたいのか分からない。


 「殺して、やる」


 しかし、ユウトの殺意が増すごとに、その何かは鮮明になっていく。


 「殺してやる」


 いつしかその()は、ユウトの言葉と一つになって、その口から漏れ出した。


 「すべて殺し尽くしてやる」


 ユウトが足を踏み出す。

 力強く床を蹴り出した一歩目は凄まじい加速を生み、ほんの一瞬で大きく距離を詰める。

 しかし、足りない。それでは足りないのだ。もっと速く、もっと早く。

 もう一秒たりともコマンダーウルフ(アレ)が生きていることを看過できない。

 そして、二度目の踏み込みは誰にも見えなかった。

 姿を消した。その場に居る誰もが、そう認識した。

 一歩目を遥かに上回る加速。それほどまでにユウトの踏み込みは速かった。

 誰もが見失ったユウトの姿を最初に見つけたのは、コマンダーウルフだった。

 しかし、その時にはもう、ユウトが眼前で剣を振り上げていた。

 自身に近づく鈍色の刃。それがコマンダーウルフが最後に目にした光景だった。

 空気を捻じ切るような風切り音と共に振り下ろされた剣は、コマンダーウルフの首を無慈悲に切り落とす。

 ドサッという音に反応し、誰もが音の発生源に視線を向ける。

 その直後に頭部を失ったコマンダーウルフの巨体が崩れ落ち、更に大きな音を立てた。

 そうしてようやく、誰もがコマンダーウルフが死んだことを認識した。

 その瞬間動き出した者が二名。

 一人はエリスだ。

 コマンダーウルフにカールがやられたショックに取り乱す様子を見せていたが、どうにか冷静さを取り戻していたエリスは、倒れたままのカールに駆け寄った。

 もう一人は当然ユウトだった。

 コマンダーウルフだけではない、ここに居る全ての魔物がカールの仇だ。殺し尽くすという宣言通り、ただの一体たりとも逃がす気は無かった。


 「あぁぁぁっ!」


 猛り狂った声をあげ、ユウトが駆ける。

 いつからか白い光を纏っていたユウトは、先程と変わらぬ異常な速さで近くに居るソルジャーウルフに近づいて、一体一体切り殺していく。




 その光景を、エリス達は呆然と見詰めていた。

 ――あれが、ユウトさんなの……?

 カールが傷付けられてから、明らかに様子が一変した。

 今のユウトの瞳は殺意と憎悪に塗れている。

 いつも皆に向けていた、エリスの好きな優しくて暖かい眼差しは見る影もなくなっていた。

 そんなユウトを見ていたエリスが、カタカタと自分の体が震えていることに気付いた。

 ――怖いの……? ユウトさんが……?

 そう自問して、すぐに首を横に振る。

 ――違う。私がユウトさんを怖がるわけない。

 確かに今のユウトは、いつもと全く違う雰囲気を放っている。だが、そうなってしまった理由は実にユウトらしい。

 そう、どんなにユウトの雰囲気が違っていても、その本質は何も変わっていない。今だってあれほど憎悪に身を堕としているのは、カールを傷付けられたからだ。

 聞く者を震え上がらせるような猛々しいユウトの雄叫びも、エリスには怒りと不甲斐なさで軋んだ心が悲鳴をあげているように聞こえる。

 そんなユウトを恐れる理由は無いのだ。

 ――だから……そう、だから私が怖いのは、ユウトさんの心が壊れてしまうこと。優しくて脆いあの人の心が。

 大切な物を大切に思い過ぎてしまうから、それを失った時の反動が大きすぎる。

 その悲痛な叫びに胸が痛む。

 ――これ以上、ユウトさんにそんな思いはさせないっ。

 強い決意を固め、エリスが気を取り直してカールを診る。その胸には三本の爪痕が血を流してはっきりと残っている。

 しかし――。


 「これって……」


 その予想外の状態に、エリスが声を漏らした。




 一方、虐殺は続いていた。

 孤児院内に居たソルジャーウルフは全てが首を一太刀で切り落とされて、地面に崩れている。だが、ソルジャーウルフは孤児院内に居るのが全てではない。孤児院の外に居たのも奴らの仲間だ。

 なら、当然生かしておく理由は無い。

 中に居るソルジャーウルフが全て片付いたことを確認したユウトは、今度はゆっくりと外に向かう。

 ――一体だって逃がさない。殺し尽くしてやる。

 大事な者を傷付ける奴を、奪おうとする奴を全て。

 ユウトの頭にはそれしかなく、そのためだけにユウトの体は動いている。

 中でボスが殺されているとは夢にも思っていないソルジャーウルフ達は、今も変わらず孤児院を囲んで待っている。

 外に出たユウトは、そんなソルジャーウルフの姿を捉える。

 即座に地面を蹴り、鋭い踏み込みで最も近くにいるソルジャーウルフの懐に飛び込む。そして、一刀のもとに斬り捨てた。

 斬り捨てたソルジャーウルフの死を確認することもなく、次の標的を見据えて再び地を蹴る。

 近づき、斬り捨て、次に向かう。

 いっそ機械的ともいえる行動を繰り返し、ユウトはものの数分で全てのソルジャーウルフを無残な骸に変えてしまった。

 宣言通り、全てのソルジャーウルフを殺し尽くしたユウトは、先程までの反動がきたかのようにふらふらと覚束無い足取りで孤児院の中に戻る。

 途中、血塗れた剣が手から滑り落ち、カランカランと甲高い音を立てた。

 しかし、ユウトはそれに気付かなかったかのように、足を止めることも振り返ることもしなかった。


 「ユウトさんっ」


 戻ってきたユウトの姿を認めたエリスが、声をあげる。その声はやけに明るかったが、ユウトの耳には届いていなかった。

 よろよろとエリスが抱きかかえるカールに近づくと、力が抜けたように膝を折る。


 「ごめん……、カール。俺は――」

 「ごめんって何が?」

 「……ぇ?」


 顔をあげたユウトの表情は間抜けだった。

 しかし、ユウトにその自覚は無い。死んだはずのカールが普通に返事をしたことで、ユウトの頭は完全に停止していた。


 「え、あれ……? 何で?」

 「何でって、何で?」


 二人が顔を見合わせて同時に首を傾げた。

 それを見ていたエリスがクスクスと笑い声を漏らす。

 ――もう、大丈夫そう。

 ユウトが戦っている間放っていた殺気や威圧感は既に無く、戻ってきたときの幽鬼のような虚無感も無い。

 緊張感の無い顔だが、今はそれが逆に安心出来た。


 「ユウトさん。カールは無事ですよ」

 「ぁ……」


 エリスに言われて、ようやく実感が湧いて来た。

 ユウトは改めてカールの顔を見る。

 カールはいまいちよく分かっていない顔をしていたが、無事だというエリスの言葉を証明するようにしっかりと頷いた。

 ――夢でも、幻でも……無いんだ。カールは無事で、生きて……いるんだ。


 「わっ」

 「きゃっ」


 カールとエリスが驚いて小さく悲鳴を漏らす。

 ユウトがエリスごとカールを急に抱きしめたからだ。


 「にーちゃん?」


 そのまま動かないユウトを不思議に思い、カールが顔を覗き込もうとする。


 「駄目よ」


 それをサーシャが押し留める。エリスの隣に居たサーシャからは、ユウトの顔が僅かに見えていた。

 サーシャは少しだけ体をずらし、ユウトの顔が誰からも見えないように隠す。


 「少しの間、このままにさせてあげて」

 「……うん」

 「はい」


 ユウトはエリス達を抱きしめたまま、微かに震えながら頬を濡らしていた。




 しばらくすると、二人を抱きしめていたユウトの腕が緩み、地面に落ちた。


 「あら?」

 「寝ちゃったみたい……ですね」

 「仕方ないわ。大変だったもの」

 「はい」


 サーシャとエリスがユウトを起こさないよう小さな声で言葉を交わすと、優しくユウトを動かす。

 ――怪我してる。きっと、ここに来る前にも何かあったのね。

 ユウトが戻ってからは怒涛の展開で気付けなかったが、ユウトの体には傷があり、服も泥や血で汚れていた。

 少なくとも、ここに来てからは怪我をする場面も泥が着くような場面もなかった。

 エリスは膝を揃えて座り、その上にユウトの頭を乗せて横たえる。

 膝枕の体勢になると、すぐにエリスがユウトの頬を服の袖で拭った。

 静かに眠っているユウトの頬に涙の跡が残っていたからだ。

 ――カール達に見られたく無いですよね。

 ユウトはカール達に対して、兄として情けないところを見られたくないと思っている節がある。エリスとしては、カールの無事を喜んで涙を流すことが情けないことだとは思わないが、ユウトにとっては違う気がした。

 ――なんか、可愛いかも。

 そういうところが逆に子供っぽく思えて微笑ましい。

 子供っぽいというなら、今のユウトの寝顔もそうだった。

 体の疲労もあるのだろうが、安心して気が抜けたのか、眠っているユウトの表情には警戒の様子がまるで無い。


 「そうしていると――」


 エリスがユウトの顔をジッと見ていると、横に居たサーシャが声をかける。


 「まるで恋人か夫婦みたいね」


 そう言われてエリスが顔を赤くする。しかし、否定の言葉は出なかった。

 それを確認してから、サーシャが真剣な顔になる。


 「そのつもりなら、ちゃんと見ていないと駄目よ」

 「院長先生……?」

 「貴方も気づいたでしょう? この子は、危ういわ」

 「……はい」

 「でも、貴方が側で見ていてあげれば、きっと大丈夫」


 一転して優しく微笑むサーシャに、エリスは言葉を返さなかった。その表情は僅かに暗く、何かを考えているようだった。




 翌日、昼前にランド達が村に戻ってきた。


 「懐かしの我が故郷だね」

 「懐かしのって、三日しか空けてないじゃない」

 「そもそも故郷ですら無いな」

 「もう、二人ともノリが悪いよ。ねぇランド。……ランド?」


 話を振ったがランドの反応が無いことで、ケイトが不思議そうな顔をする。

 

 「……何かあったみたいだぞ」


 その言葉で、他の三人の顔つきが変わった。それと同時に、三人がランドの視線の先を追う。

 最初に気付いたのはアンだ。


 「村人があんなに集まって……」


 村の広場にかなりの人数が集まっている。まだ遠くて、表情や話している内容は分からないが、あまり喜ばしいことではない雰囲気だった。


 「急ぐぞ」


 短いカインの言葉を切っ掛けに、四人は村に向かって走りだした。




 広場に着くと、ランド達に気付いた村人が寄ってくる。


 「ランドさん。良い所に」

 「何があったんだ?」

 「それが、今朝から孤児院の皆を誰も見てないんだ」

 「見てないって、孤児院に居ないのか?」

 「分からない」

 「確認してないの?」

 「それが、その……」

 「……要領を得んな」


 村人達が何を焦り、困っているのかランド達には伝わらなかった。

 ユウト達孤児院の住人が本当にどこにも居ないというのなら確かに大事だ。だが、確認もせずに今日はまだ見ていないと広場で固まっている理由が分からない。


 「俺から説明する」


 すると、トムが手をあげた。


 「大分端折るが、昨日ゴートの奴が西の森でソルジャーウルフに殺された。確認したのはユウトだが、ゴートを襲ったらしいソルジャーウルフをユウトが倒して戻って来たんだ。そしたら、こっちで何か変なこと起こってないかって聞かれて、孤児院の方から狼の鳴き声みたいなのを聞いたって言ったら、すっ飛んで行っちまった」


 そこで一度言葉を切る。


 「その後は誰もユウト達を見てねぇんだ。確認しようかとも思ったんだが、まだ居るかも知れねぇから――」


 トムの声が尻すぼみに小さくなっていく。


 「確認しにいけなかったか」

 「情けねぇ話だよ……」

 「いや。判断は正しい。どうなっているか分からんが、ソルジャーウルフが待ち伏せている可能性がある。その場合、不用意に近づけば被害が増えるだけだ」

 「だけどよ……。あそこに居るのは女子供ばかりで、ユウトだってまだ……」


 トムの声は震えている。

 情けないという言葉通りの気持ちだった。

 カインはトムの判断が正しいと言ったが、それが慰めだというのは分かっていた。

 ソルジャーウルフが獲物を狩った後、同じ場所に居続ける理由は無い。もっと獲物を欲しているのならば、とうに村に姿を現し、トム達を襲っていたはずだ。それが無いのは、既に孤児院には居ないからだ。

 絶対にそうだという証拠は無いが、ほぼ間違いないだろう。

 それでも、僅かな可能性が怖くて確かめに行くことも出来なかった。


 「気持ちは分かるけど、そんなに自分を責めることじゃないわ」


 そもそも魔物というのはそういう存在なのだ。

 低ランクの魔物ですら、一般人からすれば獰猛な猛獣と同じだ。遭遇すれば殺される。それが分かっていて、怖くない者など居ない。冒険者ですら、駆け出しが初めて魔物と相対して恐怖で逃げ出した、なんてことはよく聞く話なのだ。


 「私達が確認してくるから、皆は待ってて」


 村人達にそう告げて孤児院に向かったランド達は、孤児院を視界に収めたところで思いがけない光景を目にすることになった。


 「なに、これ……」

 「ソルジャーウルフ……よね?」

 「あぁ。もれなく一撃で殺されてるな」

 「しかも、ざっと見ても十体近い」


 孤児院の周りには、ユウトが殺したソルジャーウルフの死骸がそのまま放置されていた。

 そのことを知らないランド達は、この時点で孤児院に想像できない変事が起こったものと考えた。

 四人はそれぞれ武器を抜き、戦闘態勢に移る。


 「この様子では既に事は終わっている可能性が高いが、油断するなよ」


 カインの言葉に全員が頷くと、慎重に孤児院の中に足を踏み入れた。

 中に入ると、やはりソルジャーウルフの死体が転がっている。

 それを無視して奥に進むと、居間の前に一際大きな骸がある。


 「これ……コマンダーウルフよ」

 「ソルジャーウルフが大量に居るわけだ」


 コマンダーウルフが率いる群れはソルジャーウルフのみの群れに比べて規模が大きい。過去には八十近い数の群れが出来たことがあり、Bランクの冒険者が十人ほど集まって殲滅したという記録があった。

 そこまで規模が大きいと、事実上Bランクの魔物と同等以上だ。ここに残っている死体の数は流石にそこまで多くは無いが、コマンダーウルフが率いる群れという時点で最低でもCランク以上。ランド達でも勝敗が分からないというレベルだ。


 「だけど、一体誰が……?」

 「ユウト。……なわけないよな」


 アンの疑問にランドが間髪居れずに答えたが、すぐに自ら否定した。

 トムの話ではユウトが後から向かったらしい。孤児院を襲ったコマンダーウルフ達を後から来たユウトが殺した、というのは状況的には納得できる。だが、ユウトにそれだけの実力は無い。――無い筈だ。

 飲み込みは早く将来有望ではあるが、少なくともランド達が村を離れる前の実力ではここまでのことは出来ない。

 それはランドだけではなくカイン達も共通の認識だった。


 「幾らなんでもそれは有り得ないだろう」

 「でも、ならユウト君達は……」


 これをやったのがユウトではないのなら、おそらくユウト達は既に殺されている。

 その後、何者かがコマンダーウルフ達を皆殺しにしたということだ。

 誰も何も言わなかったが、誰もがそう考えていた。

 どこか諦めを含んだ様子でランド達は居間を覗く。

 そこにはユウトをはじめ、エリス達孤児院の住人が一塊になるように集まっている。

 きっと最後まで身を寄せ合っていたのだろうと思いながら、ユウト達を悲しげな表情で見つめて――。


 「あれ……?」


 違和感に気付いてランドが声をあげる。

 同じように気付いたカインが、どこか気の抜けた表情で答える。


 「……寝ている、な」


 よく見ると、全員普通に寝ているだけだった。


 「……どうなってんだ、一体」

 「とりあえず、ユウト達を起こすぞ。事情も知っているだろうからな」


 そうしてランド達に起こされたユウト達は、既に昼近いことを知って驚いていた。




 「――で、何があったんだ?」


 ユウト達は目を覚ました後、身支度を整えてから居間に戻った。サーシャを除いた全員が揃ったところで、ランドが水を向けた。

 ちなみに、サーシャはランド達から村の人が心配していたと聞き、事情の説明に行っている。


 「何がと言われても……。コマンダーウルフが襲ってきて、撃退しました?」

 「それは見れば大体分かる。聞きたいのはその中身だ」


 カインにそう言われて、ユウトが困った顔で頭をかく。

 ユウト自身、それほどちゃんとは覚えていないのだ。

 あの時は夢中で、コマンダーウルフ共を殺してやることしか頭に無かった。

 それを察したのか、アンが聞く相手を変える。


 「エリス。貴方も見ていたのでしょ? 話してくれない?」

 「はい。正直、私も何が起こったのかは分からないんですが……。カールがコマンダーウルフの爪に裂かれて――」

 「って、そうだっ!」


 エリスが話し始めたところで急にユウトが声をあげ、視線が集まる。

 そのユウトは、カールをジッと見ている。


 「どうした?」

 「カールはコマンダーウルフにやられてたよな? 何で無事だったんだ?」

 「何故お前がそれを聞くんだ……?」


 それはむしろカイン達が聞きたいことだった。

 しかし、ユウトはカールが無事だった理由を知らない。昨晩はカールが無事だったことに安堵し、その後すぐに寝てしまったため、そのことまで頭が回っていなかった。


 「ユウトさんはそのことを知りませんから。ちゃんと話しますので、大丈夫ですよ」


 それを知っているエリスは、諭すように優しくユウトに話しかける。


 「カールが助かったのは、偏に子供だったからです。ユウトさんはカールが勢いよく弾き飛ばされたところを見たと思います。見た目は派手でしたけど、むしろそのおかげで爪が深く食い込まずに済んだんです。勿論、軽い怪我ではありませんでしたが、治癒術で治せる程度でしたから」

 「……だけど、あの時カールはピクリとも動かなかった」

 「衝撃と……それと、おそらく恐怖で、気絶していましたから」 


 ユウトは視線をカールに向ける。

 難しい話をするからということで、カール達はユウト達とは離れたところで遊んでいる。

 カールはユウトの視線に気付くことなく、テリーやエイミィと楽しそうに笑っていた。


 「そういう、ことか……」


 大人でも怯える魔物に立ち向かったのだ、怖くて当たり前だ。

 だが、それでも立ち向かったのだ。

 ――本当、俺とは大違いだ。それに、結局俺は何もしてやってない。エリスが居なければカールは……。

 ユウトが自分を責め始めたのを察したエリスが、その手を握る。


 「エリス……?」


 驚いたユウトが咄嗟にエリスを見ると、その顔はとても悲しそうだった。


 「そんな顔をしないで下さい。ユウトさんは思い違いをしています」

 「何、を……?」

 「あの時、私がカールに治癒術を使うことが出来たのは、ユウトさんがコマンダーウルフを倒してくれたからです。貴方が居なければ、カールを治すどころか私達は全員殺されていました」


 エリスは一度言葉を区切ると、ユウトを優しく見つめた。


 「間違わないで。貴方はちゃんと私達を守ってくれました」

 「――っ」


 ユウトの瞳が揺れる。

 涙が流れそうになるのをグッと堪えた。

 何も出来なかったと思っていた。兄だと、守ると大見得を切っておいて、そんな覚悟もなく、何もかもが遅くて、そんな自分が情けなかった。

 ――俺は、守れたのか……?

 最善を尽くしたとは言い難い。どうしようもなかったなんて口が裂けても言えない。

 足りないことばかりだったが、それでも失うことは免れた。そのことにほんの僅かでも役に立てたのなら、少しだけ、本当に少しだけだけど、救われた。


 「……あぁ」


 ユウトが小さく返事をしたのを耳にしたエリスが、嬉しそうに顔を綻ばせた。

 顔を俯かせたユウトの手を握ったまま、エリスがユウトを見つめる。その雰囲気は二人の世界を作り出し――。


 「コホン。良い雰囲気のところ申し訳ないんだけれど、続きを聞かせて貰って良いかしら?」


 どこか気まずそうなアンが二人の意識を引き戻す。


 「あっ、は、はい」


 我に返ったエリスが慌てて返事をする。黙ってしまったユウトもだが、その頬は赤く染まっていた。


 「えぇと、カールがコマンダーウルフの爪を受けた後、ユウトさんがコマンダーウルフやソルジャーウルフを倒していったんですけれど……」

 「けれど?」


 言葉を濁すエリスにケイトが聞き返す。

 だが、エリスはすぐには答えず、どう言うべきか迷っていた。

 すると、どの辺りから聞いていたのか、エイミィが横から入ってくる。


 「消えちゃったんだよ」

 「消えた?」

 「消えたというより、多分目に見えないほど速かったんだと思います」


 カインが不思議そうな顔をしたため、テリーが補足する。


 「そうなの?」

 「……はい。そう思います。ユウトさんが姿を消したと思ったら、コマンダーウルフを斬っていました。その直前、床を強く蹴ったような音がしましたから」

 「それにすっごい光ってたよ」

 「光って?」

 「何の光かは分かりませんが、ユウトさんが戦っている間、ずっとその体を白い光が覆っていたというか、光を纏っていたというか……」


 エリスが言葉を迷わせながら答えると、ケイトが真剣な眼差しを向けた。


 「疑うわけじゃないけど、それ誇張無し?」

 「はい」


 思いがけない問いに驚いた様子だったが、しっかりと頷いた。

 対して、ケイトは椅子に体を預けると脱力した。


 「そっかぁ……」

 「ケイト、どうしたんだ?」

 「ユウト君がどうやってコマンダーウルフとかを倒したのか。分かったよ」

 「それは?」


 ケイトの言葉を受けて、ランド達の表情が引き締まる。

 自分達ですら倒せるかわからないコマンダーウルフが率いるソルジャーウルフの群れ。それを自分達より実力が劣るはずのユウトがたった一人で壊滅させた手段はランド達にとっても興味があった。


 「“強化”だと思う」

 「“強化”? だが、あれは……」

 「うん、想像通りだよ。だけど、私もちょっと思い違いをしてたみたい」

 「あの……?」


 話が見えず、ユウトがおずおずと声をかける。


 「あぁ、ごめんごめん。ユウト君には“強化”の説明したことなかったね。“強化”っていうのは強化魔術とも呼ばれる、身体能力を向上させる技術なんだ」

 「強化、魔術……。でも俺は魔術が使えないはずじゃ?」

 「ううん。確かに魔術と付いてるけど、“強化”は魔術じゃないんだ。“探査”と同じで魔力を用いた技術の一つだよ」

 「前から不思議だったんだが、なんでそんな紛らわしい名前なんだ?」


 説明をはじめたケイトに、ランドが疑問を挟む。

 ランドも一応は魔術を使えるが、ケイトほど精通している訳ではない。特にランドは使えれば良いという感覚なので、知識面に関しては必要以上に覚えようとはしていなかった。

 中でも“強化”に関しては使用者がほぼ皆無のこともあって、全く興味が無かった。


 「何故かは私も知らないんだけどね。でも、性質上魔術じゃないのは確かだよ。ちょっとした例えだけど、魔術にとっての魔力は焚き火そのものなの。魔力が無ければ火自体が発生しない。でも、“強化”にとっての魔力は焚き火にくべる薪なんだ。身体能力っていう火自体は元からあって、そこに魔力っていう薪をくべて火を強める。魔力を事象に変換するっていう魔術の定義から外れているでしょ?」

 「なるほどな……」

 「で、話を戻すけど。そういうわけだから、ユウト君が“強化”を使えること自体はおかしくは無いんだ」

 「だが、聞く限りユウトはソルジャーウルフを殲滅する間ずっと使っていたはずだ。ざっと見積もっても五分以上、それだけの時間を使える者なんてそうは居ない」


 カインが反論を口にすると、ケイトが分かっているとばかりに頷いた。


 「うん。だからそれが私の思い違い。ユウト君の魔力量は私より多いけど、どれほど多いのかまでは分からなかったから、勝手に少し多いくらいだって思ってたんだけど」

 「分からなかったって、調べたんじゃなかったのか?」

 「調べたけど、私の調べ方だと正確に分かるのは私より多いか少ないかくらいだよ。特に多い場合は手が回りきらないというか、把握しきれないの」

 「……そうか。確かに、ケイト以上となるとそうは居ないからな。少し多いくらいと誤解しても無理は無いか」

 「すみません。話が全く見えないんですが……」


 納得したカインに対し、ユウトは逆に混乱していた。

 “強化”を使えるということと魔力量の多寡がどう関係するのか理解出来なかったからだ。

 すると、ランドが横から声をかける。


 「ユウト。お前、“強化”の効果を聞いてどう思ったよ?」

 「どうって……、単純だけど使いようによっては強力だな、と」

 「特に俺らのような前衛――戦士にとっては余計にな」


 自身の肉体で戦う戦士にとって、身体能力が高くなるというのは単純にその分だけ強くなるということだ。

 エリスやテリー達が戦闘に縁の無い一般人であることを考慮しても、人の目から消えるような動きをする相手がどれほど厄介かは言うまでも無い。


 「だが、その使い手は殆ど居ねぇ。何でだと思う?」

 「……さっきの話だと、魔力量の問題ですか?」 

 「そうだ。“強化”を使えるだけの魔力量を持つ人間がそもそも少ない。俺らの中では一番多いケイトでも“強化”を戦闘中ずっと使っていられるほどの量じゃない。それに、それほどの魔力量があるなら普通に魔術を使った方が強い」


 魔術の魔力消費量は使う魔術やその規模、威力によってある程度上下するが、それを踏まえても“強化”は魔術の数倍近く魔力を使う。

 しかも、それは“強化”の体をなす最低限でだ。

 “強化”といってもその効果は一律ではない。

 ケイトの例えではないが、薪をくべる量によって火の強さ、大きさは変わってくる。小さな火でよければ薪の量は少しで良いが、大きな火をつけようと思えば大量の薪が必要になる。しかも、火が大きくなればなるほど、小さなときよりも火を大きくするのに必要な薪の量は増える。そもそも維持するだけでも多くの薪を消費してしまう。

 “強化”はまさにそれだ。

 “強化”の出力を上げれば上げるほど、必要な魔力量は更に爆発的に増えていく。

 そのため、魔力が少なければ大した効果を見込めないため使う価値が無く、多ければ効果自体は大きいものの使える時間が著しく短くなる。

 結果、魔力量が少ない者はそもそも使えず、多い者は魔術を使った方が効率が良いという、“強化”に適した使用者が存在しない欠陥だらけの技術となった。


 「そういうわけで、普通は使う奴は居ないし、使えない……んだが」

 「うん。ユウト君は使えるみたいだね。おそらく魔力量が尋常じゃないんだと思う」

 「そういわれてもあまり実感が無いわね……」


 尋常じゃないと言われても、イメージが湧かずにアンが困った顔をする。


 「んー、そうだねぇ。あくまで私の判断だけど、大陸で五指に入ると思うよ」

 「……流石にそれは言い過ぎじゃねぇのか?」

 「実際に五指かどうかは分からないけど、それに匹敵する量なのは間違いないよ」

 「何故そう思う?」

 「さっき、カインがユウト君が“強化”を使ったのは五分って言ったよね」

 「ああ。あくまで話を聞いた限りの概算だが」

 「時間自体が問題じゃなくてさ。問題は内容。エリスが白い光って言ったけど、それ多分魔力の光だよ。本当は白銀なんだけど、純度が低かったのかな」

 「……ちょっと待って、それが事実なら――」


 アンが絶句する。

 ランドとカインもその意味に気付いて言葉を失っていた。

 ちなみに、ユウトとエリスは最早話についていけずに、不思議そうに首を傾げているだけだった。


 「そう。“強化”は体内を魔力で満たす技術だけど、体から魔力の光が漏れてたってことは、体内で消費しきれないほどの量を“強化”に使用していたってこと。それだけの量を使ってたんだもん、姿が見えなかったっていうのも納得だよ」

 「……そりゃそうだろうな」

 「しかし、それが事実なら、先の戦闘で一体どれほどの魔力を使ったんだ……?」

 「考えるのも馬鹿らしくなるくらいの量だろうね」

 「だから、五指に入るって言ったのね」


 四人の視線がユウトに集まる。

 どこか呆れたような視線を向けられ、ユウトがたじろぐ。


 「あの……」

 「まぁ、あまり気にしなくて良いわ」

 「そうだな。強くなる可能性が出来た、程度に思っておけ」

 「はあ」


 急に興味を失ったようなランド達の反応に気の抜けた返事をする。


 「ともあれ、よくやった。色々思うところもあるようだが、お前は家族を守ったんだ。胸を張れ」

 「……はい。ありがとうございます」

 「やることもあるし、俺達はこれで失礼しよう。ユウト。今日一日はゆっくり休め、鍛錬は明日から再開だ」

 「はいっ」


 そうして、ランド達は孤児院を後にした。


 「……あれで良かったのよね?」


 孤児院から十分に離れたところでアンが確認する。


 「ああ。正直予想以上、嫉妬すら浮かばないレベルの才能だ。だが――」

 「所詮は才能。磨かなきゃくすんだままだし、下手に自覚して調子に乗ってもな」

 「その辺りは大丈夫だと思うけどね」

 「念のためだ」


 ランド達は興味を失ったわけでは無い。

 これ以上騒いでユウトが思い上がるようなことになってはならないと、配慮したためだ。互いに何も言わなかったが、そうするべきだと認識を共通にしていた。


 「でも、ちょっと楽しみになってきたわね」

 「どこまで伸びるかな」

 「魔力はあっても活かせなければ意味が無いな」

 「徹底的に体に叩き込んでやらねぇとな」


 同時に、全員が自分達の弟子が持つ才能に楽しみを感じていた。


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