第30話 ソフィアの事情
それからユウトが復活するのに数分の時間がかかった。
「いきなり何するんだよ……」
「お前が悪いんだろうが。自業自得だ」
恨みがましい目をギルツに向けるが、当然の処置だとばかりの顔をされ、逆に咎めるような視線が返ってきた。
「ぐぬぅ……」
殴り倒されたのは不満だったが、暴走していた自覚があり、殴られたおかげで冷静さを取り戻したことも理解していたため強く出ることも出来ず、結局呻くような声をあげることしか出来なかった。
「ともあれ、ユウトも正気に戻ったし話を進めようぜ。嬢ちゃんにちょっと聞きたいことがあるんだが」
「嬢……えぇ、良いわ。といっても、話せないことも多いけど」
ギルツの呼び方に複雑そうな顔をしつつも、頷いた。
「あぁ、それは勿論だ。話せる範囲で構わない。……まず最初に確認しておきたいんだが、エルフが大森林に住んでいるってことと、普段大森林の外に出ないってのは間違いないのか?」
「えぇ、両方事実よ。外に出たエルフなんてここ数百年以上は数人居るかどうかくらいじゃないかしら」
ソフィアが淀みなく答えると、ユウトとギルツが顔を見合わせて頷きあった。
二人は、ソフィアが大森林の外に出てきた理由と、村の周辺に魔物が集まっていた理由に、どのような形にせよ繋がりがあることを確信した。
「なら本題だ。近頃この村の近くに魔物が異常に集まっていた。まるで大森林から離れようとしていたみたいにだ。俺達はその原因を探っていたんだが、嬢ちゃんが大森林から出てきた理由と何か関係が有るんじゃないかと考えてる。出来れば、その事情を聞きたい」
そう告げられて、ソフィアが沈黙する。
魔物が大森林から離れようとしていた原因は予想が付くし、ソフィアが出てきた理由とも繋がっている。しかし、どこまで話すべきか迷っていた。
村は今戦える者が殆どいない。そのことは例え誰であっても漏らすわけにはいかない。だが、ソフィアが大森林から出てきた理由を説明するには、どうやっても村人が毒に侵されていることを話す必要がある。
迷った末に、ソフィアは少しだけユウト達を信じることにした。
「私の村に魔物が現れたの。私達も見たことが無い異形の魔物。おそらくだけど、貴方達の言っている魔物達はその異形の魔物を恐れて逃げようとしていたのだと思うわ。私が出てきたのは、その異形の魔物と戦った村の仲間が毒に苦しんでいるから、その解毒薬の材料を手に入れるためよ」
戦える村人の殆どが毒を受けているという点だけを隠して、全てを答えた。話を聞いたユウトとギルツは表情を硬くしていた。
「……そうだったか。異常な魔物が出たから逃げてきたというのなら、魔物の行動としては理解できる。ちなみに、解毒薬の材料っていうのは何だ? なんなら俺達が手に入れてくるが」
「……」
エルフのソフィアには難しいが、ギルツ達なら解毒薬の材料や場合によっては解毒薬自体も買うことが出来る。そう考えての提案だったが、ソフィアの表情は暗かった。それに気付いたユウトが、ソフィアに声をかけた。
「……どうしたんだ?」
「気を使ってくれてありがとう。でも無理だと思うわ。私が探しているのは始原の花なの」
「始原の花?」
「……っ!?」
疑問の表情を浮かべたユウトとは対照的にギルツの表情が驚愕に染まる。
「……正気か?」
「……えぇ」
搾り出すようなギルツの声に、ソフィアは僅かな沈黙の後に答えた。事情を飲み込めないユウトが二人に疑問を投げかける。
「どういうことだ? 始原の花ってのはそんなに珍しいのか?」
「珍しい……ってのも確かだが、この場合問題はそこじゃない。始原の花ってのは、ウェントーリ大山脈のだけ生息する万能薬の材料だ。あらゆる毒や病に効くと言われているが、大山脈は竜の棲む地。足を踏み入れて無事に戻れる者は居ない」
「……王都とかで何とか手に入らないのか?」
ユウトも竜が人の手に負える相手でないことは知っている。同時にソフィアがしようとしていることの無謀さも理解出来た。
「言っただろ、大山脈だけに生息するって。採りに行こうとする奴なんて居ないし、行って戻って来れる奴も居ない。製法だけ残っている幻の薬だ」
ギルツはそう答えたが、実際には少しだけ間違っている。採りに行こうとする者が居ないのは確かだが、行って戻ってこれる者はごく僅かの可能性ではあるが、居る。
竜が棲む山とは言っても、あらゆる場所に常に竜が居るわけではない。運がよければ、竜に見つからずに出てくることは出来る。でなければ、始原の花のことが知られている筈が無い。
もっとも、実際に見つかることなく目的を達して山を降りれる可能性は極めて低かった。
「……そうね。でも、行かなきゃ。家族を助けたいの」
「家族が……やられたのか?」
家族という言葉にユウトの表情が険しくなる。
「家族といっても血の繋がりがあるわけじゃないわ。でも、小さな村だから、皆家族のようなものなの」
対してソフィアは穏やかに微笑んだ。
「……そう、か」
搾り出すように出されたユウトの声には、様々な感情が混じっていた。
――家族のため。だけど……
自分の内側に思考を向け始めたところで、ギルツの声に引き戻された。
「って、おい。ちょっと待て。まだ動くな」
「あまり時間がないの。ゆっくりしていられないわ。……きゃっ」
ベッドから立ち上がろうとしたソフィアがバランスを崩して倒れ込んだ。
「っとと」
ユウトがソフィアの肩に手を添えるようにして受け止めた。
「ご、ごめんなさい。ありがとう、ユウト」
見蕩れそうな柔らかな笑みを浮かべたソフィアの顔を、ユウトは見ていなかった。
――こんなに細い肩で、たった一人……
そんなソフィアの決意が眩しくて、悲しかった。
もし自分がエリス達――孤児院の家族のために命を懸けたら、皆は喜ぶだろうか。孤児院がコマンダーウルフに襲われ、カールが皆を守って傷ついて死んだと思ったあの時、ユウトはカールを誇らしく思ったが、それ以上に悲しくて、カールを襲った魔物が憎かった。
同じ思いをソフィアの家族がするのも、ソフィアがそれと知らずにしてしまうのも、ユウトにはやるせなかった。
しかし、家族を助けたいというソフィアの気持ちを否定することも出来なかった。
「魔物にやられたのを忘れたのか? いくら急いでるっても、その状態で外に出れば魔物の餌になるだけだぞ」
ギルツも思うところがあるのだろう。ユウトほど動揺を見せてはいないが、その言葉の端に戸惑いが見える。
「悔しいけど、その通りね……」
ギルツの言葉を額面通りに受け取ったのか、ソフィアがそう言ってベッドに戻る。ギルツはベッドに戻ったソフィアを複雑そうな目で見ていた。
「あっ……ごめんなさい」
唐突に呟くように謝ったソフィアに、二人の視線が向いた。何故急に謝罪されたのか分からず、問うような視線になる。
「一番最初に言うべきことを忘れていたわ。ユウト、ギルツ、危ないところを助けてくれてありがとう。……無事に戻れたら、何かお礼をさせて」
そう儚げに微笑んだ。
――死は覚悟の上、か。だけど一人じゃ無理だ。
ソフィアはマンティアントに一方的に追われていた。すなわち、ソフィアの実力はBランクの魔物と状況次第で戦える、という程度のものだということになる。ウェントーリ大山脈は人が足を踏み入れない地だということは、高ランクの魔物が多く生息している可能性が高い。竜に出会う出会わない以前に、普通の魔物相手でも苦戦は必至だろう。
そして、それはソフィアも理解している。それでもなお引けないのなら、ユウトにはソフィアを放っておくことは出来なかった。
「……ギルツ」
「ん? あぁ、そのうち言い出すだろうと思ってた。……だが分かってるのか? 相手は竜だぞ」
先程までと明らかに違った真剣な声音に、ギルツはユウトの言いたいことを正確に察した上で、そう言った。
「分かってるさ。別に戦わなきゃいけないと決まったわけでもない」
「それは流石に楽観的過ぎないか?」
「反対か?」
「反対だ。……と言いたいところだが、言って聞くお前じゃないだろ。好きにやれ、背中は守ってやる」
二人して苦笑しながら肩を竦める。
放っておけないからと命がけの旅に同行しようとするユウトも、なんだかんだ言いながらそれについて行こうとするギルツも、どっちもどっちだ。どっちも等しく馬鹿げたことをしようとしている。そう思うと、苦笑を漏らさずにはいられなかった。
「ソフィア。俺達も一緒に行くよ」
「……へ?」
何を言われたのか分からず、間抜けた声が口から漏れた。ジワジワと理解が進むにつれ、表情が驚愕に染まっていった。
「ちょ、ちょっと待って。正気なの?」
「人のこと言えないだろ」
「いえ、それはそうかもしれないけど……」
ギルツの冷静な突っ込みにたじろいだソフィアだが、すぐに気を取り直す。
「って、そうじゃないわ。私達はさっき会ったばかりの他人よ?」
「寂しいこと言うなよ。友達だろ?」
「お前の中だけだろうがな」
「余計なこと言うなよ、ギルツ」
「へいへい」
どちらの味方なのか、ギルツが両方に茶々を入れて、ユウトに睨まれる。
「友達って、だけど……」
友達だと言って貰えるのは嬉しい。しかし、そうだというのなら、尚更ついて来て欲しくない。むざむざ友人を死地に連れて行くことは出来ない。それがソフィアの本心だ。だが、目の前の少年がそれを素直に聞いてくれるとは思えなかった。
「気持ちは分かるから、俺にはソフィアを止められない。でも、死なせたくもないんだ」
真っ直ぐなユウトの視線を受けて、赤く染まった頬を隠すように微かに俯いた。そのままポツリとこぼす。
「死ぬかも知れないわ」
「誰も死なせないためについて行くんだ」
「諦めろ。もう何を言っても聞かないぞ、ユウトは」
最早止める気が無いギルツは、のうのうとしている。その態度が不満だったソフィアが矛先をギルツに向ける。
「貴方も止めたらどうなの? 危険だってことは、貴方の方が良く分かってるでしょ」
「分かっちゃいるが、今言った通りだ。もう聞かんよ、ソイツは。まぁ、俺としてもこのまま送り出すのは気分が悪かったし。相棒の頼みだ、手を貸すのが男ってもんだろ」
そう言いながら、笑うギルツに悲壮感は無い。生きて戻れると確信しているような表情に、ソフィアが不思議そうに首を傾げた。
「何で、そんなに平然としていられるの? 無事に戻れる可能性なんて殆ど無いのに……」
「特に根拠は無いんだが、何となくどうにかなりそうな気がするんだ。それに、自分で決めたことだ。どんな結果になろうと後悔は無い」
清々しさすら感じるギルツの言葉とは対照的に、ソフィアが表情を暗くする。
「……何も返せないわ」
「別にいらな……あ、じゃあ是非お友達に」
見返りは要らないと言おうとして、唐突に手の平を返す。そんなユウトの様子に、ようやくソフィアが柔らかな表情を浮かべた。
「私達はもう友達なんでしょ?」
「なら、余計に要らないさ。友達は助け合うもんだろ」
我が意を得たりと、ユウトが笑みを深くする。
「……ありがとう、ユウト、ギルツ。初めて会った人間が貴方達で本当に良かった」
そう言いながらソフィアが浮かべた微笑みは、今まで見たどんな笑顔よりも美しかった。




