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第2話 冒険者を目指して

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 「――っ!」


 誰かが呼んでいる。

 周りは廃墟ばかりで、ところどころには炎が立ち昇っている。どこを見ても人影すらないのに、その声だけはずっと聞こえている。

 

 「誰だ? 何を言っている?」

 「――っ、――!」


 何を言っているか分からないが、声の様子がどんどん苦しげになっていく。

 ユウトは何とか聞き取ろうと耳を澄ます。すると、少しずつだが、聞き取れるようになっていった。


 「助――っ、――ない!」


 それは、苦悶の声だった。どうにかしたくて、しかし、どうにもできなくて、ただ助けを求めるだけしか出来ない。その声からはそんな衣装を受けた。

 ――この声、どこかで……?

 その声にはどこか聞き覚えがあった。それをどこで聞いたのか、思い出そうと意識を集中する。

 そうしていると、唐突に声が聞こえなくなった。


 「っ!?」


 直後、ぞわっと身の毛がよだつ。

 足元から何かが這い上がってくるような感覚を覚え、それを振りほどこうとする。

 しかし、体が動かなかった。思い返してみれば、さっきから意識ははっきりしているのに、体の感覚は無かった。だが、おぞましい何かが這い上がってくるような感覚だけは依然として残っている。

 それが何かは分からず、見ることも出来ないが、気持ちの悪い何かが体を這いずるように登って来るということだけは分かる。

 その感覚に必死に耐えていると、胸の辺りで動きが止まった。

 そして――


 「思い出せ、忘れるな。この光景こそが、貴様の本質だ」


 頭を出した人の形をしたナニカが、嘲笑うような笑みを浮かべてそう言った。




 そこで、ユウトは目を覚ました。


 「はぁっはぁっ……何だ、今の。……夢、だよな?」


 目を覚ましたユウトは、自分がなんとも無いことを確認してホッとする。

 同時に、全身にジットリと汗をかいていることに気付いた。ブルっと体が震える。汗をかいた体が朝の涼しさで震えたから――ではない。今しがた見た夢を思い出したからだ。眼前に現れたナニカは何とも形容できない存在だったが、本能的な恐怖と嫌悪感を感じさせた。

 だが、あの夢はそれと同時にユウトに感じさせるものがあった。

 焦燥感だ。

 あの夢は視覚的には気分が悪くなるものしか無かったが、聴覚的――途中までユウトに届いていた苦悶の声は、どこか聞き覚えのあるもので、不思議と落ち着く声だった。あの声は助けを求めていた。誰でもない、ユウトにだ。

 それが分かるだけに、自分が何かをしなければならないと、そんな焦燥感をユウトに残していた。


 「くそっ、気分悪ぃ……」


 嫌な物を見たという気分の悪さに、何かしなければならないのに何をすれば良いか分からないという気分の悪さ。二つの意味で気分は最悪だった。

 前者はとっとと忘れれば良い、しかし、後者は時間をかけてもきっと無くならない。なら、するべきことは一つだ。

 ――早く思い出さないと。

 声の主が誰なのか、何故助けを求めているのか、おそらくそれは忘れている過去に関係しているはずだから。

 そう心に決めて、顔でも洗ってスッキリしようと部屋を出る。

 洗面所近くまで行くと、エリスが居た。


 「おはようございます」


 背を向けているエリスに声をかける。するとエリスが振り向いて、驚いた


 「ユウトさん、おはようござ――って大丈夫ですか?」

 「え?」

 「顔色、とても悪いですよ。眠れなかったんですか?」


 心配そうに顔を覗き込むエリスから視線を逸らす。

 何となく、目を合わせるとエリスが何もかもを察してしまうような気がしたからだ。悪夢を見て顔色が悪くなるなんて、小さな子供みたいで恥ずかしかった。

 

 「えぇと。まぁ、そんなところです……」

 「そうですか。今日はお手伝いはいいですから、寝ていて下さい」

 「いえ、そういうわけにはいきません」


 ユウトが気合を入れるような仕草をする。

 ――これは……言っても聞いてくれそうに無いですね。

 ユウトは変に律儀というか頑固なところがあった。無理に言い聞かせようとしても逆効果になりかねないと思ったエリスは、出来るだけ自分が注意をしておこうと決めた。

 

 「……では、せめて量は減らして下さい。それで、出来るだけ体を休めて下さいね」


 結論から言って、エリスの危惧は現実になる。

 朝からずっとユウトの様子はおかしいままだった。何をしていても身が入っておらず、何度か怪我をしそうな場面もあって、その度に気をつけていたエリスがフォローしていた。

 それは同時にエリスがずっとユウトのことを見ていたということで、そのうちにエリスはユウトの不調がただ体調が悪いだけでは無いと気がついていた。

 ――どうしたのかしら……? 考え事? それにしては深刻そうな……。

 心配になったが、おそらく直接聞いても答えてはくれないだろうと察していた。

 なので、エリスは頼りになりそうな年長者に助けを求めることにした。




 今、エリスの部屋にはエリスを除いて二人の女性が居る。


 「――で、私達?」

 「はい。お願いします」

 「でも何で私達なの? 院長さんでも――というか、院長さんの方が適任だと思うわよ?」 


 一人はアンで、もう一人はケイトだ。


 「ユウトさんの場合、少し特殊ですから。見識の広いお二人の方が適任かと。それにその……年が近い年上の女性とはあまり接点が無かったので、色々お聞きしたいなと思いまして」


 この村には若者が少ない。元々人口も少ないのだが、丁度エリスくらいの年代は子供が少なかった。

 そのため、エリスは少し年上の同性ではアンとケイトくらいしか知らなかった。また、生まれてから一度もこの村から出たことの無いエリスは、各地を動き回る冒険者がどんな物を見てきたのか興味があった。

 勿論、本題はユウトの変調についてなのだが、これが切っ掛けになれば、という位の含みはあった。


 「ん。そういうことなら」

 「そうね。私達は一向に構わないわよ。私達としてもエリスとはもっと仲良くなりたいと思ってたし」

 「だね。どうすればこんな可愛くて純粋な子が育つのか、ずっと不思議だったんだ」


 女三人寄れば姦しいとは良く言ったもので、キャイキャイと楽しそうに会話が弾む。

 そして、本題に入った。


 「ユウトがねぇ……。正直ずっと見ていたエリスに分からないなら、私達にも分からないわ」

 「私達はユウト君とそれほど話もしてないし、当然近くにいたわけでも無いからねぇ」

 「そうですか……」


 残念そうに肩を落としたエリスに、アンが更に言葉をかける。


 「ただ……、そうね。あくまで推測に過ぎないけれど、あの子の状況で上の空になるまで気にかかることがあるとしたら、やっぱり記憶に関してじゃないかしら?」

 「記憶……、何か思い出したとかでしょうか?」

 「思い出したか、思い出すまではいってないけど何か引っかかってるとか……」

 「これ以上は直接聞かないと何とも言えないねぇ」

 「はい……。ありがとうございます」

 「どういたしまして。これでも年長者だし、いつでも相談くらいなら乗るわよ」

 「それにしても、随分ユウト君のこと気にかけてるんだね」

 「え? えぇ、同じ孤児院で生活してるわけですから」


 エリスが答えると、アンとケイトが顔を寄せてコソコソと内緒話を始めた。


 「アン、どう思う?」

 「嘘って感じじゃないけど、私もユウトを特別気にかけてるように見えるわ」

 「もしかして、アレかな?」

 「アレな気がするわね。エリス自身が純粋すぎて理解できてないんじゃない?」

 「今まで碌な相手に会って無いってことだね」

 「……それ、ランドも含まれてるってこと忘れてない?」


 さらりと毒を吐いたケイトにアンが呆れたような顔をする。それが不満だったのか、ケイトがむくれる。


 「えー、ちゃんと覚えてるよ?」

 「それはそれで酷いわね、あんた」

 「じゃあ、ちょっと揺さぶりをかけてみようか」


 天然なのかわざとなのか、毒を吐くだけ吐いてランドに関しては興味を失ったケイトがはしゃぐ。呆れていたアンも、やはりケイトと同類だ。悪戯を楽しもうとする一面が顔を出す。


 「そうね。エリスがどんな反応をするか、ちょっと見てみたいわ」


 嬉々としてケイトの案に乗っかった。

 そうして二人が同時にエリスを見る。


 「どうかしましたか?」


 二人の内緒話を大人しく見ていたエリスが、急に振り向いた二人に不思議そうな顔を向ける。

 しかし、二人はほぼ同時に「なんでもない」と首を振る。そして、話を戻す。


 「確かに、同じところに住んでいるんだから心配にもなるよね」

 「なら、エリスはユウトを特別に思っているわけじゃないのね?」

 「え、えぇ。そう……です」


 迷い気味にだが、否定した。

 それを確かめると、二人が引っかかったとばかりに密かに笑みを浮かべる。


 「良かったぁ。私、ユウト君可愛いなぁって思ってたんだ」

 「え?」

 「あら、ケイトもなの? 私もそう思ってたのよ」

 「え……え?」

 「年下だけど真面目そうだし、悪くない相手だよね」

 「そうね。甘えて貰うのも良さそうだし、案外成長したら、頼りがいのある男になりそうな気もするわ」


 戸惑っているエリスそっちのけで、二人はユウトを褒める。

 全くの嘘という訳ではないが、当然本心なはずも無い。ユウトに対する好感こそあるが、特別な物ではなく単に人としての好感だ。

 少々わざとらしさが目立つが、相手が純真なエリスならこれくらい露骨でもばれないし、むしろ露骨な方が伝わるだろうと踏んだ。それは確かに正しかった。――しかし、ある意味では大きく間違えた。


 「あ、そうだ。何なら一緒にユウト君を――」

 「ん? ケイトどうかし――」


 二人はエリスから放たれている強烈な威圧感に気付き、凍りついたように動きを止めた。


 「あら、どうかしましたか? そんなにジッと見て」


 数秒の後に、二人はエリスの声で我に返る。


 「……はっ!? い、いえ。何でもありません」

 「そうですか? なら、お話を続けて下さい」

 「いえ、その……今のはちょっとした冗談と言いますか……」


 冷や汗を流しながら、二人がしどろもどろに弁明を始める。我に返ったとはいえ、敬語になっている辺りは間違いなく今も尾を引いていた。

 ほんの数秒だったが、確かに二人は息が詰まりそうな威圧感を感じ取った。

 今はそれも霧散しており、当のエリスは普段通りなのだが、むしろあれだけの威圧感を放った後に普段通りでいられる(・・・・・・・・・)エリスに怯えていた。

 弁明を重ねて、ようやく冗談だったと本気で信じて貰えた二人が再び小さな声で言葉を交わす。


 「ちょっと、今の本気でやばくなかった!?」

 「死ぬかと思ったよ……」


 思い出すと今でも体が震える。

 冒険者をやっていて、ここまで死を感じたのは初めてかもしれない。


 「ユウトをだしにしてエリスをからかうのは止めましょう」

 「心底同意。でも、これってさ」

 「えぇ、ほぼ間違いないでしょうね。本人はやっぱり気付いてないみたいだけど」

 「だよね……、エリスって意外と嫉妬深いみたい」

 「初めての経験で加減が分からないって感じもするけどね」

 「それにしても、ランドは哀れだね。まぁでも、ヘタレだったから仕方ないね」

 「……あんた、本当にさらっと毒吐くわよね」


 話が終わった頃には、強敵との激戦を終えたときのような重度の疲労感が二人の体に重く圧し掛かっていた。




 女性陣がエリスの部屋で話をしている間、男性陣もまた話をしていた。


 「で、相談って何だ?」


 話を持ちかけたのはユウトだ。アンやケイトと一緒に様子を見に来ていたランドとカインを捕まえ、相談があると言って時間をとって貰った。


 「前に、東の島国に俺と同じ黒髪の人が住んでいるって仰ってましたよね。そこに行くにはどうすれば良いか、お聞きしたいんです」

 「……何か思い出したのか?」

 「いえ……でも、思い出したいんです。俺と同じ黒髪の人が居るっていうなら、そこが俺の故郷という可能性が高いですから」

 「確かに。大陸の人間に黒髪は居ない。お前がハーフか何かでなければ、そこが故郷という可能性は十分あるな。しかし、それを聞くということは、この国――いや、四大国の情勢は知っているのだな」

 「はい。エリスさんに教えてもらいました。国の行き来を禁止してるんですよね。ですが、東に行くにはバイセルを通る必要があります」

 「それで、先程の質問か」

 「はい。国境を越える手段はありませんか?」


 現在四大国の仲は悪く、互いに行き来を禁止している。かの島国はアルシールからバイセルを通り、更に東に行く必要がある。

 ユウトが朝から考えていたのは、国境を越える手段であり、その島国へ行く方法だ。

 朝、目を覚ました時からユウトはどうすれば記憶を取り戻せるかを考え始めた。断片的な知識を時折思い出すことはあっても、今のところ自身の素性に関することはまるで思い出せていない。

 これという手掛かりが無い中で、唯一の物がこの大陸では珍しい黒髪黒目だった。

 同じ黒髪の人間が住む島国。

 そこが故郷と決まったわけではないが、もしそうであれば何か思い出すかもしれない。――であれば、行くべきだろう。

 だが、そこで先の問題が出てきたため二人に相談した。まだ知らないことの方が多いユウトには思いつかなくとも、冒険者の二人なら何か良い手を知っているかもしれない。そう考えたからだ。

 

 「そうだな……成否の可能性を考慮しなければ、幾つかある。――が、一番可能性が高いのは冒険者になることだ」


 正規の手段で国境を越える場合、その両国の許可が必要になる。

 ユウトが東の島国へ行く場合、アルシールでは貴族や王族から、バイセルでは議会から、その両方の承認を得て、初めてその国境を越えられるのだ。しかし、それは現実的ではない。

 昔は兎も角、両国の関係が悪くなっている現在では、他国にそれを願い出ることも出来ないのだ。元々それが出来るだけのパイプを持ってでも居ない限り、現状承認を求めることすら出来ない。当然、ユウトにそんなものは無い。

 だが、その例外が冒険者だ。

 そもそも冒険者とはギルドに属し、ギルドが仲介した依頼を受け、それを達成することで報酬を得る者達を指す。ギルドは四大国建国時から存在しており、基本的に国の干渉を受けない独自の機関だ。そして、そこに所属する冒険者も同様に国からの干渉を受けないことになっている。

 これは下手に圧力をかけてギルドや冒険者の反感を買い、国を出て行かれると困るからだ。

 ギルド――冒険者は国の手が回りきらない魔物の討伐などを行なっている。それがなくなると、当然手が回らない範囲で犠牲者が増える。それは民が国への不信感を募らせることに繋がる。それはいずれ国を滅ぼす要因だ。

 それ故に、どの国もギルドへの不干渉を貫いていた。

 ギルドは国を越えて連携を取っていることもあって、時には他国に居る有力な冒険者を呼び寄せることもある。そういった場合のことも含めて、ギルドには独自に国境を越える許可を出す権限が認められていた。

 もっとも、誰にでも自由に与えられる訳ではない。

 その許可を受けた冒険者が各国の利益に反すること――例えばスパイ行為などをした場合には、ギルドからその国に多額の賠償をすることになっている。そのため、ギルドが許可を与えるのは強い信頼を置いている冒険者だけになる。


 「強い信頼……ですか?」

 「そうだ。ギルドからの信頼を受けた冒険者は、許可を得て国境を越えることが出来る。しかし、そのためには最低でもBランクに上がる必要がある」


 冒険者にはFからAランクまであり、Bは上から二番目だ。成人してから今まで十年近く冒険者をしているランド達ですら現在Cランク。Bランクに上がれる冒険者はそう多くない。

 しかし、現状ユウトが国境を越える手段としては唯一可能性がある手段だと言って良かった。


 「どうする?」

 「一つ、厚かましいのを承知でお願いしたいことがあります」

 「……何だ?」


 カインにはユウトが何を言いたいのか予想がついた。

 ユウトの瞳から先程まで微かに覗かせていた迷いが消えていたからだ。


 「俺に冒険者になるための知識や技術を教えて貰えませんか?」


 ――やはり、そうなるか……。 

 今度はカインが迷いを見せる。

 カイン自身修行中の身であり、まだまだ力不足だと思っている。そんな状態で弟子をとるような真似をして良いのか、決心がつかなかった。


 「良いんじゃねぇか?」

 「ランド……?」

 「俺達が教えなくても、いずれこいつは冒険者になるんだ。なら何も知らずに冒険者になるよりは、少しでも鍛えてやった方がマシじゃねぇか」


 カインの不安はランドにも理解出来た。要するに、未熟な自分達が中途半端に教えて良いのか、ということだ。

 確かに変な癖や間違った教えをしてしまう恐れはあり、それは成長を阻害することになる。だが、その心配は成長するだけの猶予が有ればの話だ。

 冒険者の依頼の殆どは魔物と戦うことが前提になる。何も知らないままに魔物と戦えば、それこそ初戦で命を落とすことになりかねない。実際、そうやって死んでしまう若手が一定数居るのも事実だった。


 「そう……だな。だが、やるなら徹底的にやる。少なくとも俺達が出来る範囲のことは全て叩き込む。良いな?」

 「はい。お願いします」


 ユウトは感謝を込めて深く頭を下げた。




 鍛錬は翌日の早朝から始まった。


 「ペースを落とすなよ。足を止めたら死ぬと思え」

 「はい……っ」


 ランドとユウトは村の外周を走っている。

 ペースとしては全速力の七割程度だが、それを常に維持しながら三十分ほど走り続けると、ユウトのペースが明らかに落ちた。そこでランドが止める。


 「よし。足を止めて良いぞ。今お前が走っていた時間の半分が、お前が戦っていられる限界時間ってところだ。もっとも、相手によっちゃもっと短くなるけどな」


 ゼェゼェと息を荒くしながらユウトがランドの言葉に耳を傾ける。声を出す余裕が無いのか、首を縦に振って返事をする。


 「こうして単に走っているのと違って戦闘になりゃあ動きは激しくなるし、走るだけじゃなく全身を使う。その上、命がかかっているっていう緊張感もある。半分ってのはかなり甘く見積もってだ。相手が格上だったり複数だったりすれば、どんどん短くなる。分かっていると思うが、現状じゃ魔物を相手にするなら話にならねぇぞ」


 ――とはいえ、思っていたよりはずっと体力があるな。鍛えていた……という感じじゃないが。

 鍛えていない一般人であれば、もっと早くギブアップしていたはずだ。だが、ユウトの動きや筋肉の付き方から、戦うための鍛錬をしていたということは無いと判断していた。

 冒険者をする以上、魔物と戦うことは避けられない。そして、戦うためには、何より体力は不可欠だ。

 魔物との戦闘は、開始の合図がある一対一の試合とは訳が違う。町中でも無い限りはいつ、どこで襲われるか分からず、魔物が一体か複数かも分からない。その上、それ一回とは限らず、何度戦うのかも決まっていない。

 体力の多寡は直接の戦闘力には影響しない。しかし、どんなに高い戦闘力を持っていても発揮できなければ意味が無いのだ。

 魔物と戦う際に万全な状態とは限らない以上、一定以上の戦闘力をある程度――理想を言えば常に発揮し続けられることが冒険者には求められる。

 そのための条件は多々あるが、何にしてもまず体力が必要だった。


 「少しは息が整ったな。なら次は素振りだ。上から下への振り降ろしだけで良い。俺が止めるまで続けろ」

 「はいっ」


 ランドから鉄製の剣を受け取り、素振りを始める。

 疲れている時にこそ動けなければ意味が無い。それと同時に、疲れている時の方が体に余計な力が入らず無駄の無い動きになりやすい。まだ剣を握りなれていないユウトの体に、適切な剣の振り方を覚えさせるには丁度良かった。

 何度もランドから注意を受けながら、その度に調整して素振りを続ける。

 百の大台に乗ったくらいで剣を振り下ろす軌道が乱れ始めたため、すかさずランドが止める。


 「止め。朝はここまでだ」

 「は、い……」


 ユウトの返事に力が無い。剣を持つ手はプルプルと震えて、今にも剣を落としそうになっている。


 「その剣は貸しておく。別に自分で素振りをしたりする必要は無ぇけど、剣を持つということに少しでも慣れておけ」

 「ありがとう、ございました」


 そうして早朝鍛錬の第一回目が終わった。 

 鍛錬が終わった頃には丁度朝食の時間になっており、エリスの作った朝食をありがたく頂いてから、今までと同じように家事の手伝いをする。そうは言っても、ユウトの手伝うことは元々そう多くはない。

 サーシャに代わって家事を一手に引き受けているエリスが優秀なのと、カール達も出来る範囲で手伝っているからだ。そもそもユウトが来るまではエリス達だけで全部やっていたのだから当然と言えば当然だった。

 昼前にはユウトの出来ることは終わっており、カインを待って次のメニューに入る。

 次のメニューといっても、今度は鍛錬ではなく冒険者講座――すなわち勉強だ。冒険者にとって必要な知識をユウトに教え込もうという趣旨のものだった。


 「ランドなどはただ鍛えれば良いと言うが、俺はそうは思わない。己を鍛えることは必須だが、それと同じくらい知識や情報が重要だ。相手のことを知っていれば、それに合わせて準備を整え、策を立て、弱点を突くことが出来る。実力が足りなくても他で補えれば、当然生き残る可能性が高くなる」

 「彼を知り己を知れば百戦殆からず、と言うことですか」

 「聞いたことの無い言葉だな。お前の故郷の物か?」

 「……おそらく?」

 「ふむ。それで、どういう意味なんだ?」

 「えぇと。相手のことも自分のこともきちんと把握していれば、百回戦っても負けない、というような意味です」


 ユウトがおぼろげな記憶から答えると、カインが感じ入ったような表情を浮かべた。


 「なるほど。良い言葉だ、俺も覚えておこう。まぁ、そういう訳で、お前には主に魔物のことと役立ちそうな野草の類について覚えて貰う。その前に魔物とは何か、分かるか?」

 「人を襲うこともある凶暴な生物としか」

 「普通に生きている分にはそれだけで十分だが、冒険者はもう少し知っておいた方が良いな」


 そう言って、カインが説明を始める。


 「魔物がどんな生き物なのか。実のところ正確には分かっていないのが現状だ。だが、魔物は魔素を吸収する性質を持っているため、魔素から生まれたとも、魔素で生物が変質したものとも言われている。……ところで、魔素については知っているか?」


 ユウトが首を横に振ったのを確認すると、カインが小さく頷く。


 「魔素というのは、空気中に漂う魔力のことだ。魔力は生き物が体内に持つエネルギーのようなものとでも覚えておけば良い。実際は魔素と魔力は少し異なるのだが、詳しいことはそのうちケイトが教えるだろう。話を戻すぞ――」


 魔物はその強さや厄介さなどによってEからAランクに分けられているが、一般的に上のランクほど体内に取り込んだ魔素の量が多い。そのため、魔素を取り込むことによって魔物が強くなると考えられていた。

 魔物は本来、人里から離れたところを好む。それは人里離れた場所の方が魔素が濃いからだ。逆に人里を嫌い、あまり近寄ろうとしないのは魔素が薄いというだけでなく、人間が時に魔物を上回る力を発揮することを理解しているからだろう。

 しかし、当然好みの場所は競争率が激しく、強い魔物ほど勝ち残る。結果、人里から近いほど魔物が弱く、遠いほど強くなる傾向にあった


 「大体そんなところか……。それと、お前はこれから魔物に対する知識を蓄え、体を鍛えることになるが、どれほど強くなろうとも魔物を侮り、自分の方が強いなどと思い上がることだけは無いように注意しろ。若い冒険者に間々あることなのだが、低ランクの魔物を運良く簡単に倒したりすると、魔物なんてこの程度だと勘違いする。その結果、油断して殺される。そんなことの無いよう、注意するんだ」

 「はい」


 しっかりとユウトが頷くと、カインが満足そうな表情を浮かべた。


 「では、これから魔物ごとの姿形やランク、特徴を覚えて貰う。運よくここには姿絵つきの資料もある。数も少ないから全部覚えるように。最初の魔物は――」 


 こうして夕方までカインの講義が行なわれた。そして、夕方になると再びランドとの鍛錬だ。

 朝と同じように村の外周を走り、それが終わると素振りを行なう。夕方はそれに加えて、素振りではつかない部分の筋肉をつけるためのトレーニングが追加されていた。

 夕方の鍛錬が終わると、今にも倒れそうなほどヘトヘトになっていた。


 「すみません。先に、寝ます……」

 「あ、はい。おやすみなさい」

 「おやすみ、なさい」


 夕飯を食べ、後片付けを手伝い終わったところで、ユウトは限界だった。

 ふらふらとした足取りで自分の部屋に向かっていった。


 「大丈夫かしら。とても疲れているようだけど……」

 「何かランドにー……ランドさん達と鍛錬してるらしいよ」


 カールがにーちゃんと言おうとして、エリスの視線に気付いて言い直す。


 「鍛錬……?」

 「冒険者になろうと思っているそうですよ」


 首を傾げたエリスにサーシャが答える。

 ユウトがランド達に指導を頼んだ直後、カインはユウトを伴ってサーシャにそのことを告げていた。現在サーシャがユウトの身元引受人だ。本人が望んだとは言え、サーシャに何も無しでは良くないと気を回したからだ。

 しかし、聞いていなかったエリスはショックを受けたように表情を暗くした。


 「そう、ですか……。すみません、私も先に休みます」

 「……えぇ。おやすみなさい」

 「おやすみなさい」


 小さい声で呟くと、エリスも自室に戻っていった。

 エリスを見送ったエイミィが悲しそうな顔でサーシャの服の裾を引く。


 「エリスお姉ちゃん、どうしたの?」

 「そうね……。きっと、悲しいことを思い出したから……かもしれないわ」


 そう言ったサーシャ自身の表情も、どこか悲しそうだった。




 「はぁ……」


 自室に戻ったエリスが扉を閉めてから溜め息を吐いた。

 ――何故こんな気持ちになるんだろう……。

 ユウトが冒険者になると聞いて、胸が締め付けられるような痛みを感じた。

 自問して、そして、すぐに自分なりの答えを出した。

 ――ユウトさんにお父さんやお母さんみたいになって欲しくないんだ。

 エリスの両親は、エリスが子供の頃に魔物に殺されている。

 ユウトが冒険者になれば当然魔物と戦う機会が多くなる。それは同時に魔物に殺される危険が増えるということだ。

 勿論、村に居たからといって絶対に無事だという保証は無い。しかし、その可能性は極めて低い。実際、この村の住人が魔物に襲われたのは、ここ数十年の間でエリスの両親の一件だけだった。

 もし自分の知らないところでユウトが亡くなったらと考えると、気分が重くなる。

 ――止める……? でも、私にそんな権利は無いわ。それに……。

 ユウトが冒険者になろうとしているのは、故郷かもしれない島国に向かうためだということはエリスにも想像はついていた。その上でユウトを止めるということは、記憶が戻る可能性を一つ潰させるということだ。

 エリスにはそれをするだけの理由も根拠も持ち合わせてはいなかった。

 止めたくても止められないことが、エリスを陰鬱とさせる。

 しかし、エリスの気分が塞ぎこんでいるのは、それだけが理由ではなかった。もっとも、エリス自身はそのことに気付いてはいなかった。




 次の日から、エリスの様子がおかしくなった。

 普段は姉としての自覚からか、エリスは殆ど暗い表情を見せない。しかし、その日から時折暗い表情を見せるようになり、その頻度が徐々に増えるようになった。

 それを見かねたサーシャがエリスに声を掛けた。


 「エリス。大丈夫?」

 「院長先生? 何がですか?」

 「最近、ずっと元気が無いようだけれど……」

 「そんなことは無いですよ。少し、夢見が悪いだけですから」


 しかし、エリスはそう言って微笑むだけで、誰かに相談することも改善することも無かった。

 それとは関係なく、ユウトの鍛錬は進む。

 ある程度経つと、カインの講義が終了することになった。


 「今、教えられることはこれくらいだ。これでも駆け出しの冒険者としては十分な量だが、今後を考えるとまだまだ足りない。知識や情報はあるに越したことは無い。今後も知識を蓄えることを怠るな」


 そう言ってから、カインが何かを思い出したような顔をして、付け足すように言う。


 「ギルドには今まで存在を確認された魔物について、これと同じような資料が保管されている。それはどの支部でも置いてあって、受付に申請すれば無料で見せて貰えるんだ。あまり知られていないし、利用者も少ないようだがな」


 嘆かわしいとばかりに溜め息をつく。

 カインはその常連だったが、他に同じように資料を見ている者を見たことが無く、ランド達もあまり興味を示さなかった。


 「全部とは言わないが、時間を見つけて出来る限り頭に入れておけ。情報は武器だ。知っていれば避けられることも、知らないために避けられないことは案外多い。特に討伐に向かう魔物について知らない場合は勿論、そうでなくても確認するくらいの癖はつけておけ」

 「はい。ありがとうございました」


 そうして、カインの冒険者講座は終了し、次の日から夕方までの時間が空くことになった。

 しかし、折角空いた時間を白紙のままにしておくわけが無い。


 「それじゃあ、次は魔術の時間です」


 カインの冒険者講座が終わった次の日、同じ時間に来たケイトがそう告げた。


 「ユウト君は記憶が無いということで、初歩の初歩から説明するね。まず――」


 魔術とは、大魔導師と呼ばれる大昔の人物が生み出したもので、魔力を使用者のイメージした事象に変換し、引き起こす技術だ。

 魔術を使うには魔力を消費するが、その魔力は極稀に全く持たない者も居るが、基本的に生物であれば大なり小なり魔力を持っている。

 そのため、その一部の者を除き、誰もが少なからず魔術を使用することが出来る筈なのだが、実際に魔術を使える者は冒険者や兵士、騎士ばかりで、一般人の殆どは使うことが出来ない。

 これは、魔力さえあれば魔術を使えるというわけではないからだ。魔術を使用するにはその魔力を制御する必要がある。その制御が問題だった。

 体内の魔力は目に見えないため、感覚的に捉えるしかないのだが、それが案外難しい。何せ、生まれたときから当然にあるものなのだ。それが出来ずに挫折してしまう者は多かった。

 そのこともあって、常人以上の魔力量を持ち、優れた魔力制御技術がある者は希少で、それらを兼ね備えた者は魔術師と呼ばれていた。

 魔力とほぼ同質の物として、大気中に魔素が存在するが、両者は良く似ているものの同じ物ではない。その大きな違いとして、人間には魔素に干渉する術が無い。魔素と魔力が同じような性質を持つと分かってから、多くの者が長い時間を費やして研究したが、人間が魔素を利用する手段は今も見つかっていない。

 そのため、魔素は人間の干渉できる物では無いというのが一般的な認識だった。


 「――というのが、魔術に関して必要な知識だね。何か質問はある?」

 「魔力というのは、体内のどこに存在してるんでしょうか?」

 「うーん。それなんだけど、良く分かってないんだよ。元々実体のある物じゃないしね。魂に結びついているとか、魂そのものだとか、精神力だとか。諸説あるね」

 「魂だったら、使用しすぎると死にそうですね」

 「あはは。そうだね。魔力の使いすぎ――魔力切れを起こすと気を失うんだけど、死んじゃう人は居ないから魂って説を信じてる人は少ないと思うよ。一番支持されてるのは精神力説かな。他に何かある?」


 少し考えてからユウトが首を振る。


 「うん。じゃあ、まずはユウト君に魔力があるかどうか調べよう。ギルドには魔力の量を測定する道具があるんだけど、今は無いから別の方法で。これからするのは“探査”の応用なの。あ、“探査”っていうのは――」


 “探査”は魔力制御を発展させた技術の一つで、魔力を薄い膜の様にして周囲に放つことによって周囲にある魔力の存在を感知することが出来る。

 “探査”によって生物の存在や位置を把握できるため、外に出て魔物に襲われる機会の多い冒険者にとっては重要な技術だ。しかも、使用する魔力は極僅かで済むため、その有用さは計り知れない。

 もっとも、どれほどの範囲で“探査”を使用できるかは魔力制御の技術に比例する。そのため、人によって“探査”で感知できる範囲は大きく違ってくる。

 その中でも、特に“探査”に優れた者は魔力の有無を感知するだけで無く、どの程度の魔力を持っているかまで知ることが出来る。

 ケイトがやろうとしている魔力量の検査法はそれを応用したものだ。

 ケイトの技術はまだ相手の魔力量が分かるようなレベルには無い。しかし、たった一人に限定し、触れるほど近くに居る場合は少し事情が異なる。


 「あくまで大まかになんだけど、魔力量がどれくらいか分かるんだ。ちょっとやってみるから、ユウト君はそのままで」


 そう言って、ケイトがユウトの手を取る。目を閉じて集中したケイトが少ししてピクリと肩を震わせた。

 すぐにケイトは目を開くと、驚いた顔でユウトを見た。

 その様子に不安を感じたユウトが、ケイトに尋ねる。


 「どうかしましたか? もしかして、魔力が無いとか……?」

 「ううん。それは大丈夫。ちゃんとあるよ」

 「本当ですか。良かった」


 ホッとした様子のユウトを余所に、ケイトは未だ驚きの中にあった。

 ――確かにある。しかも、かなり多い。多分、私よりも……。これはちょっと楽しみかも。

 ケイトは所謂魔術師であり、その魔力量は一般人より遥かに多い。そのケイトよりも魔力量の多いユウトがどのように育つのか、強い興味が湧いていた。


 「よし。じゃあ魔力の制御から始めようか。座ったままで良いから、楽な体勢で。目を瞑って自分の内側に集中して」


 言われた通り、座ったまま目を瞑る。


 「自分の中に何かがあるの分かるかな。こればっかりは感覚的な物だから説明できないんだけど……」

 「……はい。分かります」


 体内に何かがある。

 今まで気付かなかったが、意識を向けてみると良く分かる。今までは無かったはずの物が急に現れたような、はっきりとした違和感がある。

 ――まるで無いのが普通で、有る今の方が異常な気がする。

 そんな奇妙な感覚があった。


 「すぐに分かるなんて凄いね。なら、それをどこかに少し集めるつもりで。そうだね……利き手にしようか。漂っている魔力を手で掴む気持ちで」


 ケイトに次の指示を受けて、横道に逸れかけていた思考を戻し、集中する。

 目の前に漂っている雲を霧散しないように右手で優しく掴むイメージ。


 「うん、そう。良い調子だよ。ちゃんと集まってる。一旦止めて良いよ」

 「はぁ……」


 集中を止めると、無意識に溜め息が出た。


 「疲れたでしょ。慣れてないとそうなんだよね。しばらくの間はこれをやり続けて、ある程度自由に制御できるようにします。それが出来るようになったら本格的に魔術の練習を始めるから、頑張ろう」


 こうして、ユウトの鍛錬は一段階先に進むことになった。




 ユウトが魔力制御の訓練を始めてから、しばらく経った頃。


 「はぁ……」


 家事をテキパキとこなしながら、物憂げな表情を浮かべたエリスが溜め息を吐いた。

 エリスは相変わらず元気の無いままだった。

 その様子を影から心配そうに見ていたカール達はその場から離れると、三人が共同で使っている自室に戻った。


 「エリス姉、元気ないままだね」

 「うん……。元気付けてあげられないかな」

 「うーん。そもそも原因は何だろう。どう思う? カール兄」

 「エリスねーちゃんが元気無くなったのって、ユウトにーちゃんが訓練を始めてからじゃなかったっけ?」

 「確かにそうだけど……。それって関係あるのかな?」

 「……どうだろう。でも、何となくユウトにーちゃんが関係してるような気がする」

 「そういえば、エリスお姉ちゃん最近よくユウトお兄ちゃんの方見てるよ」


 「うーん」と三人が唸る。

 エリスがユウトに対して何か思うところがあるのは見ていて分かるが、それが具体的に何なのかまでは三人には分からなかった。色々と頭を捻っていると、考えるのが苦手なカールが短気を起こす。


 「分かんないから聞いちゃおうぜ」

 「カール兄、思い切りが良すぎるよ……」

 「エイミィだったら、何気なく聞けば大丈夫じゃないか?」

 「その自信はどこから……」

 「うん。頑張ってみる」


 テリーの心配を余所に二人がやる気になってしまった。

 ――止めても聞いてくれないだろうなぁ。

 早々に説得を諦めたテリーは、エリスの逆鱗に触れないことだけを祈ってエイミィを送り出す。

 送り出すといっても、エイミィにだけ行かせて自分達は部屋に残るという訳ではない。二人もエリスにはばれないよう話を聞くために、エイミィから離れて後ろからついて行く。

 エイミィは少しの間、孤児院の中をうろついて、エリスを見つけると駆け寄った。


 「エリスお姉ちゃん」

 「エイミィ? どうしたの?」

 「お姉ちゃん最近元気ないけど、ユウトお兄ちゃんと何かあったの?」


 エイミィの言葉にエリスの表情が微かに歪む。ほんの一瞬だったが、隠れて様子を窺っているカールとテリーにも辛そうなエリスの表情がはっきり分かった。

 エリスはすぐに微笑んで見せると、エイミィの頭を優しく撫でる。


 「何も無いわ。心配かけてごめんなさい。大丈夫だから、気にしないでね。私はまだすることがあるから、行くわね」


 そう言って、逃げ出すようにエリスはその場を立ち去った。

 エリスの姿が見えなくなると、カールとテリーが姿を現す。


 「どうみても大丈夫には見えないよなぁ」

 「うん。原因がユウト兄にあるのは間違いなさそうだけど……」

 「お兄ちゃんとお姉ちゃん、喧嘩しちゃったのかな?」

 「うーん。あの二人が喧嘩するかなぁ」

 「しないよ。一方的にユウトにーちゃんが謝るところしか想像出来ない」

 「それは喧嘩しないんじゃなくて、喧嘩にならないって言うべきだと思う……。でも確かにそうだね」


 神妙な顔でテリーが頷く。

 その脳裏には怒っているエリスの前で頭を下げているユウトの姿が鮮明に映っている。

 元々二人とも喧嘩する位なら大抵のことは相手に譲ってしまう性格だ。何より、普段のユウトはエリスに頭が上がらない。カールの言う通り、一方的な結果になるのは目に見えている。

 それでも、仮に喧嘩したとすれば余程譲れないようなことなのだろうが、そこまでのことなら一緒に暮らしている自分達が全く知らないのはおかしい。


 「結局原因は分からないままか」

 「エイミィでも駄目じゃ、原因を探るのは無理そうだね」


 予想以上のエリスの頑なさに諦めムードを漂わせ始める二人。しかし、末の妹はまだ諦めきれない様子だった。


 「……お姉ちゃんが元気ないままなのは嫌だな」


 悲しそうな末の妹に、諦めようとしていた兄二人がバツの悪そうな顔をする。

 エリスが心配だったのも本当だが面白半分だった二人に対して、エイミィは心底エリスを心配していた。

 二人は顔を見合わせる。

 妹の悲しむ顔には勝てない。二人はどうすれば良いか、真剣に話し合いを始める。


 「具体的な原因は分からないけど、ユウト兄に関してなのは間違いないわけだし、話をさせれば何とかならないかな」

 「そうだなぁ。最近ユウトにーちゃんとまともに話してるところ見てないし、効果はあるかも」

 「でも、どうやって話をさせよう?」

 「うーん。無理矢理二人きりにするとか?」

 「切っ掛けとしては十分だと思うけど、どうやって二人きりにするのさ」

 「……裏の物置小屋とかどうだろう?」


 孤児院の裏手には、普段使わない物が押し込んである小さな小屋がある。外側から閂がかけられるだけの質素な小屋で、普段は誰も中に入らないため、周りの邪魔が入らず二人きりに出来るという意味では、丁度良い。


 「外側から閉めれば確かに二人きりに出来るね。でも、そこまで誘導するのが……」

 「ちょっと物置小屋に行ってみて、と言って聞いてくれるわけが無いね」

 「ユウト兄なら普通に行きそうだけどね……」


 どこか抜けている黒髪の少年を思い浮かべて笑う。

 記憶が無いせいなのか、ユウトはカール達孤児院の人間とランド達に対しては殆ど疑うことをしない。

 普段誰も行かない物置小屋に行けと言われれば、普通は理由を気にして躊躇うか、その理由を確認する。だが、ユウトの場合は気にはしていても素直に行ってしまいそうだった。


 「ユウト兄はそれで良いとしても、エリス姉はどうするの? 流石にエリス姉に通じるとは思えないけど」

 「そりゃ勿論、こんな馬鹿な方法がエリスねーちゃんに通じるわけ無いじゃん」

 「カール兄……」


 言外にユウトをこき下ろすカールに、テリーが何とも言えない表情をする。

 それに気付かず、考え込むカールがあることを閃いた。


 「そうだ。あれが使えるかも」 


 こうしてユウトとエリスの知らないところで、子供達の思惑が動き始める。




 それから数日後、ユウトは久しぶりにほぼ丸一日の暇を手に入れた。

 鍛錬を始めてから一日の休みも無く鍛錬を行なっていたため、そろそろ一度ゆっくり体を休めた方が良いだろうということで、ランド達がユウトに一日の休みを与えた。

 もっとも、全く動かないと体が鈍るので、朝夕のランニングだけは行なうように言い付かっている。今日は訓練が無いため、ランド達は早朝のランニング時にも顔を出しておらず、孤児院に来る予定も無いだろう。

 家事の手伝いを終えたユウトは、庭先でボーっと空を眺めている。

 ――やることがない……。

 良く考えてみると、最初はここでの生活に慣れるのに集中しており、その後は鍛錬ばかりしていた。そのため、ユウトは自由な時間の過ごし方が分からなかった。

 そもそも、村の中は民家しかなく見て回るような場所は無いし、村人からは未だに敬遠されているためあまり村の中を出歩くのも憚られる。だからといって、村の外に出ようものなら魔物に襲われる恐れもある。村の北東にはガロという町があると聞いており、興味もあったが流石に命を懸けてまで行ってみようとは思わない。

 ――記憶がなくなる前は何してたんだろう。……サッカーとか。って、ボールねぇや。

 最近は意識的に記憶を探ろうとすると、何かに関する知識はある程度引き出せるようになっていた。もっとも、引き出せるのはあくまで探るキーワードに関することだけだ。

 今回の場合は暇な時間、空いてる時間に出来る何か、というキーワードで引き出せたのがサッカーという球技だった。何が引き出せるのかは、無意識に決まる。変に引き出す物を選ぼうと意識すると、逆に錯綜して何も引き出せなったりする。

 しかし、そうやって知識を引き出しているうちに気付いたことがあった。

 どれだけやっても、ユウト自身に関することだけは引っかからないということだ。

 自分の経歴、生まれ、家族、友人、その他諸々。ユウトの素性に繋がり得る情報だけは、どうやっても引き出せなかった。

 それが不気味であり、怖かった。――本当の自分は知識だけを与えられたナニカで、そもそも過去なんて無いんじゃないかと。

 そんな中でも普通にしていられるのは、間違いなくエリス達が居てくれるからだろう。

 ――おし、久しぶりにカール達と遊ぶか。

 いつも笑顔で接してくれる子供達を思い浮かべ、ユウトもつい笑顔が零れる。最近は鍛錬ばかりで、一緒に遊ぶ時間もあまり取れていない。

 そう決めたところで、丁度エイミィが向かってきた。

 

 「エイミィ。一人か? カールやテリーは……」

 「ユウトお兄ちゃん。ちょっと一緒に来て欲しいの」

 「ああ。いいよ」

 

 突然のエイミィのお願いに、ユウトはカールとテリーの想像通りに容易く引っかかった。




 それより少しだけ前。

 自室に戻っていたエリスは部屋の中の物を全てひっくり返す勢いで、ある物を探していた。

 ――なんで無いの……? 泥棒? いえ、服だけを盗んでいくわけないわ。

 エリスが探しているのはユウトのために作った服だ。少し前に完成していたのだが、心情的な問題もあって未だに渡せずに居た。それでも大切に保管してあったのだが、それだけが無くなっていた。

 最初は自分が忘れているだけで違う場所に置いたのかと思ったが、どこにも無い。次に、泥棒でも入ったかとも考えたが、元々金目の物など無いに等しいとはいえ、敢えて手製の服を盗っていくとは思えない。

 ――なら、一体……? そもそも、服のことを知ってるのは院長先生と……。


 「あっ」


 心当たりがあった。

 服のことを知っていて、更にこんなことを悪戯でしそうな人物が。

 犯人の目星がついたエリスは、静かな怒気を漂わせながら部屋を出て行った。




 ユウトがエイミィに連れられていると、途中でエリスに会った。

 エリスはどこか怒っている様子だったが、自分を見て何も言わないところを見る限り、原因は自分じゃないと判断してホッとする。

 普段のエリスはとても穏やかで優しいが、怒ったときは本当に怖い。温厚な人ほど怒ると怖いというが、エリスはまさにそれだった。怒っても声を荒げたりはしないのだが、静かに佇む姿に圧倒的な存在感と威圧感を感じさせる。逆らえばやばいと本能が警鐘を鳴らすのだ。


 「エイミィ。カールかテリーを知らない?」

 「え? う、うんと」


 エリスの怒気を感じたのだろう、エイミィが涙目になっている。

 エリスの怒気もそうだが、エイミィ達の予定ではユウトとエリスは別々に連れて行くつもりだった。一緒に、となると流石に何かおかしいと気付かれかねない。


 「カールお兄ちゃんとテリーお兄ちゃんがどうかしたの?」

 「大事な物が無くなっていて、二人なら何か知っているかもしれないからちょっと聞こうと思って」


 ――一体エリスお姉ちゃんの何を持って行ったの!?

 内心でエイミィが悲鳴をあげる。

 カールが何かを使ってエリスをおびき寄せるという作戦自体はエイミィとテリーも知っていたが、それが具体的に何なのかまでは聞いていない。予想以上のエリスの怒りように怯えていた。

 そんなエイミィに気付かず、ユウトが聞く。


 「手伝いましょうか?」

 「え?」

 「大事な物、探すの手伝います。エイミィ、急ぎじゃないんだろ?」

 「あ、うん。大丈夫」


 エイミィにどんな用事があるのかは知らないが、エイミィの様子から少なくとも急ぎではないことは分かっていた。

 ――最近、エリスさんの様子が少しおかしいし、丁度良い。

 ユウトもエリスの自分への態度が少しおかしいことに気付いていた。しかし、タイミングが合わず、何よりエリス自身がユウトを避けるような態度を見せていたため、踏み込んで良いものかと躊躇っていた。

 だが、今のところ改善する様子は無く、流石にどうにかした方が良いだろうと考えていたところで今回の件だ。

 そして、それはカール達の思惑とも合致していた。


 「そういえば、カールお兄ちゃん達が裏手の小屋がどうとか言ってたけど」


 このまま二人を連れて行こうと決めたエイミィは、誘導を開始する。


 「裏……物置小屋ね。あそこなら隠れるには丁度良いけれど」

 「物置小屋なんてあったんですか」

 「えぇ、普段使わない物が置いてあるんですが、用が無ければ誰も近づきませんから」


 そう言って、エリスが歩き出す。

 怒っているためか、エリスの態度にはここ最近のユウトに対する不自然さが無かった。




 「なんかここ臭い」

 「埃まみれだから、仕方ないよ」


 カールとテリーの小さな声が僅かに反響する。

 二人は今、物置小屋の中に隠れていた。

 ユウトの案内役はエイミィに任せ、エリスにはカールが手を打った。カールの手元には、エリスの大事な物がきちんと包装された状態のままそこにある。

 それに興味があったテリーがカールの手元に視線を向ける。


 「ところで、カール兄が持ってるそれが、エリス姉の?」

 「そ。おびき出す餌」

 「ちなみにそれって、中身何?」


 ただの好奇心だったのだが、それが思いがけない言葉を聞くことになった。


 「ユウトにーちゃんの服」

 「……え?」

 「エリスねーちゃんが作った、ユウトにーちゃんの服」

 「……マジで?」


 テリーの口調が崩れた。

 時折ユウトが口にしていたため覚えたのだが、正しい言葉遣いではないこともあって使うとエリスに注意された。だから普段は使わないようにしていたが、あまりの衝撃に咄嗟に口を突いて出た。

 この村で女性が男性に服を送るという行為は、大体が恋人や夫婦で行なうもので、そうでない場合は好意を伝える意味を持つことが多い。

 エリスの場合、そういう意図である可能性は低いとテリーは思っているが、絶対にないとは言い切れない。

 だが、一番の問題はそこではない。

 何より問題なのは、エリスが誰かに贈ろうとした物を、事情は兎も角盗んできたということだ。

 エリスのちょっとした私物程度なら、事情を話せば叱られるくらいで済んだだろう。しかし、誰かに贈るための物となると、それでは済まないはずだ。更に、もし万が一エリスにそういう意図(・・・・・・)があった場合、もっと凄惨な結果になる。

 ――これ、かなり不味いことになってるんじゃ……? 主に僕達が。

 エリスを元気付けるための作戦のはずだったのだが、終わった後、エリスが怒っている姿しか想像できない。――ある意味では元気になっているのかもしれないが、それはテリーの望むものと違う。それ以前に、終わった後にエリスが元気になったとして、そのことを喜べる状態で居られるとは到底思えなかった。

 そうしている間に、外から声が聞こえてきた。




 三人は孤児院裏の物置小屋の前に着いた。。

 小屋は小さく質素な造りだったが、しっかりとした頑丈そうなものだった。

 エリスは躊躇うことなく閂が外れている小屋の中に足を踏み入れる。閂が外れているということは誰かが開けたということで、それはカールとテリーしか居ない。


 「カール、テリー。ここに居るのでしょう。出てきなさい」

 「ちゃんと来たね」


 そう言ってカールが隠れていた荷物の影から姿を現す。その手に持つ包みを見て、エリスが語調を強める。


 「何故こんなことをしたの。人の物を盗るのが悪いことなのは分かっているでしょう」

 「それは悪いと思ってるけど――」

 「なら、すぐに謝りなさい」


 エリスに強く言われて、カールがムッとする。

 ――確かに悪いことなのは分かってるけど、そもそもエリスねーちゃんがいつまでも元気ないからじゃん。

 怒られるのは覚悟していたが、一応はエリスのためにしたことを一方的に悪いことだと決め付けられたことに腹が立った。


 「なんだよ! そもそもエリスねーちゃんのためにやったんじゃないか!」

 「私の……?」


 思いがけないカールの言葉にエリスが戸惑う。


 「ずっと元気なくて、だからどうにか元気になって貰おうと思って、三人で考えたのにっ!」


 不満が爆発したようにカールが大声で叫ぶ。

 テリーとエイミィも罪悪感は感じているようだが、カールと同じことを思っているようで瞳はしっかりとエリスに向いている。


 「それは……」


 カールの言葉と、テリーやエイミィの視線を受けて、エリスがうろたえる。

 だから、気付くのが遅れた。

 きっかけはおそらくカールの大声だ。

 小屋を震わせるほどの大音量を浴びて、バランス悪く積み上げられた荷物が崩れた。

 入り口近くに居たエリス達は問題ない。荷物に当たるような場所には居なかった。

 しかし、奥に居たカールとテリーはまさに荷物の近くに居り、落ちてきた荷物の直撃を受ける位置に居た。荷物は大小様々で重さもまちまちだが、まだ幼い二人の上に落ちてくれば大怪我は免れない。


 「カール! テリー!」


 それにユウトがほんの少し先に気付いたのは、他の四人よりも背が高かったため崩れそうになった荷物が視界に入っていたからだ。

 崩れ落ちる直前、ユウトは二人を押し倒すようにして、二人の上に覆い被さった。

 硬かったり柔らかかったり、重かったり軽かったりと様々な物が背中に当たる。そして、後頭部に何かが当たった。

 そのことだけを感じながら、痛みも何も無いままに意識を失った。


 「ユウトさん! カール! テリー!」


 大量に積み上げられていた荷物が崩れ、三人の姿が見えないほどに埋まっている。

 ――どうしよう。荷物が多すぎて、私とエイミィだけじゃ……。

 荷物の中には女性一人では持ち上げるのが難しい重さの物もある。エイミィも居るが、エイミィの力では焼け石に水だろう。


 「エイミィ。村の人達を呼んで来て」


 今、孤児院にはサーシャもランド達も居ない。多少時間がかかるが、村人に助けを求めた方がエリスとエイミィだけでやるより早い。


 「急いで!」

 「う、うん!」


 戸惑いがちに返事をしたエイミィが駆け出す。

 それを見送らずに、エリスも上の方にある軽い物を少しでもどかそうと動き出した。




 「なるほどな。良くやったじゃねぇか」

 「そうだな。悪くない判断だ」


 事情を聞いたランドとカインが機嫌良く笑う。

 あれからすぐ駆けつけてきた村人達の手によってユウト達三人は救出された。

 カールとテリーはユウトが覆い被さっていたため、倒れた際の擦り傷ぐらいしかなかった。しかし、上になっていたユウトは背中に幾つもの痣ができ、しかも運の悪いことに硬い物が頭に当たったため、頭部から血が出ていた。もっとも、多少血が出ていた程度なので傷の方はすでにエリスが治療してある。


 「笑い事じゃありません。軽い怪我だったから良いものの……」

 「そうね。荷物の中には無かったみたいだけど、それこそ刃物とかが当たってたら死んでてもおかしくないわ」

 「だっていうのに、男連中は気楽で良いよねぇ」


 女性陣が責めるような視線を二人に向けると、気まずそうに顔を逸らした。

 一歩間違えたら危険だったということはランド達も理解していたが、それ以上に弟子が男を見せたという喜びが勝ってしまっていた。


 「と、ところで。ユウトの様子はどうなんです?」


 話を逸らすようにランドが不慣れな敬語でエリスに聞く。

 それなりに長い間この村に居るのに、ランドとエリスの距離は初めて会った頃から一向に縮まった様子が無い。ケイトがあからさまな溜め息と共に「ヘタレだなぁ」と呟いたのを聞いたのはアンだけだった。


 「昼間から眠ったままです。怪我はもう治ってますし、じきに目を覚ますと思います」

 「そう。なら私達はそろそろ帰るわ」

 「はい。来て下さってありがとうございました」

 「気にしなくて良いよ。私達何もできなかったし、お見舞いくらいはね。じゃあ、また明日」


 ケイトに続いて、口々に挨拶をしてランド達が帰っていった。

 一人居間に残ったエリスは昼間のことを思い出す。

 ――本当に、皆無事で良かった。あの二人には後でお説教……いえ。

 あの時のカールの言葉が脳裏に響く。

 ――私のため、か。……心配かけていた私にそんな資格はありませんね。

 物思いに耽っていると、背後から声がかかる。


 「エリス」

 「あ、院長先生」


 振り返るとサーシャが入り口に立っていた。


 「ユウトさんは……?」


 サーシャはエリスがランド達の相手をしている間、ユウトの看病に行っていた。戻ってきたということは、ユウトの目が覚めたのだろうか。そういう意図の篭った問いだったが、サーシャはそれを正確に理解した上で、はぐらかす。


 「心配なら、行ってみなさい。今なら、面白い話が聞けるかも知れないわ」

 「え?」

 「良いから、行きなさい」


 有無を言わさないきっぱりとした口調だったが、サーシャの優しい声に従ってエリスはユウトの部屋に向かった。


 「行ったわね。これで少しはエリスの懸念も解消すると良いのだけど」 


 ユウトの看病をしていたサーシャだったが、少し前に実はほんの一時席を外していた。

 用事を済ませてユウトの部屋に戻ろうと部屋の前に差し掛かったときに中から漏れた声に足を止めた。

 その声にしばらくの間耳を傾け、話の内容をある程度察すると、少し急いだように居間に向かった。

 そこで丁度良くエリスを見つけたのだ。

 上手くエリスをあの場に向かわせることが出来た。実際にどうなるかは分からないが、少なくともエリスにとって今より悪くなることはないだろう。


 「少し残念ね。私も彼が何を話すか聞いてみたかったのだけど」


 あまり残念そうに見えない表情でそう言いながら、サーシャは居間を後にした。




 ――ユウトさんの部屋。院長先生に言われて来たけど……。あら?

 ユウトの部屋近くに来たエリスの耳に微かに話し声が届いた。

 盗み聞きをするようで少し気が引けたが、サーシャの面白い話という言葉が気になった。少しだけと自分に言い聞かせて耳を澄ませた。




 それより前、サーシャが用事でユウトの部屋を離れている間にユウトは目を覚ましていた。


 「……あれ?」


 目を覚ますと見知った天井が見える。


 「いてっ。……そうか、荷物が崩れたときに何かが頭に当たったのか」


 軽い頭痛がして、気を失う前のことを思い出す。

 それから部屋の中に視線を巡らすと、周りにはカールとテリー、エイミィが寝ており、誰かが看病してくれていたのであろう跡がある。

 ――院長先生かエリスさんかな。

 ここに三人がいるなら、残る可能性はその二人だけだ。


 「にーちゃん」

 「ん?」


 寝ていたと思ったカールに声をかけられた。

 その声には力が無い。


 「どうした?」


 カールだけでなくテリーも起きていたらしい。ユウトが聞き返すと二人が起き上がって正座する。


 「ごめんなさい」


 揃って頭を下げた。

 荷物が崩れたのはカールやテリーのせいという訳でもないのだが、あそこにユウトが来るように仕向けたのはカール達だ。そして、それが怪我をした間接的な原因であったのも確かだった。


 「気にするな。俺は兄貴分なわけだし、お前達を守るのは当たり前だ」

 「兄貴分……。にーちゃんだから助けてくれたの?」

 「それだけじゃないけどな」

 「何で?」

 「何でって、兄貴が弟を守るのは当然だろ?」

 「そう……なの?」


 当惑しているカールとテリーに微笑みかける。

 二人に年の離れた兄は居らず、村にはユウトくらいの年の男は居るが、兄貴分というのとはまた違う。

 カールとテリーは一つしか年が変わらないこともあり、兄が弟を守るという感覚は無かった。


 「そうだよ。だから、お前達も二人で一緒にエイミィを守ってやるんだぞ」

 「でも僕達、ユウト兄みたいに強くないよ」

 「俺だって、強いわけじゃないさ。そもそもな、別に体が強くなくたって良いんだ。困った時、辛い時、大変な時、そういう時に近くに居て支えてやれば良い。それも守るってことなんだから」

 「でも俺、どうせならユウトにーちゃんみたいに強くなりたい」


 そう言われて、頬が緩む。

 自分が強いとは思っていないが、弟分に慕われて嬉しくないわけが無い。


 「言うじゃないか。でも、お前達はまだ小さいから、強くなるのはゆっくりで良い。それまでは俺がお前達も含めて皆を守るよ」

 「だけどユウト兄、村を出て行くんでしょ?」

 「痛いとこ突くね。まぁ、そうなんだけど。……お前達に何かあればどこに居ても駆けつけるから」

 「本当?」

 「あぁ、だからお前達は俺が戻るまでの間、皆を守ってやるんだ。エイミィは勿論、院長先生やエリスさんもな」

 「院長先生やエリスねーちゃんも?」

 「そうだ。家族ってのは男が守るもんだ。普通は父親なんだが、うちは父親が居ないわけだから、一番年上の俺が代わりだ。でも、俺が居ない時にそれが出来るのは、お前達二人にしか出来ない」


 ユウトのお願いに、頼られた気がした二人は満面の笑みを浮かべて頷いた。

 その様子に頑張り過ぎそうな気がしたユウトは、念のため釘を刺す。


 「だけどな。もし何かあったとき、お前達が自分を犠牲にするようなことはしちゃ駄目だ。俺達は家族なんだから、誰か一人でも欠けちゃいけない。約束できるか?」

 「分かった。約束するよ」

 「僕も」

 「よし」


 しっかり頷いた二人の頭を、ユウトが満足そうにグリグリと強めに撫でた。




 眠っているエイミィを起こさないよう配慮しつつも、楽しそうに話している三人の声を背にして、エリスが扉から離れる。

 ――そっか。私は……。

 最近のもやもやした気持ちの理由が分かった。

 両親のようにユウトが魔物に殺されてしまうことが怖いのもそうだが、それだけではない。エリスが本当に怖かったのは、繋がりを失うことだ。ユウトがエリス達を家族のように感じているのと同じで、エリスもまたユウトを家族のように思っている。

 しかし、元々ユウトは記憶を無くして行き先が無かったため、孤児院に居るだけだ。

 出て行ってしまえば、ここのことなどすぐに忘れてしまうのではないか。記憶が戻れば、どうでもよくなってしまうのではないか。

 それがエリスには不安だったのだ。

 両親を――家族を失う恐怖を知っているからこそ、無意識に繋がりを失うことを恐れていた。だが、それでは駄目だ。

 ――応援、しないと。家族だと言ってくれたんですもの。

 例えここを出て、いずれ記憶が戻っても、きっとユウトはエリス達を忘れたりはしない。

、エリスはすっきりした顔で一度自室に戻った。

 そして、再びユウトの部屋の前に来たエリスの手には、エリスが作った服を包装した包みがあった。

 エリスが扉をノックする。


 「ユウトさん。起きていますか?」

 「はい。どうぞ」


 ユウトに促されて部屋の中に入る。――と、中にはユウト以外居なかった。


 「あら、カール達は?」

 「カール達なら、少し前に院長先生が連れて行きました」

 「そうですか……」


 ――全部見抜かれてるような気がする……。

 カール達が居るのを承知の上で来たのだが、タイミングの良すぎるサーシャに僅かな戦慄を覚える。しかし、すぐにそれを脇に追いやって、笑顔を作る。


 「ちゃんと目が覚めて良かったです」

 「あはは……、心配かけてすみません」

 「全くです。気をつけて下さい。……でも、カール達を助けてくれて、ありがとうございます」

 「いえ、当たり前のことをしただけですから」

 「……家族だから、ですか?」


 エリスの視線に期待が篭る。

 ――聞かれてた……かな。

 恥ずかしいことを言っていた自覚があるので、何となく面と向かって認めるのは躊躇われる。だが、目の前の少女はそれを望んでいるように思えた。


 「はい。家族ですから」

 「……私のことも、家族だと思ってくれていますか?」

 「勿論」

 「そう、ですか」


 胸につかえていた物が完全に取れた気がした。

 エリスは後ろ手に隠していた包みをユウトに差し出す。


 「これ、プレゼントです」

 「プレゼント? えっと……?」

 「この村では、家族が服を作る風習なんです。大抵は親が子の、妻が夫の、という感じです。ですから、その……私はユウトさんの家族ですから」

 

 エリスがはにかむように笑う。

 ユウトはその笑顔に見蕩れ、ボーっと見ていると、エリスが恥ずかしそうにに身をよじる。それでユウトが我に返った。


 「あ、えと。……ありがとうございます。凄く嬉しいです」


 今度はユウトが照れたように笑うと、エリスが頬を赤く染めた。


 「い、いえ。どういたしまして。もう寝ますね。おやすみなさい」


 焦ったようにそう言うと、エリスはユウトの返事を待たずに部屋を出て、扉を閉めた。

 ――何だろう。胸が……?

 今度は今までに感じたことの無い感情に、再び戸惑うことになった。


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